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46.小鳥の決意

 一見、平和そうに見える日常に潜む影。それは生きとし生けるものが逃れ得ない生と死にまつわる有象無象の物語。

 黄泉坂結弦は父親にあこがれていた。居酒屋の店主なのだけれど部下に仕事を任せて昼間から飲んだくれている父親に。だけど、親父の周りにはいつも人がいた。彼らの相談を見事に解決してしまう親父は結弦のヒーローだった。親父のようになりたい。それが結弦の夢だった。

 だけど、自分は親父に似ていない。少年の悩みは尽きない。

 ガンガンガンガンッ!

 激しい爆音が戸を叩く。

 閻魔堂(えんまどう)のガラス戸は法力(ほうりき)で強化されており悪しき者たちの圧力を耐えきっていた。


 床には初撃で頭を打ちぬかれた韋駄天(いだてん)(むくろ)が転がっている。

 身を挺して守ってくれた韋駄天を安らかに寝かせてあげたいけど今の小鳥(ことり)にはそんなことすら難しい。

 閻魔堂は孤立していた。

 悪しき異形のものたちの襲撃を受けているのだ。蟻一匹抜け出す隙間もないほどに。逃げ出せたとしてもあんなおぞましいものたちの中に飛び込む勇気など小鳥にはない。


 店の電話も携帯も繋がらない。助けを呼ぶこともできないのだ。

 もっとも満代(みつよ)は慣れたもので顔色一つ変えずに結界の呪符(じゅふ)で目張りをしている。

「ごめんなさいね。小鳥ちゃんまで巻き込んでしまって」

 申し訳なさそうに謝ってくれる。

 満代さんが悪いわけじゃないのに。


「心配しないで。小鳥ちゃんのことはきっと守るから」

 千衣(ちい)は勇者の眷属を兄に持つとはいえ普通の人のはずだった。十字教の聖職者の家の出だというから心得があるのかもしれない。

「そんなんじゃないのよ。私は兄さんと違って出来が悪かったから術の一つも使えないわ」

 なら、どうしてそんなに強くいられるのだろうか……

「母は強しってね」

 自分も子供を産めばあんな風になれるのだろうか?

