96.裏切りの邪神
一見、平和そうに見える日常に潜む影。それは生きとし生けるものが逃れ得ない生と死にまつわる有象無象の物語。
黄泉坂結弦は父親にあこがれていた。居酒屋の店主なのだけれど部下に仕事を任せて昼間から飲んだくれている父親に。だけど、親父の周りにはいつも人がいた。彼らの相談を見事に解決してしまう親父は結弦のヒーローだった。親父のようになりたい。それが結弦の夢だった。
だけど、自分は親父に似ていない。少年の悩みは尽きない。
「ねえ、ゴローちゃん。黒い人がひかりの体を作れるんだって。作ってもらってもいいかな?」
光月の言葉はシンプルだった。素直な光月の性格が表れている。いつまでもぐずぐず悩んで決められないわたしとは全然違う。
そういうとことが周りの人から愛される光月らしいと思う。
「黒い人……」
「初めまして。私、異界から渡りし邪神の一柱ニャルラトホテプと申します。以後お見知りおきを」
相手が蠅にもかかわらずニャルラトホテプはハエ五郎に向かい丁重に名乗った。
「ご丁寧なご挨拶痛み入ります。私は天界神軍主将、閻魔大王黄泉坂結弦が臣、ハエ五郎と申すもの。よろしくお願い致します」
ハエ五郎も丁重に返す。
トリックスターと詐術の堕天使、互いを好敵手と認識したようだ。
ハエ五郎の前世は史五郎、その前は蠅で、その前も蠅で、その前はルシフェルで地獄の業火で7代かけて浄化された。
眷属となったのは蠅になってからで今のハエ五郎で4代目だ。眷属は主の下で転生する度に結びつきが深くなる。通常の人の生ではそう何度も同じ主の下に仕えることはない。主も人の体をしているからには代替わりする。通常は2度か多くても3度である。4度もの転生を果たしたハエ五郎はその結びつきでは臣下の中で突出している。
そう考えると寿命の短い蠅への転生はありかもしれない。蠅の寿命はだいたい1ヶ月だから、半年ほどでハエ五郎を追い抜ける。だいたい出会って4年ほどのあいつが無二の忠臣なんて笑わせる。こちとら生まれてすぐからの付き合いよ。17年にもなる。4年ごときで追い抜くなんて笑わせる。次、死んだときの候補として蠅も考えておこう。
「ひかり様、私は臣下ですから蠅でも問題ありませんが、恋人を目指すのでしたらハエはおやめになったほうがよろしいかと……」
ハエ五郎に忠告されて我に返る。とっさに誤魔化す。
「えっ、な…何の話かな?」
「ですから、ひかり様のお体の話です」
どうやら黒マントの人にわたしの体を作ってもらうのは決定のようだ。
「多少の変更は可能のようです。容姿や年の頃など、ご希望はありますか?」
「わたしに整形しろってことかな!」
ハエ五郎のいいかたにちょっとムカッとしてしまったが、女子仲間の意見は違った。
「ん……黄泉坂はロリコン」
「二桁(十代)じゃ欲情しないらしいよ」
「3歳幼女がどストライクだって言ってた……どストライクってなに?」
「落としにかかるのなら相手の好みに合わせるべきでしょう」
ちょっとまって……その前に警察に通報していい?
