54.素戔嗚との再戦
一見、平和そうに見える日常に潜む影。それは生きとし生けるものが逃れ得ない生と死にまつわる有象無象の物語。
黄泉坂結弦は父親にあこがれていた。居酒屋の店主なのだけれど部下に仕事を任せて昼間から飲んだくれている父親に。だけど、親父の周りにはいつも人がいた。彼らの相談を見事に解決してしまう親父は結弦のヒーローだった。親父のようになりたい。それが結弦の夢だった。
だけど、自分は親父に似ていない。少年の悩みは尽きない。
その後は睨み合いだった。
オレとしても永遠の屍を受け入れた者たちを無理やり輪廻の輪に引き戻したくはない。
伊邪那美命も増える当てのない民をこれ以上減らしたくはない。
双方の思いが絡み合って動きが取れなくなった。
国生みの主神たる伊邪那美命と敵対しようとは思わない。
同じ屍者の国の王であり、地下帝国の支配者なのだ。位相は違えど隣国のようなものである。元となる信仰が異なるため扱いは違うものの屍者への敬意を欠かさない。そんなところも共感できる。
伊邪那美命は望んで屍者の女王となったわけではなかった。不遇の死を迎え、配偶者に裏切られ生者と敵対することになった。だが、それも望んだものではなかった。だから切り捨てたはずの蛭子命と再会すれば受け入れることができたのだろう。伊邪那美命は優しい女神なのだ。
だからこれはオレの我儘なのだ。
オレは小鳥を取り返したい。
*
極楽天界の主神である帝釈天は戸惑っていた。
正直言えば関わりたくない。それほど相手は傍若無人で調和を乱す存在なのだ。主義主張は真逆だと言っていい。
それでも展開を構成する柱の一人であり、仏に認められた神なのだ。
それに話す内容からして放置もできない。
「それで頼みとは何なのだ、吉祥天?」
「いえね……あたしの妹の一人なんだけど。厄介な権能が覚醒しちまってね。地上に置いとく訳にもいかないのでね。しばらく預かってくださいまし」
吉祥天がまともな女神のようなことを嘯く。そんなはずはあるまい。
「なんの権能だ?」
「疫病を司る権能」
「黒闇天か………」
吉祥天の妹、疫病の神黒闇天のことは天界では周知の事実だ。
神と言ってもその権能は様々だ。ありとあらゆる現象に神が宿る。役に立つかどうかとの見方はあくまで人にとってだ。神の倫理とは異なる。人の役に立つ権能神は信仰を集め、力を持つ。それだけだ。神の格とは別物だ。よく知られているのは貧乏神などがそれにあたる。黒闇天も同様である。
黒闇天、死に通じるということで閻魔天に嫁ぎ、以来地下に潜み音沙汰を聞かぬ。
いつの間にか身罷り、転生していたのか……
「黒闇天なら冥府の閻魔に任せればよかろう」
帝釈天の言葉に吉祥天は首を振る。
「それがそうもいかなくてね。そのままでは戦が起こりんす」
「なにがあった?」
「妹の転生体を殺したのは十字教の天使でさ……」
「何故だ。あそことは和睦が成ったであろう」
代替わりした若き閻魔が独断で講和を成した。忌々しいことだが、おかげで冥界は落ち着いた。死こそ生なり。死後の安寧が約束されない宗教など信ずるに値しない。
閻魔の独断は業腹だが、認めざるを得なかった。押されっぱなしであった極楽教も一息付けたのは確かだ。
もっとも信仰の奪い合いは変わらず続いているが。
「人の身とはいえ神である妹を奴らに取られるわけにはいかなくてね。冥府に飛ばすわけにもいかなくて、止む無く古の黄泉の国に逃がしたのさ。そしたら屍者の女王が気に入って受肉させてありんす」
帝釈天は絶句した。
どうせ目の前の女神が余計な横やりを入れたに違いない。
だが、放っておくわけにもいかない。疫病の女神を地上に置いておけないのはもちろん、冥府に置くわけにもいかなくなった。 黒闇天を争って冥府の王と屍者の女王が戦うことになったら目も当てられない。
