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95.邪神の誘惑

 一見、平和そうに見える日常に潜む影。それは生きとし生けるものが逃れ得ない生と死にまつわる有象無象の物語。

 黄泉坂結弦は父親にあこがれていた。居酒屋の店主なのだけれど部下に仕事を任せて昼間から飲んだくれている父親に。だけど、親父の周りにはいつも人がいた。彼らの相談を見事に解決してしまう親父は結弦のヒーローだった。親父のようになりたい。それが結弦の夢だった。

 だけど、自分は親父に似ていない。少年の悩みは尽きない。

「生き残るための交渉を望みます」

 ニャルラトホテプははっきりとそう言った。それは征服でも共存でもない。この世の(ことわり)に加わりたいと言ったのだ。


「人の魂を喰らう邪神と共生できるわけないでしょう」

 小鳥(ことり)は拒絶するが、ニャルラトホテプもあきらめない。

「私は一人として民も神も殺しておりませんよ。信仰心と恐怖を頂きましたが、それだけです。我々も一枚岩ではないのです。私を武闘派の邪神とは一緒にしないで頂けるようお願い申し上げます」

「捕虜としてなら考えてあげる」

「それでは意味がありません。私はこの世界に加わりたいのです」

 ニャルラトホテプは改めて望みを言った。

「そんなことできるはずがない」

「そんなことありません。あなた方の仰ぐ王なら、それができるはずです」

 ニャルラトホテプとそれを認められない神々の言い争いはぶった切られた。


「ん……そんなことより、()()()の身体を取り戻すってどういうこと? あなたにそれができるというの?」

「私にとってはそんなことではないのですが……」

 彼の存否(そんぴ)をあっさり切り捨てた蛭子(ひるこ)先輩の言葉にニャルラトホテプは苦笑する。

「簡単ではありませんができますよ。この世の理ではできないことでも、理から外れたものにとっては不可能ではないのです。何せ私、邪神ですから」

「ん……理屈に適っている」

 邪神の一言で蛭子さんは納得してしまった。


「まてまて、我が妻よ。理外のことは理外の存在でなければなせぬ。一見もっともらしいが、それは貴殿にできるとの証明にはなっておらぬぞ」

 恵比寿様は簡単には騙されない。

「それは信じて頂くよりほかありません」

「平行線じゃの。適当な木偶(でく)を押し付けて誤魔化そうとしているのではあるまいな」

「滅相もない。簡単ではないと申し上げたはずです。何せ神の器を作るのです。並大抵の器では耐えきれますまい」

「ふむ……」

 恵比寿様は腕を組んで考え込む。


     *


 ヨグ=ソトースは康太(こうた)韋駄天(いだてん)の快足剣神たちが牽制している。

 今のヨグ=ソトースは瀕死である。そのために眷属であるクトゥルフとハスターを呼び戻したのだ。つまり敵の最大戦力はクトゥルフとハスターだ。そちらを先に始末しないとヨグ=ソトースがまた何かをしでかすかもしれない。

 ハスターはミカエル率いる天使近衛(このえ)が空中戦を仕掛けていた。

 ならば……オレはクトゥルフに相対(あいたい)した。


 クトルゥフはさっき月讀命(つくよみのみこと)を丸呑みにした。月讀も三貴神の一柱(ひとはしら)だ。簡単に殺されるとも思えないが、肉体を滅せられれば復活するまでには時間がかかるかもしれない。

