15 死んじゃったらどうしよう
「どうして?」
「どうして……って……」
「どうしてお城へ行くの? 何か用事があるの?」
「いや……別に……ないけど。城へ……王宮へ行けばその……お前が好きそうな綺麗な服とか、花は咲いていないけど宝石とか氷の彫刻とか……ああ! 豪華な食事だって食べ放題だぞ! 温泉じゃないけど、魔鳥が羽を広げて泳げるくらいの大きな風呂だってある」
「でも、お城はファメオ国との国境とは反対方向でしょ? 行って戻って来たら、時間が掛かるからいいわよ」
「そう……か?」
「ええ。マリーンさんのお城で休めたし、お腹も一杯だし、コートももらったし。魔泉と薔薇の石鹸のおかげで、身体も臭くないしね」
コートの襟に顔を突っ込み、くんくんと鼻を動かす。
……うん! いい匂い! 白薔薇の令嬢はこうでなくちゃ!
「……国境を越えたところで、殿下がまたお前を好きになるとは限らないだろ?」
声のトーンを落としたレッドは、また脈絡のないことを言い出す。
「それでも国境を越えないと何も始まらないわ。占いのお婆さんが言ってたもん」
「一度追放した罪人が戻れば、どんなことになるか……愛だの運命だのの前に、最悪殿下自身の手で殺される可能性だってあるぞ」
コートから顔を上げれば、レッドが一層切なげな顔で私を見下ろしている。
何でそんな顔をしているのかしら……あっ! もしかして、心配しているの?
「大丈夫よ。もし失敗しても、私が死ぬだけだから……出来れば死にたくないけど。貴方はシュターレ国の王様だから、たとえ罪人を連れて来たとしても捕まることはないでしょ。でも……国際問題に発展しちゃうかしら。その時は罪人だなんて知らなかった、迷子だと思って親切にお宅に送り届けたって言えばいいわよ」
「……そういうことじゃない!!」
急に大声を出され驚く。怒っているのかと覗いたその顔は、何故か青かった。
「じゃあどういうことよ。貴方だって自分の顔が欲しいでしょ? 一緒にラビニア嬢に会いに行きましょうよ」
「俺は……」
「それに、貴方は最強だもん。怖いことなんて何もないわ。仲間なんだから、ついでに私とローズも守ってくれるわよね? ね?」
上目遣いでうるうると、口元は柔らかく。白薔薇の微笑みと、今朝ローズ先生に教わった絆しスキルを併せて発動させてみる。
あらっ、青い目が少し潤みだした。これはいい感じ!
けれどレッドはぷいと目を逸らし、繋いでいた手もパッと離してしまう。
ああ惜しい! もうちょっとで絆せたのに……さすが王様は手強いわね。歩きながら練習しようかしら。
自由になった両手で頬の筋肉をマッサージしていると、その手をレッドに掴まれ下ろされる。
そしてゴツゴツした太い指で、むにっと頬をつままれた。
「……守ってやるよ。不細工なくせにキラキラの、その絆しスキルが効かない時はな」
はいはい不細工ね。
もう聞き慣れた悪口を言うその顔は、まだ少し青くて、鼻の頭だけ赤くて、さっきよりもっと目が潤んでいた。
絆された訳でもないのに、変なの。
変な殿下の顔は、やっぱり殿下じゃなく、レッドのものなんだと改めて思った。
◇
それから一日半かけて、追放された国境まで戻って来た。
レッドの広い背中に隠れ、遠くからこそこそと様子を窺う。
あいつ……! おっといけない。あの兵、私を乱暴に放り出した兵だわ。あの厳つい身体と、冷たい目は絶対に忘れない。
ふんだ、だけどこっちにはレッドがいるのよ。レッドの方がずっとムキムキだし、目だって優しいんだから!
べーっと舌や歯を出して威嚇する私に、レッドは半分笑いながらも落ち着いた口調で問う。
「……で、どうする? あの兵達をどうにかして無理やり正面を突破するか、守りの緩そうな森から侵入するか。どっちにしても、俺は弾かれる可能性大だが」
「じゃあとりあえず、安全そうな森から試してみましょ」
私の言葉に頷くレッドの顔は、改めて見ると実に奇妙だ。奇妙どころか……はっきり言って、すごく変!
髪と眉毛と睫毛は赤。鼻は高くていい形だけど、鼻梁が太く存在感がある。肌はほんのり浅黒く、こんなに寒い国なのに、まるで日に焼けたみたい。
殿下と同じなのは、もう青い瞳と、唇と、輪郭だけ。
……国境へ向かう僅か一日半の間に、こんなにも変わってしまった。変わったと報告する度に、レッドは手鏡を見ては喜んでいたけれど。
どうしてどんどん殿下から離れていくのかしら。私、まさか殿下の顔を忘れてしまったの?
