52.青い小鳥を探しに
一見、平和そうに見える日常に潜む影。それは生きとし生けるものが逃れ得ない生と死にまつわる有象無象の物語。
黄泉坂結弦は父親にあこがれていた。居酒屋の店主なのだけれど部下に仕事を任せて昼間から飲んだくれている父親に。だけど、親父の周りにはいつも人がいた。彼らの相談を見事に解決してしまう親父は結弦のヒーローだった。親父のようになりたい。それが結弦の夢だった。
だけど、自分は親父に似ていない。少年の悩みは尽きない。
「母上にはしばらく会っておらんかったからの。儂も同行しよう」
素戔嗚の言葉はありがたかった。
この国を生んだ主神の片割れだぞ。何を話したらいいのかわからない。まあ、小鳥を返してくれという願いは忘れていないのだが。
それにしても相手のことが何もわからないでは交渉にもならない。
「素戔嗚殿の母上……伊邪那美命様とはどのようなお方なのだ?」
聞き方も漠然としてしまう。
「ふむ……説明しにくいのだが……一言で言えば業の深い方であろうか」
ふむ、さっぱりわからん。
オレの反応を見て素戔嗚は笑った。
「お主とて自分の母親がどのような人か聞かれて答えられるか?」
「オレに母親はいない」
「それは失礼なことを言った」
素戔嗚は謝ってくれた。
だが、それは素戔嗚も一緒だ。
素戔嗚が幼いころ、火之迦具土神を生んだときの火傷がもとで伊邪那美命は命を落とした。武勇の神とは言えまだ子供だ。母を恋しがって泣いて暴れた。それで天照大神から罰を与えられたのだが、しょうがないとも言える。
「気にしないでくれ。オレが赤子のころ、敵の襲撃からオレを庇って死んだ。そう聞かされている。憶えてはいないが……。素戔嗚殿も同じであろう?」
「だが、儂は再会できたからの……」
それは素戔嗚が神だからだ。人の身では望むべくもない。
「儂は、死の入り口、根の国の王となった。お主の支える信仰とは異なる。古代では人の生は一度きりと信じられていた。人は死んだら屍者になり、屍者の国で暮らすのだと。しかし、母様は死に堕ちた。屍者の国の女王となり地上のものを日に千人攫うとした。
そのときから死は恐ろしいものとなった。屍者の国で穏やかに過ごせる。そう思っていたからこそ民は死を受け入れられた。しかし、屍者の女王は生者を恨み、無理やり生者を引きずり込もうとするというのだ。人の身には恐ろしいことであろう。
それまで死は厭うものではなかった。誰にも平等に訪れるものなのだ。屍者も生者である子孫を害するようなことはなかった。それがいきなり変わった。生を全うした末の安息であったはずの死が、穢れとなったのだ。屍者は生者を妬み憎み引きずり降ろそうとやってくる。わずか数万人の倭から毎日千人が死ぬとしたら……父様は千五百人産ませると言い返したが、生まれた子がすぐに大人になるわけもない。それは滅びを意味する。
事実、倭の国そのものがぐらついた。国母である母様が身罷り、敵となったのじゃ。それが夫婦喧嘩のせいだとしたら、巻き込まれた民はいい迷惑じゃ。
当時、倭は周辺の国を征服し、大きくなっていた。そのため、征服されたものの不満がたまった。一時は父様を黄泉に送って母様の怒りを解こうとの声も上がっていたのじゃ。
幸い天津神の一族には子がたくさんいた。蛭子の兄を失ってからも姉者を筆頭に支える兄弟がいたのだ。不平は治められた。
黄泉の国の入り口は大岩で塞がれた。そして姉様は国土を拡大したのだ。人口が増えれば日に千人死んでも耐えきれるだろう。
