6.反撃
一見、平和そうに見える日常に潜む影。それは生きとし生けるものが逃れ得ない生と死にまつわる有象無象の物語。
黄泉坂結弦は父親にあこがれていた。居酒屋の店主なのだけれど部下に仕事を任せて昼間から飲んだくれている父親に。だけど、親父の周りにはいつも人がいた。彼らの相談を見事に解決してしまう親父は結弦のヒーローだった。親父のようになりたい。それが結弦の夢だった。
だけど、自分は親父に似ていない。少年の悩みは尽きない。
「明、いい判断だった。後の始末も上出来だ。うまく撒けたようだ」
「ありがとうございます。なんか嫌なもんが憑いていたんで。神域を使いましたが、うまく追っ払ってくれたようです」
明は嬉しそうに魔王の褒め言葉を受けていた。
「なあ、親父。ということは千衣先生本当にヤバかったの?」
賄い飯の洗い物を済ませた結弦は厨房の中から親父に質問した。
「そのようだな。嫌な感じのモノが憑いていたようだ」
「やっぱり山倉のお母さん?」
千衣に最初にクレームを付けた山倉の母親が一番怪しい。生霊というものだろうか。
「あれは亭主の腰がフラフラ据わっとらんからイライラするんだ。見逃してやれ」
相変わらず親父は寛容だった。結弦には親父の許すことと闘うことの物差しが見えていない。
「それじゃあ、誰が千衣先生を貶めようとしているんだ? まだ新任の先生を蹴落としたって得するやつなんかいないと思うけど」
「結弦。世の中には損得でなく人を害しようとするやつもいるのだ。それは特別なことじゃない。人の不幸は蜜の味ってな」
「嫌な言葉だな……」
頭ではわかる。競争相手がこければ相対的に自分が優位に立つ。少しくらい楽をしても勝てるかもしれない。そう思うのだろう。だけど世の中は広い。競争相手とのマッチレースではないのだ。相手のミスに油断していたらそれ以外の全ての人にリードを許すことになる。人の不幸を喜ぶなんて碌なもんじゃない。
「その辺も含めて話を聞こう。おい!」
魔王が店の中に声を掛けると飲み続けていた男たちがのっそり立ち上がる。背を丸めて座っていたときは気がつかなかったが、2人とも驚くほどの大男だった。明より大きい。身長は2mを越えているだろう。一人は陰気な顔立ちの坊主頭。もう一人は蓬髪にぎょろっと目を剝いた恐ろしい顔立ちをしている。どこで知り合うのか、親父はときどき得体のしれない人を連れてくる。2人の大男は店の中を突っ切り親父の前に跪いた。
「吽形、羅刹。首尾はどうだ」
「へい。間違いありません。気取られるなとのご指示でしたので姿が見えるところまでは近寄れませんでしたが、間違いなく悪魔の気配です」
坊主頭が顔を伏せたまま答えた。
「やっぱり学校に潜んでやがったか。とりあえず先生はここの結界に隠した。明がうまくやったから見失ったままだろう。さて、これで敵さんはどうでるかな?」
「ただ、敵のものではない、もっと古いものの気配がありました。我々に敵対するようではありませんでしたが」
「ふむ。まあ、そちらは放っておいてもいいだろう」
付け加えるような吽形の言葉は魔王の関心には引っかからなかったようだ。
「それより、先生のことだ」
「敵が学校にいるのなら、学校に揺さぶりをかけたら逆効果じゃない? 謹慎中に家にも帰らずフラフラしてるなとか。言いがかりはいくらでもつけられるよ」
結弦が千衣の立場を思い疑問を口にする。短い間だったが千衣は結弦にとって特別な先生だった。自分の進む道に悩む結弦にとって自分の在り様を好きだと言ってくれた千衣の言葉は救いだった。そんな千衣は結弦にとって大切な人だ。守りたい、そう思う。そしてそれだけではない感情も湧いていた。
「建前は自主休職だから大丈夫だろう。それにそっち、山倉のかみさんは俺が止める。本命は学校に巣食っているやつだ。敵には自分がダシに使ったのが誰の息子だか思い知らせてやる」
千衣先生を苦境に立たせた自分との写真のことを言っているのだろう。結弦は血がたぎってくるのを感じた。
「魔王様、王子を巻き込むのはいかがなものかと」
源治が魔王に苦言を呈する。
「心配いらねえ。本人がやる気になってるんだ。己の大切なものを守るということを覚えるにはいい機会だろう」
結弦は黙って頷いた。
同じ思いを持った親父を見て思う。初めて親父と一緒に悪意と戦うのだ。大切な先生を傷つけたやつは許さない。結弦はそう思った。
*
「もう寝なさい」
お風呂から上がったところでお母さんに言われた。少し早いけど寝ることにした。私の部屋で先生と布団を並べて横になった。けど、全然眠くない。たっぷりお昼寝していた先生も同じだろう。全然眠そうに見えない。けれど何を話したらいいのかわからない。聞きたいことはいっぱいあったけど、面と向かうと言葉がでなかった。仕方なしになんとなく布団の上で枕を抱えてごろごろしていた。
