8.地獄の王子
一見、平和そうに見える日常に潜む影。それは生きとし生けるものが逃れ得ない生と死にまつわる有象無象の物語。
黄泉坂結弦は父親にあこがれていた。居酒屋の店主なのだけれど部下に仕事を任せて昼間から飲んだくれている父親に。だけど、親父の周りにはいつも人がいた。彼らの相談を見事に解決してしまう親父は結弦のヒーローだった。親父のようになりたい。それが結弦の夢だった。
だけど、自分は親父に似ていない。少年の悩みは尽きない。
「なんでひかりが撃たれなくちゃならないんだ?」
オレの疑問に誰も答えてくれない。その気遣うような顔を見てようやくわかった。
「……狙われたのはオレなのか?」
親父が腹をくくった顔でようやく目を合わせた。
「それを説明するためには俺と俺たち一族のことを話さなければならん」
*
「俺たち一族はある特殊なお役目についていた……
まあ、立場としては公務員だったのだが、表向きにはできない、信じてもらえないような役目だ。世の中でもそれを知っているのは国の中枢のごく一部の人間に限られる。仕事はなあ、まあ、裁判官みたいなものだ。死者を裁く裁判官だ。生前の行いと照らし合わせて次の転生先を決めるのが俺の仕事だった。思い当たることがありそうだな。そうだ。第145代閻魔大王黄泉坂閻蔵。それがかつての俺の名だ。そして俺たち地獄の一族には別の呼ばれ方がある。鬼……それが俺たち地獄の一族の名だ。
だが、まあ、いろいろあってな。今はそのお役目も離れている。戦争があってな。俺の仕置に不満がある連中が傭兵を雇って攻めてきた。長い戦いだった。5年ほどかかっただろうか。結局、俺は負けた。お役目を取り上げられ放逐された。その戦いで妻も失った。それ以来、流れ流れてほとぼりが冷めるのを待って、ようやっとこの宵が原商店街に腰を落ち着けた。それが12年前だ。お前は覚えているか? 覚えてないか。まあ、小さかったからしょうがない。
お役目を離れたと言っても俺たちに関係なく人は死ぬ。今の地獄は主不在の状態だ。とは言え地獄は人の歴史と共に続いてきた機関だ。攻めてきた連中も勝ったからといって自分たちの思うがままにはできない。そういうものじゃない。それで地獄の仕置は途絶えている。今の出生率低下などはそれが原因だ。俺にも責任に一端はあるだろう。このままでいいとは俺も思っていない。だが、もう俺では務まらないのだ。
今起こっていることのきっかけは千衣だ。あの娘が悪いんじゃない。だが、あの娘は攻めてきた傭兵の縁者だ。傭兵のリーダーはもういないのだがな。なにかしら目を付けられていたのだろう。あの娘を罠に嵌めたのは今の地獄を手にしている黒幕だろう。大方、千衣を人質にして傭兵の残党に汚れ仕事をやらせようとしたのだろう。俺はそれを利用しようとした。あの娘を餌にここに誘き寄せようとしていた。戦になるだろう。
だからお前たちを離しておこうとした。それが間違いだった。狙いは俺のはずだった。あの娘がいる以上、ここを外せないはずだ。だが、奴らは俺が思っていたより下衆だった。
あいつが生きていればそんなことはさせなかっただろう。だが、もうやつはいない。だから、罠を張って待ち構えている俺を避けてお前を狙った。ひかりにはすまないことをした」
*
「亜里、鉄也……」
「清志郎やないか!? いったいどうしとったんや?」
マラコーダに案内された郊外の安アパート。そこでかつての仲間が暮らしていた。
「あの日以来だな……」
「そうやな……」
忘れられるわけもない12年前のあの日。清志郎たちは兄貴、日色英雄の家族を守れなかった。もとはと言えば兄貴の甘さが引き起こしたことだった。確かに俺たち勇者一党の仕事は地獄征伐だった。兄貴が止めるから閻魔の首は見逃してやったのだ。それなのに仕返しに卑怯な手で兄貴の命を奪い、あまつさえ兄貴の家族を襲うとは。清志郎は今でも思い出すたびにはらわたが煮えくり返る。
狭い四畳半に通されて亜里がお茶を出してくれた。苦かった。
「お前たち、一緒になったのか?」
二人は顔を見合わせ一瞬答えに躊躇した。鉄也が口を開いた。
「あの日、俺は死んだと思うた。爆裂魔法で亜里までやられてもうなすすべはなかった。そのはずだった。それで終わりだと思ったんや。けど、目が覚めた。誰かわからんけど手当までしてもろうておった。亜里も同じや。清志郎は見つからんかった。炎の中、二人してなんとか部屋の中までは行ったんだが、未来さんはもうあかんかった。坊は見つからんかった。それからずっと坊を探しとった。あっち行ったりこっち行ったりそれらしい情報のある所は全て行った。無駄やったけどな。まあ、そんなこんなで10年一緒にいたからな。一緒になろうと決めたのは去年のことやった。諦めたわけじゃないで。兄貴や姐さんのことを忘れんためには一緒にいた方がいい。そう思ったんや。こいつの顔見てたら嫌でも忘れられんやろ」
