56.小鳥の逡巡
一見、平和そうに見える日常に潜む影。それは生きとし生けるものが逃れ得ない生と死にまつわる有象無象の物語。
黄泉坂結弦は父親にあこがれていた。居酒屋の店主なのだけれど部下に仕事を任せて昼間から飲んだくれている父親に。だけど、親父の周りにはいつも人がいた。彼らの相談を見事に解決してしまう親父は結弦のヒーローだった。親父のようになりたい。それが結弦の夢だった。
だけど、自分は親父に似ていない。少年の悩みは尽きない。
名乗ることで忌み嫌われるという心配は杞憂だった。
私は堅手天様御一行に囲まれて須弥山に帰還した。
いやまったく、癒しの女神様扱いは気恥ずかしい。本当は疫病の女神なのに……
「疫病を厭うのは人間の都合であって神々はありとあらゆる自然現象に宿ります。何の権能を司るかではなく何をしたかです。貴女は立派な癒しの女神ですよ」
堅手天様の言葉に恥ずかしくなってしまう。
左腕に絡みつく黒い靄は慰めるかのようによしよししてくれる。何か安心する……じゃなくて、なにしてくれとんじゃ、ワレ!
しゃらん
鈴の音が聞こえた。
何が起こったのかわからず辺りをきょろきょろ見回す。
突然、周りにいた堅手天様一党が跪拝した。
「何なに?」
「御仏様の御来臨です」
訳が分からずうろたえる私に堅手天様が教えてくださる。
そうか……仏様がやってくるのか。どんな仏様が来るのだろう?
極楽教において神は最上の存在ではない。元々の土地神や先祖神を折伏して取り込んだ仏様が至高の存在だ。
私たち天部の神々は人の世を支配し、御仏は世界を司る。普段、御仏は人の世に干渉しない。つまり神々の支配に対して何かを言ってくることはない。それなのにこうやって乗り込んでくるということは何かがあったということだ。
そして、その何かとは私だ。
その考えは間違っていなかったようだ。
御仏の一行は私たちの前で止まった。
「月光菩薩様、御来臨頂き光栄でございます」
堅手天様がお迎えの口上を述べられる。月光菩薩様はにこやかにお応えになられた。
「小鳥、迎えに来たよ!」
えらいフレンドリーじゃありませんか!?
「光月!?」
やってきた月光菩薩様は光月だった。
えっ、なに、どうして?? 月光菩薩さまが光月で、光月が月光菩薩さまで……光月と月光……なんだ。だじゃれか。
「ダジャレじゃないよ。あなぐらむだよ」
うん、光月もよくわかってないようだ……って!? 光月ってだれ?
「ごめんなさい。私、生前の記憶がなくって……」
「うん、そうだと思って肉体から記憶をコピーしてきたよ」
光月という幼女は動じなかった。
「記憶障害も病の一種だからね。わたしの専門だよ。さあ小鳥、おいで」
記憶にないはずの幼女は何故かとても懐かしくて嬉しくて言われるままに近寄り跪いた。
光月はそんな私を優しく受け止めてくれた。
「大丈夫だよ、小鳥。また会えてうれしい」
頭の中に記憶が流れ込んでくる。かつて人間だった頃の私の記憶が……
そうだった……私は光月をかばって死んだ。光月が無事でうれしい。
私は閻魔堂という居酒屋でバイトしていた。なんでだっけ?
そうだ。私は黄泉坂が好きだったのだ。だから押し掛けた。なぜ好きになったんだろう?
私は母に殺されかけた。それを黄泉坂が救ってくれたのだ。それはとってもかっこよくて王子様みたいって思った。それを思い出して恥ずかしくなる。
私は小さなころから母にふりまわされていた。住所も名字も父親までも何度も変わった。最後の義父には虐待を受けた。それですっかり人生を諦めていた。そんなときに救われたのだ。王子様って思うじゃない。しょうがないでしょ! 好きになっちゃったんだから!