私につられて先生もごろごろする。お母さんのパジャマではサイズが合わず先生はお兄ちゃんのTシャツをパジャマ代わりに着ている。XLサイズのはずだけど、それでも胸の辺りがきつそうだ。なんだかエロい。
2人でなんとなくごろごろしているうちに可笑しくなってきた。壁際まで転がると勢いをつけて反対に転がる。勢いそのままに先生にぶつかった。全然痛くなくぼよんと弾き返された。先生の胸おそるべし。
なんとなく顔を見合わせ笑う。
「先生のおっぱいいいなあ。私にも分けて欲しい」
「心配しなくても黒鉄さんもそのうちね。それに大きくたっていいものじゃないわよ。肩は凝るし、合う服がないし……ほんと、いいことなんてないんだから……」
先生の最後の言葉は本気で悲しそうだった。
「ごめんなさい……」
思わず謝罪の言葉が出た。先生が胸のこと気にしているのは知っていたはずなのに。うっかりしていた。
「黒鉄さんが謝ることないのよ。気を使わせちゃったわね」
「うん……ねえ、先生。ここにいる間はひかりって呼んで。うちはみんな黒鉄さんだから」
「そうね。じゃあ、ひかりちゃん」
「うん。私も先生のことを先生じゃなくって……名前で呼んでいい?」
先生の気持ちを考えたら今までと同じではいけない気がした。
「いいわよ」
「じゃあ、千衣ちゃん」
「はい」
あはは
呼び方を変えただけなのに……なんだか楽しくなってきた。
学校に来なくなる前、先生は悲しそうな顔をしていた。あんなに一所懸命で楽しそうにしていたのに。休んでいる間はどんなにつらかっただろう。それを私では助けてあげられない。でも、千衣ちゃんが笑ってくれて本当によかった。やっぱり魔王様はすごい。
「ひかりちゃんは黄泉坂君と付き合ってるの?」
女子会の定番と言えば恋バナだろう。千衣ちゃんが興味津々で聞いてきた。
「ゆづとはそんなんじゃないの。ゆづのところはお母さんがいないから、住み込みで働いているうちで一緒に育てられたんだ。ゆづのお母さんは体が弱くって実家でゆづを産んだんだけどすぐ亡くなったの。魔王様がまだあかちゃんだったゆづを連れてきて、ちょうど私がいたからうちで一緒に育てることになったんだって。そのときのことは私は覚えていないんだけど。だからゆづは兄弟みたいなものでそんなんじゃないんだ……」
「でも、好きなんでしょ?」
結弦の出生の話を聞いたときは申し訳なさそうな顔をしていた千衣ちゃんだったけど、好奇心には勝てないようだ。こういうところは本当に女の子らしい。
「好きだよ。でも、そういう好きじゃないと思う。私はゆづを尊敬してるから」
「尊敬?」
ちょっと言葉が足りな過ぎた。
「うん。私はカンだけはいいの。だからテストの成績はよかったよ。3択なんて考えなくてもほとんどあたる。他の問題だってここら辺が出そうだなってわかるから。でも、ちゃんと理解はしていなかった。中学に入って応用問題が出るようになったら途端についていけなくなっちゃったんだ。ゆづはテストの成績はそんなに良くないけれど、私と違ってすっごく考えてる。本もよく読むし、私にはよくわからないこともいっぱい知ってる。たぶん、魔王様の影響かな。ゆづは魔王様……お父さんが大好きだからお父さんみたいになりたいんだと思う。
……でも、お父さんが凄すぎるから。魔王様は街のトラブルなんかみんなずばっと解決しちゃう。お父さんに憧れるのはわかるけど、魔王様はすごすぎるよ。ゆづはいつも悩んでる。だから、ゆづは周りの人にやさしいんだ。それがお父さんみたいになる第一歩だと思ってるから。
でも、たぶんゆづは魔王様とは違う魔王様になるんだと思う。それがどんなのかは私にはわからないけど。ゆづにもわかってないんじゃないかな。でもそんな気がする」
「ひかりちゃんは結弦君のことばっかりだね」
千衣ちゃんがうれしそうに微笑む。だってしょうがないじゃない。
「ゆづは私の悩みもいっぱい聞いてくれたんだ。私には考えるってことがわからなかった。学校の先生は、もっとよく考えなさいって言うけど、私にはそれがわからなかった。答えがわかればそれでいいじゃんって。だからみんなといても話がかみ合わないんだ。自分でも嫌になるくらい。なんでなんだろう。何も考えずにただそう思ってた。だけどゆづと話していると考えなきゃならない。ゆづはいっぱい考えてしゃべるから、私も考えないと会話にすらならないから。でも、ゆづと話すのは楽しいよ。ついていけないことも多いけど。でもそうやってゆづは私に考えるってことを教えてくれたんだ。なんの話をしていたときだったかな。あっ、これが考えるってことなんだってわかったの。そしたら景色が変わった。今までとは全然違って周りの人が何を言っているのかがわかるようになったの。だからそれまでの私はたぶんあかちゃんでまだ人間じゃなかったんだと思う。それを教えてくれたゆづは恩人だよ。心の底から尊敬している。だから私はゆづの役に立ちたい。ゆづが次の魔王様になるまで、これからもいっぱい悩むと思うから。少しでも助けになりたいの。あれ? 何の話をしてたんだっけ?」