それはうまくいった。だが、解決していない問題が残った。それは屍者をどう扱うかということだ。死とは避けられぬものだ。昨日までの家族、親しきものが死んだからと言って嫌えるものか。かといって母様の支配する黄泉の国の民となっては敵となってしまう。死を忌み嫌ったとて意味はない。そこで新しい死を作ることになった。昼を天照の姉者、夜を月読の兄者、屍者の世を儂が治めることになった。こうして儂は根の国の王となったのじゃ」
素戔嗚はてっきりおいたが過ぎて地上を放逐され、根の国に来たと思っていた。
「しかし、新たな死を作ったと言ってもそんな簡単に受け入れられるものなのか? 根の国だって信仰が支えているのだろう?」
「信じるほかあるまいよ。生きている者は誰も死しても生者の敵になどなりたくないじゃろう。皆、子孫に覚えていてもらいたいのだ」
素戔嗚の言う通りだ。屍者の国を支えているのは生者の信仰だ。
「なら、古の黄泉の国はなぜ滅びない? 半ば無理やりだとしても屍者の行く先は根の国に上書きされたんだろう?」
「それこそが国生みの国母、我が母伊邪那美命の持つ信仰よ。黄泉堕ちを含めて母様の神話は信仰されている。母様が滅びぬ以上黄泉の国も滅びはせぬよ」
「なるほど。国生みの二柱への信仰か……確かにこれ以上ないほどに信じられているな」
「母様は国を支える一族を生み育てた。そして国は大きく豊かになった。民は母様を慕い、母様も民を愛した。
母上は毎年のように子を産んだ。それは国母としての責任感であったろう。新興の倭を支えるためには一族が結集するしかない。当時と言えど例を見ないほど多産であった母上の体はぼろぼろであった。火之迦具土のとき、耐えきれず母上は身罷った。出血が止まらず青白い顔をした最期の顔を儂は覚えている」
答える素戔嗚は悲し気な表情を浮かべていた。
「火之迦具土神を生んだときの火傷がもとで死んだのではないのか?」
「お主はときどき間抜けなことをぬかすな……いくら火を司る神であっても火そのものであるわけなかろう。それだったら胎児の時点で母上は生きておらん」
それは素戔嗚の言う通りだ。現代で語られる神話と混同しているようだ。
「母親を亡くした子供は長くは生きられん。母上が最後の愛情を注いだ火之迦具土もやがて死んだ。父上は火之迦具土を恨んでおったが、それは八つ当たりじゃ。母上は命を懸けて弟を愛しておった」
*
オレたちは素戔嗚の案内で古の黄泉の国を訪れた。供は明と哲也である。素戔嗚は何度もここを訪れているらしくすんなり通された。オレのことも閻魔と知られているようだったが何も言われなかった。
古の黄泉の国も屍者の国らしく巨大な洞窟のような作りだ。屍者というと土の中で朽ち果てるイメージがあるのだろう。現代は火葬だというのに昔からのイメージは変わらないらしい。
もっとも、うちはスーパーコンピューターも導入しているし、全館エアコン完備だ。それでも内装は岩のむき出しのところも多い。
そんな古の黄泉の国の中を進み玉座の間に通された。
オレたちを迎えたのは玉座に座った妙齢の美女神とその膝に乗る年若い女神だった。
「先輩!?」
「ん……閻魔、近こう……」
ずいぶんと偉そうだけど子供みたいにお膝の上にだっこされていては威厳も何もあったもんじゃない。
それよりだっこしている女神の圧が強い。視線だけで人を殺せそうだ。
玉座を前にして素戔嗚が跪く。
「母上に在らせられましてはご機嫌麗しゅう、お喜び申し上げます。また、無沙汰の非礼をお許し頂ければ幸いにございます」
「許します。素戔嗚、久しぶりですね」
荒ぶる神がこんなに遜るのは初めて見た。しかし終わりではなかった。
「膝上に在らせられますは蛭子の兄上と存じます。拝謁の栄を賜りましたこと重ねて感謝いたします」
「ん」
そうか……オレにとっては学校の先輩であり、うちの店のバイトであり、冥府では客人である神であるが、素戔嗚にとっては長兄(の転生体?)なのだ。
