19 一触即発!
この瞳……どこかで見たことがある。
ああ、そうか……私がラビニアを魔力で傷付けてしまった時の、殿下の瞳と同じだわ。
青くたって何だって、レッドの瞳はレッドだけの表情だったのに。こんな風に冷たいと、錯覚してしまう。
だけど、殿下とは全く違う、肉厚の唇が確かに開いた。
「俺は……物心が付いた時から自分の顔が無くて……周りからは好き勝手な顔に見られて。きっとこの世界には要らない存在なんだと思っていた。だから、創造主が本当は俺の顔を創ろうとしていた、愛してくれていたんだと知った時は、涙が出る程嬉しかった。だけど……」
レッドのムキムキの腕に力が入り、筋肉がピシッと音を立てる。
「あんたみたいな創造主に顔を創られる位なら、のっぺらぼうの方がずっとマシだ。今はそう思うよ」
今後は創造主の顔が、ピシッと引きつる音がした。
なっ……何言ってるの!!
せっかく此処まで来たのに……機嫌を損ねて顔をもらえなかったらどうするのよ!
私も慌てて立ち上がり、シャツが弾けそうな程筋肉が盛り上がった腕をくいくい引っ張る。
それでもレッドは微動だにせず、冷たく創造主を見下ろしたまま、鋭い言葉を放ち続ける。
「トーコとやらがどんな酷い女だったかは知らないが、他人の痛みを考えないのはあんたも一緒だろ。勝手に創って、勝手に恨みをぶつけて……そんな奴が創造主だったことに、心底幻滅した。リリエンヌはもう、あんたの創作物でも所有物でも何でもない。この世界にたった一つの、大切な命なんだよ」
胸がきゅんとして、鼻がツンとして、目がじんとする。
……レッドも私を大切だと思ってくれているの?
「さっき、リリエンヌが俺を取り込んだの何だのと言っていたが……リリエンヌを助けて、今此処にこうして居るのは間違いなく俺の意思だ。寂しい夜の冷たい雪の中を、小さな女が一人ぼっちのくせに、散歩でもしているみたいに楽しそうに歩いて。鼻水だらけで不細工で頭空っぽなくせに無駄にキラキラして……一緒に居たら退屈しないんじゃないか、キラキラした何かを自分も見つけられるんじゃないかって。……そんな気がした。
もしあれがリリエンヌじゃなく、あんたやラビニアだったら、後を付いて来たって遠慮なく追い払っていただろう。いや、魔鳥や魔蛇の餌にしたかもしれないな」
ひいっ! 何てこと言うの!
これ以上ご機嫌を損ねちゃ駄目よ!
「俺にとっては、あんたの方がよっぽど悪女だ。リリエンヌを幸せにする為に、どんな手段を使っても殿下は返してもらう」
私を……そりゃ幸せになれたら嬉しいけど…………あれ。
私の幸せって何だろう?
その時初めて、自分の幸せと殿下が結びつかないような、自分の心の層がズレているような、そんな気持ち悪さを感じた。
「貴方……すごく怒っているのね。顔がないのに、ちゃんと伝わるわ」
はっと創造主の顔を見れば、私の心配を余所に怒るでも嘆くでもなく、ただレッドを見上げ頷いている。
そういえば彼を初めて見た時から、“まだ顔がないの?”って訊いてたわね。創造主には誰の顔でもなく、のっぺらぼうに見えているんだわ。
そうよ……顔! これ以上レッドが何か失言する前に、顔をもらっとかなきゃ。レッドの幸せは顔なんだから!
……私の幸せは複雑そうだし、一旦置いておこう。
「あの……創造主さん、私を嫌いでもいいから、レッドに顔をくれない? さっきはつい興奮して、のっぺらぼうのままでいいだなんて言っちゃったみたいだけど……彼はね、本当は貴女に顔をもらう為に、必死で此処まで来たのよ。あっ、殿下のことはとりあえず保留でいいから、彼の顔優先で、ね?」
「おい! 何言ってるんだ! 殿下優先に決まってるだろ!」
「殿下は複雑そうだから、後回しでいいわよ! ……ご機嫌を損ねる前に、顔だけチャッチャともらっちゃいましょ」
背伸びしてこそっと耳打ちしたにも拘わらず、大声で返答される。
「顔なんか後回しでいい! 何の為に此処まで来たと思ってるんだ!? 複雑なら、俺が力ずくでチャッチャと奪い返してやるから」
「力ずくでって……まさか炎で燃やす気じゃないでしょうね!?」
「抵抗するならあり得る」
「ちょっと! 殿下は魔鳥じゃないのよ!? あんな国宝級のイケメン、燃やしちゃったらもったいないじゃない」
「イケメン…………はっ! 熱で溶かしてツルツルののっぺらぼうにしてやる。俺とお揃いだ」
「あの……」と遠くで創造主の声が聞こえている気もするが、それどころじゃない。
ぎゃあぎゃあと口論を続けていると、バンとドアが開き、凄まじいオーラが室内へ充満した。
「ラビニア!!」
地響きのような足音と共にこちらへ駆け寄り、立ち上がったラビニアを抱き締めたのは────
ほんの数日前まで、よく見ていた顔だった。
「殿下……っ」
腕の中が苦しいのか、少し吐息交じりの声を出す創造主。あら、意外と可愛いのね、なんて思っていた次の瞬間、殿下は彼女を片腕に抱いたまま、私達へ向かい手を伸ばした。その掌には、青い光がチリチリと、稲妻みたいに飛び交っている。
……青薔薇の魔力だわ!! ひいっ! 今度こそ命まで消されちゃう!