私の話を笑いもしないで聞いてくれた千衣ちゃんはぎゅっと抱きしめてくれた。
「ひかりちゃん……ひかりちゃんが人間になってくれて私も嬉しい」
千衣ちゃんにほめられて私も嬉しい。
「私にも似たようなことあったなあ。私も要領悪い子でね。いつも叱られてばっかりだった。それに比べてお兄ちゃんはできる子でね。よく比較されて落ち込んでたわ。そんな闇から救い上げてくれたのも兄だったんだけどね。思い出しちゃうな」
「千衣ちゃんにとってはお兄さんが大切な人なんだ」
「うん、そう。今はどこにいるのか、生きているかもわからないんだけどね」
「そうなんだ……」
お兄さんのことを話す千衣ちゃんは嬉しそうで、寂しそうで、でも以前までのような悲しそうな顔ではなかった。
「ね、ひかりちゃん。私たち似てるね?」
「そうかも……ねえ、千衣ちゃんにはゆづみたいなひとはいないの?」
「残念ながら年齢=彼氏いない歴の喪女です」
「えーっ、信じられないな。千衣ちゃんかわいいのに」
「だってみんな胸目当てだったし、やらしい目で見てくるし。好きになんてなれないわよ」
「それ、わかる! クラスの男子ったら中2にもなってまだスカート捲りとかするんだよ」
クラスメートの男子を思い浮かべる。男子ってなんでバカなんだろう。
「最低!」
「パンツなんてただの布なのに」
「なんでそんなもの見てよろこぶんだろ?」
その夜、私と千衣ちゃんはすっかり仲良くなった。
*
「はあ……」
秋川校長は電話を置くと大きく溜息をついた。
「何か問題でもありましたか?」
打合せに来ていた教頭と教務主任が心配そうに尋ねた。
「ええ、困ったことになりました。十文字先生の件です」
「また、クレームですか?」
学校の中では千衣はすっかりトラブルメーカーとして定着していた。
「いえ、まあクレームなのですが、逆なんです」
「逆と言いますと?」
「十文字先生を外す理由を教えろと」
「外すなんて十文字先生が私的に休んでいるだけですから」
「十文字先生のクラスの黄泉坂君のお父さんなのですが、写真の件もご存じでしてね。このタイミングで十文字先生がお休みしていると黄泉坂君と何かあったことを学校が認めていることになるというのです。まあ、タイミング的にはそう見えてしまいますよね」
「黄泉坂ですか……あそこは確か宵が原商店街の会長でしたね。大物ですが……でもまあ、無関係で通すしかないでしょう。校長先生の判断は間違っていませんでした」
教頭は校長をかばうように言った。
「だが、生徒も知っていることです。子供を盾に取られるとこちらも弱いです。自分の息子が女性教師と関係していたなんて親御さんとしては認められないでしょう」
「十文字先生がせまっていたのですから、生徒は関係ないでしょう」
教頭の理屈はわかるが無理がある。
「それでも噂にはなります。ここで十文字先生を処分したら学校としての立場がないです」
「ですが、あのモンスターはどうなります? 無罪放免ではまた騒ぎ出すのでは」
PTA会長の山倉佳奈美の母親のことだ。学校としては板挟みだ。
「ええ、全く頭が痛いことです」
「若い教師ときたら問題ばかり起こすんですから、まったく救いようがない」
教頭はあくまでも千衣に責任を擦り付ける考えのようだ。
「生徒たちからも嘆願があったそうです」
「早く復職させろとの電話もかなりきているようです。十文字先生は生徒からは慕われていたようですね」
「年の近い教師はそれだけでなつかれますから。ただ舐められているだけなんです」
「まあ、そう言わずに……少し判断を急ぎすぎましたかね」
あのとき何故こんな判断をしてしまったのだろう。もっと穏便に済ます手もあったはずだ。何かに追い詰められたかのように決めてしまった。そのときのことは思い出せない。
校長は気弱になっていた。
「あとひと月ほどで夏休みですから。ほとぼりを冷ますにはいい機会です。夏休み明けなら生徒も忘れているでしょう。処分するにしても復職させるにしても今は現状維持でよろしいのでは?」
「それが一番でしょうね」
誰も責任を取りたくないのだ。
「天国でのうのうと暮らすより地獄を這いずり回って生きていきたい。」をお読みくださりありがとうございました。
黒鉄家にお世話になることになった千衣先生ですが、ひかりちゃんとすっかり打ち解けました。これは百合? それともオネロリか!?
投稿は毎週金曜日に行う予定です。今後もお付き合い頂けたら幸いです。