18 貴女の中身は……
“まだ……顔がない?”
どういうことだろうと考える間もなく、ラビニアは兵に門を開けさせ、レッドに駆け寄る。
彼の顔を両手でがしっと掴むと、背伸びし、唇がくっつきそうな距離で覗き込む。
突然のことに固まるレッドとは反対に、私は何故か苛々して暴れたくなって……だってしつこいくらい離れないんだもん! 気付けば広い背中から飛び出し、二人の間に割り込んでいた。
「……リリエンヌ?」
レッドから離した手をそのままに、目と口をぽかんと開くラビニア。
しまった……罪人なのに、こんなに堂々と登場しちゃったわ。
「お嬢様!」
兵が彼女を守るように取り囲み、私へ向け一斉に剣を構えた。よく見れば、彼らは胸に皇室の紋章を着けている。
きっと殿下が、ラビニアを守る為に派遣した兵だわ。私はそんなことしてもらったことないのに……よっぽど愛されているのね。
心の隅をスースーと風が抜けていくけれど、そんなに痛くはないみたい。
それよりも、私を守るようにサッと前に立ってくれたレッドに、胸が熱くなっていた。
「殿下にご報告致します!」
門の外へ飛び出そうとする兵を、ラビニアが手で制す。
「必要ありません。お二人を屋敷へお通しして」
「しかし……!」
「何かあれば私が責任を取ります。シュターレ国の国王陛下に失礼のないように、丁重なおもてなしを」
王宮に引けを取らない立派な応接室へ案内されると、ふかふかの豪奢なソファーを勧められた。
さすが公爵家……成り上がり貴族の家とは全然格が違うわ。
家……
お父様とお母様、お兄様は大丈夫かしら……なんとか極刑は免れて、領地の没収と身分を剥奪されただけで済んだけど。ずっと贅沢してきた人達だから、急に平民に戻って苦労しているはずだわ。罪人の家族だし、石でも投げられていなければいいんだけど。
給仕がお茶を運び終わると、ラビニアはすぐに人払いをする。ドアが閉まり人の気配が無くなるや否や、私達の向かいに座り、複雑な顔で問う。
「……私に何のご用が?」
…………ご用?
呑気なその問いに、私の中の何かがボンと爆発した。
ご用……ご用なんてもんじゃないわよ!! あんたと運命が入れ替わったせいで、私が一体どんな目に遭ったと思ってんの! 凍死も魔鳥も盗賊の危機も、ぜえんぶ私が代わりに引き受けたのよ!
なあにが“何のご用?”よ! 用も文句もあるに決まってるじゃないの!
鼻息どころか、頭の天辺からも蒸気が噴き出しているんじゃないかと思うくらい興奮している。ふがふが煩かったのか、レッドの指がさりげなく鼻の穴に蓋をしてくれた。それでも落ち着かず、口から行き場のない息と共に、ストレートな言葉が飛び出す。
「貴女……誰?」
「え?」
「ラビニアじゃないんでしょ? 中身は一体誰かって訊いてんのよ」
しんと静まる室内。
ついにレッドの指が、ふがっと鼻息に飛ばされたのを見て、ラビニアは口を開いた。
「……知っていたの?」
…………やっぱり! 占いのお婆さんの言う通りだわ。
今はもうオーラが黒なのか白なのかは見えないけれど、目の前に居るのが、とりあえずラビニアじゃないことは分かるもん。
漆黒の瞳は、目尻が刺のように吊り上がってはいるものの、その奥が穏やかだ。高い鼻も、血の色の唇も、ツンと尖ってはいるのにどこか丸い。
ぐるぐると伸びた蔓みたいな黒髪でさえ、柔らかい弧を描いているように見える。
「この世の創造主が住む世界から、魂が降りてラビニアの身体に入ってしまったんでしょう? ええと……転生? したって」
「転生…………創造……主?」
「そうよ。貴女は創造主を……この世と私達を創った神様を知っている?」
ごくりと上下するラビニアの白い喉。微かな……でも芯のある硬い声が、思わぬ言葉を放った。
「……もちろん、知っているわ。だって私がその神様で、創造主だもの」
…………ふえ?
