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57.帰ろう

 一見、平和そうに見える日常に潜む影。それは生きとし生けるものが逃れ得ない生と死にまつわる有象無象の物語。

 黄泉坂結弦は父親にあこがれていた。居酒屋の店主なのだけれど部下に仕事を任せて昼間から飲んだくれている父親に。だけど、親父の周りにはいつも人がいた。彼らの相談を見事に解決してしまう親父は結弦のヒーローだった。親父のようになりたい。それが結弦の夢だった。

 だけど、自分は親父に似ていない。少年の悩みは尽きない。

 落ち着いたところで月光菩薩(がっこうぼさつ)様に改めてお礼を言った。

(えん)あってこの娘(光月)を守護……いいえ、同化することとなりました。そんな娘を命懸けで助けようとした貴女の功績は多大です。今度はわたしが貴女に報いる番です」

「そんな……畏れ多い」

「遠慮は無用です。貴女が本来いるべきところへ還してあげましょう」


 帰れる……

 そう聞いて不覚にもときめいてしまった。

 帰りたい。私が心から安心できたあの場所に……


 本当は、私は帰りたかった。あの頃に戻りたかった。振り回され、諦めてばかりだった私の人生で半年にも満たないわずかな時間。あのときだけは私は輝いていた。自分の人生を生きていた。

 本当はあの人のところへというべきかもしれない。でも、そこまでの自信は持てない。光月にはああ言ってもらえたけど。ひかりには応援してもらったけど。

 あのひと(黄泉坂)にはああ言ってもらえたけど……


 自分の気持ちだってわかっているわけじゃない。

 助けてもらったときは絶望の中で一筋の光明のようなものだったし、格好良かったのは本当のことだけれど、あれじゃ女の子なら堕ちるしかないじゃない。それって本当の好きかどうかわからないじゃない。


「相変わらずめんどくさいね」

「でもそれが小鳥だから」

「そう言うものじゃありません。人の子らしくて可愛らしいじゃありませんか」

 一人三役(ひかり、光月(みつき)、月光菩薩)の光月が会話している。


「でも、もう神様になったんでしょ」

「あまり神様っぽくないかも」

「急に神格化したのです。無理もないでしょう。そこはそれ……お似合いということで」

「「ああ~たしかにゆーくん/結弦(ゆづる)も神様っぽくないもんね」」

 ほっといて!


 光月(月光菩薩)が連れてきたのはひかりだけじゃなかった。

「ああっ、黒闇(くろやみ)…心配したのですよ」

 抱きしめられた。

「受肉させたのは伊邪那美命(いざなみのみこと)ですが、神としてのあなたの母親、鬼子母神(きしもじん)ですよ」

「お母さん……?」

「そうですよ。あなたの母、鬼子母神ですよ」

 優しそうな女神は私をきつく抱きしめてくれた。そこには確かな愛情を感じられた。


 生前の私は親の愛情に恵まれなかった。

 虐待されていたわけではない。母は私を嫌っていたわけではなかった。彼女なりに愛してはくれていたのだろう。だから再婚するたびに私を連れて行った。だけど彼女はあくまでも女だったのだ。母親としてではなく女としての人生を選んだ。だから最終的に私ではなく男を選んだ。私は愛に飢えていた。

 目の前の女神は私の母親なのだという。会ったこともない神だ。だけどその態度から真摯な愛情を感じることができたのだ。


 鬼子母神……安産・子育(こやす)の神様。でもその前は違う性質を持っていた。

 古代インドの夜叉神(やしゃがみ)の娘、訶梨帝母(かりていも)は八大夜叉大将のひとり半只迦(はんしか)に嫁して千人の子を産んだ。しかしその性質は暴虐で、近隣の子供を取って喰らうので人々はこれを大いに恐れていた。あるときお釈迦様は訶梨帝母の暴虐を見かね、末の子供を隠してしまった。訶梨帝母は探し回ったが見つけることはできなかった。嘆き悲しむ訶梨帝母にお釈迦様は諭された。

