10 失っちゃった
「へえ……」
「まだ若いぜ」
そうよ、まだ17歳よ。それが何だっての!?
一……二……三…………どうしよう、ガラの悪そうなのが五人も。
そろそろと手を伸ばし、鞄の脇に置いておいた槍を掴んだ。
「ははっ! こいつ、やる気かよ」
「お嬢ちゃん、止めときな。大人しくしてれば傷はつけねえから」
いやいやいやいや、傷はって、絶対よくないこと考えてるでしょう? 大人しくなんか出来っこないじゃない!
眼球だけ動かし、辺りをさりげなく見回すも、赤い頭は何処にも見当たらない。
もうっ! か弱い私がこんなにピンチなのに! 王様ってば何処行っちゃったのよ!
心の叫びに答えるかのように、ドオンドオンと、空の何処かで爆発音が響く。
そうか……王様は今、魔鳥と戦っているんだわ。こっちに来る余裕なんてないんじゃないの?
槍を構える手が震え出し、汗がべっとりと滲む。そんな私を見て、男達はひっひっと下品に笑い出した。
「さ、それを捨ててこっちに来な。さもなきゃ味見しちまうぞ」
二つに割れた蛇みたいな舌が、ペロリと舌舐りをする。
「あじっ……あじみって! 私は魔獣じゃないのよ!」
ジリジリと近付く男達。ジリジリと後ずさるも、茂みに背中がぶつかり行き場を失う。毛むくじゃらの太い腕が伸ばされ、ぞわっと悪寒が走った。
私ったら何でお風呂に入っちゃったのかしら……こうなるって分かっていたら、臭いままにしておいたのに。
ええい……こうなったら!
ギュッと目を瞑り、手に力を込めた。
シュッ……
重たい風が頭上を掠める。
その直後、剣と何かがぶつかる音。誰かが走り回ったり倒れる音。そして野太い悲鳴。長いような短いような、とにかくそんな音が続いた後、辺りはしんと静まり返った。
なんか……助かった? 目……開けていい?
「おい」
頭上から低い声に呼び掛けられ、心臓が止まる。
やだ! 助かってなかった!
「……おい! 止めろ、止めろって! 目を開けろ! 俺だ! 俺だってば!」
……俺?
聞き覚えのある口調に目を開けると、王様が険しい顔で立っていた。
「お前っ……命の恩人を殺す気か! そんな物振り回して!」
槍を振り上げたままの姿勢で、止まっている自分に気付く。どうやら恐怖のあまり、無我夢中で振り回し続けていたらしい。くたりと力が抜け、足元にカラカラと落ちた槍を、王様にサッと没収される。
「盗賊……王様がやっつけてくれたの?」
「ああ」
「魔鳥も?」
「ああ。まさか一遍に来るとは……遅くなって悪かったな。魔鳥は始末したが、盗賊は剣で追い払っただけだ。マリーンの店の近くで死体は出したくなかったからな。まあ、相当怯えていたから、当分この辺りには来ないだろう」
「……そう。ありがとう」
「マリーンの店には、何故か元々強力な結界が張ってあるんだが、それ以外の場所は魔鳥も盗賊も出入り自由なんだ。せめて魔泉の周囲だけでも張れたらと、何度か試したらしいが無理だったらしい」
王様が何かを喋っているが、耳に入ってこない。急に恐怖から解放されたせいで、放心状態が続いていた。
「それよりお前、さっさと服を着ろ」
槍を持ったせいで、いつの間にか落っことしていた服を、投げるように渡される。
私ったら、下着姿で何人もの殿方の前に……! もしこんなことが殿下に知られたら、たとえ不可抗力だったとはいえ、幻滅されてしまうかもしれない。
たまらず王様の背中に縋りついた。
「お願い! 殿下にはこのこと内緒にして? はしたないって嫌われちゃうかもしれないから」
「言わっ……言う訳ないだろ! いいから離れろ!」
「約束よ。ねっ!?」
「いいから、暑苦しいから離れろ! 後ろを向いててやる内に、とっとと着替えろ!」
赤い髪の中の耳が、カッと赤くなる。
……そんなに怒らなくても。あんなに怖い思いをしたんだから、もう少し優しくしてくれたっていいじゃない。
何だか無性に殿下が恋しくなる。服と一緒にコートも着ようと、鞄があった場所を見るも、そこには何もない。
「あれ……あれ?」
さっきの騒ぎで茂みの下に飛ばされたかと、顔を突っ込んでみるも、やっぱり何もない。
「どうした?」
「鞄……鞄がないの!」
「確かに此処に置いたのか?」
「ええ、間違いないわ! どうしよう……」
王様は少しだけその辺を探ると、肩をすくめて言った。
「……盗賊だな。どさくさに紛れて、鞄だけ盗まれたんだよ」
「そんな……! コートが入っていたのに!」
「仕方がない。きっともう…………おい!」
王様の手から槍を取り返すと、やみくもに走り出す。
嫌よ……大切なコートなのに……絶対に嫌!
