20 整理させて欲しい
創造主の口から全てを聴いた殿下は、はあと深い息を吐いた。創造主、私、レッドと見回した後で、自分を落ち着かせるようにもう一度息を吐く。
「……正直、混乱している。にわかには信じ難い」
そりゃそうよね。私は自分の身に起こったことに違和感があったから、運命が入れ替わったの何だのって聞いてもすぐに納得しちゃったけど。
「だが……よく考えてみれば合点がいく。自国以外の国の知識がほとんどないことも、国境を越えられないことも、それが何故かと考えもしなかったことも。まるで霧の立ち込める箱庭に閉じ込められているような」
霧の立ち込める箱庭……その表現、詩的ですごく素敵! さすが殿下ね。
うっとりしていると、横から鋭い視線を感じる。気のせいかしら。
「……愛していたはずのリリエンヌに興味を失くし、急にラビニア嬢を愛するようになったことも。どこかに違和感があったのではないか?」
レッドの問いに、殿下はキッパリと答える。
「いや、そこは違和感がなかった」
何でよ! そこが一番でしょ!
鼻息が出る前に、レッドがさっと塞いでくれた。
「……確かに私はラビニアと婚約破棄し、リリエンヌと婚約しようとしていた。だがラビニアにそれを告げに行った時……震えながら今までのことを詫びる姿に、猛烈な愛しさが込み上げたんだ。何故自分は、婚約者のことをよく見ずに、思い込みだけで為人を判断していたのだろうと。同時に、リリエンヌに対して抱いていたものが、全て心から消え去った。今では愛していたかどうかすら思い出せない。……違和感どころか、むしろ自然に感じた」
自然に……そうよね。本当の本当は、“ラビニアと結ばれるはずだった” 殿下を、“無理やりリリエンヌのものに” したんだもんね。あっさりオーラも変わる訳だわ。
鼻から指を離し、膝の上で手を握ってくれるレッド。
大丈夫よ……なんだかもう、痛くない。
お礼の代わりに、きゅっと握り返してみた。
「ラビニアをリリエンヌが傷付けた時も、本当は追放ではなくこの手で殺したかったくらいだし、こうして再会した今だって……情のひと欠片すら湧かないのです」
殺したかった……うん。私を追放した時の殿下、すっごく怖かったもん。
ぎゅうっと握ってくれる大きな手を、きゅっきゅっと握り返す。大丈夫、私は大丈夫よ。
「傷付けた……おかしいとは思いませんか? リリエンヌの白薔薇の魔力には攻撃性はないはずなのに。本当は、ラビニア嬢が黒薔薇の魔力でリリエンヌを傷付けるはずだったんですよ。そして貴方は、リリエンヌではなくラビニア嬢を追放するはずだった。……ラビニア嬢の中に居る、創造主の悪戯がなければね」
レッドに厳しい視線を向けられ、創造主はピクリと身体を震わせる。そんな彼女を見て、殿下は悲痛な顔で首を振った。
「やめてくれ……そんなこと、考えたくもない。私がラビニアを追放するなど。愛する女性を、極寒のシュターレ国へ、たった一人で」
ええ、ええええ、仰る通り死ぬほど寒かったわよ。一人で心細かったわよ。愛するラビニアちゃんでなくてよかったわね!
興奮しすぎて、開いた鼻の穴からはもう何も出てこない。すっごく不細工だろうけど構わないわ。殿下も創造主も完全に二人の世界に入っていて、こっちのことなんか見ていないもん。
小刻みに震える肩に、殿下が優しく手を置けば、創造主の黒い瞳からすうっと涙が零れた。
うわあ……綺麗な涙ね。どうやったらあんな風に泣けるのかしら。私のうるうるよりもずっと庇護欲をそそられるわ。切なげに肩を震わせる技術も素晴らしいし……創造主ったら、私よりもよっぽど絆しスキルが高いんじゃない?
学ばせてもらおうと、ローズと二人でふんふんと観察していると、レッドが殿下に向かい冷静に言った。
「とにかく……今のこの世界は正常ではない。運命を元に戻さないと、あちこち歪みが生じて何が起こるか分かりませんよ」
「元に……戻す?」
「ええ。占い師によると、私の復元の魔力を使えば、歪んだ運命を修復出来るのだそうです。どうやって使うのかも、使えるのかもまだ分かりませんが」
「元に戻ったら……どうなる?」
「本来の……箱庭では、貴方とリリエンヌが愛し合い婚約をする。ラビニア嬢は箱庭の外に追放されて、運が良ければ助かるでしょう。……私がラビニア嬢を愛すれば」
レッドが……ラビニアを愛する? さっきの殿下みたいに、ラビニアを強く抱き締めたり、優しく肩に手を置いたり、綺麗な涙を拭ったりするの? 今、私の手を握ってくれているこの温かい手で?
