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92.最高の忠臣

 一見、平和そうに見える日常に潜む影。それは生きとし生けるものが逃れ得ない生と死にまつわる有象無象の物語。

 黄泉坂結弦は父親にあこがれていた。居酒屋の店主なのだけれど部下に仕事を任せて昼間から飲んだくれている父親に。だけど、親父の周りにはいつも人がいた。彼らの相談を見事に解決してしまう親父は結弦のヒーローだった。親父のようになりたい。それが結弦の夢だった。

 だけど、自分は親父に似ていない。少年の悩みは尽きない。

 これ以上逃がすわけにはいかない。

 攻めているはずの魔神も追い込まれていた。


 一撃で核を仕留めなければ、致命傷を与えただけでは逃げられる。

 時空を超えて集められる恐怖はかつて現世(うつしよ)に生きた人々の魂だ。それを喰らってヨグ=ソトースは再生する。

 逃がすことは衆生(しゅじょう)の魂を奪われることと同義だ。


 だからといって土地を汚させるわけにはいかない。

 宵が原(よいがはら)の街は既に十分すぎるくらいに傷ついているのだ。

 それを知っていてわざと剣を受ける邪神を許せない。


 『時渡り(ときわたり)』を発動できないくらいに追い詰める。

 ヨグ=ソトースが『時渡り』を発動できるのはほぼ魂になった核だけの状態だ。その寸前まで追い込む。肉体を殺してはダメだ。

 せめて核の位置がわかれば滅ぼすことができる。敵も承知で必死に隠している。しかも動かしているようだ。これでは掴みようもない。

 だから逃がさずに体を削っていき、追い込む。


 言葉にすれば簡単だが、行うのは難しい。

 しかも自らの血で土地を汚染する作戦に出られてはこれ以上『鋼切り(はがねきり)』は使えない。

 自分もだいぶ血を流した。そう長くはもたない。


 苦境に顔をしかめたそのとき、小鳥(ことり)の声が聞こえた。

「頑張れーっ! ()()―っ! 愛してるーっ!」


 ……

 その気持ちは知っている。だが、らしくないことをしたもんだ。

 それはきっとオレもらしくない戦い方をしているせいだろう。それが精一杯の小鳥の(げき)だ。

 ならばオレもそれに応えなければなるまい。


 オレは全てを救えるなんて思っていない。

 マンガやアニメの主人公じゃあるまいし、全てを手に入れることなどできない。神となった今でも同じだ。

 だからオレは最善を尽くす。後悔しないように最大限救えるものは救う。(こぼ)れ落ちる魂もあるだろう。そいつらには恨まれても構わない。

 それでもオレは後悔したくない。だからオレは悩み過ぎていたのだ。もう決断のときを迎えているのだ。

 いつまでも決められずにうじうじしているオレの背中を小鳥は押してくれたのだ。

 オレの体から(ほのお)が立ち上る。


     *


 赤熱していた魔神の棍棒(こんぼう)が白く輝く。

 棍棒が邪神の体を(えぐ)る。緑色の血は吹き出さなかった。4000℃の魔神の棍棒は邪神の肉を、血を焼き尽くし浄化してしまった。

 怒りに任せて暴虐に振舞ったかつての鬼ではなかった。


 焔の魔神は時の邪神を圧倒した。

 燃え盛る炎の棍棒で(なぐ)る。殴りつける。(たた)く。叩きのめす。()つ。打ち倒す。()く。突き通す。()す。押し(つぶ)す。()やす。燃やし尽くす。

 ありとあらゆる攻撃で圧倒した。

 仲間の……女神たちの声援も力になっているのだろう。


 その度に邪神は『時渡り』で再生した。

 再生して見せたが、完全ではなかった。直しきれない傷が増えた。体格が一回り小さくなった。体力が回復しきれておらず動きが鈍る。

 ヨグ=ソトースの権能は過去や未来からエネルギーの源である衆生の恐怖を集めることである。だが、これほどまでに倒されると集めやすいところからは取り尽くしてしまった。権能の届く範囲をぎりぎりまで手を伸ばす。効率が悪いと捨て置いた密度の薄い恐怖まで掻き集めた。それでも完全復活までは至らない。


 邪神は追い込んだ。だが、そう簡単にはやられない。生き汚く逃げる。

 本当は『時渡り』などさせたくはなかった。邪神の権能は衆生の恐怖をエネルギーにしている。恐怖とは魂の叫びだ。恐怖を喰らうこととはこの世から魂を奪うことに他ならない。

 輪廻転生(りんねてんしょう)の輪から己が欲望のために(さら)うということだ。

 許せるわけがない。

 だが、どうしたら……


 焦るオレに福音(ふくいん)が届いた。

「お待たせしました、主様(あるじさま)。さあ、『時渡り』を封じましょう」

 小さな蠅が目の前に浮かんでいた。


「ハエ五郎……」

 それはハエ五郎であった。元人間のヒト五郎。死んで転生のときを待っているはずなのに

「どうして……」

 人に生まれ変わり、功徳(くどく)(ほどこ)した。わずか3年という短い生涯にもかかわらず、オレたちに多大な貢献をした。欠かせないオレの右腕。

 最後はオレの大切な人たちを守り、命を落とした。


 初めて出会ったときは(ルシフェル)であった。オレの初陣(ういじん)だった。

 犯した悪行(あくぎょう)断罪(だんざい)し、裁いたのはオレだ。7度の転生により浄化された彼はハエとなってオレの前に戻ってきた。それは堕天する前の清らかな彼だった。彼はその本性を取り戻したのだ。