 結弦との子供……なんて想像したけどときめいている余裕はなかった。


 驚くべきなのは光月(みつき)だ。

 たった3歳だというのに店全体を取り巻く悪意にも泣き声一つ上げない。小鳥よりずっと落ち着いている。

 (おび)える小鳥の頭を()でてくれさえする。


 この子だけは絶対守ろうと誓う。

 大好きなあの人(結弦)がたった一人愛するこの子を命を懸けて守ろうと小鳥は思った。


 いいことなど何もなかった人生だ。

 ううん。一つだけ。好きな人ができた。それだけは生きていてよかったと思えることだ。

 たとえその人に心を決めた(光月)がいたとしても。叶わぬ恋だとしても。だからといって不幸なわけじゃない。

 たった一度、助けてもらったからって。同情であったとしてもかまわない。

 チョロいと自分でも思う。

 人生を諦めてただ流されて生きてきた。そんな自分に唯一希望を見せてくれたのだ。好きにならずにはいられないじゃない。

 あれから小鳥は変わった。変わろうとした。自分の人生を生きようとした。それが恋敵を守るために果てても自分で生きた人生だ。悔いはない。


     *


「あ・な・た……」

 やさしさの中に氷のような冷気をはらむ声に周囲が凍り付いた。

「どうしたのじゃ、櫛名田(くしなだ)よ」

 妙にぎくしゃくと素戔嗚(すさのお)が振り返る。そこにいたのは優しそうな妙齢の美女であった。ただ、目が笑っていない。

 それは素戔嗚尊の妻女櫛名田比売(くしなだひめ)であった。

 あの荒ぶる神(素戔嗚尊)八岐大蛇(やまたのおろち)を退治してまで妻にしようと尽くした国津神(くにつかみ)の女神だ。


「また、庵を壊したのですか? 客人がいらっしゃるたびに壊すのはやめてくださいとお願いしたはずです」

 それはお願いではなく禁止の命令だと思う。

 だが、結弦はそんなことを口には出さない。わきまえた男なのだ。


 闘いのときとは打って変わってしおらしい素戔嗚に誘われて本宅に上がった。

「まあ座れ」

 囲炉裏を囲んで素戔嗚と向かいあう。少年お父さんと清志郎(きよしろう)も一緒だ。ついでに鼠も同席する。

「飲め!」

 湯呑になみなみと注がれているのは酒である。

「大王様は……」

 野暮(やぼ)を言うな清志郎。

 オレは一息に飲み干した。

 体がカーッと熱くなる。かなり強い酒だったようだ。

「ふむ……」

 うれしそうな素戔嗚だったが、

「あなた。学生さんにお酒を勧めちゃダメでしょう」

 櫛名田比売のダメ出しに(しお)れてしまった。

「ごめんなさい」

 オレもすかさず謝った。

 悪いことをしたらちゃんと謝れる。オレはそんな王なのだ。


 櫛名田比売もそれ以上は追求せず夕餉(ゆうげ)となった。

「死者の国の食べ物を口にすると帰れなくなると聞きますが……」

「何を言う。お前らの主こそ黄泉の国の王ではないか」

 逡巡(しゅんじゅん)する清志郎を素戔嗚が笑い飛ばした。

 茸を入れた雑穀米の雑炊に味噌汁、それに川魚と漬物。質素だが温かみのある食卓だった。鼠は傍らで豆を(かじ)っている。うまいのかちゅーちゅーうるさい。鼠語がわかるらしいAI五郎と盛り上がっている。

 素戔嗚も妻女の尻に敷かれっぱなしということもなく、威厳をもって客をもてなしていた。


 オレたちが根の国を訪れた訳から現世(うつしよ)の情勢に話は移った。

「なるほど……兄上(蛭子命)がのう……」

 蛭子命(ひるこのみこと)伊耶那岐尊(いざなぎのみこと)の抹消された長男であり、その末弟が素戔嗚尊なのだ。歴史から消されたとはいえ素戔嗚にも思うところがあるようだ。

「どのような方だったのですか、蛭子殿というお方は?」

「その姿、旭日(きょくじつ)のごとし」

 日の出のような人物だったと……わからん。

 太陽になぞらえると言うことは天照大神(あまてらすおおみかみ)と似ているのだろうか?


「全く違うな」

 オレの想像を素戔嗚は一言で切り捨てた。

姉上(天照大神)は中天の日よ。姉上のころの(やまと)は既に大国じゃった。葦原中津国(あしはらなかつくに)調伏(ちょうぶく)できるほどにな。朝日とは全く違う」

 確かに。天照は大国主の協力を得て大陸の超大国(いん)の侵攻をはねのけたのだ。

「それに比べて兄上のときはまだ国とも言えぬころじゃった。父上母上がどこから流れ着いたのかは知らん。だが、一族郎党を率いていたとはいえ未開の土地の真ん中だ。追手が来るかもしれん。近隣の強国には圧迫されるじゃろう。父祖は一刻も早く国の礎を築かなければならなかったはずだ。大八島国(おおやしまのくに)(日本列島)はおろか淡道之穂之(あわじのほの)狭別島(さわけのしま)(淡路島)すら支配できていなかった頃だぞ。待望の跡継ぎじゃ。大切にされたことであろう。兄上も期待に応え立派な男神に育った。兄上の尽力もあり倭はようやっと国の形を整えられたのじゃ。(ゆえ)に旭日よ」

 その後の話は事代主から聞いた。大陸の超大国()王朝の圧迫に耐え切れなかった倭は跡継ぎを失うことになったのだ。


 やがて話は立会いの話になり、剣技の話になり、剣の話になった。荒ぶる神々と英雄の会話なのだ。話題は尽きない。純粋に楽しい夕餉となった。


 !

 オレより先に素戔嗚が立ち上がる。

「何奴っ!」

 少年お父さんは既に剣を抜いていた。さすがだ。


 ガタゴト戸を揺らし、隙間から這い出してきたのは豆粒ほどの小さな男だった。

韋駄天(いだてん)っ!」

 どうしたんだ。こんなに小さくなってしまって……

「ぜぃはぁ……ああよかった……ぜぃはぁ……小閻魔、探したよ……ぜぃはぁ……」

 いくら快足で疲れ知らずの韋駄天でも根の国までの道のりは(こた)えたようだ。

「なにがあった?」

「急いで戻っておくれよ……ぜぃはぁ……閻魔堂が……ぜぃはぁ……襲われた」

 なんだって!?

