49.死者の女王
一見、平和そうに見える日常に潜む影。それは生きとし生けるものが逃れ得ない生と死にまつわる有象無象の物語。
黄泉坂結弦は父親にあこがれていた。居酒屋の店主なのだけれど部下に仕事を任せて昼間から飲んだくれている父親に。だけど、親父の周りにはいつも人がいた。彼らの相談を見事に解決してしまう親父は結弦のヒーローだった。親父のようになりたい。それが結弦の夢だった。
だけど、自分は親父に似ていない。少年の悩みは尽きない。
どこだろう……ここは
目を覚ますとそこは真っ暗な空間だった。
何も見えない。
でも、そこが閻魔堂でないことはわかった。閻魔堂どころではない。地上のどこでもない……現世ですらなかった。
3年前、あの人に助けられたあの場所に似た臭いがする。
それは死の臭いだった。
また死んだんだ……私は……私は……わたし……?
頭の中に靄がかかったように自分が何者なのか思い出せない。自分の名も……どうしてここにいるのかも
でも、ここにいるべきじゃない。それだけはわかった。
帰りたい……そう願う気持ちが心の奥底にあるのがわかる。でも、同時にそれが叶わぬ願いだと言うこともわかっていた。
気が付くと目の前に女神さまがいた。
影のように真っ暗で表情が見えない。でもそれが女神さまだとはっきりわかった。
女神さまはお皿に載せられたなにかを差し出してきた。
食べ物だ……
突如、空腹を感じた。空腹はすぐに膨れ上がり堪え難くなり、思わず手が伸びた
「止めなさい」
腕を掴まれた。
なぜなの? 目の前に食べ物があるのに……
耐えがたき飢えを満たそうとするその行為を邪魔するものに殺意すら感じた。
「黄泉竈食だ。帰れなくなるぞ! 君はそれでもいいのか?」
手の持ち主を見上げた……
「黄泉坂……」
いえ、違う。
黄泉坂結弦に似た凛とした雰囲気、彫りの深い顔立ち、鋭さの中に優しさをはらんだ目……
黄泉坂じゃない
似ているけれど黄泉坂ではなかった。
「黄泉坂と言ったな。やはり結弦の縁者か……」
どうやら黄泉坂の関係者らしい。見たことはないけれど
ていうか、さっきから頭に浮かぶ黄泉坂って誰?
……思い出せない……思い出せないけど大切な人なのだとわかる。
この人は「帰れなくなる」そう言った。
それは嫌だ。私は帰りたい!
差し出された食べ物を見た。
「ひっ……」
それは何かの屍肉のようなもので蛆が蠢いていた。
女神さまの威圧が高まる。靄のような瘴気が沸き立ち圧し掛かってくる。
「ふんっ」
男が刀を一閃すると瘴気が消し飛んだ。
「なぜじゃ……なぜお主のような生者が黄泉の国にいる」
女神さまは忌々し気に男を睨む。
「伊邪那美命様とお見受け致します。某、決して主神様に害意を持つものではありませぬ。ただ、そこの娘をお返し頂きたく迎えに参じました」
罵られながらも男は礼を欠かさない。
男の言葉で理解した。やはり私は死んだのだ。
(でも、いいか……私は自分が誰だったかもわからない。自分を失ってまで生き延びても……)
なのに何故……
なぜ私はこうまでも帰りたいと願っているのだろうか?
「うるさい、うるさい、うるさい! 生者であろうと構うものか。殺してしまえば黄泉の国の住民となろう。誰ぞ、この男を殺してしまえ!」
女神の命令に黄泉の国の屍兵や雷神が湧き出でた。
男は刀を構えて迎え撃つ。
ぴかっ
迫りくる雷撃を男は刀に纏う炎を燃え上がらせて迎え撃つ。
雷に対して炎では相手にならない。そう思ったが、男の法力も負けていない。一瞬で数千度もの高温となった炎で周囲の空気をプラズマ化させて雷撃にぶつける。
無数の雷撃を凌ぎ男は平然と立っていた。
「ぬう……火之迦具土の眷属か……憎き奴……」
女神さまが悔し気に呟く。
死者に火は大敵だ。攻めあぐねたのだろう。
それに火の神火之迦具土神は伊邪那美命の死因でもある。火之迦具土神を生んだときの火傷がもとで伊邪那美は命を落としたのだ。
死因となったことはかわいそうだけど母親にここまで疎まれる火之迦具土神も哀れだと思う。
そんな伊邪那美様には目もくれず、男は炎の剣を振り回し黄泉の国の兵たちを寄せ付けない。それでも敵意が無いことを示そうとしてか傷つけないよう立ち回る。
膠着状態だった。
*
ひとしきり泣いたひかりがようやく落ち着きを取り戻した。
「感動の再会なのです、はいっ! うるうる」
場違いに明るいAI五郎の声に感動が失せた。
この三歳児の体をした女の子は黒鉄ひかり。幼馴染で何度もオレを助けてくれた大切な人だ。互いに淡い恋心を抱いていたのだが、結局、オレはひかりを失うことになった。
それでもオレは閻魔だ。
持てる力を使いひかりの魂を輪廻の輪に戻し、転生させた。それが光月だ。
オレは光月を愛した。光月もオレに懐いてくれた。だが、オレはたまらなくひかりが恋しかった。
いずれ覚醒すればひかりだった頃の記憶も取り戻すだろう。それはひかりを取り戻したと言えるのだろうか?