 オレは彼に気が付いた。

 ハエとなった姿でも間違うことはなかった。彼もオレの信頼に応えた。そのときは蠅の王(はえのおう)ベルゼブブとの戦いの最中(さなか)であった。

 彼はハエの身体を活かしてベルゼブブの指示を聞き取り、その狙いを読み解いてオレたちに伝えた。オレたちを勝利に導いた。


 その後、オレたちは旅をした。

 あの頃はまだまだ未熟で頼りない主に彼は尽くしてくれた。オレの耳の中に住まい、旅の苦楽を共にした。仲間からも二心(にしん)無きことを認められたのもこの頃だった。前世で無残に殺された()()()までもが許したのだ。

 最後は敵の大群を引きつけ壮絶に散った。


 その功もあり次の生では人に転生することができた。七生にも渡る浄化の罰を経て本当の仲間となったのだ。

 その苦労をして得た人の生だったのにそれを捨ててまでオレの側に戻ってくれた。


 オレの疑問にハエは嬉しそうに答えた。

「人でなくても構わなかったのです。ただ主様のお側に侍り、主様のお役に立ちたい。ただ、それだけでございます」

「それでもせっかくの人の生を……」

喫緊(きっきん)の事態に人への転生では時が掛かりすぎます。それにこの体も慣れるとよいものです」

 オレの右腕は絶好のタイミングで援軍を届けてくれた。死してなお、何度転生しても忠義を尽くし応えてくれる。

「ハエ五郎……助かった」

 追い込まれていたオレにとっては救世主だった。


「ハエ五郎、お前の忠義に応えよう。ヨグ=ソトースを倒すぞ」

「御意」


     *


 掛けまくも畏き伊邪那岐大神    かけまくもかしこきいざなぎのおほかみ

 大八島国の淤能碁呂島に      おおやしまのおのごろじまに

 掛けまくも畏き伊邪那美大神と   かけまくもかしこきいざなみのおほかみと

 契り給ひし時に          ちぎりたまひしときに

 生り坐せる月讀の大神       なりませるつくよみのおほかみ

 異界から来けりし邪神を鎮め給へと いかいからきけりしじゃしんをしずめたまへと

 白すことを聞こし召せと      まをすことをきこしめせと

 恐み恐みも白す          かしこみかしこみもまをす




 口に出してご尊名を申し上げるのも恐れ多い、イザナギノ大神が、

 大八島国の淤能碁呂島で、

 口に出してご尊名を申し上げるのも恐れ多い、イザナミノ大神と、

 契りをなされた時に、

 お生まれになった月讀の大神よ、

 異界から来た邪神をお鎮めくださいと

 申しますことをお聞き届けくださいませと、

 畏れ多くも申し上げます。


     *


 ハエ五郎の祝詞で援軍が姿を現した。

(しかし、こいつ、よく祝詞なんて上げられたな)

 万能すぎる腹心に感心してしまう。


 『時渡り』を使う邪神に対する最強の援軍、その名は月讀命(つくよみのみこと)

 月讀命は伊耶那岐命(いざなぎのみこと)伊耶那美命(いざなみのみこと)の第4子(歴史的には第2子、ヒルコとアワシマは抹消されている)。天照大神(あまてらすおおみかみ)の弟神、素戔嗚尊(すさのおのみこと)の兄神であり、天照大神と素戔嗚尊とともに三貴神として祀られる。


 姉、天照が日を司り、月讀は夜を司る。

 夜とは一日の終わりを指し、翌日の始まりにつながる。つまり一日という概念は夜によってもたらされる。

 そして月。

 月は満ち欠けする。新月から始まり満ちて十五夜(じゅうごや)、再び新月になるまで29.3日。昔は太陰暦(たいいんれき)、つまり月の満ち欠けをひと月とした暦を用いていた。

 月とは一日やひと月という時の概念の象徴なのである。だから月讀命は夜だけでなく時をも司っている。

 だからこそヨグ=ソトースにとっては天敵だ。


 これまで奴の権能と噛み合う神はいなかった。

 だが、月讀命は違う。ヨグ=ソトースと同じく時を司る神だ。同じ土俵で相撲を取ることがなかった奴だが、もう逃げられない。

 逃がさない。


「月讀命殿、高天原(たかまがはら)からわざわざお越し頂き感謝する。現世(うつしよ)に住まう衆生(しゅじょう)安寧(あんねい)のためお力をお貸し頂きたい」

 ハエ五郎の主として挨拶ぐらいはするべきだろう。有能すぎる部下に恥をかかせるわけにはいかない。


「現世はおろか過去未来まで荒らされた無能に用はない。しかも衆生の魂を食われるとは屍者(ししゃ)の王としてその責も果たせていないではないか。だから、異国の神など役に立たぬと申すのだ」

 月讀命はにべもなかった。


 まあ、閻魔の元となるヤマラージャは古代インドの神だ。間違いではないが、仏教とともに地獄の支配者閻魔大王が伝わってから1500年近く経っている。今ではすっかり衆生の信仰に根付いている。いまさら異国の神呼ばわりされてもな。

 だが、月讀命の言う通りだ。

 オレは信仰してくれる衆生の魂を守れなかった。今も奪われつつある。

「だからこそ力を貸してほしいのだ。月讀命殿」


「お主のためではない。命をすり減らしてまで忠義を尽くす虫けらに興味を引かれただけだ」


 ハエ五郎、やっぱり、お前は最高の忠臣だ。

「天国でのうのうと暮らすより地獄を這いずり回って生きていきたい。」をお読みくださりありがとうございました。

 攻めつつも倒しきれない結弦に死んだはずの最高の忠臣が援軍を連れて現れました。二人の絆の強さが偲ばれます。

 投稿は毎週金曜日に行う予定です。今後もお付き合い頂けたら幸いです。

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