88.時空の権能
一見、平和そうに見える日常に潜む影。それは生きとし生けるものが逃れ得ない生と死にまつわる有象無象の物語。
黄泉坂結弦は父親にあこがれていた。居酒屋の店主なのだけれど部下に仕事を任せて昼間から飲んだくれている父親に。だけど、親父の周りにはいつも人がいた。彼らの相談を見事に解決してしまう親父は結弦のヒーローだった。親父のようになりたい。それが結弦の夢だった。
だけど、自分は親父に似ていない。少年の悩みは尽きない。
「はあぁぁぁーーー……ぐふっ」
十拳剣を振り降ろそうとした康太が腹を貫かれ倒れ込む。
何度となく見た光景だ。
ヨグ=ソトースは必殺の剣戟を受けようとする瞬間に時空を巻き戻す。最悪の瞬間に合わせてカウンターを放つのだ。
正直に言って必殺技だ。
オレも既に喰らっていた。
初撃で脇腹に、二撃目で左肩、三度目は右目をやられた。利き目をやられては照準を合わせられない。
とどめの一撃を放つまで追い込んだ。なのに的はでかいのに追い打ちをかけられない。
思っていた以上に時空を司る権能は厄介だった。
「なかなかしぶといではありませんか。普通ならもう、何度も殺せていたでしょうに」
そう思っているのは敵も同じのようだった。
まあ、なにせ屍者の王だからな。しぶとさにかけては他者に後れを取らない。
だがそんなことは言わない。
オレたちは敵を追い詰めているのだ。
オレがヨグ=ソトースとの会話に応じたのは敵の情報を得るためだ。その段階は過ぎた。オレたちは敵を追い詰めている。
そんな段階で敵に余計な情報を与えるのは愚策だ。そんなことをするのはよりドラマチックに場を盛り上げる(視聴者に解説する目的の)アニメの演出だけだ。
だからオレは何も言わない。
傷を負った康太に代わり前線に立ち焔魔刀を構える。
ヨグ=ソトースも正面に立ち、構えを取った。
*
祠を打ち破り主神たる吉祥天を鬼子母神が攫って行った。
ヨグ=ソトースの蛹は剥き出しだった。
オレたちはそれで決着をつけるつもりだった。
だが、予想以上にヨグ=ソトースは回復していた。少し離れた中核都市でクトゥルフとハスターが殺した人々の魂も喰らったのかもしれない。
オレの放った必死の鋼切りさえカウンターで凌ぎやがった。
物理では対処できない技なのに……
つまりは物理でない技なのだろう。
ヨグ=ソトースは人の心を読む。オレが十分にヘイトを取って鋼切りを放つ。喰らえば致命傷になる一撃だ。
そこに背後から康太が斬撃を放つ。そのままならオレも康太も互いの攻撃で無事では済まないはずだった。
読めるはずもない。
だが、オレは右側頭部を撃たれ、康太は右脇腹を貫かれその剣を振り下ろすことさえできなかった。
それは結末を知っていなければできない神業だ。
「大王様っ!」
「康太殿っ!」
側近たちが駆け寄り治療を施すが、追撃までは至らない。
「あなたがこの国の信仰の中心ですか?」
「違う。オレは貴様ら異界の邪神を討伐する軍の大将にすぎぬ」
オレは敵の言葉を即座に否定する。
「そうですか。これまで出会った方の中で最も力をお持ちでしたので勘違いしました」
「この国の信仰は奥深い。オレは死を司る神の一柱にすぎぬ。人は死を畏れる。その一部がオレの信仰であるだろう。だが、人の信仰は死に際だけのものではない。死とは生の証なのだ。人がどのように生きてきたか。それが死によって明らかになる。どんな聖人君子であろうとも清廉潔白だけで過ごせるものはいない。些細な我欲。勇気を欠いた行い。誰にでもある。そのような人生の後悔、人はそれを畏れるのだ」
それはオレの思っていた信仰のありかたであった。閻魔大王だから、死後の裁きだから畏れるのではない。人は自分の死によって生涯の瑕疵を顕わにされることを畏れているのだ。
後悔のない人などいない。その目を瞑ってきた後悔をなかったことにはしたくない。そんな不安を死後にまで持ち越したくはない。だから死後の裁きを人は望む。
地獄に堕ちれば、その罪は浄化される。天国に行ければ些細な瑕疵として許される。閻魔大王の権威によってその後悔は許され、浄化される。だから人々は死後の裁きを望む。
それが信仰であり、オレの力なのだ。
だから、魂を喰らう邪神を許すことなどできないのだ。
「ですが、死後の裁きより現世での享楽を優先するものも多かったようですよ。私を庇護した女神のように」
オレの言葉を嘲笑うヨグ=ソトースに黙って頷くことなどできない。
「現世の楽しみを優先することは悪いことではないだろう。それは個人の自由だ。だが、それで他人を踏みにじったのであればその咎は己の魂が負うことになる。死んでから後悔することになろう。死に逃げなどそんなことはオレが許さない。人が人である尊厳は屍者の王であるオレが守っているのだ」
(問答は無意味にございます。そやつの求めるのは衆生の恐怖。それを喰らって糧としているのであれば……)
突然、思考に割り込んできた言葉にオレは戸惑う。
(我はニャルラトホテプ。貴兄の言う邪神の一柱にございます)
崩れ去った吉祥天の祠の前にたたずむ黒衣の男と目が合った。
(お前も邪神なのか? ならば、なぜ仲間を裏切り、我らに味方する?)