合議の上、容姿はいじらず、結弦の記憶に新しいわたしが死んだときの年齢、13歳の姿で体を作ってもらうことになった。
「蠅って……ひかり、頭、大丈夫?」
「いくらひかりの転生体でも、ハエじゃ結弦も恋しないと思うよ」
「種族の壁を超えると恋愛には発展しにくいというデータがあります」
「ん……黄泉坂は変態。でもハエに恋するかは未知数。隣に幼女がいたら絶対そっちを選ぶ」
「閻魔天もたいがいじゃが、お主もぶっ飛んでおるの」
「私もお勧めはしませんです」
ハエは満場一致で却下となった。
「でも大丈夫なの? 邪神さんを取り込んじゃっても」
ハエ五郎は即決したけど、それがわたしには気がかりだった。
わたしはゆーくんの足を引っ張る存在にはなりたくない。
「ニャルラトホテプは心配ない。ちゃんと浄化を施すからの。問題は貴神様の方じゃが、お主が気に病むことではない。あの男はそれくらい喜んで背負うことじゃろうて」
わたしの疑問に答えてくれたのは恵比寿様だった。
*
オレはクトゥルフを、ハスターを切った。この世で数十回も転生を果たした彼らだ。閻魔帳にばっちり記載されている。
「我は知る。汝、クトゥルフ並びにハスター。異界から渡り来し邪神よ。汝は己が欲望のままに前の世の民を苦しめその世界を滅ぼし、移住せざるを得なくなった。この世に渡りし後も己が行いを顧みることなく、何度もその命を失いながらもその度に再生し、己の欲望のままに衆生を騙し苦しめた。前の世を滅ぼした轍を再び踏まんとする行い、言語道断の振舞いである。汝の罪を償うには峻烈なる浄化を以って当たる以外ない。
汝、クトゥルフ並びにハスターよ。地獄の劫火を以ってその魂を浄化せよ。七度の浄化の後、転生を許す。なにに転生できるかは汝次第だ」
こーーーーーーーん!
裁可の槌音が宵が原の街中に鳴り響いた。
ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴーーーーーーーッ!
大地を揺らしながら炎をまとった火炎地獄の縛鎖が飛び出した。生き物のようにクトゥルフに襲い掛かる。クトゥルフは抵抗しようとしたが、鎖は生き物のようにまとわりつき何重にも巻付いて巨体を拘束した。
「BBBBBBOOOOOOOOOEEEEEEEE―――――――――!!」
ハスターも断罪に抗おうと暴れ出したが、既に裁可の戒めがハスターを捉えている。そのまま灼熱地獄に引きずり込む。
「GGGGGGYYYYYYYYYEEEEEEEE―――――――――!!」
二匹の邪神は激しく暴れながら、吼えて抵抗する。しかし、無駄だった。
地獄の縛鎖に戒められ二匹の邪神は沈んでいった。
残るは邪神の親玉ヨグ=ソトースだ。
*
「やったーっ!」
宵が原の街を荒らした二匹の邪神が沈んでいくのを見てわたしたちは歓声を上げた。
さすがゆーくん。素敵すぎてまぶしいよ……
甦りの許可はもらった(ハエ五郎の代理だ)けどわたしなんかが隣にいていいのか不安になる。
わたしはきっとゆーくんの重石になる。ゆーくんの足を引っ張りたくない。その思いは変わらない。けど、みんなの意見は違う。重石になったとしても隣にいるべきだと。
なによりゆーくん本人がそれを望むはずだと。本当かな……
邪神の親玉さんが月讀命様に追い詰められている。ゆーくんたち地獄の鬼卒たちが加勢する。ミカエル様たちも加わった。いよいよ逃げ場がなくなった。
そのとき、邪神さんと目が合った。
なぜ……?
「あなたですね。あの鬼の弱点は」
後ろから掛けられた声の方を振り向く。
そこには小さな邪神さんがいた。
*
逃げ切れないことはわかっていた。だから仕込んでいた最後の種を発芽させた。避難民の女の腹の中にその種は仕込んでおいた。
他に隠しておいた種は撤退的に捜索され抹消された。そんなこともあろうかと切り札は出産させずに残しておいた。本人すら気付いてなかっただろう。
先程、避難所のトイレで密かに出産させた。訳も分からずに異形を生んだときの女の恐怖にひきつった顔はよかった。恐怖に怯えた魂は美味であった。その肉体とともにおいしく頂いた。
本体から“見つけた”との指示を受けて現場に忍び寄る。
なんだ。まだ子供ではないか……
標的は少女であった。生き物は生殖能力を宿すほどに成長した異性に魅力を感じる。それが種族繁栄の本能だ。だが、標的はそうは見えない。