私は泣いていた。3歳の幼女の胸に縋りついて
「なんで! なんで記憶なんて戻したの! こんな記憶戻らないほうがよかった!」
「だって結弦が好きなのは小鳥だから」
「なんで!? 黄泉坂が好きなのは光月! あなたでしょ! 私、光月を嫌いたくない……嫌われたくない……」
そうなのだ。私は恋心より大切な人から嫌われたくないという思いの方が強い。それは私が人生を諦めていたから。あんな絶望にまた落とされるくらいなら、恋だって諦められる。
「ちがうよ。結弦が好きなのは小鳥だよ。本人も気づいていないようだけど、じゃなきゃ無理してまで助けたりしないよ」
あれは黄泉坂にとってもリスキーだったのだ。それを聞いてうれしくて……でもやっぱり受け入れられない。そんなことを知ったら余計好きになってしまう。あきらめるのが苦しくなる。
「やだやだやだ……もうあんな苦しい思いしたくない。叶わない恋なんてしたくない。大切な人と争ったりしたくない。もう嫌われるのは嫌なの! だから忘れさせて! もう嫌なの!」
「大丈夫、わたしは小鳥のことを嫌いになったりしないよ。命をかけてまで助けてくれた人のこと嫌いになれるわけないじゃない」
「そんなことない。私は命なんて賭けてない! ただ終わらそうとしただけ。こんなにつらいのならこれ以上生きていたくなかっただけ! だから忘れて。光月は光月の恋を実らせて。そうしたら私は安心して死ねるから……」
そう。それが私の本心だ。私は生を諦めていた。そのひねくれた性根が疫病神などという疫病神に転生させたのだ。
「駄々っ子みたいなこと言わないで。たしかにわたしは結弦が好き。でもそれが恋かなんてわからない。だってまだ3歳だもん。それに結弦が好きなのはわたしじゃないよ」
そんなわけない。光月じゃなければ誰だというのだ。
「結弦が好きなのはひかりだもん!」
「……それって」
黒鉄夫妻の娘で明さんの妹。黄泉坂の幼馴染で私ともクラスメートだったこともあるあの明るくて元気だった娘だ。
「うん、4年前に死んじゃったわたしの前世。結弦はずっとひかりのことが好きだったんだ。だけど……」
光月の声色が変わった。
「わたし、死んじゃったからさ」
その表情は明るく朗らかだったあの頃と同じ、でもその笑顔には言い表せない哀しさが漂っていた。
「黒鉄さん……?」
「うん、そうだよ。久しぶり、別宮さん」
「その人とも母が離婚したから……今はまた佐治」
「そうなんだ。紛らわしいから小鳥ちゃんでいい? それでね。あのときは結弦を守ることに必死で自分の命なんてどうでもいいって思ったんだよね」
私の返事も聞かずに黒鉄ひかりは話を続ける。優しいのだけど相変わらず強引だ。
「ゆーくんを守れたことに後悔はないよ。それだけは断言できる。ゆーくんはわたしのすべてだったから。でもね……」
涙が一筋零れた。
「死んじゃったらおしまいなんだよ」
「……だったら……だったら私だって同じ。死んじゃったもの」
何か言わなければならない。黒鉄ひかりの遺言なんて聞きたくない。聞いてしまったら引き返せなくなる。
押し殺してきた心さえも暴かれる。
「小鳥ちゃんは終わってなんかないよ。わたしたちゆーくんの眷属は人としての死では終わらない。冥府で生まれ変わり閻魔大王の眷属としての生を送るの。むしろそっちの方が本当の人生。だから小鳥ちゃんの本当の人生はまだ始まったばかりなんだよ」
「違う違う! 私は違う! 私は冥府なんて行ってない。あの人の眷属だなんて認められていない。私を蘇らせてくれたのは屍者の国の女王、伊邪那美命お母さまだもの!」
「結弦は迎えに行ったはずだよ」
光月が言う。
「そこでゆーくんは何て言った?」
今度はひかりだ。二人掛かりで説得してくる。
「知らないしらない! あのひとのことなんて知らなかった。忘れたの!」
「でも今は思いだしたでしょ」
「だからゆーくんがどんな気持ちで言ったのかわかったはず」
「そんなこと言われても知らない! もうどうしようもないの! あんなこと言われたってもう応えられるわけないじゃない……疫病の女神だなんて……」
「それは違いますよ」
会話に割り込んできた声があった。堅手天様だ。
そういえば堅手天様一党に囲まれたままだった。そんな中で痴話喧嘩をしていたとは
状況が見えて恥ずかしくなる。
「言ったはずです。何の権能を司るかではなく何をしたかです。貴女は立派な癒しの女神ですよ」
「止めてください。堅手天様」
止めようとするけど堅手天様も引かなかった。
「我が一族の郎党を助けて頂いたとき貴女は間違いなく正義の女神でした。放っておくこともできたでしょう。だが、貴女はそれを良しとしなかった。知っていてできること、それをしないという選択肢を貴女は選ばなかった。そんな貴女はどこに出ても恥ずかしくない立派な女神です。その話お受けなさい。それは運命でしょう」
「そうですよ。黒闇天様、貴女は幸せになるべきだ」
「そうだそうだ!」
郎党のみんなも加勢してくる。いきなり搦め手からも攻められて私の言い訳も底をつきそうだ。
「それに何故、貴女が黒闇天に転生されたのか、その理由が知りたいですか?」
えっ!? なに? なんか理由があるの!?