 オレたちはヨグ=ソトースに対する切り札を失ったのだ。


 だが、それは早計であった。

 クトルゥフの巨体に縦横に筋が走り、内側から光が溢れだした。

 てっきりヨグ=ソトースの仕掛けた罠(自爆攻撃?)かと思ったくらいだ。


「まさか(けだもの)の腹の中で2週間も過ごすことになるとは思わなかったぞ」

 それは月讀命だった。

 秘剣輝月剣(てるつきのつるぎ)を抜き放ち、内からクトルゥフを八つ裂きにして復活したのだ。


「月讀殿、無事だったか!?」

「誰に言っている。この程度の魔獣など相手にもならん」

 三貴神だか何だか知らないが、ずいぶんと尊大な態度である。そんなんだからクトルゥフに丸呑みされるんだぞ。


「使い魔どもの始末はお主らに任す」

 ハスターや復活したクトルゥフの足止めを命じてくる月讀。

 腹は立つが、時の権能を持つ月讀に止めてもらいたいのはヨグ=ソトースだ。

 しょうがない。眷属(けんぞく)どもの相手はオレたちでしよう。


     *


 ニャルラトホテプの言うことはわかる。閻魔大王(えんまだいおう)黄泉坂結弦(よみさかゆづる)ならその魂を浄化し、輪廻転生(りんねてんしょう)の輪に還すことができる。

 でも、それが正しいの?

 わたしにはわからない。


 黒マントの人は現世(うつしよ)の人々、衆生(しゅじょう)を殺していないと言った。それに自分たちの世界が滅びたから生き残るために渡ってきたという。

 死にたくないのはみんな同じだろう。それを否定することは誰にもできない。わたしたちにとっては侵略でも彼らにとっては死にたくないという願望なのだ。立場が変われば正義も変わる。

 そして彼らは敗れた。わたしたちの王(ゆーくん)が勝ったのだ。

 それでもニャルラトホテプさんは死にたくなかった。だからこの世の理に入りたいと言ったのだ。

 死にたくない(輪廻転生の輪に加わるためには死ぬ必要があるのだけれど)という気持ちはわたしにもわかる。わたしだってゆーくんと死に別れなんてしたくなかった。でもそのときは彼を守ることが何より大事で、後悔なんてしてないけれど、それでも思っていたのだ……死にたくないと


 輪廻転生するためには彼は地獄の業火で浄化されるのだろう。でも、地獄の業火でも浄化しきれない魂を持っていたら……わたしたちは現世にとんでもない邪神を包含(ほうがん)することになってしまう。何せ相手はこの世の理の外の存在だ。うかつに決めることはできない。


()()()ちゃんはどう思う?」

「へっ?」

 小鳥ちゃんにいきなり話を振られてわたしはうろたえた。変な声が出ちゃった。

「どうって……?」

「だから、ニャルラトホテプに体を作ってもらいたいかって」

「そうじゃなかろう。それもあるが、邪神をこの世の理に載せてもよいかということじゃろう」

 物思いに沈み込んでいたわたしにも恵比寿様のフォローで状況が飲み込めた。


「でも、それはゆーくんが……閻魔大王様が決めないと……」

「結弦は駄目よ」

「なんで?」

「だってあなたを取り戻せるなら彼は選ぶに決まってるもの」

光月(みつき)もそう思う!」

「ん……黄泉坂なら世界を敵に回してもひかりを選ぶ」

「知ってます。そういうの世界系っていうのですよね」

 月光菩薩(がっこうぼさつ)様、それ止めなくていいんですか?


「私たちの意見はどうでもいいの。それよりひかりがどうしたいのか。あなたの気持ちを聞かせて。私たちはそれを全力で応援する」

 小鳥ちゃんの言葉にわたしは戸惑う。


 もちろんわたしだってもう一度ゆーくんと向き合いたい。体があったら、また一緒に学校に行きたい。二人でお出かけもしたいし、買い物にも行きたい。そして……気持ちはまだちゃんとは伝えてないけど、恋人になりたい。

 手をつなぎたいし、いつかはキスだってしたい……その先も……

 はずかしい!


