86.蛹
一見、平和そうに見える日常に潜む影。それは生きとし生けるものが逃れ得ない生と死にまつわる有象無象の物語。
黄泉坂結弦は父親にあこがれていた。居酒屋の店主なのだけれど部下に仕事を任せて昼間から飲んだくれている父親に。だけど、親父の周りにはいつも人がいた。彼らの相談を見事に解決してしまう親父は結弦のヒーローだった。親父のようになりたい。それが結弦の夢だった。
だけど、自分は親父に似ていない。少年の悩みは尽きない。
「見つけた。あれっ!」
「まかせろっ!」
倒壊した家屋の陰を蛭子先輩が指さすや否や康太が刀を振り下ろす。
異形の幼体は頭から真っ二つになった。
「これがヨグ=ソトースか?」
康太が首をかしげる。
それもそのはずだ。幼体は人であれば嬰児くらいの体格だ。光月よりも小さいくらいなのだ。ボランティアを十数人喰らったにしては小さすぎる。
「違う、これは蛹。いざというときの避難用」
先輩の言葉に愕然とする。
「つまり本体を倒しても一度では終わらないということか……」
「そんなことはすでに実証済み」
そういえばそうだった。
ヨグ=ソトースは一度、蛭子先輩に倒されている。そのときは本体の核が逃げおおせたので再生できたのかと思っていたが。
「用心深い奴じゃからな。仕掛けはあったのだろうが、一度目で強敵だと気づいたのじゃろう。一から生まれ直すのでは復活に時間がかかるので、すぐに動ける分身体を予備として仕込んでおるのじゃろ」
恵比寿の言葉に違和感を抱く。
これまでの邪神とは違うのか? それとも戦い方を覚えてきたのか?
わからないが、これは邪神の戦い方ではないように思える。
「これを産まされた女性はどうなったんだよ?」
怒りを堪えて康太が聞く。
「おそらく喰われたか……」
恵比寿の答えを聞きオレは閻魔帳を開いた。
閻魔帳は親父こと先代閻魔大王から引き継いだ法具だ。黄泉に下ったすべての人が記録されている。だが、そこにはここ数日で宵が原で亡くなった人は載っていなかった。
「くそっ!」
康太が足元の地面を蹴り飛ばす。乾いた土が砂塵となって風に飛ばされる。
「結弦っ! こんなののさばらせておいていいのかっ!」
康太の怒りはもっともだ。
だが、康太よりオレの方が怒っているのだ。
閻魔帳に載っていない行方不明者。それは生存を意味していない。異界からの邪神はその魂までも喰らいつくしたのだ。
この国の死を司るものとして許しておけるはずがない。
「それでどう攻める?」
武神みたいに恵比寿が問いかける。
冷静に見せようとしているが恵比寿も怒っているのだ。
「まずは鬼卒たちに蛹を探させる。これ一つではないはずだ」
皆が頷く。
「本体を攻めるのは逃げ道を塞いでからだ。徹底的に追い込んで……殺す」
現世に上ってきていた鬼たちが立ち上がる。閻魔の眷属たちだ。一般市民の姿をしているが邪なるものには鼻が利く。
「史」
「はっ」
「鬼卒たちを率い蛹を探せ」
「御意っ!」
オレは蛹狩りの指揮を史智幸に任せた。
宵が原商店街の本屋の主でヒト五郎の父親だ。奇しくもルシフェルの魂を宿して生まれた息子を彼も愛し、よく育てていた。
これは息子の敵討ちになるだろう。
*
天界の片隅にその社はあった。
決して豪華ではないが調度には丁寧な細工が施されており、品が感じられる。
古びているが手入れが行き届いており、快適に過ごすことができそうである。
高天原の開けた一角にぽつんと残された小さな社である。
そんな社の軒先に小さな蠅が転がっていた。
巫女の一人がそれに気付いた。
「失礼致しました、お社様。すぐに片付けます」
「構わないよ。それにまだ息があるようだ」
蠅を穢れとして片付けようとする巫女を主は穏やかに止めた。
主の言う通り蠅は死にかけていた。まさしく虫の息だ。
「ふむ……異界の臭いがするね。面白い。連れてきなさい」
主に命ぜられた巫女は蠅を懐紙に乗せ、主の前に置いた。
御簾の中から主は興味深そうに小蠅を眺める。だが、目蓋は閉じられたままだった。目が見えない訳ではない。ただ、夜を司る大神は昼は目を開かぬと決めているのだ。
「話を聞いてやりたいとは思うのだがね。君の方がもちそうにない」
そう言うと巫女に何かを命じた。
しばらくして巫女が小皿を蠅の前に置いた。
「宵待草の朝露だ。喉を潤したまえ」
「かたじけのうございます」
瀕死の蠅はかすれた声でそれだけを言うと馳走にありついた。無限を踏破してきた小さき命にとってそれはまさしく甘露だった。
*
「楽しそうですね、女神様」
邪神たるニャルラトホテプにも敵を翻弄する楽しみはわかる。だが、今翻弄している相手は吉祥天にとって同胞のはずだ。
(女神にとってこの国は信仰を捧げる言わば贄のようなものだと思っていたのですがね)
