14 顔が見える
笑い続けるレッドの頬をガシッと掴み、爪先立ちでずいっと顔を近付ける。
見間違いじゃない……
鼻がぶつかる程近くで見ても、やはり彼の眉と睫毛が、髪と同じ赤に変わっている。昨日までは、殿下のブルーブラックだったのに。
「うわっ」
私の鼻息に驚いたのか、レッドがのけ反り、バランスを崩してしまう。
「きゃっ」
背中から絨毯に倒れるレッド。私も一緒に、彼の上に乗っかる形で倒れてしまった。
逞しい胸の上。痛みは全くないのに、背中と腰に回された太い腕が、熱くてじんじんする。
これ……まるで抱き合っているみたいじゃない?
胸に伏せていた顔を上げれば、ぱちりと目が合い、彼の首から顔にかけてが、みるみる赤く染まっていく。
「ごっ、ごめんなさい!」
大変……相当怒っているわ……
一緒に国境を越えるという大仕事が待っているんだから、友好な関係を築いておきたいのに。お城へ帰っちゃったらどうしよう!
慌ててどこうとするも、力強い腕から抜け出せない。よく見れば、彼は瞬き一つせず硬直していた。
……もしもし?
頭を打ったのかと心配になり、赤い睫毛を指でくすぐってみる。するとやっと瞬き始め、「あっ」と言いながら腕を緩めてくれた。
ムキムキの身体から転がるようにしてどくと、彼はのそっと身体を起こしその場に縮こまる。自由になってもまだ収まらない赤い顔を、手で覆っていた。
「背中大丈夫? 私、意外と見た目より体重があって。ほんとにごめんなさいね」
「いや……自分で転んだんだし」
あら、怒っている訳じゃないの?
「眉毛と睫毛も赤くなっていたから、つい近くで確認したくなっちゃったのよ。驚かせてごめんなさい。その色、貴方らしくて素敵だけど、ますます殿下の青い瞳とは合わなくなってきたわね」
「眉毛と……睫毛も?」
「ええ。髪と同じ赤よ」
「……知り合いには居ないか?」
「もちろん。髪と同じで、初めて見る珍しい色よ」
彼は眉と睫毛の辺りを触りながら、ため息を吐く。
「俺にも見えたらいいのにな……君の見ている顔が」
「そう?」
「ああ。だって、他の誰でもない、俺だけの顔なんだろ?」
「そうよ。なんとなくのイメージで、勝手に赤に見えているだけだと思うけど」
「それでも嬉しいよ」
笑顔と共に下がる赤い眉は、派手なのにとても哀しい。
レッドはテーブルに腕を伸ばすと、夕べローズにリボンを着けた時に使い、置きっぱなしにしていた手鏡を取った。くるりとひっくり返し、自分の顔を覗いている。
「大丈夫よ。きっとラビニアに会えば、素敵な顔をもらえるわ。私はその赤が似合っていると思うけど、もしかしたらもっといい色が……」
「赤だ」
「え?」
「髪が……眉が、睫毛が、赤く見える!」
リリエンヌは彼と共に手鏡を覗き込む。
「顔が見えるの?」
「……ああ! 目は青で、鼻はつんとしていて、唇は薄くて女みたいな色だ。で、輪郭は細い。お前の見ている顔と同じか!?」
「そうよ。毛以外は全部、殿下の顔よ」
レッドは手鏡を持ったまま、部屋の隅に立て掛けてある姿見に移動する。少し埃を被っているそれに自分を映し、顔をペタペタと触っては、手鏡を覗く。その一連の動作を数回繰り返した後、ゆっくり私へ振り返った。
「のっぺらぼうだ……こっちの手鏡では顔が見えるのに、姿見ではのっぺらぼうだ」
「そうなの?」
「ああ……周りから見たらどうなんだろう。お前以外の」
その時、丁度タイミング良く、ノックの音が部屋に響いた。
「うーん、私にはやっぱり、亡くなった主人の顔にしか見えないねえ。相変わらずいい男だよ」
朝食のスープ鍋を暖炉の火にくべたマリーンさんは、レッドを見て惚れ惚れと言う。
「そうか……」
一緒に姿見と手鏡も覗いてもらったが、やはりどちらも夫の顔に見えるらしい。
レッドは少しがっかりしたような……それでいてほっとしたような、複雑な表情を浮かべていた。
私が見ているレッドの姿を、レッドだけがこの手鏡で見られるということ? 不思議ね。
「そうそう、お嬢さんにあげたい物があるんだよ」
マリーンさんは部屋のクローゼットを開けると、中からふわふわの何かを取り出した。
「……毛皮」
「そう。若い時に、主人にもらった物なんだ。古い物だから少し色褪せてはいるけど、もったいなくて一度しか着ていないから、状態はいいと思うよ」