亜里が隣で頷く。
十字架を背負っていたのは清志郎だけではなかったのだ。
「そうか、おめでとう」
「祝われるこっちゃあらへん」
鉄也が照れ隠しのように返した。
「ところで、お祝いに来てくれたわけじゃないでしょ?」
今まで黙っていた亜里が口をはさんだ。
こいつらを巻き込んでよいものか一瞬考えた。しかし二人とも気のゆるみはなさそうだった。
「今、なにやっている?」
質問に質問で返す清志郎に試されているのだと二人は理解したようだった。
「それしかできんからな。どこぞの用心棒やらSPやらやっとる。昔打った篠塚ってやつや」
「なら、腕は落ちてないな?」
「悪いが、清志郎。お前の方が危なっかしいで」
今度はこっちが試される番だった。
「射撃の腕は落ちていない。だが、それ以外は全く駄目だ。しくじった」
長い話になった。鉄也も亜里も呆れることなく聞いてくれた。
*
「ごめんね……」
ふさぎ込んでいる結弦君に何か言わなければならない気がした。励ますのは違うような気がして、でも、大人として放っておけなくて……でも、口に出たのはしょうもない言葉でしかなかった。
「……なにが?」
「ひかりちゃんのこと……」
「それは先生のせいじゃないでしょう」
結弦君はしっかりしている。でもまだ子供だ。ひかりちゃんが死んだことを自分の責任だと考えている。そんなわけないのに。後悔と反省に押し潰されそうになっている彼を見ているのは私にとってもつらいことだ。結弦君は八つ当たりすることもなく自棄にもならず自分の中で消化しようとしている。それに比べて私は何をやっているんだろう……
「私が海に行こうなんて約束しなければ……」
「海に行くのは悪いことじゃないですよ、先生」
「それはそうだけど。そうじゃなくて、ここにきて、私すごく楽しかったの。みんな優しいし、結弦君とも親しくなって……ひかりちゃんとは姉妹のように仲良くなって。私、調子に乗ってたんだと思う。何やってるんだろう、私。謹慎中だというのに。私に近づくと不幸にな……」
「それは違う!」
まとまりのない私の話を強い声が遮った。
「ひかりが死んだのは撃った奴がいたからだ。先生とは関係ない」
「でも、ひかりちゃんは私と仲良くならなかったら、こんなことに……」
私の言葉を止めたのは結弦君の悲しそうな微笑みだった。
「あのとき、ひかりは確かにオレを庇ったんだ。何かを見つけてオレを突き飛ばして……そして撃たれた。ひかりが死んだことは悲しいよ。でも、それで落ち込んでばかりいたらひかりの思いを汚すことになる。あのとき、ひかりは身を挺してオレを庇ってくれた。ならば、オレがあいつに言う言葉は『ごめん』じゃない。『ありがとう』というべきだ。オレはひかりに繋げてもらったこの命で何かをしなくちゃならない」
まだ、心から納得できたわけではないのだろう。でも、だいじなものを引き換えにして何かを掴みかけているのだ。
「先生、最近オレ思うんだ。人が幸せだと思うのは自分の思う通りになることじゃなくて自分のしたことの結果に納得してその責任を取れることじゃないのかな」
まだ、考えがまとまってないのかもしれない。結弦君は少し恥ずかしそうに、それでも言葉を探しながら話を続ける。
「オレなんかまだまだ子供だから責任なんてたいしたことはないんだけど。でも、勉強しなかったときにたまたまいい点が取れてもあまりうれしくない。頑張ってもいい点とれなかったときは本当に悔しい。でも納得できる。何かを間違えていたんだから。一番うれしいのは頑張ったときに結果が出るときだよ」
「それはわかるかも」
「うん。たぶん大人でも同じなんだと思う。大人の世界は中学生よりももっと広くて複雑だけど、でも、だからこそ自分のやった手応えが欲しいんだ。頑張ったら成果を、悪いことをしたら報いを。他人のせいにしていたら味わえない幸せだよ。オレの考えの通りならひかりは幸せだった」
そこまで言うと彼は一瞬強いまなざしを放つ。
「だからこそ、ひかりを殺した奴はオレが必ず報いを受けさせてやる。いくら敵が強くてもその恨みが深くても周りを巻き込んで良しとする奴に正義などないよ」
彼は犯人を知っているのかもしれない。あの正体不明の超人、魔王様の息子なのだ。
「それじゃ、犯人も幸せになっちゃうね。自分のしたことの責任を取れるなら」
「そうだよ。オレの理想とする世界は悪人でも幸せになれる世界だよ」