どうやら敵の将たる鬼は我々の理解しがたい性癖を持っているようだ。
だが、そんなことは関係ない。むしろ、いまだ成長しきらぬこの体で取り押さえるには好都合だ。
「あなたですね。あの鬼の弱点は」
己がものにすべく飛び掛かった。
逃げきれないことはわかっていた。愚息たちはあの鬼に捕らえられた。もういくら再生の術を使っても甦らない。
だから、これは交渉の材料だ。前の世界は滅びてしまった。だから我らはこの世界で生きていくしかないのだ。どんな手段を使っても生き延びてみせよう。
だが、その願いは叶わなかった。
「待っていましたよ、ヨグ=ソトース」
最後の体は捉えられた。その首謀者は……
「ニャルラトホテプ!」
眷属の面汚し、裏切者のニャルラトホテプ。
「貴様、なにをしているのかわかっているのか!?」
「わかっていないのはあなたの方ですよ、ヨグ=ソトース。我らは敗れたのです。既にクトゥルフとハスターはこの世の理に取り込まれました。あなただってそうです。この世で何度も何度も転生を繰り返せば理にあなたも載っているのです」
裏切り者のいう通りだ。異端と言えど何度となく繰り返せば、それはこの世の理に取り込まれる。我々の再生は既に理の内にあったのだ。
「私はこの世では再生しておりません。つまりこの世で唯一の理外が私というわけです。ですから……私の交渉の材料となってください」
そうして私の最後の希望は潰えた。
文字通り潰されて捏ねられて人型となった。ニャルラトホテプは私ヨグ=ソトースの体を神の器として作り替えたのだ。
「ニャルラトホテプ殿、その体は……」
恵比寿の問いかけに黒衣の男は凶悪な笑顔で答える。
「ええ、丁度よくヨグ=ソトースの素体が手に入りましたので。元の体を取り戻すとは時を渡ると同じようなもの。時渡りの権能を持つヨグ=ソトースの素体は好適です」
「それでひかりに変な影響は出ないのでしょうね」
「勿論ですとも。ヨグ=ソトースの魂は完全に摺り潰しました。欠片も残っておりません。これはただのもの。かつてヨグ=ソトースであったものですらありません」
小鳥の詰問にも笑顔で答えるニャルラトホテプ。
「私もあなた方への信頼を得るために必死なのです。後で不良品だからと因縁を付けられて立場を悪くしたくありませんから。誠心誠意尽くさせて頂きます」
「あなたの世界での“誠心誠意”が私たちと同じであることを願ってるわ」
「私もです」
ニャルラトホテプは平然と応えた。
平然としていられなかったのはヨグ=ソトース。
最後の切り札を裏切りによって潰されたヨグ=ソトースは意気消沈して抵抗を止めていた。
そしてもう一人。
「そこな異界の神とやら。何をしている」
それは月讀命であった。
「いかぬ!」
恵比寿が叫び、ひかりの器を隠そうとした。
「ええ、急いだほうがよさそうですね」
ニャルラトホテプもそれに応えた。
「ひかり様、皆様に別れの挨拶を」
「お別れ!? なんで?」
ひかりは戸惑っている。
そうであろう。
元は毘沙門天の眷属であり神であった夜叉姫も人として死に閻魔の眷属として迎えられて早500年。この少女の魂は人に堕ちている。
そしてかつて神であった資質は本来の魂を受け継ぐ光月のものだ。前世の思いの囚われて別れたひかりの魂はもはや神ではない。
そして甦りは神にのみ与えられた特権であり、それですら絶対ではない。
「もとは一つであった光月様の魂と完全に分かれるのです。さあ、早くお別れを」
小さく頷きひかりは光月に向き直った。
「光月、私のわがままで出ていくことになってごめんね」
「いいよ。ひかりも元気で」
「大好きだったよ、光月」
「うん、私も。大好きだよ、ひかり」
一つの体の中で別れを告げ合う二つの魂。
それを凶悪な拳が貫く。
「ニャルラトホテプ!?」
「……なんで?」
黒衣の男の手に握られたひかりの魂が問いかける。
「それはもはや貴女の体ではないからです」
光月の体を貫いたニャルラトホテプの拳は新たなる器に突き込まれ、捉われていた魂を開放した。
こうして禁忌の術は完成した。
「天国でのうのうと暮らすより地獄を這いずり回って生きていきたい。」をお読みくださりありがとうございました。
ニャルラトホテプの尽力でひかりの再生は果たされました。ですが、これで大団円とはいかないようです。
投稿は毎週金曜日に行う予定です。今後もお付き合い頂けたら幸いです。




