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7.復讐

 一見、平和そうに見える日常に潜む影。それは生きとし生けるものが逃れ得ない生と死にまつわる有象無象の物語。

 黄泉坂結弦は父親にあこがれていた。居酒屋の店主なのだけれど部下に仕事を任せて昼間から飲んだくれている父親に。だけど、親父の周りにはいつも人がいた。彼らの相談を見事に解決してしまう親父は結弦のヒーローだった。親父のようになりたい。それが結弦の夢だった。

 だけど、自分は親父に似ていない。少年の悩みは尽きない。

 夕暮れの宵が原(よいがはら)商店街を一人の男が歩いていた。まだ若い。年のころは三十代前半か。開襟(かいきん)シャツにスラックスとごく普通の身なりをしている。だが、身に(まと)う空気はすさんだものがある。すれ違う主婦たちは彼を大きく()けて歩いている。ティッシュ配りをしているショップの店員も彼には近寄らない。


「なるほど……結界か。奴の情報に間違いはないな」

 とある居酒屋の前を通り過ぎるとき、彼は(つぶや)いた。男は敵の巣を確認するとそのまま立ち去った。

「いかがでした?」

 駅前の雑踏の中、柱を背に立っている十文字(じゅうもんじ)清志郎(きよしろう)に陰から背中を向けた男が話しかけてきた。

「情報に間違いはないようだ。結界が張られていて中までは確認できなかったが」

「それはとっておきの情報ですから。是非、勇者様の敵を討ってくださいませ」

 男はいやらしく笑う。

「何を(たくら)んでいるのかわからんが、俺が思い通りに動くなどと期待するな。貴様ら悪魔など信用できるわけがないだろう」

「その用心深さが頼もしいことです。今回は利害が一致していただけのこと。対価など頂きません」

「ふん……妹はそこにいるんだな。(おとしい)れた敵とも知らずに」

「写真をお見せした通りです。妹様は無実の罪で迫害されております。ただ生徒と仲良くしていただけで、色目(いろめ)を使ったなどと言われて。せっかくの就職先ももう続けられないでしょう。全て閻魔(えんま)の仕組んだことです。彼奴は勇者の一族をその家族も含めこの世から抹殺するつもりです。ただ殺すだけならまだ救いがあります。本来十字教徒である妹様は唯一神の御許(みもと)()されます。ですが、閻魔の手に掛かれば話は別です。死んだ先は地獄になるでしょう。閻魔のテリトリーです。虫けらに転生させられるか、はたまた無間(むげん)地獄で永遠の苦しみを味あわせるか。どんな残酷な仕打ちでも彼奴ならやるでしょう」

「そんなことはさせん。閻魔は俺が殺す。必ずだ」

「その意気です。それでは私はこの辺でご無礼致します。また情報が入りましたらご連絡させて頂きます」


「ふん……」

 清志郎は鼻で笑い飛ばした。だが、その目の奥では怒りの炎が燃え盛っていた。主やその家族を、清志郎の大切な人たちを殺した憎き相手だ。楽には殺さない。とことんまで苦しめて、自分が味わった苦悩を何倍にして返してやる。


     *


「それじゃ、いってきまーす」

「いってらっしゃい」

 元気にお出掛けの挨拶をするひかりに千衣(ちい)先生が応える。千衣先生はあれからずっと閻魔堂うちにいる。すっかり馴染(なじ)んで店の手伝いをしている。親父も源治さんも何も言わずに手伝わせている。先生は一度明兄ちゃんが運転する車で荷物を取りに行ったきり一歩も外に出ない。明兄ちゃんがたまには外に出るように言ったのだが、千衣先生が嫌がった。まだ、外が怖いらしい。

 無理もない。うち(閻魔堂)は学区のど真ん中だ。


 満代さんは娘が一人増えたみたいに楽しそうにしている。こうしてみるとひかりと千衣先生は姉妹みたいだ。顔立ちやスタイルは全然違うのになんとなく似ている。結弦(ゆづる)はそう思った。

「行ってきます」

「はい。結弦君も気をつけて」

 ひかりに続いて出る結弦にも千衣先生は声を掛ける。


 今日はひかりと一緒に買い物に街まで出かけることになっている。ひかりが夏休み前に新しい水着が欲しいと言い出したのだ。夏休みになったら千衣先生と海に行くんだとはしゃいでいた。そしてそれはもう来週だ。