この国は複雑な文化を持っている。
通常なら極楽教を信仰するもの、祖霊を崇めるもの、土地神を信仰するもの、唯一神を信じるもの、それらは独立して存在し、めったなことでは変わることはない。だが、この国ではそれらが混在するのだ。
正月には神社に初詣にいき、彼岸には墓参りをしてお経を唱える。お盆には迎え火を焚いて祖霊を招き、年末にはクリスマスを祝う。はっきり言って何でもありだ。
懐の深い極楽教の教えのせいかもしれない。調伏した土地の祖霊や土地神すら取り込んでしまう。位階を与え極楽教の守護者としてしまう。そのおかげでこの国において土地神は土地神のまま、極楽教の神でもあるのだ。
この国の最高神である天照大神ですら大日如来と同一視されることもある。恐るべき貪欲さである。
ただ、それにも例外はある。それは国生みの二柱である。極楽教がこの地に伝来するはるか以前より信仰されてきた神々、あるいは祖霊であろうか。彼らは極楽教に染まらなかった。祖霊は祖霊として残された。染めようがなかったのかもしれない。
しかも母神は死後、屍者の国の女王となった。死とはデリケートである。屍者にとってではなく、残された生者にとってである。祖霊を悪しきものとして扱っては信仰が得られない。だが、そのまま残しては死後の世界にノイズが混じる。
故に無視された。
この国に残る国生みの神話は不可侵領域なのだ。
だというのに、黒闇天は伊邪那美命によって受肉し、覚醒した。さらにはその身を争って閻魔と伊邪那美が対立している。騒ぎが拡大すればこの国における極楽教の信仰が揺らぐ。
なんてことをしてくれたのだ。
「妹のこと頼みましたえ」
言い捨てると吉祥天は何処かへ消え去った。
帝釈天は頭を抱えたくなった。
本音を言えば、女神の一柱など消し去ってしまいたい。なかったことにしたい。だが、それを知ったら閻魔は怒り狂うだろう。
大王位を継いで3年。まだ年若き当代の閻魔だが、急速に力をつけている。今では帝釈天ですらうかつには扱えない。しかも歴代と比べても苛烈だ。
仕方がない。吉祥天の言いなりになるのは癪だが、黒闇天は丁重に匿うことにしよう。
*
「素戔嗚、助力しなさい」
打つ手が限られる伊邪那美が切り札を切った。
「いや、しかし……」
「構わぬ」
躊躇う素戔嗚にオレは声を掛けた。
「ここまでのご助力感謝する」
「じゃが……」
素戔嗚の戸惑いはもっともだ。オレの仲介として屍者の国を訪れたのだ。親に言われて友を裏切るなど信義にもとると思っているのだろう。
そうじゃない。
素戔嗚、お前は戦神だ。戦いを前にして怯むなんてことがあっていいはずがない。お前はそんな奴じゃないだろう。
「先日の戦い、オレはお前の刀を切り飛ばしただけだ。お前の体に傷一つ付けてはいない。だから、勝負はついていない。そうだろう?」
オレの言葉に素戔嗚はにやりと笑う。
「そうだな。なら、結着はつけねばならんな」
素戔嗚の寝返りはオレにとっても利がある。
オレは伊邪那美との対立を望んでいない。何を考えているか全くわからないが蛭子先輩を傷つけたくはない。そして英霊たちから悠久の安息を奪いたくはないのだ。
ならば見せつける。真の益荒男を戦いというものを。傍観者だからと言って無事で済むと思うな。女王であっても戦神ではない伊邪那美には想像もつかないだろう。
下手したら古の黄泉の国が亡ぶぞ
*
オレの気持ちをどれだけ理解したかわからない。が、素戔嗚はためらいもなく剣を抜いた。荒ぶる神の本領が戦いを望んでいるのだ。
剣から放たれる神力が暴風のように吹き荒れている。構える剣は先日のような量産品の十拳剣ではない。これこそ素戔嗚の佩刀草薙剣、別名天叢雲剣。八岐大蛇の体内から出てきたという天から授けられた剣だ。