オレもそのように挨拶しないとならないかな? できないけど
それにしても先輩は態度でかいな。
屍者の国の先輩神に向かってそんな態度は取れそうにない。かと言って正式な挨拶なんかできようはずもない。
「母上、本日はお願いしたき義があり参上いたしました。ここなる連れは現代の屍者の国の王閻魔にございます」
「第146代閻魔、黄泉坂結弦と申します。よろしくお願い致します」
気を利かせて紹介してくれた素戔嗚に従い名乗る。
だが、伊邪那美命は興味がないようだ。膝の上の子に注ぐ視線を向けもしない。
「伊邪那美命様、我が眷属佐治小鳥と申すものを探しております。黄泉の国に迷い込んだかもしれず、ご助力を賜りたくお願いに参りました」
これは素戔嗚を話し合って決めたことだ。勝手に探そうともオレたちは古の黄泉の国のことを何も知らない。王たるもの他国を勝手に歩き回るなど素戔嗚がいたとしても敵対行為と見られても仕方がない。
多少偏屈ではあるが、正面から女王にお願いしたほうがよいと決めたのだ。
「母上、お願い申し奉ります。この者の願い、聞き入れては頂けませんでしょうか」
女王は、息子には一瞥をくれた。
「そのような者、知らぬ」
一筋縄ではいかなそうだ。それとも本当に知らないのか?
「黄泉坂、心配しなくていい。小鳥は無事……無事死んでる?」
先輩の一言で余計不安になった。
まあ、死んだから屍者の国を探しているのだけど。
「先輩、小鳥はどこに!?」
「小童、無礼であろう!」
駆け寄ろうとするオレに向かい女王が叫ぶ。
「無礼は承知です。無理ならば押し通してでもオレは小鳥を取り戻す!」
負けじと叫び返す。どうやら交渉は決裂したようだ。
いきり立つオレたちを甘い声が止める。
「ママ、怒らないで。ここは私に任せて」
「そうは言っても……」
「ヒルコのお・ね・が・い♡」
「しょうのない子じゃ」
女王も娘のおねだりには弱いようだ。
……とういうか、それあんたの息子だろ! なんだよママって!?
先輩……あんたもあんただ!
自分を見捨てて海に流した母親とよくもそこまで仲良くなれたな。再会して間がなかっただろうに……
「黄泉坂……そんなに小鳥が大事?」
「ああ」
「私よりも?」
「……あんたには恵比寿がいるだろうがっ!!」
オレの言葉に女王が反応する。
「あら、ヒルコちゃんにはいいひとがいるの? ママ、聞いてないわ」
「ん……恵比寿。今度紹介する」
相変わらず先輩の行動は斜め上だ。
「小鳥はママの肉を食べて黄泉の国の住人になった。今はママの娘、私の妹、黒闇姫。それでも取り返したい?」
……なんだって……小鳥が黄泉の国の住民になっただと……
黄泉竈食、俺でも知っている。屍者の国の食べ物を口にすると帰れなくなるという呪いだ。
さっき先輩が言ってた『無事死んでる』とはそのことか?
「それでも小鳥を連れ戻したい?」
「当たり前だ!」
迷いはなかった。
黄泉竈食だって手がないわけじゃない。オレは伊邪那岐命とは違う。
*
閉ざされた部屋の中から声を聴いていた。
なぜ涙が出るのだろう。
それはうれしくて?
あの人は生前の私の思い人だったらしい。その人が迎えに来てくれたから。
それは悲しくて?
今の私は生前の私じゃない。お母さまに体を与えられ蘇った。疫病を司る黒闇姫として。
もう帰れない。
なぜ、私は泣いているのだろう。
「天国でのうのうと暮らすより地獄を這いずり回って生きていきたい。」をお読みくださりありがとうございました。
結弦はついに屍者の女王伊邪那美命と対面します。その緊張感を吹っ飛ばしてくれる蛭子先輩。蛭子先輩の活躍から目が離せません。
投稿は毎週金曜日に行う予定です。今後もお付き合い頂けたら幸いです。