「千衣ちゃん、一学期は学校に戻れなかったね」

 バスを待つ間、ひかりが残念そうにつぶやいた。

「親父がその方がいいと言ったんだ。下手に動いてこじらせるより、夏休みで目立たないうちに決着をつけるんだろ」

「魔王様が請け負ってくれたんだから安心だけどさ。でも、なんか悔しいんだ。千衣ちゃん、あんなにいい人なのに勝手に悪く言う人のされるがままになるなんて。千衣ちゃん、本当は不安なんだと思う」

「山倉の母親は親父が何とするって言った」

「だから、その陰に隠れてこそこそしてるやつだよ」


 そう言うひかりのほうが不安そうな顔をしている。当然だろう。悪意に蹂躙(じゅうりん)されたままの世界なんて救いがない。結弦だって(いや)だと思う。

「私はいいんだよ。このまま千衣ちゃんがうちの子になっちゃえばいいのにって思う。そしたら本当の姉妹みたいになれるのに。でも、このままやられっぱなしなんて悲しいよ。千衣ちゃん、なんにも悪いことしてないのに……」

「大丈夫だ。そんなの親父が許さない。絶対」

「うん……そうだね。魔王様がきっと何とかしてくれるよね」

 そんなことを話しているうちにバスが来た。


 最寄りの私鉄の駅ではなく、少し離れたJRの駅までバスで15分。JRに乗り換えて5駅、およそ20分で繁華街の駅に着く。10時にひかりが迎えに来たから11時前には着けるだろう。結弦は別に欲しいものはなかったがこういうときは必ずつきあうことになっていた。親父からも言われていた。お小遣いも(もら)った。

「ひかりちゃんを一人で行かせて何かあったらどうするんだ。ちゃんとエスコートしてやれ」

「別に嫌だとは言ってないよ」


 ひかりと結弦は付き合っているわけではない。むしろ兄妹同然に育った長年の幼馴染の関係が染みついている。関係を変えるのも難しい。

 普通に見てひかりは可愛い娘だ。茶色掛かった髪はショートボブにまとめられ活発なひかりによく似合う。陸上部で(きた)えられた身体は凹凸に乏しいもののゴムまりのようにしなやかだった。日に焼けた顔によく動く大きな目が印象的だ。やや天然気味の言動が目立つが、それを含めてクラスでも男女問わず人気があった。だが、いつも結弦が側にいるせいだろう。告白されたことはないはずだ。

 5月生まれのひかりは結弦に対してお姉さんぶろうとする。身体は半分くらいしかないくせに。結弦は3月生まれではあるが、身体が大きかった。中学2年生にして185cmある。体重は85kg。ひかりのほぼ倍だ。だが、太っているわけではなく筋肉の塊だ。

 毎日店で重いビールのサーバータンクや酒瓶(さかびん)などを運んでいるからだろう。だけど運動部には入らなかった。身体を動かすのは好きだが、競い合うことが苦手なのだ。つい、相手のことを考えてしまう。


 やってきたバスに乗り込む。夏休みを目前に(ひか)えた日曜日。バスはほどほどに混んでいた。幸い一番後ろの席が空いている。ひかりを先に座らせ並んで座る。人目を気にしたのだろう。ひかりは話題を変えた。相槌を打っているがなんとなく会話に集中できない。首筋の辺りにチリチリと嫌な感じがする。

「ゆーくん!」

 ふと後ろの窓の外を見たひかりが突然飛びついてきた。突然のことで結弦はそのままシートに押し倒される。


 ピシッ


 ガラスが割れる音がしたと思ったとたん。ひかりの(ひたい)()ぜた。

 なにが起こったのかわからなかった。額に大穴を開けて血と脳漿(のうしょう)をまき散らした幼馴染の少女を抱きかかえ、結弦は混乱していた。ひかりの目が最後に結弦を(とら)え微笑んだように思えた。自分は腕の中のもう物言わぬ少女と買い物に行くところだった。何で彼女が死ななければならないのだ。しかも現代社会において有り得ない頭を撃ち抜かれてなんて。


 結弦は自分の世界が足元からくずれていく気がした。

 そうしている間にも腕の中の少女から熱が流れていくのを感じた。生命の(あかし)である熱が。

「ひかりーーーーーーっ!」

 ひかりの身体を抱きしめて結弦は名前を呼ぶ。

 応えてくれ。オレの名を呼んでくれ。もう一度その眩しい笑顔を見せてくれ。

 心からの呼びかけだった。


「ゆづ、どうした!」

 突然、康太が現われて問い質す。

「ひかりが……ひかりが……」

 結弦はまともに応えられなかった。康太がどうしてここにいるのか。何もないところから突然現れたように見えたが気にならなかった。

 ああ、自分はひかりのことが好きだったのだ。お姉さんぶる妹のような女の子。(そば)にいるのが当たり前に思っていたが、そうではなかった。こんなに(もろ)く崩れてしまうものだったなんて。