だけど茂みを越えた所で、力強い腕に呆気なく捕まり、後ろから抱きすくめられてしまう。
「何考えてるんだ! そんな格好で危ないだろうが! まだ魔鳥だって来るかもしれないんだぞ!」
「どうだっていいわよ! あのコートは……あのコートだけは絶対に駄目なの!」
「コートなんかより命と貞操を大事にしろ!」
「コートの方が大事よ!」
「馬鹿! 失ったら二度と戻らないんだぞ!」
「コートだって二度と戻らないわ! 世界でたった一つなのに……殿下からもらった大切な物なのに……うっ……うわあああん」
涙が溢れて止まらない。王様はもう何も言わないけど、離してもくれない。ただ、優しく頭を撫で続けてくれていた。
「……探してみたが、やっぱりもう近くには居なかった。馬だから逃げ足が早い」
あの後、泣きすぎてしゃっくりが止まらない私をマリーンさんの店へ預け、王様は盗賊の跡を追ってくれた。
私は静かに頷く。
もう二度と、本当にあのコートは戻らないのだと思うと、悲しすぎて涙も出ない。
「取り戻せなくてごめんな。もう一度あの辺りを探したら、これだけが魔泉に落ちてた」
大きな手から手鏡を受け取ると、そこには自分の顔が映っている。目は腫れて、頬はむくんで、酷い顔。魔獣よりずっと不細工だ。
魔鳥に食べられるか、魔蛇に生き血を吸われるか、盗賊に殺されるか。どうせ死んじゃうんだよ、殿下とお前が結ばれることなんてないんだから、もう可愛くなくてもいい。神様に、そんな風に言われている気さえした。
この境遇が、たとえラビニア嬢と運命が入れ変わったからだとしても、世界は今、“私”を排除しようとしている。強力な何かに、押し潰されそうになっていた。
気力が萎えてしまい、もうとても歩く気にはなれない私に、マリーンさんが今日はここに泊まっていくよう勧めてくれた。
「狭くて悪いね」と案内されたのは、倉庫代わりに使っているという離れ。荷物は沢山置いてあるものの、小さなベッドやテーブル、それに暖炉もある。昨日の洞窟を思えば、お城みたいな場所だった。
床に座り、ぼんやり手鏡を見つめる私の前に、王様が湯気の昇るカップを置く。
「マリーンが淹れてくれたよ」
温かいミルクティ。牛乳は嫌いだけど、これはとても美味しい。ふんわり優しい甘さに涙が零れた。
「鞄、俺が預かっといてやればよかったな」
「ううん……きっと、何処に置いても失くなっちゃったの。そういう運命だったの」
「よっぽど大切だったんだな。コートなんかより……なんて言って悪かった」
「……17歳の誕生日に、殿下からもらったの。布からデザインまで、私に似合うものを選んで作ってくれて。だから世界にたった一つなの」
「そうだったのか……」
「うん。でも……殿下はもう、あれを作ってくれたことも忘れているのかも。大切にしていたのは私だけで。だって、殿下が愛しているのは……」
大きな両手が、むくんだ頬っぺたに触れる。
慰めてくれるのかしら……と、その温もりに期待すれば、指でつままれ、びよんと引っ張られる。
「ふがっ!」
思わず出てしまった間抜けな声に、王様はぷっと吹き出した。
「不細工だな。魔獣にそっくりだ」
「……違うわ。魔獣より不細工よ。もういいの。可愛くなくても」
「何でだよ。魔獣パワーで、もう一度殿下を絆してやればいいだろ?」
「無理よ……私……もう全然キラキラしてないもん……うっ……う……うわあああん」
…………不思議。泣いても泣いても全然冷たくなくて、心の芯からぽかぽかする。
ファメオ国の太陽よりも、温泉よりも、ずっと温かい。ここはどこだろう?
「大丈夫、お前はキラキラしているよ。追放された初日に、国王を絆して仲間にしたんだから。とてつもない強運の持ち主だ」
「仲間……なの?」
「一緒に旅してるんだからそうだろ?」
ぽんぽんと背中を叩かれて、また涙が溢れてしまう。
「おっ、いいぞ。沢山泣いちまえ。泣いてよく寝れば、楽になってまた歩けるから」
そうか……ここは王様の胸の中だ。頑丈で、壁みたいに逞しいのに、すごく優しい。
「楽になるまで歩かなくてもいい?」
「いいよ。ふかふかのベッドで、好きなだけ寝ろ」
耳を当てると、王様の声が胸の中から聞こえてくる。
だからかな……何だか殿下と声が違う。低くて……鼓膜にずしっと響いて……でも温かくて…………いい声……
泣き疲れて瞼が重い。閉じて、次に開けたら、全部夢だったりしないかな。
でも、王様が夢だったら、ちょっとだけ寂しい。本当の顔、私も見たかったなあ……
はあ……お腹空いた。何処かに食べ物ないかな。
あっ! あのうねうねした八本足と、ヌメヌメの三つ首は!
ようし……今度こそ絶対に仕留めるわ! リリエンヌ、絶対に目を見ちゃダメよ?
背後から……そうっと……そうっと……真ん中の頭を狙って……
イケる! イケるわ! 魔獣…………覚悟お!
うねうねうねうね
ん? 何だか顔がくすぐったい。
うねうねうねうね
誰だか知らないけどやめてよ! 今大事な所なんだから!
ああっ……ほら、どうしよう、魔獣が振り向いちゃう。ダメ……まだ気付かないで……オムライスにするんだからあ!!
うねうねうねうね……
「うう……くすぐったい……もうやめてってば。あんたのせいでオムライスを食べ損なったじゃないの」
「ふん?」
「ふん? じゃないわよ。“ごめんなさい”でしょ?」
「ふんふんふん」
「もうっ! ふざけないで……」
がばっと身体を起こすと、小さい何かがポトリと枕に落ちた。
うねうねの細い八本足に、ヌメヌメ鱗の小さな三つ首、そして……うるうるの豆粒みたいな十五個の目。
これは……魔獣? の……子供?