 でも、いいのかなとも思う。

 どんなに未練があっても死んでも生き返れない人なんかいっぱいいるし、というか、それが普通だし。だいたい屍者を生き返らせる反魂(はんごん)の術は禁忌(きんき)のはずじゃ……


 思考がぐるぐる回って決められない。何を考えているのかすらわからなくなる。

 もともとわたしは考えることが苦手だ。勘がいいのでえいやぁって選んでだいたいそれでうまくいった。どうしても決められないことは誰かに相談して決めてもらった。お父さんやお母さんや先生に決めてもらった。

 でも、本当に大切なことを相談したのは一人だけだった。いつも側にいてくれて、見守ってくれて、でも相談しても絶対に答えを教えてはくれなかった。「それはひかりがきめなければいけないことだよ」っていって決めてはくれなった。

 それでもよかった。話を聞いてくれるだけでよかった。それでわたしは安心できた。結果はうまくいったりいかなかったりだったけど、それはどうでもよかった。だってわたしが選んで決めたのは彼の隣にいることだったから


(じゃあ、そうすればいいんじゃない?)

 心の部屋の扉の向こうから光月が話しかけてきた。

 ここは光月の体の中。大家さんみたいなものだから光月に優先権がある。

 でも、心の部屋にいるときは互いにそれを尊重していた。光月も勝手にわたしのお部屋に入ってくることはなかった。そっとしておいてくれた。

 それでもこうやって話しかけてきたのは光月なりに思うことがあったからだろう。


(でも、それでみんなに迷惑かけてしまうかも……)

(そんなのぜんぜんいいんだよ。みんなひかりのことが大好きだから。わらって許してくれるよ)

(許せないような失敗しちゃうかもよ)

(だいじょうぶ。わざとじゃないんでしょ?)

(うん……でも……)

 光月に励まされてもやっぱりわたしは決断ができない。


(じゃあ、結弦はどうしたらいちばんよろこぶと思う?)

(それは……)

 やっぱり、ゆーくんはわたしの復活を望むだろう。世界を敵に回してもは大袈裟だけれど最大限の努力でわたしを救おうとしてくれるだろう。

 だけど……だからこそ私はそれを簡単には選べない。


 ゆーくんの邪魔にはなりたくない。

 それは死んで魂だけの、魂の欠片(かけら)にすぎない存在になったわたしの矜持(きょうじ)だった。


 だけど光月はあきらめてくれなかった。

(じゃあ、結弦に聞いてみよーよ)

 えっ!?

 待って待って……ゆーくんは今、大事なときなんだから……

(だいじょうぶ! 結弦がひかり以上に大事にすることなんてないんだから!)

 光月はそう言うとわたしを表に連れ出した。


「結弦―――っ! ひかりが大変なの――っ! 助けて——―っ!」

 突然叫んだ光月。

(わ、わたしは大丈夫だよ。大丈夫だから心配しないで!)

 止めようとしたけどこの体は光月のものだ。優先権は光月にある。

 止められなかった。


 とは言ったって戦いの最中のゆーくんが戦場を放り出して来てくれるはずがない。そんなことはわたしだって望んでいない。


 邪神とゆーくんたち神々が戦っている戦場から火の玉が飛んできた。

 びゅーんとすごいスピードで飛んできた。


「光月様、お呼びでしょうか。我が主に成り代わり参上致しました」

「ゴローちゃん!」

 それは一匹の蠅だった。


 わたしの前世の記憶にもある。元ルシフェル、ゆーくんの裁きで浄化され転生したハエ五郎。そして人として転生したけど先日の邪神の宵が原襲撃で光月たちを庇って死んだ史五郎(ふひとごろう)

 ゆーくんの無二の忠臣だ。

「天国でのうのうと暮らすより地獄を這いずり回って生きていきたい。」をお読みくださりありがとうございました。

 ニャルラトホテプはひかりの体の再生を条件に転生を望みます。結弦の隣にいることを望みながら、邪神を取り込むリスクに悩みます。結弦はどんな決断を下すのでしょうか。小鳥の言うように迷わないような気もしますが。

 投稿は毎週金曜日に行う予定です。今後もお付き合い頂けたら幸いです。

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