古来より大蛇は雲を呼び雨を降らせる権能を持つとされる。その力を封じた天叢雲剣は素戔嗚の神力により引き上げられ暴風龍の姿で襲い掛かる。
太古において死とは突然降りかかってくる天災のようなものと考えられてきた。病気や怪我などであっという間に死んでしまう。老衰で死ぬ方が珍しかったはずだ。だから人々は死を受け入れつつも恐れた。その象徴が雷だ。突然やってきて避けようもなく命を奪う。だから伊邪那美の眷属は雷神なのである。
根の国の王である素戔嗚も本質は同じだ。天叢雲剣を持つことで暴風雨を呼び寄せ自由自在に雷を放つ。
武神であるオレでもまともに食らえば危ない。
だが、その程度でやられるオレではない。極楽教の地獄の業火だ。ただの火ではない。地獄の釜で煮えたぎるのはマグマだ。伊達に地底深く潜ってはいないのだ。極楽教の世界は地上世界だけではない。はるか彼方、宇宙まで含めた世界が描かれている。その中には当然地球も含まれる。
だから地獄の支配者たるオレが扱うのは地球からエネルギーの供給を受けた大地の業火なのだ。暴風雨だろうと消せはしない。
焔魔刀を振りかざす。
互いに上段から激しく打ち込む。
雨滴と業火が正面からぶつかり合い水蒸気爆発を起こす。
水が熱せられて水蒸気となると体積は1700倍にも膨らむ。徐々に蒸発するのなら問題はないが、剣と刀の衝突で圧縮された環境で膨大なエネルギーにより瞬間的に水が蒸発すればその膨張圧力はすさまじい。それが水蒸気爆発だ。火山の爆発の多くは水蒸気爆発によるものだ。
一瞬、水蒸気で視界が曇ったが爆風がそれを吹き飛ばす。
爆風など気にも留めず第二撃を振り下ろす。再び水蒸気爆発。水蒸気爆発。水蒸気爆発。
爆発ばかりじゃ煙って見ているほうも退屈だろう。
オレは焔魔刀を正眼に構えると法力を注ぎ込む。焔が何十mと立ち上がる。
さらに力を注ぐ。
赤熱の炎が青白く変わってゆく。やがて大気がバリバリと音を立て始める。すさまじい高温に大気がプラズマ化しているのだ。
素戔嗚はそれを見て戦い方を変える。
暴風雨を止めてエネルギーを雲に集める。暗黒にも見える分厚い雷雲が渦を巻いている。
ピカッ!!
稲妻が走る。
バリバリバリバリ!!!!
電気引力で引き寄せられた稲妻はプラズマによって打ち消される。
水は固体よりも液体の方が、結合解離エネルギーが低いため、水滴中には多くのH+やOH-が生成される。ただし、H+は氷に浸透しやすいため、水滴・氷晶・霰が接触しあう環境では、氷がプラス、水がマイナスに、つまり雲の中では上空の冷たい層はプラスに、地表に近い下層はマイナスに帯電し、上層と下層の電位差が拡大して空気の絶縁の限界値(約300万V/m)を超えると電子が放出され、空気中にある気体原子と衝突してこれを電離させ、これにより発生した2次電子が更なる電子雪崩を引き起こし、稲妻となる。
一方、プラズマは気体を構成する分子が電離し陽イオンと電子に分かれて運動している状態である。オレは大気中の窒素に極高温によりエネルギーを与え強制的に電離させた。電子はアースして地中に逃がしたので焔魔刀の生み出したプラズマはプラスの電荷をもっている。
それを素戔嗚の放つ稲妻にぶつけたのだ。
マイナスをプラスが中和し、開放されたエネルギーが一気に放出される。
結局、さらに派手な爆発を引き起こしただけだった。
「天国でのうのうと暮らすより地獄を這いずり回って生きていきたい。」をお読みくださりありがとうございました。
伊邪那美の攻撃を退けた結弦は、素戔嗚と再び闘うことになります。真の益荒男の戦いはこれまでとはスケールの違うものとなります。
投稿は毎週金曜日に行う予定です。今後もお付き合い頂けたら幸いです。




