13 しっくりこない
身体を震わせたかと思うと、急にゴホゴホと咳き込み出す女性。口を押さえるその手には、血が滲んでいた。
次に頭に浮かんだのは、机ではなく、白いベッドに横たわる女性の姿だった。顔色は青白く、頬は痩せこけている。
『……やっぱりレアルートなんて認めてもらえなかった。悪役はあくまでも悪役なのだからと。ならばせめて、あの殴り書きしたメモの中だけでも、ラビニアには幸せになってもらいたい。
入院する前に何とか脱稿出来た為、シナリオ制作も順調に進み、予定通りゲームは発売された。
でも、発売から数日後、プレイヤーから続々とクレームが寄せられた。
『エンディングが見られない』と。
リリエンヌと皇太子が結ばれ、ハッピーエンドを迎えた後……ラビニアが追放される直前でバグが発生してしまうらしい。
期待していた断罪シーンが見られないという、致命的なバグ。どんなに調べてもシステム上に問題はなく、理由が分からないままに回収するしかなかった。
気落ちする反面、これで良かったと思う自分が居る。愛するラビニアを、誰かの手で、何度も殺されずに済んだのだから。
……もうすぐ私の命は燃え尽きる。
両親や親戚を早くに亡くし、夫も子供も、友人さえもいない。
私がこの世に遺したのは、数本の小説と、二度と日の目を浴びることがないであろう、あのゲームの原作だ。
愛しいキャラクター達……どの子もみんな、私の大切な子供。
雑貨屋のふくよかな女主人はマリーン。愛する夫に先立たれ、孤独に耐えながら一人で店を守ってきた。
シュターレ城の主要な兵や大臣、旅に必要な村人達の名前と顔も考えた。だけどまだ、肝心の彼はのっぺらぼうのまま。早く決めてあげなきゃと焦れば焦る程、心も身体も苦しくて何も浮かばない。温かくて優しい彼に、最高に素敵な贈り物をしたいのに……
誰か……誰か私の代わりに……
私以上に彼を愛する誰かに……
彼の名前と顔を託すわ。』
◇
「……ふんふん?」
ローズの声に目を開ければ、そこにはあの泉があった。鏡ではなく、白く濁った寒々しい氷のままで。
だけどもう、二度と手を伸ばそうとは思わない。創造主の意思に安易に触れてしまったことを、激しく後悔していた。
隣を見れば、レッドも同じように氷を見つめている。その頬には、涙が幾筋も流れていた。
オーラを見る力は失っても、その涙の意味は分かる。……嬉し泣きだと。
涙を拭ってあげたい、背中を撫でてあげたいのに、自分の中の冷えきった何かがそれを阻む。代わりに声を振り絞った。
「……ほらね! 言ったじゃない! こんなに立派な身体がある貴方が、創造主に愛されていない訳がないって。名前も顔も、最期までちゃんと考えてくれていたんだわ」
彼は氷から私へと視線を移し、嬉しそうに頷いた。
「難しい言葉はよく分からなかったけど……創造主に愛されていなかったのは、貴方でもラビニアでもなく私。それだけはハッキリ分かったわ」
「……リリエンヌ」
もう彼の顔を見ることは出来ない。立ち上がると、くるりと背を向けた。
「創造主は、追放されるのがラビニアだと思ったから……ラビニアを助ける為に色々と創ったのよ。占いのお婆さんも、魔獣も、温泉も……貴方も。全部……全部ラビニアの為」
「リリエンヌ! それは……!」
「寒くなっちゃったから帰りましょ」
ざくざくと雪を踏み締め、来た道を歩き出す。
……本当は寒くなんかない。だけど心は、自分で放った言葉に凍りついていた。
腕の中のローズがうねうねを伸ばし、心配そうに頬っぺたを撫でてくれる。
ほんとにお馬鹿ね。あんたは所詮、ラビニアの食料なのに。賢い頭だけじゃなくて、優しい心まで創られちゃうなんて。
……ねえ、こんなコを食べろと言うの? 創造主は残酷すぎるわ。
ふと気付けば、じわりと温かいものが肩を包んでいる。大きくて優しい……レッドの手。そう、この手も、本当はラビニアの為に創られた。そう思うと、堪らなく哀しくなった。
ガサゴソと何度も寝返りを打つ隣で、ローズはすやすやと気持ち良さそうに眠っている。はみ出したうねうねを、一本ずつ布団の中にしまってやった。
「……眠れないのか?」
ソファーから低い声が聞こえる。
「うん……夕方まで寝ていたから」
暗闇に慣れた目に、レッドが身体を起こすのがハッキリと見える。しばしの沈黙の後、彼はぽつりと呟いた。
「“私は創造主の愛なんて要らない” ……だろ?」
なんか聞き覚えのある言葉……あっ、つい昨日、自分で言ったんだわ。
「愛されなくたって最高に可愛いし、創られた運命に納得出来ないなら逆らうんだろ?」
そうね、そんなことを言った気がするわ。でも今は……
「創造主に愛されないって、こんな気持ちだったのね。哀しいを通り越して、空っぽになったみたい。自分の存在が、まるでのっぺらぼうに感じるわ」
