11 新たな旅仲間
「……どうした?」
王様がソファーから、気だるそうに身体を起こす。
「これ……このコ……」
小さいのを指差すと、その指にうねうねと手足を絡ませ、すりすりと頭を寄せてくる。
「魔獣の子供か……珍しいな。初めて見たよ」
「そうなの?」
「ああ。普通は親にがっちり守られているからな。きっとはぐれたか、親だけ捕まって食われちまったか」
「そんな……!」
王様は窓を開けると、身を乗り出し、薄暗い外を見渡す。
「外に魔獣の気配はないな……おい、ちび、母ちゃんは何処に行ったんだ?」
王様が呼び掛けると、小さな魔獣はびくっと身体を震わせ、私の布団の中に潜ってしまう。
「なんだ、やけになつかれているな。お前のこと、母親だと思っているんじゃないのか? そっくりだし」
出来るだけ可愛くぷうと頬を膨らませると、小さいのも布団から顔を出し、ぷうと三つの顔を膨らませる。それを見て王様は、ははっと笑い出した。
はいはい、どうせそっくりよ、不細工ですよ。
「……で、どうするんだ、そいつ。せっかく自ら来てくれたんだから、ありがたくいただかないとな。ちょうどそこの暖炉に、マリーンが用意してくれたスープ鍋が掛かっている。まだ小さいから可食部は少ないが、放り込めば良い出汁が出るぞ」
出汁……スープ……
チラリと小さいのを見れば、うねうねの手足を自分の身体に巻き付けながら、うるうるの瞳でぷるぷると震えている。危うく溢れそうになった涎をゴクリと飲み込んだ。
「ちょっと! こんな小さいコに何言ってるのよ!」
「小さくても何でも食料は食料だろ? あんなに旨い旨いって食べてたじゃないか。俺達が食べた魔獣は、そいつの母親だったかもしれないぞ」
「そんな……そんなこと」
一斉に涙が溢れる、十五個の豆粒。それを見た私の目からも、だあっと涙が溢れた。
「どうしよう……私ったらなんてこと……! ごめん……ごめ……うっ……うわあああん」
小さいのと抱き合えば、細いうねうねで涙を拭ってくれる。いくら美味しそうでも、こんな可愛いの食べられる訳ないじゃない!
「一度魔獣に絆されたヤツは、余計に絆されやすくなるんだ。あーあ、せっかく良い出汁が取れたのに。牛も豚も鶏も、みんな元々は生きた肉だろうが」
不満気にスープ鍋を掻き混ぜる王様が、極悪非道な悪魔に見える。だけど……
ぎゅるるるるる~~~
私の腹から鳴る爆音に、小さいのが震える。
お腹が空きすぎて、このままじゃ可愛いうねうねに齧りついちゃうわ。お昼も食べてないんだもん。……早くあのスープをいただこう。
ふらりと立ち上がれば、小さいのが離れたくないという風に、私の手に乗りしがみついた。
お馬鹿ねえ。逃げた方が安全なのに。ほら、そんな安心しきっていると、ぐつぐつのスープ鍋へ落としちゃうわよ? 真ん中の頭をつんとつつけば、指にそれをすり寄せた。
「はあ美味しかった! ご馳走さまでした!」
豆や芋が沢山入ったスープに、固いけど食べ応えのあるパン。そして甘いドライフルーツに紅茶まで! 本当に此処はお城みたいだわ。温かいカップを唇から離し、ほうと息を吐く。
「私ったらいつの間に……夕方まで眠ってしまったのね」
「疲れが出たんだろう。もっと寝ていると思ったが、空腹には敵わなかったようだな。俺もソファーで休んでいたが、お前の腹の虫がぐうぐう煩くて、全然眠れなかった」
「うそっ! そんなに?」
「ああ。元令嬢とは思えないくらい酷かった。ま、食欲があって安心したよ」
わしわしと頭を撫でてくれる手は、とても力強いのに優しい。お腹も満たされ落ち着いたところで、あることをやっと確信した。
「王様……やっぱり声が違う。殿下の声じゃないわ」
自分の喉にはっと手を当てながら、王様は問う。
「……知ってる声か?」
「いいえ、知らない。そんないい声、一度聞いたら忘れないもん」
「いい声……」
「ええ。低くて、温かくて、とてもいい声よ。歌をうたってもらったら、心地好くて眠ってしまいそう」
「そうか……そうなのか。いつか聴いてみたいな……自分の声を」
微笑んでいるのに泣きそうな、そんな複雑な表情で彼は喉を触り続けている。
「ねえ、王様は、自分の声がどう聞こえているの?」
「声というよりは……単なる言葉というか。ガサガサした雑音みたいだ。周りの“声”とは全然違う」
「本当に不思議ね。周りにとっては、好きな人の声に聞こえるのにね」
彼の顔からは全てが消え去り、すっと目を伏せた。
「……お前はがっかりしないのか? 殿下の声じゃなくなって。目を瞑れば殿下が傍に居るように思えただろう?」
「いいえ、全然」
きっぱりと言う私に、哀しげな青い瞳を丸くする。
うん……違うわ。殿下とは全然違う。顔のパーツは同じでも、表情が全然違うの。髪の色も身体も、全部殿下と同じだったとしても、今ならどっちが王様か簡単に見分けられると思う。
「殿下の声は、殿下の口から出るから素敵なの。王様は、王様自身の声が一番素敵。だから、がっかりなんてしないわ。むしろずっと自然よ。貴方によく合ってる」
彼の耳が、カッと赤く染まる。
あら、私また怒らせちゃった? かしこまるなって言われてたから普通に接していたけど……今のはちょっと馴れ馴れしいというか、上から発言だったわよね。王様に向かって。
「そうか……」
それだけ言うと王様はくるりと背を向け、暖炉の中の小鍋を確認する。
さっき火に掛けたばかりだから、まだ沸いてないと思うけど。着替える時も早くしろって怒られたし、おおらかなようで案外せっかちなのね。
……そういえば私、お母様によく「貴女はマイペースすぎますよ」って注意されていたわ。気をつけよっと。
お湯が沸くまでその場で待機していた王様。熱々の小鍋からティーポットにお湯を注いだ時には、もう耳の色は普通に戻っていた。
どうやらお怒りは収まったみたいね。よかった!