このへそ曲がりな女神にとって信仰などどうでもいいことなのかもしれない。
わが身を思う。
自分たちが住んでいた世界において邪神は恐怖で支配していた。とことん蹂躙して、殴殺し、貪り尽くす。衆生など蹂躙するだけの存在であり、またそうでなければ邪神は生きていけない。邪神は信仰ではなく、恐怖を糧として生きているものだから。
だから同族の邪神同士は仲間ではない。序列はあるが、命令など受けない。序列はあくまでも支配した衆生の数、つまり強さを示す指標にすぎない。
ニャルラトホテプは衆生を殺す武闘派の邪神を軽蔑していた。多くに恐怖を植え付けるために殺すことには必要性がある。だが、殺してしまえば恐怖を感じないではないか。民はより多くを生かし、恐怖を貢がせなければ意味がない。
だからクトゥルフなどはあれだけの衆生を殺してもあの程度にしか強くならぬのだ。己の数千倍は殺してきたのーたりんの同胞を思う。ニャルラトホテプとて殺した衆生の数は数千では利かぬだろう。だが、その数万倍の恐怖を得てきた。数千倍殺したとて得られた恐怖にさほどの差はない。
得た恐怖の数は、つまり力だ。だからニャルラトホテプはクトゥルフに脅威を感じない。戦っても負けない自負がある。
力を誇示することで敵を増強させ、殺された。ヨグ=ソトースの権能によるものだろうが、復活してまた殺された。対決は何度も何度も繰り返されその度に殺された。
もう人間どもはクトゥルフに恐怖を感じていないだろう。
この女神と組めたのは僥倖だった。
渡ってきたばかりのときは己の力が足りなかった。ただ暴れまわるクトゥルフと違いニャルラトホテプの与える恐怖は仕込みに時間がかかる。その途中を暴かれた。吉祥天と組むことになったのは言わば成り行きだ。
それにこの世の生き物たちに興味があった。己の喰らう獲物に関心を持たないなど信じられない。腹が満ちればよいなどとは獣の論理だ。邪とはいえ神のなすことではないだろう。
獲物の特性を知れば次の狩りはもっとうまくやれる。協力者がいればさらに効率は上がる。その協力者は信仰を失い。己は糧をたっぷり得られる。
最初は力負けしていたが、その立場は既に逆転している。だが、ニャルラトホテプは女神を手放そうとは思わない。使えるうちは使い続ける。あの知識欲の権化、ヨグ=ソトースですら食いつくほどこの世界の理は面白い。
いつか主神たるヨグ=ソトースを食ってやる。そしてこの世界の唯一の邪神として君臨してやる。それまで女神をしゃぶりつくす。
ニャルラトホテプは心の中でほくそ笑む。
*
「こちらです」
手招く鬼の下に康太が駆けつけ両断する。
もとはただの鬼であった康太も神殺しとなってからレベルが一段も二段も上がった。剣神根岸兎角に続いて韋駄天や現閻魔大王たる結弦も倒したのだ。もしかしたら二段どころではないのかもしれない。
成長した康太にとって魂のない邪神の蛹を切ることなどたやすい。だが……
「これで何体目だよ」
康太がぼやく通りだ。既に20体以上の蛹を潰してきた。正確な数は不明だが、行方不明とされるボランティアは20人を超えてはいない。いくら混乱している被災地であっても現代日本でそれほどまでもの行方不明者を出すことなどありえない。つまり……
「弄ばれておるのう」
次は逃さないという決意の裏をかかれた。おそらく潰した蛹の大半は依り代になるほどの性能を持たない木偶なのだろう。そして本体と本命の蛹は安全なところに隠れている……
「どこだ? 安全なところとは……」
悩む結弦を見て史が声を掛ける。
「ここは我らが見張ります。大王様は一度本部に戻られては……」
!
「そこだっ!」
「はっ?」
いきなり大声を上げた結弦に史はついていけない。
「なるほどな……」
「盲点だぜ!」
「ですが、稲荷明神様の結界の中で見つからぬものでしょうか?」
ずっとオレについてきたものたちには伝わったようだ。
「明の疑問はもっともだ。だが、荼枳尼天様でも他の神の結界では行き届かぬこともあるだろう」
宵が原稲荷社に祀られているのは稲荷明神こと荼枳尼天だけではない。
よくあることだが、神社の境内には主神以外にも他の神々の祠が設けられていることがある。神社に祀られている祠と言えば幸運の象徴七福神。そして宵が原稲荷社の七福神には弁財天に代わり吉祥天が祀られている。
「天国でのうのうと暮らすより地獄を這いずり回って生きていきたい。」をお読みくださりありがとうございました。
街を守るため必死に探索する結弦たち、それを無邪気な女神が邪魔をします。結弦たちはヨグ=ソトースを見つけ、倒すことができるのでしょうか。
投稿は毎週金曜日に行う予定です。今後もお付き合い頂けたら幸いです。




