69.大気への反撃
一見、平和そうに見える日常に潜む影。それは生きとし生けるものが逃れ得ない生と死にまつわる有象無象の物語。
黄泉坂結弦は父親にあこがれていた。居酒屋の店主なのだけれど部下に仕事を任せて昼間から飲んだくれている父親に。だけど、親父の周りにはいつも人がいた。彼らの相談を見事に解決してしまう親父は結弦のヒーローだった。親父のようになりたい。それが結弦の夢だった。
だけど、自分は親父に似ていない。少年の悩みは尽きない。
「なにをおっしゃいます。それは閣下の佩刀ではありませんか!?」
焔魔刀を貸し与えると言われて毘沙門天は混乱した。
無理もない。だが、それは必要なことなのだ。
「毘沙門天、よく聞け。ハスターの攻撃の正体がわかった」
陣幕に緊張が走った。
「真ですか」
「ああ、ハスターの攻撃は風ではなかった。あれは大気だ」
そう言われても毘沙門天は戸惑っている。
「大気……大気にどのような攻撃ができましょう?」
「風だったとしても同じことだ。考えてみれば当たり前のことだった。風の攻撃……例えば大風であっても風刃であってもただのエネルギーの塊だ。だが、火とは違いエネルギーをそのままぶつけることはできない。風の攻撃にはエネルギーを伝える媒体が必要だ」
「……それが大気ということでしょうか」
「そうだ。大風なら強大なエネルギーを空気の塊としてぶつける必要がある。風刃なら急激に大気を動かすことで瞬間的に真空状態を産み出し、刃となす」
「ならば先程までの攻撃は……?」
「超音波だ」
「……超音波?」
現代科学に疎い古の神々には難しかったか。
「簡単に言えば音だ。強い音が体を震わせることは知っておろう」
「……将の大音声が敵兵を震撼させること同じでしょうか?」
「そうだ。精神論は話が違うから置いておくとして、物理的な話だ。将の檄や進軍太鼓の響きは守備兵を物理的に振るわせる。それは楯の陰に隠れていても伝わるものだ。それは大気がエネルギーを伝えるからだ。
音は純粋なエネルギーだ。だが、熱と違いエネルギーそのものをぶつけるわけではない。それを伝えるものが必要だ。もう少し詳しく言うと、音は振動だ。エネルギーを大気にぶつけると大気は圧縮される。それが復元しようとして前の大気に伝える。前の大気は圧縮され、復元しようとしてさらに前の大気を圧縮する。そうしてエネルギーは伝搬する。そうして伝えられた大気の振動が音として敵兵を振動させる。だから音は体を震わせるのだ」
現代科学を知らない神兵にとっては難しかったかもしれない。だが、理屈ではない。体感なら理解できるはずだ。
「しかし、今、御高説に預かりました音と先程の敵からの攻撃に何の関係があるのでしょうか?」
御高説と言われると恥ずかしいが、基礎は理解できたようだ。
「毘沙門天も見たであろう。前線の神兵は楯も鎧も素通しして肉体だけが破壊された。それは堅いものは振動を通しやすいという性質があるからだ。逆に柔らかいものは振動を伝えにくい。例えば鎧の上から打撃を食らったとき、肉体にダメージを受けたことがあるだろう。鎧はたいして傷ついていないのにだ」
「はあ……鎧に傷がついていなくとも骨が折れるなどはよくあることです」
そうなのか……百戦錬磨の戦神の言葉は正直怖い。
「それはつまり、打撃の振動を硬い鎧は素通しして肉体に伝えてしまうことが原因だ。そういった場合、硬い金属鎧より革鎧の方がダメージが少なかったりはしなかったか?」
「そういうことはあったかもしれません」
「つまりそう言うことだ。ハスターの攻撃は超音波、つまり超強力な振動だということだ。振動は目に見えない。それでいて楯や鎧を伝搬し、肉体にダメージを与える攻撃だということだ」
「閻魔天殿は我々の肉体を過小評価されている」
「そうだ! 我々の金剛力は金属鎧よりはるかに強固なるぞ!」
脳筋たちが騒ぎ出す。
……こいつらはきっと脳みそまでも金属並みに硬くできるのだろう。
「理屈はわかりました。それで焔魔刀を下賜下さるわけとは……」
やるわけじゃないからな。あくまでも貸すだけだ。
だが、毘沙門天はオレの言ったことを正確に理解したようだ。さすがは師匠にして副官殿だ。
「大気とはエネルギーの伝搬以外にも様様な性質がある。その一つに温度によって体積を変じることだ。簡単に言えば温度が上がるにつれ大気は膨張する。それは固体や液体の膨張力の数千倍にもなる」
「つまりは火による攻撃で敵の攻撃の伝搬を薄くさせるということでしょうか?」
毘沙門天の理解は正しい。
ハスターの超音波攻撃に対して爆炎で受ければ高熱で膨張した大気はその伝搬密度を数千分の一に下げ耐えることが可能となる。
さらに波動エネルギーは伝わりやすいところに迂回する性質がある。つまり正面の大気密度が薄ければ周囲の密度が高いところに迂回する。つまりは攻撃を拡散させることができる。拡散された超音波砲なら、脳筋たちの金剛力で受けきれるかもしれない。
後半は希望的観測だが、勝算がないわけではない。
「やれるな。毘沙門天」
「御意!」
焔魔刀を受け取ると毘沙門天は飛び立った。迫りくるオオトカゲに向かって
*
作戦は成功した。
とどめを刺すまでには至らなかったが、毘沙門天の爆炎攻撃はハスターの超音波攻撃をしのぎ切り、以降、大きな被害を出さず撃退することができた。
ハスターは天空(天井の地殻)に潜り込み姿を消した。
