68.クトゥルフ……じゃない!?
一見、平和そうに見える日常に潜む影。それは生きとし生けるものが逃れ得ない生と死にまつわる有象無象の物語。
黄泉坂結弦は父親にあこがれていた。居酒屋の店主なのだけれど部下に仕事を任せて昼間から飲んだくれている父親に。だけど、親父の周りにはいつも人がいた。彼らの相談を見事に解決してしまう親父は結弦のヒーローだった。親父のようになりたい。それが結弦の夢だった。
だけど、自分は親父に似ていない。少年の悩みは尽きない。
「でかかったです」
「ああ、でかかった」
「大きかったです」
…………
「火攻めが通用しなかったと聞いたが」
「ヌルヌルしてました」
「ああ、ヌルヌルじゃった」
「ヌルヌルしていました」
…………
古の神々はバカバッカなのか……
対クトゥルフ戦のため前線の神兵を呼び出してヒアリングをしてみたのだが、得られた情報は皆無だった。これでは本陣にいた毘沙門天の証言の方がまだましだった。
「水への親和性はあるようです。だからといって火が弱点とは言えませぬ」
天界神軍参謀の思兼神が言った。
神々の中にもまともなやつがいて安心する。
「どう思う? 康太」
クトゥルフに詳しい協力者として幕僚に加わっていた康太に話を向ける。
「山のような巨体にタコみたいな頭、髭のような触手、全身が緑色の鱗に覆われ、両手には大きな鉤爪、背には悪魔のような羽根……実物を見た訳じゃないが、設定に描かれる通りだ。クトゥルフで間違いないだろう」
「どうやったら倒せるんだ? 弱点は?」
「簡単に言うな、結弦」
康太はあきれたように首を振った。
「相手は外宇宙から飛来した邪神だぞ」
「宇宙から来たって言うのか? 水属性だろ。凍らないのか?」
「さあな。そこらへんは空想上の産物だ。考え得る最凶の邪神だ。後付けでどうとでもなるんだろうさ」
康太は投げやりに言う。
「いいか。想像を超えた邪神という設定なんだ。俺らが普通に考えられる弱点なんてものは克服されているものと思え。便利な言葉だよな、想像を絶するって」
つまりはオレたちが考える対抗策は無意味だということか……
「なら、オレたちも想像を絶する攻撃で倒さなければならないってわけだ」
「簡単に言うなよ……」
康太の言う通りだ。想像を絶する攻撃って……想像もできねえ。当たり前か……
「とにかく、想像を絶する攻撃がどのようなものになるかわからんが、当てるためには足止めをせねばなるまい。それには物理しかないだろう。毘沙門天、あいつの足止めはできそうか?」
先の戦の総大将だった毘沙門天に聞く。だが、答えは芳しくない。
「無理でしょうね。千を超える神々の総攻撃でも歯牙に掛けませんでした。我々では火力不足です」
オレは毘沙門天の答えを聞いてあることを考えた。
「問題が火力だけなら……」
「よせ、康太……」
康太も同じことを考えたようだ。だが、それは取ってはいけない選択肢だ。
オレはそのアイデアを頭から追い出した。
*
阿修羅王はわずかな手勢を率いて黄泉平坂を下っていた。
黄泉の国へ向かうのではない。あの生意気な小僧の下につくなどまっぴらごめんだ。
阿修羅は敗走した極楽神軍と行動を共にしなかった。
あの日和見ばかりで決戦の判断を下せなかった帝釈天に従う気にもなれない。それでも集まりさえすれば勝てると勘違いしている連中にも納得いかなかった。
数の力を頼みにするとは、それは本当の荒ぶる神ではないと思った。
なるほど。戦とは軍で行うものであろう。そこには戦術もあり、戦略もあるだろう。それを卑怯とは思わぬ。ただ、己が求める戦とは数多き者が必ず勝つものではない。知と力を合わせて逆境をも跳ね返し勝利を掴む。それこそが戦なのだ。
数は力ではある。だが、それは突出した個の力ひとつで破られる。突出した力でなくてもいい。強固に結束した隊は容易に数的不利を覆す。
つまり、ただ数があってもダメなのだ。そこに確固たる芯がなくては……押しているうちはいいだろう。不利になった途端、数は四散し足枷となる。
多聞天率いる極楽神軍には芯がないように見えた。
多聞天は傑出した武将であろう。それは阿修羅も認めている。だが、真に怖いのは多聞天ではなく毘沙門天だ。
多聞天は有能な武将である。そつなく戦を指揮する。だが、それは烏合の衆だ。
毘沙門天は違う。毘沙門天も軍を率いる。だが指揮などしない。先頭に立ち言葉通り軍を率いるのだ。毘沙門天に付き従う軍勢は一丸となって突出した個である毘沙門天を追う。だから毘沙門天について行けるほどに強くなるのだ。
多聞天が千の軍を率いたとき、その力は千でしかない。だが、毘沙門天が同じ数の軍勢を率いればその力は万にも億にもなろう。
だから違うのだ。
極楽神軍を率いていたのは毘沙門天ではなかった。
彼らが敗走したと聞いても阿修羅は意外には思わなかった。
あれを毘沙門天が率いていたとしたら……勝てないまでもあのように無様な敗走はしなかったのではないか。
阿修羅は思った。
*
黄泉の国、それは地下にある。
死したるものが黄泉平坂を下っていき辿り着く屍者の国だ。そこで死者たちは生前の行いを閻魔大王に裁かれ、あるものは地獄の責め苦を受け、あるものは極楽浄土へ繋がる道に誘われる。
つまり黄泉の国は地下にある。もちろん黄泉の国の王都、冥府も地下にある。