「それはね。黒闇天とは閻魔天殿の伴侶だからです。これを運命と言わずしてなんといいましょう」
ずっきゅーーーーーーーん♡
そんなの卑怯よ! そんな不意打ちみたいな運命なんて女の子は堕ちるしかないじゃない!
「でも、そんなの、何代も前の閻魔様との話でしょ。た、たぶん私のことじゃないと思うの」
根性無しでヘタレの私はこの期に及んでもまだ言い訳する。
なんとなく光月とひかりがかわいそうな生き物を見る目になっている。
そうじゃないの、そうじゃないの……
「で、ゆーくんは何て言ってくれたの?」
「『無理ならば押し通してでもオレは小鳥を取り戻す!』って……」
「「ごちそうさま」」
恥ずかしくって穴があったら入りたい。
左腕に纏わりつく黒い靄も心なしか嬉しそうにいいこいいこしてくれる……もうどうでもいいわ
*
「そこまでーーっ! そこまでっ!」
古の黄泉の国、黄泉津国は崩壊した。あまりの惨状にどうしたものかと結弦が考えていたところに助け船が来た。
「ん、恵比寿、遅い」
先輩の言う通り恵比寿神と毘沙門天だった。
「双方剣を引かれよ」
毘沙門天が戦場の真ん中に立ちふさがりオレの焔魔刀と素戔嗚の草薙剣を打ち止めた。
正直助かった。素戔嗚はもちろん先輩も飽きていたのだろう。おとなしく剣を収めた。
「すまんすまん。ちょっと手違いがあっての。じゃが、この騒動の幕引きは任されよ」
妙に饒舌な恵比寿をじっと見つめる先輩。
まあ、元々無口な人だし、口を開けばろくなことを言わないので黙っていた方が助かる。
「怪しい……」
「あ、アヤシクなんぞないわ~い」
「嘘の気配がする」
「ウソなんぞついておらんよ~」
あ、わかってしまった。
こいつも先輩に振り回される口だ。なんとなく波長でわかるんだよな。だが、恵比寿に引き取らせた時点でオレの勝ちだ。返品は認めません。
「あら、そちらがヒルコちゃんのいいひとなの?」
国土崩壊のショックをどこかに置き忘れた伊邪那美が寄ってきた。
このおばさんは先輩に任せよう。こんなこと(国土崩壊)になってしまい、向こうもオレには関わりたくないだろう。
「ん、恵比寿」
先輩が雑に旦那を母親に紹介する。
「お初にお目にかかります。それがし、七福神のひと柱、恵比寿と申す者であります。縁あって蛭子殿と所帯を持つ所存にてご挨拶にまかり越しました」
おお、さすが常識人(神)の恵比寿だ。何かそれっぽいことを言っている。後学のためじっくり観察させてもらおう。
「ふーーーーーーーーーーん……」
伊邪那美は気に入らないようだ。そして先輩も
「女の臭いがする」
「そんなわけあるか!? いや、それはお前に預けられた黒闇姫を保護していたせいじゃないのか?」
「ちがう。小鳥じゃない。別の女の臭い」
「別れなさいっ!」
伊邪那美様、あんたは黙ってたほうがいいんじゃないか。
「そこだーーっ!」
蛭子先輩が両腕を飛ばす。二本の腕はロケットパンチよろしくすっ飛んでいくと岩陰に着弾した。
「痛っ!」
命中したらしい。
さすがは蛭子先輩。たいした火力もないのにオレと素戔嗚の戦いに割って入るだけのことはある。
「やめなさいっ! 離せっ! 離しなさいよっ!」
騒ぎながらも引きずり出された女神は……案の定、吉祥天だった。
「天国でのうのうと暮らすより地獄を這いずり回って生きていきたい。」をお読みくださりありがとうございました。
小鳥が記憶を取り戻しました。ですが、思い出したことで小鳥の悩みは深まります。そんな小鳥を周囲の者たちが励まします。
投稿は毎週金曜日に行う予定です。今後もお付き合い頂けたら幸いです。