薄い灰色の毛皮のコート。襟元にチェリーピンクの大きなリボンが付いている、可愛らしいデザインだ。
マリーンさんはボタンを外すと、私の肩にふわっと掛けた。
「ああ、可愛い。サイズも丁度良さそうだ。私も昔は小柄で痩せてたんだけど、今はこんなになっちゃって」
笑いながら、ふくよかなお腹をポンポンと叩く。
「コートを盗られたんだろう? 嫌じゃなかったら、これを着ていきな」
「でも……旦那さんにもらったんじゃないの?」
「いいのいいの。どうせもう着られないんだし。大切にしまいこんでいる内にさ……馬鹿だよねえ。お嬢さんに着てもらった方が、きっと主人もコートも喜ぶよ」
袖を通してみれば、丈も身幅も自分にピッタリで。
じわりと沁み入るような温もりが、身体を包み込んだ。
……だけど、これも本当は、ラビニアの為だったのだろうか。
「ありがとう。大切な物なのに」
「いいんだよ。大切だからこそ、少しずつ手放していかなくちゃ。どんな物にも、必ずお別れのタイミングがあるのさ」
厚い毛皮が無くなって、少しゆとりの出来たクローゼットの扉を、マリーンさんは軽快に閉めた。
「さっ、パンが焼けた頃かな。あんた、吹き零れないように、スープ鍋見といてね」
レッドに向かいそう言うと、部屋を出て行った。
殿下のコートを失った時は、この世の終わりみたいに悲しかったけれど……もしかしたら、手放さなきゃいけなかったのもしれない。
なんとなく、そんな風に思った。
朝食を食べると、マリーンさんにお礼と別れを言い、雑貨屋を出た。
柔らかい粉雪が風に舞っているけれど、まだ残っている魔獣効果と、もらったコートのおかげで全然寒くない。
ポケットに入れられたローズは、頭だけぴょこんと出し、新鮮な雪にうねうねふんふんとご機嫌だ。
「ほら」
当たり前のようにレッドに手を差し出され、私も当たり前のようにそれに手を重ね、歩き出す。
あれ、何で手を繋ぐんだろう。……まあ、安心だしいっか! 胸のきゅうは気になるけれど。
「あの手鏡……魔泉に落ちていたことに関係があるのかもしれないな。何かの魔力が働いて」
「ああ、そうかも! でも、何で私が見ている顔が手鏡に映るのかしらね。私の持ち物だから?」
「……なあ」
レッドはピタリと足を止め、冴えない顔で私を見る。
「お前は、あんな顔が好きなのか?」
「あんな顔?」
「殿下の顔だよ。そこまでいい男じゃないだろ」
「なっ……何言ってるの! 青薔薇の貴公子よ? 品があって、麗しくて……女性顔負けの美貌じゃない! 瞳をよく見た? あんな綺麗な瞳、殿下以外には見たことがないわ。殿下がイケメンじゃないなら、他の誰がイケメンだって言うの?」
するとレッドは眉間に皺を寄せ、形の良い唇を尖らせる。
何よ、その子供みたいな表情は……殿下のその顔には合わないわ。
彼は私の手を引っ張り大股で歩き出すと、ぷいと横を向いたまま呟いた。
「……髪と眉と睫毛の色だけは良かった」
「でしょう? すぐに怒って赤くなる貴方にピッタリの、綺麗な赤よ」
「……怒って?」
再び立ち止まり、怪訝な顔を向けられる。
「ええ。私が何かやっちゃった時、すぐに真っ赤になるじゃない。怒ってるんでしょ?」
「俺は……お前に怒ったことなんてないけど」
「じゃあ何で赤いの?」
「……赤いか?」
「ええ、すぐに赤くなるわ。さっきも倒れて上に乗っちゃった時に」
「それは……! あんなことされたら普通……大体、何で赤いと怒っていることになるんだよ」
ほら、話しているそばからまた赤くなってきた。
手鏡を見せてあげようかしら。
「だって、殿下も怒る時そうだったもん。使用人や側近に怒る時とか……あっ、私がラビニア嬢を傷付けちゃった時も。青い瞳は氷みたいに冷たいのに、顔は燃えているみたいに真っ赤だったの」
そこまで言って、段々と哀しくなる自分に気付く。
あの時の殿下の顔は、一生忘れられないわ……
しゅんと下を向く私の頭に、大きな手がポンと置かれる。
「なあ……本当に国境を越えるのか?」
脈絡のない問いに顔を上げれば、レッドが切なげな顔で私を見下ろしていた。
「お前と、ローズと、一緒に城へ来てもいいんだぞ」