『千人のうちの一子を失うもかくの如し。いわんや人の一子を食らうとき、その父母の嘆きやいかん』

 訶梨帝母はそこで初めてこれまでの過ちを悟り、改心した。お釈迦様に帰依し、許されると鬼子母神として安産・子育の女神となった。


 千人もの子を産めるものかはともかくとして、そのうちの一人を攫われて気づけるものだろうか? それくらい愛情深いということなのだろう。

 そして私はその千分の一らしい。


夜摩王(やまおう)……閻魔天(えんまてん)殿に嫁いだあなたは閻魔天の死後、二千年以上行方知れずになっていたのです。どんなに心配したことか……」

 ごめんなさい……でもそれ私じゃない。


 それでも鬼子母神お母さんが心配してくれたことはわかった。

「心配かけてごめんなさい。でも、そのときの黒闇天の気持ちはわかります。命を懸けて愛した人が死んだら死後、魂までも添い遂げたい。そう願うのは当然じゃないでしょうか?」


 鬼子母神お母さんは抱きしめた私の顔をじっと見つめ、溜息をついた。

「黒闇天……あなた、恋をしているのね」

 私は恋をしているのだろうか?


 確かに私は黄泉坂(よみさか)を好きだと言っていた。本人にも伝えた。黄泉坂は『ありがとう』と言ったけど応えてはくれなかった。それでも好きだった。

 でも閻魔堂で働くようになって周りの人たちに受け入れてもらって、そして光月と出会った。


 黄泉坂の幼馴染で相思相愛だった黒鉄(くろがね)ひかりの生まれ変わり。魂のレベルで絆が結ばれた恋人……私なんかがかなうはずもない相手……

 光月のことは嫌いになれない。ひかりのことだって……

 切なくって苦しくってでも逃げ出したくなくて……だから私は死んだ。黄泉坂を諦めて光月を選んだ。選んだふりをして命を捨てて……やっぱり逃げ出したのだ。

 私は卑怯だ。

 だというのに母は私が恋をしているというの?


「二千年ぶりに会えたというのにもう巣立ってしまうのかい?」

 母親というものはそんなにも娘のことを理解できるものなのだろうか?


 人としての私の母親は参考にならない。祖母は……やはり娘(母)のことを理解できていたようには思えない。

 では、他の家族では……

 千衣(ちい)さんは光月のことを愛していたと思う。一般的にはいい母親何だと思う。それでもやんちゃな光月に振り回されて、もう、もう、言っているところを見ると完全に理解できてはいなかったのだろう。

 なら満代(みつよ)さんは? 明さん(息子)のことは「男の子ってそんなものよ」と笑顔で見守っていた。なんとなく鬼子母神のお母さんと印象が近い。やっぱり年の功? (あっ、なんか背筋がゾクッとした。まさか失礼なことを考えてたって気づかれた!?) それとも神の眷属だから? 

 伊邪那美様は私を受肉させてくれた。何者でもない屍人だった私に自らの肉を与え古の女神としての存在を与えてくれた。私を娘と呼んでくれた。鬼子母神お母さんとは違う感じだけど愛情は感じられた。かわいがられていた蛭子先輩の妹になれたことは……あんまりうれしくないかも。

 でもわかる。伊邪那美様に受肉させてもらえなかったら私は私のままだった。神である黄泉坂のことを憧れるだけで終わってしまっていたはずだ。今は違う。疫病(えきびょう)の女神なんて言う疫病神(やくびょうがみ)みたいなものだけど彼と同じ舞台に立てたのだ。今なら彼の隣に立つ資格があるのだろうか。


 千衣さん、満代さん、伊邪那美様、鬼子母神お母さん……私の周りにいるお母さんたち、彼女らは私の憧れの母親像だ。愛しかたはみんな違う。それでも娘を愛していることはわかる。私もあんな風になれるのかな?

 わからない。でもそうだったらいいと思う。私はまだ子供のことなんて考えられないけれど愛する人との子供は愛してあげたい。わかってあげたい。

 それくらいには私も()()()()()()なのだ……!?