油の切れたブリキ人形みたいに、首をゆっくり隣へ向ければ、全く同じ動きのレッドと目が合う。動揺する私達を余所に、ラビニア? は淡々と続けた。
「病気で入院していて……すごく苦しくて……疲れて眠くなって。起きたらラビニアの中に居たわ。私、多分あのまま死んで、貴女の言う通り転生したのよ。流行りの小説みたいにね」
病気……苦しくて……
頭に浮かんだのは、血を吐き、白いベッドに横たわる青白い女性。
裏鏡で見た創造主の最期と、ラビニア? の言葉が重なった。
「本当に……本当に貴女は創造主? 私のことも貴女が創ったって言うの?」
「そうよ。貴女のことも……貴方のことも」
ラビニア……じゃなくて創造主は、私から隣のレッドへ、そしてまた私へと視線を移す。黒い眼球だけを動かしながら、ジロジロと探るその視線。
気のせいかしら。私を見る時と、レッドを見る時とで、目つきが違くない? なんというか……まあいいわ。それよりも訊きたいことが沢山!
「ラビニアのことも?」
「ええ、もちろん。ラビニアは一番最初に創ったわ。私のお気に入りだもの」
「お気に入りなのに身体を乗っ取ったの? 本物のラビニアはどこ?」
「乗っ取ったんじゃないわ。私はラビニアと一体になったのよ」
「一体に……」
創造主はラビニアの胸に手を当てながら、恍惚感に満ちた表情で語る。
「この身体の中で、ラビニアの意識と出逢って話したの。彼女……泣いていたわ。本当は殿下を愛しているのに、心が離れてとても苦しいって。他の誰に誤解されても構わないから、殿下にだけは嫌われたくないって」
ラビニア……あの黒いオーラの下で、そんな風に苦しんでいたの? 殿下への愛なんてなくて、ただ皇太子妃の地位と権力が欲しいだけかと……勝手にそう思っていた。
「全部私がいけないのよ。本当はラビニアと結ばれるはずだった殿下を、無理やりリリエンヌのものにしてしまったのだから。これが最期の作品になるんだったら、自分の意見を押し通せばよかった。ヒロインはラビニアのままにしたいって、ちゃんと言えばよかった」
遠いどこかを見ながら、創造主は喋り続ける。
“ラビニアと結ばれるはずだった”
“無理やりリリエンヌのものに”
ピンクから緑のオーラへ。あっさり心変わりした殿下の態度を振り返り、納得してしまっている自分がいた。
「だから私は、自分で壊してしまった自分の世界に、責任を取ることにしたの。殿下をラビニアに返してあげる、婚約破棄も追放も断罪も絶対にさせないって。ラビニアはそれを喜んで受け入れてくれて……私達の意識は一体になった。だから、乗っ取ったりなんかしてないない」
「それで……ラビニアとくっついて、二人がかりで殿下を私から奪ったの?」
「奪ったなんて……最初に奪ったのは貴女でしょう? 私達は取り返しただけよ。その証拠に、ラビニアの素直な想いを伝えて、涙を流し微笑んだだけで、すぐに殿下は戻って来てくれたわ。……当然よね。こっちが私の描きたかった、正しい世界なんだから」
……正しい世界。私にとっては歪んで見えていたこの世界が、創造主にとっては正しい世界。でも……
「私は酷い目に遭ったわ。好きだった殿下から魔力を取り上げられて、極寒のシュターレ国に一人ぼっちで追放されて、魔鳥や盗賊にも襲われかけた。レッドが……王様が助けてくれなかったら、今頃悲惨な屍になっていたわ。家族だって爵位を剥奪されて、今頃何処でどうしているか」
「それは申し訳ないと思っているわ。まさか殿下が貴女を追放までするとは……私だって行き過ぎた断罪は趣味じゃないし、必死に止めたんだけど聞いてくれなかったの。ラビニアが背負うはずだった断罪プログラムの穴を、貴女が埋めてしまったのかしら」