「オイラ……足の小指を切り放して抜け出すのが精一杯で……ぜぃはぁ……」

 なんと韋駄天は足の小指に身をやつして繋いでくれたのだ。

「親父は?」

「ぜぃはぁ……それが……冥府再開の準備で出払っていたんだ……ぜぃはぁ……言伝(ことづて)はしたけど……ぜぃはぁ……」


「戻りましょう」

 清志郎が立ち上がった。

 閻魔堂には千衣がいる。清志郎も気が気ではないはずだ。

「出雲に出て特急……いや、飛行機か……」

 そんなんで間に合うのか……


「お主ら、ここをどこだと思っている」

 慌てるオレたちを素戔嗚が(いさ)める。

「どこって……根の国……」

「そうじゃ、お主らの黄泉(よみ)の国のお隣じゃ。そして黄泉平坂(よもつひらさか)はどこにでもあってどこにもない」

「そうか!」

「わかったか。さっさと行け!」

「恩に着る」


 オレは掌に載せていた韋駄天を座布団の上に寝かせた。

「韋駄天を頼む」

 危急の知らせをもたらした功労者だ。無下(むげ)にはできない。

 ちゅーちゅー

 素戔嗚より先に鼠が応えた。

「おお、なるほど。醜男(しこお)(大国主)なら打ち出の小槌(うちでのこづち)を持っとるか。丁度良い」

 なるほど、足の小指ほどになってしまった韋駄天だが大国主に任せれば大丈夫そうだ。

 オレたちは慌ただしく根の国を後にした。


     *


 閻魔堂への道を急ぐ。

 3歳児とは思えぬスピードでヒト五郎は駆け抜けた。法力を身に纏い弾丸のように無人の町を突き進む。

 宵が原(よいがはら)商店街の入り口で事切れた康太(こうた)を見掛けた。

 悪い予感が当たったようだ。


 ヒト五郎は一瞬迷ったが目的地を優先することにした。

 あっちは伝言でもすればいいでしょう。

 既に種は巻いてある。


 覚醒しているとはいえヒト五郎はただの人である。たとえ7世前が大悪魔であろうと何の力もない。己一人の力で戦況を逆転できるような大火力は持ち合わせていない。それでも急がなければならないのだ。

 これは己の失態なのだ。このままでは主様に合わせる顔がない。


 閻魔堂は見えなかった。

 異形のものが大挙して取り囲んでいるのだ。結界が貼られているが、一部は破られたようだ。中で抵抗しているようだが、あと何秒持つだろう。

 襲っているのはこの国の(おり)、時代の流れの中で主流になれなかったものが恨みをもって形をえたもの。妖怪、物の怪、怪異など呼び方は様々だが元は神であったものも多い。

 十字教でも似たようなことを行っていた。侵略した国の土地神を悪魔へと(おとし)め信仰を乗っ取ったのだ。この国だって同じだ。単一の文化が続いていたわけではない。国ではなく文化の侵略に数えきれないほど(さら)されてきたのだ。

 だからといって同情はしない。他人を呪うことで晴らせるならそれは本当の恨みではない。ましてや……

「貴様らは踊らされているだけだろうがーーーーーっ!!!」

 法力の鎧に身を包みヒト五郎は異形の中に突っ込んだ。

 異形のものたちが爆散する……




 遅かった。

 荒れ果てた閻魔堂の中に光月が一人佇んでいる。その足元には胸を貫かれた佐治小鳥の亡骸が転がっていた。

「天国でのうのうと暮らすより地獄を這いずり回って生きていきたい。」をお読みくださりありがとうございました。

 小鳥は結弦への思いから光月を守り死を選びます。小鳥を守ろうとした康太は倒れ、ヒト五郎は間に合いませんでした。結弦は、そして光月はどうするのでしょうか。

投稿は毎週金曜日に行う予定です。今後もお付き合い頂けたら幸いです。

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