4.出会い
一見、平和そうに見える日常に潜む影。それは生きとし生けるものが逃れ得ない生と死にまつわる有象無象の物語。
黄泉坂結弦は父親にあこがれていた。居酒屋の店主なのだけれど部下に仕事を任せて昼間から飲んだくれている父親に。だけど、親父の周りにはいつも人がいた。彼らの相談を見事に解決してしまう親父は結弦のヒーローだった。親父のようになりたい。それが結弦の夢だった。
だけど、自分は親父に似ていない。少年の悩みは尽きない。
「ねえ、聞いた? 千衣先生、なんかヤバいことになってるみたいだよ」
よくわからない理由で千衣先生が休んだ日、午後の教室には既にその噂は広まっていた。
「ヤバいって?」
「なんか、生徒を誘惑したって……」
「まさか!? あり得ないって。だって千衣先生そういうの好きじゃないじゃん」
「だよねー。でも、そういうことになってるみたい。昨日から謹慎してるんだって」
「だって昨日いたじゃん」
「だから昨日の午後から……」
女子生徒の噂話を聞いたときにも結弦は自分が関係しているとは思わなかった。
「私のせいだ……」
一人の女子生徒が泣き出した。
「佳奈美のせいじゃないって」
「でも、この前のときもそうだったし、うちのお母さんがまた何か言ったんだ。きっとそうだ……」
「そうと決まったわけじゃないから」
山倉佳奈美とそれを慰める女子グループがいた。佳奈美の母親はPTA会長をしていた。いつも口喧しく学校に文句を言うので生徒の間ではモンスターペアレントと認識されている。そのせいで佳奈美は肩身の狭い思いをしている。
その佳奈美を囲むグループにひかりが話しかけた。
「何かあったの?」
「連休に佳奈美の家族で買い物行ったとき、繁華街で千衣先生に会ったんだって」
泣いている佳奈美に代わってグループの誰かが答えた。
「千衣先生デートだったの?」
ひかりの問いに今度は佳奈美が自ら説明した。
「ううん、友達と……女子会だって言ってた。でも……うちのお父さん千衣先生の胸ばっかり見てデレデレしちゃって……ぐすっ。それでお母さん怒っちゃってその日は帰るまで千衣先生の悪口言ってた。教師としてあるまじき格好だって。千衣先生、普通のかわいい服着てただけなのに……」
「なにそれ……」
「最低……」
責める相手は父親なのか母親なのか。おそらくどっちもなのだろう。言葉が控えめなのは佳奈美に気を使ってのことだ。
教師とはいえ若い女性が休みの日におしゃれをして出かけることの何がいけないのだ。ましてや学区外でのことだ。
「これのことじゃねえか?」
教室の後ろの隅で一人の男子生徒が声を上げた。
「浅羽、スマホ!」
「そんな場合じゃねえだろ」
その男子生徒は教室でのスマートフォン使用を非難する声を一蹴した。皆一様に黙認する。
学校のサイトにアップされた画像は後ろ姿の男子生徒に千衣先生が抱きついているところだった。結弦は後頭部を殴られたような衝撃を感じた。
「オレだ……」
思わず漏れた結弦の言葉に一瞬教室中が静まり返り、爆発した。
「黄泉坂! てめえ何しやがった!」
「どういうこと? なにやってんのよ!」
クラスメート全員が結弦に注目していた。結弦の前にひかりが立った。
「ゆーくん。話して」
*
結弦はあの日、起きたことを事細かに説明した。起きたことだけでなくそのときの感情も。ここで隠すことはよくないだろう。
「そういう話では全然なかった。虫を怖がって十文字先生はしがみついてきた。事実はそういうことだ。腕に先生の胸が当たってちょっとラッキーなんて思った。でも、先生はごめんなさいって謝ってた。先生にそんな気がないのは明らかだった。オレもそれ以上のことは思わなかった。それから虫を始末して弔ってやったとき、先生は命を大切にする人は好きだと言ってくれた。これで全部だ。なあ、千衣先生のどこがいけなかったんだ。誰かわかるなら教えてくれよ!」
話しているうちに言葉に熱がこもる。親父のようになりたい。悩む結弦にとって自分の在り様を肯定してくれた先生は大切な存在だ。その先生を、その純粋な好意を汚すことは許せない。
結弦の言葉に応えるものはいなかった。
また、つまらない悪意だ。世の中、悪意に満ち溢れている。親父はよくこんな曖昧で掴みどころのないものと闘っていられるな。親父ならどうするだろう。結弦は考える。
「まだ、残っていたのか。さっさと帰れ。」
下校を促すため様子を見に来た福島彩里先生だった。
「彩里先生、千衣先生謹慎って本当ですか?」
