17 楽しかった
幸い森には兵の姿はなく、難なく街へと抜けることが出来た。
「兵を置く必要がないからだろうな」というレッドの言葉に、私もそうねと頷く。
ファメオ国から、ラビニアを追放する為だけに作られたシュターレ国。本来ならば、こうしてシュターレ国から入国する者も、ファメオ国から出国する者も居ないからだ。
カラフルな煉瓦屋根の店が並ぶ街並みには、大勢の人々が行き交う。小鳥のさえずり、色とりどりの花、日差しに輝く噴水。
汚れた靴で美しい石畳に立ち、それを眺めていると、喜びよりも哀しみに襲われた。
自分一人が居なくても、この国はこんなにも明るく、幸せそうに動いている。お前が居なくても何も変わらない、もうお前は必要ないのだと、そんな風に言われているようで……
頭の温もりにふと顔を上げれば、レッドが優しい顔で私を見下ろしていた。
「どうした? 安心して腹が減ったか?」
大きな手で、つむじをぐしゃぐしゃと掻き回される。
もう……せっかく可愛く結んでもらったのに。
目が熱くなって、鼻がツンとして……きっと不細工なんだろうなとそっぽを向く。
「何処かでおやつでも買ってやろうか? 非常食はペラペラの蝶々に変わっちまったしな。あ、でも出汁なら取れるか」
レッドの言葉に、くるくるの口とうねうねの触角を伸ばし威嚇するローズ。
凍りかけていた心が温かくなり、気付けばふっと笑みが溢れていた。
風に乗って、ふと漂う甘い匂い。山吹色の屋根の店を見れば、ショーウィンドウ越しに沢山の菓子が並んでいた。薔薇の形をした、大好物の祖国の伝統菓子が目に止まり、じゅるっと涎を啜る。思わず張り付いて覗き込んでいると、ガラスに映る自分の姿にはっとした。
「そういえば……私、顔を隠さなくて大丈夫かしら。知っている人に会ったら通報されるかも。眼鏡とか……帽子とかスカーフとかで変装した方がいいんじゃない?」
「そっちの方が目立つだろ。大丈夫、堂々としてろ」
レッドはそう言いながら、荷物から財布を取り出す。
「さ、どれを食べたいんだ?」
彼の言葉通り、そんな心配は杞憂に終わった。チラチラと投げ掛けられる視線は、私ではなく、全て彼へと向けられたものだったから。
「……兄さん!」
「貴方!」
「リュー!」
やはりこの国でも、人々はレッドの顔に、誰かの顔を重ねる。それは亡くなった人が多いのか、他人の空似だと説明すると、さほどごねずに去ってくれた。
「シュターレ国と違って、人が多いからうざったいな。俺の方が顔を隠した方が良さそうだ」
大通りを外れ、木陰に腰を下ろしたレッドは、少し疲れて……そしてとても哀しそうだった。
私は鞄から手鏡を取り出すと、だらんと垂れた大きな手に握らせる。
「唇、見るでしょう?」
鏡を覗いたレッドの顔に、ぱっと明るい笑みが差す。
「いいな……すごくいい。この口も、どこかの誰かのじゃなくて、俺だけのものなんだろう?」
「そうよ。そんなぷるぷるの唇、見たことない。貴方だけのものよ」
「そうか……嬉しいな」
愛しげに自分の口元に触れている。
本当にこの人は……私が勝手に見ている顔に、一度も文句を言ったことがないわ。ああ、殿下の顔の悪口なら言ってたけど。そこまでいい男じゃないとかなんとか。
「ねえ、貴方は、こんな顔がいいとか好みはないの? ラビニアに会ったら、好きな顔を創ってくれるかもしれないから、今のうちに考えておいた方がいいわ」
「……特にないよ。お前が見てくれる、俺だけの顔なら、何だって好きだ」
いつもみたいに頬をつまむんじゃなくて、優しく撫でながら、余った親指で私の唇をなぞる。
熱い……なんて熱いの。なぞられた部分が、トロトロ溶けてしまうみたい。
なんだかいけない気がして、両手でレッドの頬っぺたをむにっとつねれば、熱い指を離してくれた。私はさっき買ってもらった菓子を袋から取り出し、ぱくりと口に入れる。
ほろほろ溶ける優しい甘さと、薔薇の香り。
美味しい……すごく美味しい、けど……思ったほど感動はないわ。
「旨いか?」
微笑むぷるぷるの口に、思わず「はい」と食べかけの菓子を差し出してしまった。
私ってば……王様になんと無礼なことを。ほらほら、また顔が赤くなっていく。でもこれは、怒っている訳じゃないって言ってたかしら。じゃあ、一体なんなの?