いいえ……忘れる訳ない。あんなに好きだったのに。
目を閉じればすぐにあの微笑みが……浮かぶ……浮かぶ、けど……どうして?
全然ときめかない。
「……ほら、此処から入るぞ。しっかり手を繋いどけ」
もう繋いでいるけど……返事の代わりにきゅっと力を入れれば、それに応えるように握り返してくれる。
どうしよう……心臓がうるさい。すごく緊張しているんだわ。追放された国へ戻ろうとしているんだから当然よね。
兵の死角になる場所から、鬱蒼とした森へ一歩を踏み出す。
……入れ、そう?
隣を見上げれば、少し顔をしかめながらも、「大丈夫だ」と頷くレッド。繋いだ手が一瞬ピクリと跳ねた気がするも、ぐいと引かれる。じゃあもう一歩と国境を越えようとするも……
「ふんふん……ふん……」
コートのポケットから元気のない声が聞こえ、ピタリと足を止めた。
「どうしたの? ローズ」
差し伸べた手にうねうねと乗っかると、森を指しながら三つ首を必死に振る。
「ああ……そうか」
「何?」
「ローズも国境を越えられないんじゃないか? 追放されたラビニアとやらの食料にするのが創造主の設定だとしたら、ファメオ国へ行く意味がないからな」
「そんな……! ローズ、三人で一緒に試してみましょう。ね?」
それでもローズは、頑なに首を振る。十五個の目は涙ぐむも、人を絆す時のうるうるではなく、本気で怯えているように見えた。
「置いていくしかないな。ローズ、ここで大人しく待ってろ」
レッドの言葉に、ローズはとうとう泣き出してしまった。うねうねで必死に私の手にしがみつく。
「一人は嫌なの?」
ふんふんと頷く三つ首。
私だって置いていきたくない。でも……どうしたらいいの?
「……おい」
レッドはローズの真ん中の頭を、指で優しく撫でる。
「お前の身体は、きっとファメオ国には対応出来ない。この辺にはお前を食べようとする人間も来ないだろうから、待っていた方が安全だ」
身体が対応出来ない……待っていた方が安全……
森へ足を踏み入れた時のレッドの表情を思い出す。
「ねえ、もしかして、貴方の身体も? どこか苦しいの? 国境を越えられない、弾かれるって……そういうこと?」
「いや……苦しくはないけど……ちょっと痒いかな」
下がった赤い眉と、それとはちぐはぐの青い瞳。その奥が少し揺れているように感じた。
「ほんとに?」
「ああ、こうしてちょっと掻いておけば問題な……うわっ!!」
ポリポリと赤い頭を掻くレッド。無防備なその胸を森へ向けて思いきり押せば、彼はよろけながら、片足でトットッと後ろ向きに国境を越える。その瞬間、苦悶の表情と共に身体をビクッと震わせ、草の上に座り込んでしまった。
「レッド!」
慌てて腕を引っ張りシュターレ国へ戻すと、徐々に呼吸が穏やかになり、はあと大きく息を吐いた。
「やっぱり……やっぱり苦しいんじゃないの!」
「まあ……それは……でもお前と一緒なら大丈夫かもしれない。手を繋いで、何度も試してみよう」
「何度もって……」
「別にお前の為じゃないぞ? ラビニアとやらに顔をもらう為に……俺の為にファメオ国へ行くんだ。ああ楽しみだな」
言葉とは反対に、弱々しく見えるムキムキの身体。目がじわりと熱くなる。
『じゃあ、明日になったら早速国境へ向かいましょう。目的が一緒なんだから、“試しに”なんて言わないで、頑張って死に物狂いで入国しましょうね』
私……なんてことを……
国境を越えるのに、こんなに苦痛を伴うだなんて……
もしレッドが死んじゃったらどうしよう……
「お前……何泣いてるんだ?」
泣いてるの? 私?
そう問いたいけど、レッドの変な顔がユラユラぼやけて言葉にならない。
やっぱり泣いているのね……なんでだろう。
うっうっとしゃくり上げていると、ローズが肩に乗り、うねうねで涙を拭ってくれる。
こんなに可愛いこの子まで危険な目に遭わせてしまうところだったわ……
ローズを手に乗せ頬ずりすると、真ん中の頭にチュッと唇を落とした。
「ふん……ふん!?」
唇が触れた部分から、白みを帯びた薄いピンク色の光が溢れ、小さなローズの全身を包む。
「ローズ!」
光が消えた後には────
さつまいもの皮みたいな色の、一匹の蝶がいた。
目らしきものが、リボンのついたうねうねの触角の下に三つ。左右の羽には、ローズの目に似た豆粒みたいな模様が六つずつ。
「ふんふんふん」
不細工だけどどこか愛らしい蝶は、私の手からひらりと舞い上がると、国境を難なく越え、ファメオ国の空を気持ちよさそうに泳ぎ出した。