あきれた。なんて壮大な夢を語る子だろう。
「男の子だね」
「オレは魔王の息子だからね。あの嫌になるくらい大きな背中をずっと見てきたんだ。これくらいの夢は見るさ」
「その夢、ひかりちゃんにも聞かせてあげた?」
少し顔を顰めてそれでも結弦君は力強く答えた。
「いや、この考えはひかりが死んでからずっとひかりのことを考えているうちに思いついた。今、こうして先生と話して形になってきた。だからこの夢はひかりと先生に貰ったものだ」
「そう……ひかりちゃんもきっと喜ぶわ。素敵な夢ね」
「先生もだよ」
「えっ?」
「先生はオレの生き方を好きだと言ってくれた。あのとき、悩んでいるオレにとって先生の肯定は何よりうれしかった。勇気づけられた。先生はいつも何事にも一生懸命で、人を優しくしてくれる。そんな先生は、先生こそは幸せにならなくちゃいけない。オレは先生を幸せにしたい」
「結弦君の言葉は嬉しいけど、先生としては彼女がいなくなったからってすぐ乗り換えるような男はちょっと……」
結弦君は赤くなったたり青くなったり慌てふためいていた。
「い、いや、そういうことじゃなくて……でも、幸せにはなってもらいたくて。だから、あの、えっと……」
「冗談よ。でも、ありがと」
私は座っている結弦君を感謝を込めてその胸で抱きしめた。
まったく。思春期の男の子には驚かされる。あっという間に成長してしまう。結弦君はもう照れたりしない。一番大事なものがわかったから。さっきまでは子供だったのに。一人前の男の顔で私をこそ気遣ってくれる。優しくしてくれる。
「ひかりは最後まで先生のことを心配していた。だから、ひかりの分も幸せになって欲しい」
「うん」
こんな頼りになる人たちに囲まれて私は十分幸せだ。
*
幽かな気配を感じ男は目を開けた。
「閻魔か?」
「今はただの魔王だがな……久しいな。息災であったか?」
「その目は節穴か。この格好を見てどの口が言いやがる」
岩牢の中、男の筋肉で盛り上がった両腕は鎖で壁に戒められ、体には襤褸を纏うのみ。髪も髭も伸び放題であった。
「お前、従順なふりしてるだけで困っていないじゃねえか」
それでも魔王は鎖に触れ、枷を外してやる。男の前にどっかり腰を下ろし。焼酎の一升瓶を掲げて見せた。
「ほざけ。このポーズが重要なんだよ」
「すっかり現代社会慣れしやがって。俺と一戦やらかしてた頃のお前はもう少し柔軟だったぜ」
「お前を叩きのめしてから、一流商社の営業マンだったからな」
悪態をつきながらも男は顔から身体を手でなぞり、法力で身だしなみを整える。その姿はビジネススーツをパリッと着こなす商社マンそのものであった。
スーツが汚れるのも気にせず故勇者は魔王の向かいにどっかり腰を据え差し出された茶碗を受け取った。一升瓶から魔王の酌を受ける。
「故勇者の健勝に!」
「元閻魔の繁栄に!」
「「乾杯!!」」
それは故勇者と元閻魔大王の密やかな宴であった。
「それにしてもお前その酒好きだな」
「いいだろ。今の俺にぴったりだ」
もちろん銘柄は『魔王』。肴は魔王持参の焼き鳥である。
「まあ、うまいんだが。たまには日本酒を持ってきてくれよ」
「お前、生まれは新潟だったか?」
「ああ、新潟の酒はうまいぞ。いい酒蔵がいっぱいある。何せ水がいいからな」
「知ってるよ。うちの店にも売るほど置いてある」
「だったらそれを持って来いよ」
「あれは売りものだ。金を払わんやつには飲ませられねえ」
「じゃあ、その『魔王』はなんだよ」
「これは俺の私物だ」
「ほざけ!」
「最近、また悪魔どもがまとまって送られてきたな」
「すまねえな。止められなくて」
「しょうがねえよ。それにしても老いたとはいえ元閻魔大王の教導から逃げきって悪さができるとはな。そこまでの力はないと思ったんだがな。お前、力落ちてねえか? 年か?」
「まだ、45だ。老け込む年じゃねえよ。だが、年取らなくなったお前がうらやましいぞ」
「悔しかったら死んでみやがれ」
「倅がまだ中二なんだよ。最低でもあと10年は頑張らねえとな」
「うちの1つ上か……まあ、頑張れよ。で、ということはだ」
「ああ、手引きしている奴がいる」
元閻魔の答えに故勇者も頷いた。
「ところで俺の息子は……譲は元気なんだろうな」
「ああ、そっちは大丈夫だ。約束だからな」
「天国でのうのうと暮らすより地獄を這いずり回って生きていきたい。」をお読みくださりありがとうございました。
今回第8話から第2章です。王子の本格的な戦いが始まります。幼馴染のひかりを奪われた結弦はどのように戦っていくのでしょうか。
投稿は毎週金曜日に行う予定です。今後もお付き合い頂けたら幸いです。