「あいつか!」

 走るバスの後方を(にら)んでいた康太がなにかを見つけた。

「結弦、しっかりしろ! 俺はあいつを追う。ここは誰かが来るはずだ。それまでひかりを守ってやれ」

 そう言い残すと康太は現れたときのように突然姿を消した。


 何を言ってるんだろう、康太は……。守れって……ひかりはもう死んでしまったというのに。守れって何からだよ。

 結弦は源治さんに呼び起こされるまで、ただ茫然(ぼうぜん)とひかりを抱きしめていた。乗客が誰も騒がないことをそのときは不思議に思わなかった。


     *


 仕留(しと)(そこ)ねた。

 痛む足を引きずり魔法回廊を進みながら清志郎はあの瞬間を思い返していた。

 ()ったと思った。ちらちらと首の裏を気にしていたので視線を察知(さっち)する能力はあるようだったが、動きはまるで素人だ。10年振りの引き金はやけに軽かったことを覚えている。

 千衣の姿を見ることはできなかった。警戒して結界()の奥に隠しているのだろう。監禁などされていなければいいが。不安は耐え難かった。だからこそ思ったのだ。閻魔を仕留めるのはいつでもできる。その前に家族を殺された苦しみを味あわせてやろう。


 (はず)すわけがなかった。それをあの娘が寸前で身代わりになって(かば)いやがった。覚醒もしていないただの小娘にしか見えなかった。1kmも離れての狙撃は上級者でもそう簡単には気づけない。ましてやあんな子供にはできるはずのない芸当だ。計算違いだ。

 計算違いと言えば奴らの反撃の速さもだ。まるで襲撃が読まれていたかのようだった。

 小僧の周りに数人が集まったかと思うとすぐに見つけられた。精兵だった。10年の隠遁(いんとん)生活ですっかり(なま)ってしまった体では立ち向かえなかった。反撃の勢いに飲まれて迎え撃とうという気にすらなれなかった。逃げようとしたが左足に魔弾を()らい深手(ふかで)を負わされてしまった。マラコーダが魔法回廊を開いて助けてくれなければ逃げきれなかっただろう。


「何をやっているんですか。逃走のお手伝いはサービスにはなりませんよ」

「好きにしろ……」

 悪魔どもの狙いは清志郎を支配することだ。そのためにせっせと貸しを作ろうとする。魂という対価を求めて。わかっていたがどうでもよくなった。

「それではお言葉に甘えて。まずはお仲間を呼んで頂きましょう」

 悪魔が魔法回廊の扉を開けた。


     *


 源治さんに連れられてひかりの亡骸を抱いた結弦はうちに帰ってきた。

変わり果てた姿の娘を見て満代さんは泣き崩れた。ひかりを奪い取ると抱きしめ、ただただ涙を流した。声を上げないのはそれが結弦を責めることになるからだろう。そんな気遣いさえ結弦には重すぎた。


 言葉もない結弦に親父は何も言わなかった。代わりに源治さんが口を開いた。

「王子、気に病むことはありません。王子を守ることができてひかりも本望でしょう」

 そんな訳がない。彼女はまだこれからだったのだ。これから楽しいこともやりたいこともまだまだあったはずだ。それを自分は守れなかったのだ。結弦はそうとしか思えなかった。


「すまん」

 親父が源治さんに謝る。

「いえ、一緒に暮らせなくなっただけでいつでも会えますから」

「それはそうだが……」

 こんなに落ち込んだ親父を見るのは初めてだ。それだけ親父もひかりを可愛がっていたのだろう。

「ひかりを寝かせてやりたいわ」

 ひとしきり泣き続けた満代さんの言葉に源治さんが応えた。

(あきら)、ついて行ってやりなさい」

「わかった。おふくろ、行こう」

 明兄さんが満代さんからひかりを受け取る。優しく抱き上げ奥へ連れて行った。


「ひかりちゃん! どうしたの!? なんで!?」

 家の台所で昼食の支度をしていたらしい千衣先生の悲鳴が聞こえた。その悲し気な声は自分を責めているように結弦には聞こえた。

「天国でのうのうと暮らすより地獄を這いずり回って生きていきたい。」をお読みくださりありがとうございました。

 第7話では幼馴染のひかりが殺されてしまいました。結弦は理解していませんでしたが、彼らには敵がいるのです。次回第8話からの第2章では結弦の復讐の闘いが始まります。

投稿は毎週金曜日に行う予定です。今後もお付き合い頂けたら幸いです。

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