眷属は壊滅させたし、少なからず本体にもダメージを与えた。当分は出てくることはあるまい。
勝鬨は毘沙門天に任せた。
毘沙門天は敵の正体を見破ったオレの手柄だと言って引こうとしたが、勝鬨は総大将がするものではない。誰もが認める戦功第一の武将がやるものだ。毘沙門天も最後は納得してくれた。
「えいえいおーっ!」
「「「「えいえいおーっ!」」」」
「えいえいおーっ!」
「「「「えいえいおーっ!」」」」
勝鬨の声は天界までも響き渡った。
*
冥府から響く勝鬨を帝釈天は苦々しく聞いていた。
異界からの侵略者を撃退したことは喜ばしい。
十字教天界すら成し遂げたことのない戦果なのだ。
だが、手放しでは喜べない。
打ち倒したわけではないのだ。撃退しただけだ。
しかも、その戦果を挙げたのは政敵である閻魔天なのだ。元は配下であった多聞天……いや毘沙門天が戦功を上げたと聞いた。
これではみすみす政敵に塩を送ったようなものではないか。
策があるようなことをほざいていた吉祥天からの連絡もない。
吉報にもかかわらず、帝釈天の心は晴れなかった。
*
「いや、それにしても閻魔天殿の采配はお見事」
「現代科学というものも馬鹿にはできませんなぁ、わっはっはっはっ」
ことが終わってみればあきれるほどの手のひら返しだった。
「康太殿もその知恵、思兼神を凌ぐとの評判でござる」
「い、いやぁ……そんなことないですよ」
まんざらではない康太だった。
「ふーん……康太、大活躍だったんだ。その話聞かせてくれる?」
わかっていて言ってやるな、小鳥。
「わーい、康太、えらいえらい!」
「康太が頭で役に立ったってうそでしょ」
「情報というものは役立てる者がいたからこそ価値があるものです」
一人三役の幼女ももっと素直に褒めてやれ。
康太が活躍したというのは事実だ。
康太の情報なしではこの戦果はありえなかった。そういう意味では戦功第一は康太だといっていい。
だが、康太は褒賞を総て辞退した。
気持ちはわかる。鬼の一族として武功ではない偶然の手柄を喜べないのは当然だろう。だが、オレは武功でないからこそ称賛したい。たとえそれがたまたまオタクだったからの知識だったとしても。
中二病とは恥ずべきものではないのだ。人にないものを持っていることは素晴らしいことなのだ。
「そうね。同病相憐れむっていうものね」
小鳥、少年の心を抉るのはやめろ!
冥府でクトゥルフを迎撃する作戦を敷いていたので宵が原に避難(元からだが)していた小鳥と光月(とひかりと月光菩薩)たちが冥府にやってきていた。
光月の父親でありひかりの兄である明とその妻千衣の引率付きである。
ひかりと千衣は血の池地獄で海水浴を楽しんだという前科があるのだが、さすがに人妻となった千衣には分別がついたらしい。
「12月に海水浴でもないでしょう。衣替えで水着はしまっちゃったし」
小鳥のツッコミによれば分別はついていないらしい。
「入りたいなら水着貸すぞ」
「なんで、黄泉坂が持ってるのよ。まさか、変態だから?」
「ちがう! 前に千衣たちが来たときを教訓に司命がレンタル水着を常備するって言ったんだ! 断じてオレの趣味じゃないっ!」
ひどい飛び火もあったものだ。
「ふーん……黄泉坂がどうしてもっていうのなら着てあげなくもないけれど……」
「えっ、およげるの!? わーい!」
「いいの!? ねえ、千衣ちゃんも入ろうよ!」
「えっ……私みたいなおばさんが……」
「千衣、たかだか24年生きた程度でおばさんなんておこがましいです」
一人三役の幼女+JK+人妻がとんでもないことを言い出した。
「阿形っ!」
「はっ!」
「血の池地獄周辺背景3km以内に戒厳令を! 蟻一匹、亡者一人、神一柱として通すなっ!」
「血の池地獄っで浄化中の亡者は大至急別プログラムに移行を命じたのです。はいっ!」
仁王の片割れ阿形こと明(千衣の夫であり光月の父親)とAI五郎が即座に対応した。
*
女子供たちが血の池地獄に遊びに行った後、オレたちは冥府城で脱力していた。
「康太殿……」
「なんですか、毘沙門天様」
「先ほどはクトゥルフ神話とおっしゃいましたが、邪神という存在はクトゥルフとハスター以外にもいるということでしょうか?」
そこに気がついちゃったか……
「ああ、有名どころはこの本に書いてます。まあ、神話ですから数十人……数十柱?はいるんじゃないですか」
「ああ、なるほど……次に来るのはこのにゃるらとほてぷ……とかいうやつだろうか」
「ああ、そいつはないんじゃないですかね」
その意見にはオレも同意だ。
「何年か前にアニメ化されたんですよ」
「何故だ? あにめ化されたなら承認力も上がっているだろうに」
「それが美少女アニメなんですよ。あの邪神がですよ」
そうなのだ。ニャルラトホテプは数年前に美少女としてアニメとなったのだ。そのせいで『這いよる混沌』ことニャルラトホテプはキャラぶれしており実体化は難しいんじゃないかな。
……これが壮大なフラグであることをオレたちはまだ知らなかった。
「天国でのうのうと暮らすより地獄を這いずり回って生きていきたい。」をお読みくださりありがとうございました。
康太の知識(?)と結弦の機転でハスターを撃退することができました。ですが、本当の戦いはこれからです。結弦たちはどのようにしてクトゥルフの神々を倒すのでしょうか?
投稿は毎週金曜日に行う予定です。今後もお付き合い頂けたら幸いです。