「ところでそいつ、本当にどうするんだ? 食べる気がないなら、情が湧く前に手放せ」
言葉を理解しているのか、ふるふると三つ首を振り、私の肩にしがみつく小さいの。
「離れたくないの?」
私が訊くと、ふんふんと必死に頷く。
やっぱり解っているんだわ。頭が三つある分賢いのね。羨ましい!
「ペットにでもする気か? ……まあ、育てて大きくしたところで食べるって手もあるか」
「ふん!? ふんふんふんふんふん!」
細いうねうねで王様を威嚇しながら、猛抗議している。真ん中の口が突き出し、今にもあの粘液を吐きそうだ。
やだ! お城が臭くなっちゃう!
咄嗟に口を押さえると、落ち着かせるように頭を優しく撫でた。
「大丈夫よ、大きくなっても食べないから。私があなたを守ってあげるから、ね?」
安心したのか、口を引っ込め、ふんふんと甘えた声を出す。あら、この子……
「ねえ、あなた女の子でしょ?」
「ふん」
「やっぱりね。じゃあこれを着けてあげるわ」
ストロベリーブロンドの髪の、両サイドを結わいている細いリボン。その片方をほどくと、小さいのの真ん中の首元に結んだ。さつまいもの皮みたいな皮膚の色と、リボンの淡いピンクがよく合っている。
「うん、可愛いわ。私とお揃いね」
「ふんふんふ~ん」
手鏡に映してあげれば、すっかり機嫌を取り戻し、テーブルの上でくるくるうねうねと踊り出す。
王様は「仕方ないな」と言いながらも、どこか楽しげな顔で紅茶を啜っていた。
「あなたの名前、何にしようかしらね」
「“うね”とか“ちびこ”でいいだろう。あっ、“非常食”でもいいぞ」
「いやよ、そんなの!」「ふんふんふんふんふん!」
小さいのと同時に抗議する。
「あっ、“ローズ”なんてどう? 身体の色が薔薇っぽくて品があるし」
「ふん! ふんふんふん!」
「気に入ったの? じゃあローズに決定ね。私はリリエンヌよ。よろしくね」
「ふんふん!」
「ローズ…………品……ぷっ」
王様の持つカップが、ソーサーにぶつかりカチャカチャと鳴る。
「なんで笑うのよ! ねえ、ローズ?」
「ふんふんふんふんふん! ふん、ふんふん?」
顔を合わせる私達を見て、本格的に笑い始めた王様。やがて落ち着くと、涙を拭いながら言った。
「お前らと一緒なら、長旅も退屈しなさそうだな」
「……ねえ! 王様の名前も決めていい? 王様ってこと、他の人には秘密にしたいんでしょう? 呼んでたらバレちゃう」
「それもそうだな。じゃあ、ローズみたいに品がいい名前を決めてくれよ」
「うーん…………決めた!」
「もう?」
「ええ。“レッドリオ”は? 略してレッド!」
「魔力と髪色そのままじゃないか」
「いいのよ。名は体を表すんだから。王様のイメージは綺麗な赤だもん」
それに……ほら、また耳が赤くなった。すうぐ怒るんだから。決めてもいいって言ったくせにさ。レッドが嫌なら、“ムキムキ”とか“ムッキー”にしちゃうわよ?
「ま……いいか。呼びやすそうだしな。レッド……うん。王様よりずっといい」
優しい微笑みにドキリとしてしまう。
そうよ、素敵でしょ? 今日から王様はレッド。うん、呼びやすいわ。
「改めてよろしくね、レッド」
「……よろしく、リリエンヌ」
ギュッと握った大きな手は、微かに震えていた。
紅茶を飲み終わり片付けようとした時、さっきまでご機嫌だったローズが、急にくたりとテーブルに突っ伏した。
「どうしたの?」
「ふん……ふんふん……ふん」
うねうねで、真ん中の頭にある口を指差す。
「ああ、お腹空いたの?」
「ふん……」
人間の食べ物には興味なさそうだったけど……一体魔獣は何を食べるのかしら。
「降ったばかりの新鮮な雪が好物らしいぞ。小さいのは特に。ただ今日は雪が降ってないからな……せめて凍っていない柔らかい雪があればいいんだが」
「大変……ローズが死んじゃう! 探しに行かないと!」
ローズを抱いて外へ飛び出そうとした私の前へ、高い壁が立ち塞がる。
「あんな危険な目に遭ったのに学習しないヤツだな。……俺も行く」
ご感想でいただいた『ちびこ』呼びが可愛かったので、王様の口から名前候補として挙げてもらいました(^^)
作者は断然『ちびこ』推しなんですが……