「どっからそんなデマを聞いたんだ?」
「サイトの画像が理由なんですか?」
「誰が学校でスマホを見たのかは不問にしてやる。あの不適切投稿は既に削除依頼を出してある。お前らもああいった盗み撮り画像をSNSに上げたりするなよ」
「じゃあ、なんで千衣先生はお休みしているんですか?」
「サイトの件は関係ない。十文字先生の個人的な理由だ。私からはそれ以上は言えない」
学校は体裁を気にして千衣先生の自主的な休職扱いにしたのだろう。
「千衣先生に連絡とりたいんですけど……」
「先生の個人情報を勝手に教えることはできない。連絡とりたいのなら学校サイトのクラスの掲示板に書け。そしたら十文字先生も見るだろう」
話にならなかった。
それから千衣先生は1週間学校を休んでいた。
*
「死に方としちゃ、褒められた方法じゃないな」
明がその女を見かけたのは偶然だった。仕事に向かうため朝8時のホームに立ったときからその落ち着きない態度が目についていた。普段は見かけない顔だった。通勤にしても通学にしてもだいたい朝の顔は一緒だ。なんとなく顔馴染みになる。なんとなくポジションも決まる。たまにしか見ない顔もあるが新顔は珍しい。4月ならともかくとして今は5月も終わりだ。都会じゃあるまいし2か月もたって見たことがないのは普段の通勤では使っていないからだろう。
明は気になって電車を遅らせることにした。
それから1時間、9時を過ぎても女はまだそこにいた。通勤のピークを過ぎたプラットホームは人影もまばらだ。その中で青白い顔をしてベンチに座り込んでいたかと思うと、列車の入線を告げるアナウンスにビクッと肩を震わせ慌てて立ち上がる。決心がつかないのだろう。足が動かないうちに列車がホームに滑り込むと、がっくりと肩を落としてまたベンチに座り込む。
会社勤めなのだろうか。二十歳そこそこに見えるその女は紺のスーツに身を包み、恰好だけはOLと言っても通用するだろう。ただその表情に生気はなく、目の下には化粧でも隠し切れない隈が色濃く浮かんでいた。
ただの五月病じゃなさそうだ。明はそう判断すると数えきれない回数目に立ち上がった女に声をかけた。
「なに、お兄さん死神?」
190cmの長身に黒のスカジャンに皮のパンツ。黒づくめの陰気な格好をした明を女はそう呼んだ。
「死神じゃないな。どっちかというとその後のほうが仕事だ。公務員みたいなもんだ」
「公務員……じゃあ、刑事さんだ。ねえ、このまま飛び込んだら私、犯罪者になるのかな?」
女は明の正体を刑事だと勘違いしたまま勝手に話を続ける。
「心配すんな。死んだらホトケさんだ。死人にまで罪を問うような世の中じゃないよ」
「なら安心だ。それが心残りだったの……」
「民事は別だぞ。鉄道会社には迷惑がかかる。ほかのお客さんにもだ。清掃、検証、復旧に大きな金がかかる。損害賠償請求されるかもしれねぇぞ」
「あはは……それは困るなぁ。借金取りって地獄まで追いかけてくるかな?」
女は乾いた笑いを漏らした。
「地獄にまで追いかけて来たやつはいないな。借金取りやってたやつは大抵うちにくるがな」
明は地獄落ちを当然のように受け止めている女にイラっとした。
「だいたい死人に返済能力あるわけないだろう。親兄弟に迷惑がかかるって言ってるんだよ」
「私、親も兄弟ももういないから……だから、その心配はないかな」
「なんだ、冷静に考えられるじゃねぇか。なにがあったかは知らねぇが、そんなもんは酒でもかっくらって寝て忘れろ」
「なにがあったんじゃないんだ。ううん、あったんだけど、私が怖いのはなにが起こるかがわかるってこと……今日これから起こることも明日のことも……」
「明日のことを勝手に語るとお釈迦様に叱られるぜ。それは天界の方々の専権事項だ」
「だって私にはわかるんだもん」
「融通が利かねえやつだな。だったらお前が間違えているってことを教えてやる!」
明は女の首根っこを掴むと引っ張りあげた。
「ねえ、私猫じゃないんだけど……」
有無を言わせず引きずっていった。
改札を出るころには女はおとなしくなっていた。いくら大男の明でもいつまでも大人の女性を引きずっていくわけにもいかず明は手を離した。女は黙ってついてきた。少し遠回りになるが駅最寄りの神社に立ち寄る。知り合いに手を上げて断り裏門から外に出た。そこから裏道を通って商店街に向かいアーケードをくぐる。50mほど進んだところでまだ暖簾の掛かっていない引き戸を開けた。
「魔王様いる?」