だから空はない。空はないが黄泉の国を支える天井は数百mの高さにあり、ぼんやりと光っている。だから黄泉の国は暗闇ではなく、いつも曇り空のような薄暗がりの世界である。
空ではないので太陽も出ないし星も光らない。だいたい夜がない。
あたりまえだ。空ではないのだ。
ないはずの空を怪鳥が飛んでいる。
「なんじゃあれは……」
武神たちが一斉に上を見上げる。
「竜では……ないな」
一見したところ、空飛ぶトカゲだ。それも巨大な。本体が巨大すぎて目立たないが小形のトカゲが付き従うように周囲を飛び回っている。
「どらごんとかいうものじゃろうか?」
それは想像上の産物だ……といいたいところだが、オレたちは想像上の生き物が具現化する事実を知っている。その可能性があるからには慎重に見極めなければならない。
「康太、どう見る? クトゥルフの仲間か? それともやっぱりドラゴンか?」
聞くが康太は答えない。応えられないという方が正しいようだ。
驚愕の表情を浮かべた康太が呟く。
「う……うそだろ……」
「やっぱり、あれはクトゥルフの仲間か?」
「い……いや、あれは仲間じゃない」
「そうか。ならよかっ……」
「よかねぇよ!! あれはハスターだ。『名状しがたいもの』、最強と呼ばれる邪神だっ!!」
慌てるな、康太。まずは状況を確認しよう。
「あれはクトゥルフ神話の邪神ってことでいいんだな?」
「ああ……」
「だけど、クトゥルフの仲間ではない」
「ああ、そうだ」
「ハスターといったか。どういうやつなんだ?」
オレも康太にすすめられてクトゥルフの話は読んだことがある。その本の挿絵を見たことがあったからクトゥルフがわかったのだ。だが、それ以外の邪神について詳しく知っているわけではない。
「ハスターはヨグ=ソトースの子でクトゥルフの半兄弟であり宿敵だとされている」
「あのような異形のものにも兄弟神が……」
「生殖するのか……」
「ならば、つがいとなるものが他にもいるということか……」
周囲の神々は邪神たちの生態におののいている。
「そこらへんは諸説あってはっきりしない。というか、そんなことどうだっていいだろう。あんたたち神々だってまともな生殖で生まれたやつばかりじゃないだろう」
それはそうだ。所詮は神だ。人じゃないんだ。
「クトゥルフの仲間じゃないってだけで幸いと思わなけりゃならないだろうな」
「だが、最強の邪神だ」
「クトゥルフより強いのか……」
康太の言葉に皆が凍り付く。
「まず、どんな奴なのか聞かせてくれ」
「ああ、ハスターは『名状しがたいもの』という異名がある。直立したトカゲだの、蝙蝠に似た姿だの、タコに似た巨大生物だの言われる姿は様々だ。固有の姿を持たないとも言われている。
その属性は風もしくは大気。これは四大霊と呼ばれる属性の分類の仕方で、古代ギリシャの四元素を元に考えられた設定だ。この世の物質は火、風、水、土に分類され、生物もそれぞれ取り入れた元素の比率によって存在が分類される。風は空気と読み替えられることもある。風の属性が何を指すのかはよくわかっていない。だが、水の属性を持つクトゥルフを苦しめるのだから水には強いんだろうな」
まったく……康太の情報通りなら……救いがない。
だが、ぼやいている暇はなさそうだ。
上空からオオトカゲが急降下してくる。
*
「来るぞ。備えろ!」
前線の神兵が楯を構える。
とは言え、水属性のクトゥルフを想定した防御だ。完全に防ぐのは難しいだろう。
ぐしゃっ
前線の神兵が弾け飛んだ。
「なにが起こった!?」
「わかりません!」
毘沙門天の問いに答えられるものはいなかった。
目に見える攻撃はなかった。
これが風の攻撃なのか……なるほど風は目に見えない。だが、風なら感じられるはずだ。何かが違う。
第一波で前線に風穴を開けたオオトカゲは急上昇し、反転した。
「第二波が来るぞ!」
これを凌げなければ我が軍は壊滅する。もともとが寄せ集めなのだ。
極楽神軍の主力はクトゥルフに蹴散らされた敗残兵だ。しかも、冥府には縁もゆかりもない天界の神々だ。敵の攻撃に手も足も出ないとわかれば簡単に逃げ出すだろう。それを支えているのはオレではない。
だがどうすればいいのだ……
さすがは戦神、第一波で開けられた穴を迅速に塞ぎ、第二波に備える。
だが、無駄だった。
ぐしゃっ
再度、前線の神兵が弾け飛んだ。
楯を、鎧を残して神兵の体が四散する。余波が肌をビリビリと叩く。
四散した肉片を浴び、オレも幕僚も血塗れだ。
!
何かが違う。
風では起こり得ないことだ。突風の余波ならこのようなビリビリと刺激的にはならないはずだ。
そうか……風ではないのだ。
康太は何と言った? 風もしくは大気……そう言ったはずだ。
「打って出ます」
毘沙門天が言う。
これ以上、一方的な攻撃を許せば前線の士気を維持できない。毘沙門天が正しい。
だがそれだけではダメだ。有効な反撃を見せてやる必要がある。
「毘沙門天、これを貸し与える」
オレは佩刀焔魔刀を突き出した。
「天国でのうのうと暮らすより地獄を這いずり回って生きていきたい。」をお読みくださりありがとうございました。
対クトゥルフ戦線に現れたのはハスターでした。『名状しがたいもの』ハスターの攻撃に手も足も出ない極楽審神軍。ですが、結弦はなにかに気が付いたようです。
投稿は毎週金曜日に行う予定です。今後もお付き合い頂けたら幸いです。