 なんだ……そうなんだ。

 初めて気が付いた。難しく考えることなんかなかった。

 私は恋に恋する女の子だ。


「お母さんごめんね」

 鬼子母神のお母さんに謝った。

 お母さんは優しく微笑んで許してくれた。

 出会ってまだ数分しかたっていない。それでも確かなつながりを感じる。愛してくれているとわかった。理解してくれると感じられた。

 私はこの人(神)の娘に生まれてよかった。


 私は月光菩薩様に向かって言った。

「私を閻魔堂(えんまどう)に還してください」


 帰ろう。

 私が一番輝けるところへ


     *


「あたしがなにをしたって言うのさ」

 蛭子先輩のロケットパンチに捕まった吉祥天が(うそぶ)く。

「吉祥天、いい加減にしなさい」

 夫である毘沙門天が(いさ)めても聞く耳を持たない。


 なるほど、こいつが吉祥天か。結弦は考えた。

 たしかに一筋縄ではいかない。だが、許すことはできぬ。

 こいつが面白おかしく引っ掻き回したせいで国中が大混乱だ。黄泉津国(よもつくに)など崩壊してしまったのだ(これについてはオレが悪いともいえる)。


「ん、吉祥天(きちじょうてん)様、久しぶり」

 蛭子(ひるこ)先輩が口を開いた。

 そういえばただの女子中学生だった蛭子先輩を焚きつけて神になりそこなったヒルコとして導いたのは吉祥天だった。こいつのせいで先輩の人生も大きく捻じ曲げられてしまったのだ。

 だが、先輩を見た吉祥天は驚いたように目を見開き、何も言えずにいた。


 そうか。今の蛭子先輩は羽化登仙(うかとうせん)を果たし立派な蛭子神(ひるこがみ)となっていた。それは捻じ曲げられたヒルコではなく始祖の二柱の長子としての本来の姿である。吉祥天に歪められた影響など欠片も残してはいない。それは恵比寿の導きの結果でもあり、先輩の高潔さの表れでもあるだろう。


「ん、鼻がかゆい。かいて」

 先輩は恵比寿(えびす)の膝の上にちょこんと座ると膝主に甘える。

 先輩の両手はいまだに吉祥天を抑えているので自分では掻けないのでしょうがない。人前で堂々と甘える美女神を「しょうがない奴じゃ」などと言ってかいがいしく世話をする恵比寿。お似合いのカップルで微笑ましい。

 毘沙門天(びしゃもんてん)も居心地が悪そうだ、


「毘沙門天殿、どうしてここに?」

「恵比寿に頼まれて。閻魔殿、そこもとの妻女殿の危機だと伺ったのだが」

 恵比寿は何を言ったのだ!? オレはまだ高校生だぞ。妻女どころか彼女すらいたことねえ!

 いかん。自分で言ってダメージを食らった。


「妻が迷惑をかけたようだ」

 そうなのだ。吉祥天は毘沙門天の奥さんなのだ。だが、夫婦仲はすこぶる悪いと聞く。

 戦神の毘沙門天は戦となれば出っぱなしだ。家庭を留守にして妻をほったらかしにするリスクということか。気をつけよう。


 吉祥天は完全に毘沙門天()を無視して蛭子先輩に呼びかける。

「うまく神格化できたようじゃない。導いてあげたあたしに感謝しなさい」

 神になれなかった胡乱(うろん)な存在と思っていた吉祥天は当てが外れて悔しそうに嘯く。

 ただの悪あがきと思ってオレたちは流したが、激怒した神が一柱。

「下級神の分際で私のかわいい長男(ひるこちゃん)をよくも(もてあそ)んでくれたね。覚悟しなさい」

 もちろん蛭子LOVEの伊邪那美だ。


 蛭子先輩は気にしていないが、吉祥天が先輩をヒルコとして貶めようとし、さらには日本近海にヒルコを大量発生させて国中を大混乱に陥れたことは周知の事実だ。

 さらには異教の堕天使セラフィエルと手を組んで異形のものどもを産み出した疑いがある。その対価として黄泉津国の霊気を使ったとしたらそれは祖霊に対する冒瀆に他ならない。吉祥天の犯した罪に対する皆の恨みは相当なものだ。そう簡単に許されるとは思わないでほしい。

 とはいえ天部の神を仏の意向も聞かずに処分するのも難しい。結弦には閻魔帳という切り札もあるのだが、畏れ入らぬものを屈服させることはできない。


 と悩んでいたところに援軍がやってきた。

「結弦~っ! 来たよーっ!」

「ゆーくん、おひさ」

「ええぇっ! なんで黄泉坂っ!? ここどこっ!?」

「ん、小鳥、来た」

「黒闇ちゃ~ん、おかえりなさ~い!」

「なんでママがっ!?」


 さて、どれが誰の声でしょう?

「天国でのうのうと暮らすより地獄を這いずり回って生きていきたい。」をお読みくださりありがとうございました。

 小鳥は黒闇天としての母親鬼子母神との対面を果たします。鬼子母神は母の愛に飢えていた小鳥の心を優しくほぐしていきます。そのおかげで小鳥は自分の気持ちを知ることができました。

 投稿は毎週金曜日に行う予定です。今後もお付き合い頂けたら幸いです。

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