「……お前はのっぺらぼうなんかじゃないよ」
「ううん。今思うと私、出会った時から貴方に散々酷いことを言ったわね。……所詮他人事だったのよ。自分は愛されていると思い込んでいたから、愛されなくてもいいなんて軽々しく言えたの。……ごめんなさい」
「謝ることなんてない。俺はあの言葉ですごく楽になったんだから。ずっと空っぽだったのに、初めて自分が見えた気がしたんだ。嬉しかったよ」
「……本当に?」
「ああ。お礼に、俺がお前の顔を創ってやってもいいぞ。キラキラが足りないなら、頬っぺたに星でも描いてやろうか」
「嫌よ、そんなの。これ以上不細工になりたくない」
レッドはハハッと笑うと、再びソファーに仰向けで寝転がった。
「どの子も大切な子供って言ってただろ? 愛がなきゃ、お前みたいな無駄にキラキラで面倒なのを創らないよ」
「そう?」
「ああ。ラビニアの方が気に入ってたってだけで、お前のことがどうでもよかった訳じゃない。きっとな」
「……うん」
素直に頷けば、レッドが優しく微笑んでくれた気がした。
「それにしても……創造主は、俺にどんな顔を創ろうとしてくれていたんだろう。結局分からずじまいだったな」
「貴方を愛する人に託すって言っていたわ。……あっ、もしかして!」
勢いよく身体を起こせば、驚いたうねうねが暴れ出す。慌ててお腹をトントンと叩き、声のトーンを下げた。
「……ラビニアじゃないかしら。私と運命が入れ替わっていなければ、本当はラビニアが追放されて、貴方とお城で結婚したはずだもん。だから、運命を元に戻せば、ラビニアが貴方の顔を創ってくれるはずよ」
「……そうか?」
「きっとそうよ」
「なんかしっくりこないな。ラビニアとやらには会ったこともないし」
「会ったことがなくても、創造主が言ってたんだから間違いないわ。会った瞬間、ビビっと惹かれちゃうのよ」
レッドはうーんと首を傾げ、こちらを見る。
「そうすると……私達の目的は一緒ってことになるわね。歪んだ運命を元に戻して、私は殿下ともう一度結ばれる。貴方はラビニアと結ばれて、彼女に顔を創ってもらう」
何故かチクチクと痛む胸に、私も首を傾げながらレッドを見た。
「その為にはやはり、一緒に国境を越えろということか?」
「そう! 一緒にファメオ国へ行って、歪んだ運命を取り戻すのよ。自分の顔、見たいんでしょ?」
「まあ……そりゃあな」
「じゃあ、明日になったら早速国境へ向かいましょう。目的が一緒なんだから、“試しに”なんて言わないで、頑張って死に物狂いで入国しましょうね」
「ああ」
もう……レッドったら、いまいちやる気がなさそうね。頑張ってもらわないと困るのに。
大丈夫。私が殿下にビビっと惹かれたように、レッドだってラビニアに……
あら、また胸が痛い。この華奢な身体には、旅の負担が大き過ぎるのね。明日に備えて早く寝ようっと。
「じゃあ、おやすみなさい」
「……おやすみ」
話してスッキリしたのか、横になると、すぐに瞼が重くなる。遠のく意識の中で、レッドが寝返りする音だけが響いていた。
◇
どうしよう……涙が……涙が止まらない。
朝日の中でぐすんぐすんと鼻を啜っていると、跳ね起きたレッドに、心配そうに問われる。
「どうした? 大丈夫か!?」
「レッド……このコってば……本当にすごいの……お手本だって分かっているのに……うっ……うわあああん」
「ふん! ふんふんふん!」
「ううっ……ごめんなさい先生……もう一度お願いします」
ローズと一緒にまだ日の昇らないうちに目覚めてしまってから、こうしてずっと絆し方を教わっている。
目は開きすぎちゃ駄目。大事なのは、自分の哀愁を最も漂わせられる角度。涙を溜めて……溜めて……もっと溜めて…………周りの光を全部集めて、一気に流す!
「どう!?」
「ふん!」
「また駄目? はあ……白薔薇の魔力がないと、やっぱ難しいわね。毎日練習したら、いつか先生みたいに上手く絆せるようになるかしら」
「ふんふん」
「ほんと? じゃあ諦めずに頑張るわ」
頬を濡らす不発弾を、手でごしごしと擦る。
「ふっ……ふははははは!!」
豪快な笑い声に振り向けば、レッドが腹を捩って悶えていた。
「まっ……魔獣に……絆し方を……教わって……はははっ! いくら……似ているからって……ははははっ!!」
なによ! こっちは真剣なのにっ。絆しスキルがあるのとないのとじゃ全然違うんだから!
鼻息がふんと噴出する。
抗議する為、ベッドからぴょんと飛び下り、笑い続けるレッドの元へ向かう。彼の赤い眉毛はへにゃりと歪み、赤い睫毛の隙間からはとうとう涙まで零れ始めている。
なによ! 眉毛も睫毛も、髪と同じで派手な色!
…………ん?