「おう、明じゃねえか。仕事はどうした」
奥で道具の手入れをしていた中年の男が顔をだした。
「ちっと面倒なもん拾っちゃってさあ。預かってもらえない?」
「うちは食い物屋だぞ。保健所に見つかったらどうする」
「あの~。私人間なんで、猫確定で話しするの止めてもらえます?」
だが、女の抗議はものの見事に無視された。
「まあ、拾ってきちゃったもんはしょうがねえ。今日は面倒見といてやる」
「助かるよ。それじゃ、俺は仕事行ってくる。魔王様に話聞いてもらえよ。悪くはしないはずだから」
最後の言葉は女に掛けたものだった。
*
「……いいのかなぁ」
「ボトル一本空けておいて今更何言ってやがる」
「無理やり飲ませたのはおじさんじゃん」
「無理やりじゃねえ。俺が勧めたのは最初の1杯だけだ。奢りだと言ったとたんがぶがぶ飲みやがって」
「だってしょうがないじゃん。謹慎中だって言うのに昼間からお酒飲んで、今日だって面談あるってのにすっぽかして、明日のこと考えたら……もう飲むしかないじゃん」
支離滅裂だったが、これでいい。ようやく気持ちがほぐれてきたのだ。煽るのはここまでだ。そろそろ話を聞いてやっても良いだろう。
「お前さん、名前は?」
「十文字……十文字千衣です」
*
「なるほどな……」
千衣の話をひと通り聞いたところで男は溜息交じりに相槌を打つ。確かにひどい話だ。
「わかってくれる?」
「わかるとは言ってやれねえ。所詮は他人事だからな」
「やっぱりそうだよね……」
あからさまにがっかりした顔をして、そして手に持っていた水割りのグラスをあおる。
「誰も私のことなんか気にしないんだ……いなくなったってかまわないんだ。みんないなくなっちゃう……」
「まあ、そういうな。お前の気持ちをすべてわかってやることは誰にもできない。だが、これからどうすればいいかは教えてやれるぞ。聞いてみねえか?」
魔王と呼ばれた男は大人の余裕でにやりと笑った。
「どうすればいいの?」
千衣の問い掛けに魔王はカウンターの中から焼き鳥と炒飯の皿を出した。
「先ずは飯を食うことだ。体が弱っているから弱気なことを考える。どうせろくなもん食ってなかったんだろう」
「食欲ないんだって……」
謹慎してからの一週間、ほとんどまともな食事をしていなかった。一日中アパートのベッドで泣いていた。ときどき冷蔵庫の中の食材を調理もせずに口にするだけ。空腹は感じなかった。
ぐ~っ
空腹は感じてなかったはずなのに香ばしい臭いにつられてお腹が鳴いた。
「ほら、身体のほうが素直だな。いいから食え!」
乱暴に勧められてレンゲを手に取る。スープを一口すする。
「優しい味……」
身体に染み入るようだった。栄養が行き渡るのがわかる。今更ながら自分が何も食べていなかったことが分かった。
「板長がいればもっとうまいもん食わしてやれたんだが。それは夕方まで待て」
「ううん。これ美味しい」
魔王は照れ隠しのように卑下するが、出された料理は空腹であることを差し引いてもどれもおいしかった。
それからは夢中だった。スープをすすり、炒飯を掻き込む。合間に水割りをあおり、焼き鳥を頬張る。身体に力が湧いてくる。
魔王は焼酎をロックで飲みながら何も言わず見守っている。
「あー美味しかった。ご馳走様!」
こんなにいっぱい食べられないと思ったのにあっという間に完食してしまった。
「どうだ。少しは元気になったか?」
「うん。ありがとう……魔王様?」
優しく励まされ、千衣は急に恥ずかしくなった。
「ならよかった。困ったときはお互い様だ。気にするな」
「ねえ、なんで魔王様なの?」
魔王は焼酎の一升瓶を持ち上げてラベルを見せた。千衣もご馳走になっていた焼酎だ。
「これのせいだ。皆そう呼ぶ。お前もそう呼べばいい」
「わかった。ありがと、魔王様」
素直になった千衣は年相応に可愛らしい女の子だった。
「あれっ!?」
頭がクラクラする。瞼が急に重くなる。目を開けていられない。そのままカウンターに突っ伏した。
「どうせまともに寝てねえんだろ。いいから寝ちまえ。お前にはそれも必要だ」
「天国でのうのうと暮らすより地獄を這いずり回って生きていきたい。」をお読みくださりありがとうございました。
第4話は、追い込まれた千衣先生を明兄ちゃんが助けるお話です。千衣先生と魔王様が出合います。結弦少年のヒーロー魔王様がどのように千衣先生を助けるのでしょうか?
投稿は毎週金曜日に行う予定です。今後もお付き合い頂けたら幸いです。