(我ら異界の民も一枚岩ではございませぬ。いかに恐怖を喰らうからとて衆生を殺してよいものではございませぬ。もちろん我とて殺生をしなかったとは申しませぬ。ですが、喰らうために殺すのと殺したから喰うのとでは違うとは思われませぬか)
オレの問いかけにニャルラトホテプは答えた。信用できるはずもないが、乗ってやることはできるだろう。
(お前の言いたいことはヨグ=ソトースを見逃せと言うことか?)
だが、オレの問いに対する答えは予想外のことであった。
(いえ。ヨグ=ソトースを殺して頂きたい。奴は恐怖を与えるために殺戮を是とするものの王であります。元の世で喰らうものを喰らいつくしたため、餌を求めて次元を渡ってきたのであります)
つまりは餌となる小動物を喰らいつくした狼が餌を求めて縄張りを移してきたというわけか。舐められたものだ。
(餌がなければその方も死ぬであろう?)
(真に。ですので私もこの世の理に加えて頂きとうございます)
どこまで信用してよいかはわからない。だが、乗ってみようと思った。
(ニャルラトホテプとやら、ヨグ=ソトースを倒すにはどうすればよい?)
(奴は逃げ足が速ようございます。主上様の点での攻撃では追い込むのは難しいかと……)
(お前の主になった覚えはない……だが、懸念は無用だ)
心の中でオレが応えるのと同時に轟音が響いた。
ガカカカカ、ガッ、ガッ、ガッガッーーーーン!
ミカエル騎士団による一斉掃射だ。
韋駄天は無事、交渉の役目を果たしたらしい。
「小賢しい……」
筆頭熾天使ミカエルの胸甲に傷があった。
ヨグ=ソトースのカウンターも500騎による聖弓の掃射では十分な反撃はできなかったようだ。
「第二射、撃てっ!」
ミカエルの号令で再び聖弓が放たれる。500本の聖なる矢がヒト型をしたヨグ=ソトースの体に突き刺さる。
「ぐおっーーーーーーっ!」
悲鳴を上げてヨグ=ソトースが身悶える。
それも一瞬、ヨグ=ソトースの姿がブレると後には無傷の邪神が立っていた。
時空の変移をカウンターではなく躱すことに使ったようだ。
それならばもう怖れるものはない。
オレは飛び込み焔魔刀を突き入れる。
直刀である焔魔刀の威力を最大限に伝える技だ。あの阿修羅王にさえ傷をつけたオレの必殺技だ。
ヨグ=ソトースには見せたことがない。これまでは鋼切りで攻め立てていた。初見でしのげるわけがない。
ニャルラトホテプの懸念も理解している。突きによる攻撃はまさしく点による攻撃だ。圧力を一点に集中させることにより最大限の効果を狙う。
だがな……それはオレ一人だった場合だ。
オレに続いて康太が、明が、吽形が、羅刹が、必殺の剣を振りかざし押し寄せる。点も繋げれば線になる。線も繋げれば面になる。オレたちの攻撃はまさしく全方位からの面攻撃だ。
点であれば時空をずらすことで躱すことができるだろう。カウンターを狙うこともできよう。だが、線による攻撃はそう簡単にはいかない。大きく躱すことが必要になる。カウンターを狙う隙を与えない。ましてや面による攻撃ならば避けることもままなるまい。
ぶしゅーーっ!
「ぐふっ……」
オレの突きを躱したヨグ=ソトースだったが、康太の、羅刹の剣で血を吹いた。
だが、オレも脇腹をごっそり抉られていた。
多少の傷を負ってもオレを仕留める選択をしたらしい。
小癪なやつだ。
脇腹から鮮血を流しながら向き直るオレを見てヨグ=ソトースは笑う。
「今度こそ仕留めたと思ったのですがね」
「お前だって必死じゃないか。剣先がブレブレなんだよ」
オレも笑い返す。
ヨグ=ソトースの先端が剣になった髪が喘ぐように揺れる。
互いに最後の勝負をかけていると思った。
だからここで押せると
(いけませぬ。主上様、あやつは隠し札を切っておりませぬ)
ニャルラトホテプが何か言っているがオレは鮮血を滴らせながら最後の斬撃を繰り出す。康太が続く。阿形が、吽形が、羅刹が追いかけてくる。さらにはミカエルの放つ矢がオレを援護する。
これで負けるわけがない。
ニャルラトホテプが言った通りだった。
オレの必殺の突きはヨグ=ソトースの体を捉えた。仁王の二体の剣も羅刹の鉾もミカエルの矢も敵を過たず捉えていた。
だが、それは巨大化した敵の体表面をわずかに削ったに過ぎなかった。
「天国でのうのうと暮らすより地獄を這いずり回って生きていきたい。」をお読みくださりありがとうございました。
敵の主神ヨグ=ソトースとの最後の決戦が始まりました。追い込みながらも時空の権能で詰め切れないもどかしさ。攻め込みつつも追いつめられる結弦たちです。
投稿は毎週金曜日に行う予定です。今後もお付き合い頂けたら幸いです。