カチンコチンに固まる私をサッと片腕で抱き寄せ、殿下へ向かい手を伸ばすレッド。その掌には、赤い炎がユラユラと燃え盛っている。
この状況……一触即発じゃない! 青と赤、どっちが強いのかしら。ちょっと見てみたい気もするけど……なんて、ダメよリリエンヌ! 今は好奇心を封印しなさい! 平和が一番!
目を覆いながらも指の隙間から交互に眺めていると、青い光が弱まったのに気付いた。殿下の青い瞳が、レッドへ釘付けになったまま見開いていく。
「……兄上?」
……あっ! もしかして、レッドの顔が亡くなったお兄様に見えているのかしら。
その様子にレッドも赤い炎を弱め、冷静に言った。
「残念ですが違います。貴方が見たい顔を、私に重ねているだけです。よくご覧ください」
レッドの額に浮かぶ赤い紋章に呼応するように、殿下の額にも青い紋章が浮かび上がる。
紋章を確認すると、殿下は我に返り、警戒心を強めて言い放った。
「……シュターレ国王ともあろう方が、追放した罪人を伴って許可もなく入国されるとは。国際問題にでも発展させたいのですか?」
「そちらこそ、随分と刺激的なご挨拶ですね。命からがら、初めて貴国へ訪問したシュターレ国の王に向かって」
「何?」
「この世界の設定上、許可も取りようがないので少々強引に入国させていただきました。我がシュターレ国は、許可などお取りいただかなくとも、いつでも殿下のご来訪を歓迎致しますが。……国境を越えられるなら」
「国境……」
思うところがあるのか、殿下は険しい顔で言葉を呑み込む。レッドは掌の炎を消すと、やや声のトーンを下げて続けた。
「争う為に国境を越えた訳ではありません。まずはリリエンヌの話を聴いていただきたい」
「リリエンヌ……」
レッドから私へと視線を移す殿下。ずっと好きだった、殿下自身の本物の青い瞳。胸の奥の砂粒みたいな何かが、とくんと跳ねるけど……
汚いものでも見るように歪められた顔に、それは凍りつく。
「お前……白薔薇の魔力がないのに、どうやって男を絆したんだ。シュターレ国王を取り込んで戻って来るとは……しぶとい悪女だな。一体何を企んでいる」
凍った最後の何かは、ひび割れて完全に消えてしまった。
欠片を探そうともせず呆然としていると、レッドが呆れたように笑い出した。すかさず殿下がそれに噛みつく。
「何が可笑しいのですか?」
「いえ……ラビニア嬢といい、貴方といい、随分と失礼なことを仰るものだと思いましてね。私の妻……つまり一国の王妃となる女性に」
……つま。おうひ。
つまは妻。おうひは王……妃?
「絆すだの取り込むだの悪女だの、それこそ国際問題にも発展する暴言だ。……そう思わないか? 愛しのリリー」
愛し……の……リ……
私の腰をぐいと引き寄せ、肉厚の唇を耳に寄せながら、髪をくるくると指で弄び出すレッド。
さっきの“とくん”なんて比じゃないぐらい、心臓がどくんどくんと暴れ、目がぐるぐると回り出す。
「まさか! 追放された罪人を妃に迎えるおつもりか!?」
殿下の問いにも動じることなく、レッドは自分の襟からクラヴァットを引き抜くと、私の髪を再びそれで結ぶ。
「もちろん。罪人だろうが何だろうが、私はリリーに溺れていますからね。こんな風に、大切な紋章入りのアクセサリーを身に着けさせて、自分のものだと証明したくなるくらい」
話の合間にも、額やら頬やらに、絶え間なく降ってくるぷるぷる。
顔が熱くて溶けちゃいそう……このままじゃ、私がのっぺらぼうになっちゃうじゃない。
「だが……もしかしたら、私のリリーに対するこの想いは、単なる錯覚かもしれない。貴方のラビニア嬢に対するその想いも」
「……どういう意味だ」
「この世界は今、大きな運命の歪みが生じている。原因は、貴方の腕の中にいる、そのラビニア嬢だ」
「ラビニア?」
「私達を掻き乱した責任を取って、殿下にも全て話してくださいませんか? 貴女に少しでも良心があるのなら。ラビニア嬢……いえ、創造主さん」
穏やかだけど、有無を言わせぬレッドの口調。
皆の視線が、戸惑う創造主の元へ一斉に集まった。