……痛い。すごく痛いわ。どうしてかしら。
ラビニア嬢と愛し合えば、レッドはきっと本当の顔をもらって幸せになれる。望んでいたことなのに……
開いていた鼻の穴はすっかり萎み、自然と目が潤んでしまう。うるうるしたって……もう誰も絆せないのに。
「ラビニアが……私のラビニアが貴方のものになると言うのか!?」
「さあ、どうでしょう。今のところラビニア嬢には、情のひと欠片すら湧かないが。私は私の可愛いリリーに夢中ですから」
ちゅっと目元に唇を寄せたりするから、涙と鼻水が零れてしまう。こんなのいや……ラビニアみたいに、もっと綺麗に泣きたいのに。
ぼやけた視界の向こうで、殿下は創造主と私の泣き顔を交互に見比べている。やがて深い深い息を吐いてこう言った。
「少し……整理させて欲しい」
殿下の整理とやらがつくまで、創造主の申し出で、当面はこの公爵邸に滞在させてもらえることになった。
当然よね、これだけ迷惑を被ったんだから。一泊三食マッサージ付きで贅沢させてもらうわ!
私に絶対に危害を加えないとレッドに約束し、殿下は見張り兵を置いて一旦皇宮に帰っていった。
ちゃんと二部屋スイートルームを用意してくれたのに、何故かレッドは私と同じ部屋に入り荷物を置く。
「……どうしたの?」
「一人になんか出来る訳ないだろ。殿下や創造主の気が変わって、お前を襲ったらどうする」
「同じ部屋で寝るの? 殿下の整理がつくまで何日掛かるかも分からないのに」
「問題ないだろ。今まで同じ洞窟やら同じ部屋やらで寝てたんだし」
それは……そうよね。何で今更こんなに落ち着かないのかしら。
「風呂、温めてあるらしいから先に入れ。ドアの外で見張っているから」
そう言いながら、レッドはくいっと奥のドアを指差す。
そうそう! お風呂付きの部屋って言ってたわね。なんて豪勢なのかしら! お風呂……おふ……ろ……
「着替えもタオルも中に用意してあるって言ってたぞ。何かあったら助けに行くから、大声で呼べ」
大声で……
「いやよそんなの! 裸なのに恥ずかしいわ!」
「何を今更……魔泉で襲われかけた時、人の背中に下着姿で飛び付いて来たのはどこのどいつだ」
「裸と下着じゃ違うわ!」
「同じだ! 男だって意識していないからそんなことが出来るんだろ? 裸だって変わらないはずだ」
レッドは真っ赤になって怒りながら荷物を漁っている。あれ、そういえば……殿下と違って、顔が赤いのは怒っている訳じゃないんだっけ?
……じゃあ何なのよ。
顔を探っていると、ぷるぷるの唇の上で目が離せなくなってしまった。その感触や温度を思い出して、カッと胸が熱くなる。
……大体、私を女だと意識していないのはそっちでしょう? 大切なファーストキスを、全然気にならないなんて言って簡単に奪ったくせに。さっきだって顔中にチュウチュウチュウチュウ……
「ほら、さっさと入れ! 俺も早く汗を流したいんだ。ぶつぶつ言うなら一緒に入るぞ」
シャツのボタンを豪快に外し始めるレッド。私はきゃあと叫びながら浴室に飛び込んだ。
ほかほかと温まった身体を、用意されていた手触りの良い部屋着で包む。さすが公爵邸。部屋着と言っても、私の普段着よりもよっぽど上等なドレスだ。
魔泉は最高に気持ち良かったけど、やっぱり部屋のお風呂は落ち着くわね。魔鳥にも盗賊にも邪魔されないし。
レッドも烏の行水で入浴を済ませると、同じく用意された上等なシャツとトラウザーズに着替えて出て来る。
あら、私が魔力で出した服も似合っていたけど、こっちもシンプルで素敵ね。むしろこっちの方が装飾が少なくて生地も薄い分、ムキムキの立派な筋肉が引き立って……はっ、何考えているの! いやらしい!
その後、部屋に運ばれてきた豪華すぎる夕飯に、白薔薇の令嬢らしからぬ声ではしゃいでしまった。早速肉にかぶりつこうとするのをレッドに止められ、給仕に毒味させながら慎重に楽しんだ。(危なかったわ……)
最高級の紅茶でひと息ついていると、ノックの音が響き、ラビニア……創造主が遠慮がちに顔を出した。
「リリエンヌ……少し二人きりで話せるかしら?」