それに光月はどうなる?
生まれてからの光月として過ごした3年間、光月はひかりの魂の受け皿だけの存在ではない。
それはわかっている。
それでもオレはやっとひかりに会えたことがたまらなくうれしかった。
「ゆーくん……ちょっとくるしい……」
ためらいながらひかりが呟く。
しょうがないじゃないか、ひかりを抱きしめるなんて初めてなのだ。
あの頃、オレたちは中学生だった。子供でなくなりつつあるお年頃。気恥ずかしくて手をつなぐことさえしなかった。ずっと一緒にいたというのに
オレはしぶしぶ腕の力を緩めた。
光月ならいつもだっこしていたのに。ギュッとしてあげることもあった。でもそれとは全然違った。同じ光月の体のはずなのに
*
「ゆーくん……佐治さんを助けに行くんでしょ」
ひかりに言われて思い出した。
オレは小鳥を殺されて怒っていたのだ。そして必ず取り返すと
「それにしてもいつの間に佐治さんと仲良くなったの?」
「うっせぇ、小鳥とはそんなんじゃねえ……」
「あらあら、名前で呼んじゃうんだぁ」
にやにや絡んでくるひかりは変わらずウザい。でもそれがたまらなく幸せだ。
「それにしても意外だったな……あの頃の佐治さんって人を寄せ付けない雰囲気があったから……」
「まあな、あいつもいろいろ大変だったんだ」
「うん。光月からいろいろ聞いてる」
そんな当時の小鳥にも分け隔てなく接していたひかりはやさしいのだ。
「主様は根の国に行かれるのでしょうか?」
ヒト五郎が訪ねてくる。
「ああそうだ。異教徒の手に掛かった小鳥の魂は輪廻の輪から外れた。だが、十字教の手に堕ちた訳でもない。極楽教でも十字教でもない死者の国に行ったはずだ」
「なにかご存じなのですか?」
「ああ、ここに来る前、オレたちは素戔嗚尊殿のところにいた。そこに包囲を脱出した韋駄天が知らせてくれたんだ」
「よかった……韋駄天様、御無事で……」
「韋駄天様が私たちを助けてくれたのですね」
手当てを受けた千衣と満代さんが韋駄天の無事を喜んでいる。
まあ、本体はそこで躯になっているのだが……
「そこでお父さんに会った」
「なんと日色将軍にですか……」
意外なのだろう。皆、驚いている。
「賽の河原でひかりを救ったお父さんは地獄の法気に断罪された」
「うん……おじさんには賽の河原で助けてもらった……輪廻の輪に送りだしてもらって……あのあとそんなことになってたなんて……ごめんなさい、ゆーくん……」
自分のために犠牲になったと知ってひかりが泣き出した。
ひかりが泣く必要なんてない。お父さんはオレのためにひかりを救ったのだから。
「泣かなくていいよ。無事に再会できたんだし。まあそれでもひどいダメージを受けて……消滅しなかったのはさすがだけど肉体も自我も失うほどになって根の国を彷徨っているところを素戔嗚殿に助けられたそうだ。何故かオレと闘うことになって……剣を交えてわかった。これはお父さんだって。あんな姿になってもお父さんは強かった。オレは焔魔刀の炎でお父さんに纏わりついていた瘴気を浄化した。そしたらお父さん若返っちゃって……今は高校生くらいの姿になっている」
壮絶な故勇者の境遇に皆、息を飲んで聞いていた。
「ゆーくん……その話もっと詳しく」
なぜか満代さんが食いついてきた。
「お父さんの話?」
「若返りの話よ!」
「私も聞きたいです!」
千衣ママまで乗ってきた。
20代半ばの千衣には必要ないだろう。孫までいる満代さんはともかくとして……
「ゆーくん……今、何を考えたのかしら……?」
痛い痛い……肩に爪が食い込んでいる。その笑顔が怖い……
閻魔堂は女性陣でもっているというのは当たっているのかもしれない。
「天国でのうのうと暮らすより地獄を這いずり回って生きていきたい。」をお読みくださりありがとうございました。
小鳥は黄泉の国に堕ちていました。捉われそうになっているところを颯爽と助けたのは故勇者でした。女の子のピンチに助けに現れる。さすが勇者です。でも、女性陣はそんな勇者より若返りに興味津々です。
投稿は毎週金曜日に行う予定です。今後もお付き合い頂けたら幸いです。