「……せっかく買ったんだから、お前が全部食べろ。俺はこれでいい」
そう言うと、私の下唇から何かをつまみ、自分の口に放り込んだ。それ、まさか……!
「うん、旨いな……優しい味だ」
にこっと広がる口元に、心臓が跳ねる。
やだ……そんな汚いもの……食べかけより酷いじゃないの。
熱くなった舌の上で、残っていた欠片がほろりと溶け、強烈な甘味が広がった。
「あーあ」と言いながら、草の上に仰向けに寝転がるレッド。真っ赤な顔の上をそよそよと流れる風に、心地好さそうに目を細めている。
「この国は綺麗だな。あんなに青い空、見たことがない」
私も同じように隣に寝転がり、幼い頃から見慣れているはずの空を見上げる。たったの数日離れていただけなのに、それは高く、遠く感じた。
「シュターレ国だって綺麗じゃない。空も地面も真っ白で、空気も澄んでいて。追放されたばかりの頃は、寒いし何もなくて最悪だと思ったけど、毛皮とブーツと貴方が居ればなかなか素敵よ」
「……そうか?」
「ええ。魔鳥と盗賊は大嫌いだけど、貴方が守ってくれるなら、スリル満点で面白いわ。出来れば魔蛇にはあんまり会いたくないけど」
レッドの笑い声に誘われるように、ローズが空を泳ぎ、私の胸に止まった。花の蜜で満腹になったのか、細い手足で、ふんふんと腹を擦っている。
「それに、こんなに可愛いコにも会えたしね。貴方との旅は、とっても楽しかったわ」
「……楽し“かった”なんて言うなよ。まだ続いているのに」
「そうね……そうよね」
どちらからともなく、空から互いへと視線を移す。
赤い眉毛は下がり、赤い睫毛は哀しげに揺れている。青い瞳のその奥は、今にも泣きそうに見えた。
そんな彼を見ている私は、今、どんな顔をしているんだろう……
成功しても、失敗しても、この旅の終わりはきっと近い。
横向きに向かい合ったまま、レッドは手を伸ばし、いつもみたいに私の頬をつまんで笑う。
「なんだよ、そんなにうるうるしたって、俺は絆されないぞ」
……分かってるわよ。どうせ不細工なんでしょ?
ラビニアは、私とは全然違うタイプのキリッとした美人だから、きっと気に入るわよ。
ふんと起き上がり膨れていると、くたびれたワンピースのスカートをつんと引っ張られる。
「……これから何処へ行く? さっそく殿下の所へ殴り込みに行くか?」
「いいえ。まずはラビニアに会いに行くわ」
『中身だけが別人になったってことね?』
『そうだ。そのことが周りの人間関係に影響を及ぼし、道を歪め、あんたの運命と入れ替わった』
最後に会った時のラビニアのオーラは白かった。占いのお婆さんの言う通り、もし別人なら……優しい人なら……ちゃんと話せば分かってくれるかもしれない。たとえ失敗して、運命は元に戻せなかったとしても、レッドの顔だけは創ってくれるかもしれない。
せめてそれだけは成功するといいんだけどな。私だけじゃなくてみんなが、レッドにレッド自身の顔を見て欲しい。
その後、二人と一匹は貸馬車に乗り込むと、ラビニアの住む首都のレイアラス公爵邸を目指す。その日の夕方に隣街へ着くと、宿で一泊し、気力と体力を温存することにした。
いよいよ明日の昼頃には、ラビニアと対峙する予定だ。
無事に会えるといいんだけど……会ってくれるかな。
予定より少し早く、翌日の昼前には公爵邸に到着した。
国境の兵にも負けない、厳つい兵らが、立派な門を守っている。広い背中にこそこそと隠れる私とは対照的に、レッドは全く怯むことなく、優雅な足取りで近付いた。
「私は隣国、シュターレ国の国王だ。ラビニア・ノワレ嬢にお逢いしたい。身分を証明する王の紋章ならここと……」
私の髪から、するりとクラヴァットがほどかれる。
「ここにも」
クラヴァットの刺繍と同じ紋章が、レッドの額に赤く浮かび上がっていた。
顔を見合せ、戸惑う兵達。その内の一人が屋敷へと駆け込んだ僅か数分後────
ラビニア嬢が、息を切らせながら早足で姿を現した。レッドを見るなり口を押さえ、悲痛な声で叫ぶ。
「貴方…………! まだ顔がないの?」