「……本当に、本気で止めてくれたの? だって、貴女は私を創り出したけど、私を愛してはいないでしょう? 私、ちゃんと知っているんだから。愛するラビニアの代わりに追放して、死んじゃえばラッキーと思ったんじゃない? ラビニアが幸せになるなら、この世界にもう私は要らないんじゃないの?」
創造主は何も答えない。
ただ、気まずそうにふっと逸らされた目が、私の言葉を肯定していた。
『どの子も大切な子供』なんて、やっぱり嘘だったのね。
高ぶる感情に、握った手の爪は食い込み、背中はゾクリと震える。どうしようもなく冷えていく身体に、ふと沁みる温かい何か。そこに意識を送れば、いつの間にかレッドの手に支えられているのだと気付いた。
きっと、今の私はすごく不細工だから……貴方に見られたくない。貴方の表情も見られない。
だけど心は、この温もりから伝わる。
『大丈夫だ、お前はここにいる。お前は必要だよ』って。崩れかけた自分の存在価値を、そうつなぎ止めてくれている気がした。
そうよ……私は私を愛しているわ。
頭はそんなに良くないのに体力はあるし、よく食べるし結構お喋りだから、白薔薇の魔力がなきゃ本当はあまり令嬢らしくないんたけど、それでも最高に可愛い。この心と顔と身体で、ずっと生きてきたんだもん。誰に要らないって言われたって、私は私が大切。絶対に見捨てたりなんかしない。
なにさ、勝手に創ったくせに……貴女の愛なんて、こっちから願い下げよ。
こんなに薄情な創造主の前で、絶対に泣くもんか。
歯を食いしばって堪えていたのに、ほろりと一粒零れてしまった。一粒零れたらもう一粒、また一粒と、ほろほろ零れては止まらない。
ずっと肩に止まって創造主を威嚇していたローズが、柔らかい羽でひらひらと拭ってくれた。
「貴女……改めて見ると、本当にそっくりね。ここまでそっくりなんて、怖いくらい」
「そっ……くり?」
「ええ、貴女にはモデルの女性が居るのよ。喋り方も容姿も、その女性をイメージして創ったの」
私のモデル……? イメージ……ってことは……
「よっぽど可愛い女性だったんでしょうね」
思わず漏れてしまった言葉に、ふっと笑う創造主の顔。そこには様々な負の感情が浮かんでいる。呆れ、侮蔑、そして……嫌悪。
そう、彼女は私に嫌悪感を抱いている。再会した時から、ひしひしと伝わるのはそれだ。
「確かに可愛いかったわよ、顔はね。でも性格は最悪。あざとくて、自己中で、他人の痛みなんて何も考えない。学生時代は陰で散々いじめられて、大人になって再会してからは恋人を奪われたわ。それもゲーム感覚でね。そうやって、男にしなだれかかって涙を流す所なんて本当にそっくり。……ラビニアの為に創った大切なシュターレ国王までも取り込むなんて、さすがね」
さっきから優しく背中を撫で続けてくれているレッドの手に、急に力が籠った。
ちらっと隣を見上げれば、今までに見たことのない険しい顔をラビニアに向けている。
……どうしたのかしら。
「その女性が嫌いだったから、似ている私を創って悪者にしたの?」
「そうよ。私によく似た不器用なラビニアはヒロイン、瞳子によく似たあざといリリエンヌは悪役。ファメオ国一のスパダリ皇子は、貴女なんかに絆されず、ラビニアと愛を育んでいく。描きたかったのはそんな世界よ。
さっき……行き過ぎた断罪は趣味じゃないと言ったけど……殿下を止めたのも本当だけど……でも本音を言えばね、貴女が追放された時はスカッとしたわ。ラビニアが断罪されるのは辛くて仕方なかったけど、貴女なら魔鳥の餌にでも盗賊に手篭めにされようが何でも」
ガタン!!
ソファーが傾いたと思った瞬間、テーブルが激しく揺れ、カップから茶色い波が溢れる。
…………レッド?
テーブルの縁から、ポタポタと滴る冷めた紅茶。それを弾く革靴の上には、真っ直ぐ伸びた筋肉質の長い足。徐々に視線を上げれば、遥か頭上から、創造主を冷たく見下ろす青い瞳があった。




