45.魔王の油断
一見、平和そうに見える日常に潜む影。それは生きとし生けるものが逃れ得ない生と死にまつわる有象無象の物語。
黄泉坂結弦は父親にあこがれていた。居酒屋の店主なのだけれど部下に仕事を任せて昼間から飲んだくれている父親に。だけど、親父の周りにはいつも人がいた。彼らの相談を見事に解決してしまう親父は結弦のヒーローだった。親父のようになりたい。それが結弦の夢だった。
だけど、自分は親父に似ていない。少年の悩みは尽きない。
根の国の素戔嗚を訪れた結弦はそそのかされ影男と戦うことになった。必殺の一撃を辛くもしのぎ切った結弦は影男に焔魔刀の爆焔突きを食らわせた。
絞り込まれた炎が青白い光を放ちながら影男にぶつかる。
炎の輝きは影を吹き飛ばした。
残されたのは……
「お父さん……だよね……?」
そこにいたのは少年だった。
彫りの深い顔立ちは往年の故勇者の面影がある。だが、どう見ても高校生くらいの少年なのだ。
「おう、結弦、強くなったな」
そう答えるからには間違いなく少年は故・日色英雄なのだろう。
「あ、兄貴……」
「清志郎もいたのか。よく結弦を助けてくれた。礼を言うぞ」
高校時代からの付き合いだった十文字清志郎がそういうのなら間違いないだろう。
「お前ら、どうかしたのか?」
わかっていないのは本人だけだった。
*
「配線接続完了!」
「安定化電源、起動!」
冥府城内二の曲輪の一角、小規模マンションほどの大きさの箱のような建物に大勢の人間たちが集まっていた。その顔は皆一様に期待に輝いていた。
ここは地獄を管理するスーパーコンピューター『シャングリラ』の中央制御室。部屋の真ん中に据え付けられた椅子にふんぞり返っている黒ジャージの男が一人。この男こそかつて冥府を支配していた大王、今は息子に譲ったものの不在の息子に代わり地獄統括を務める元閻魔大王黄泉坂閻蔵その人である。
仏頂面で睨みつけるかのように座っている男を誰も疎まない。彼がいることで何が起こっても大丈夫だという安心感を与えるのだ。
今日は永らくシャットダウンされていたスーパーコンピューターの再起動なのだ。冥府の閉鎖による現世の混乱。その解決の一歩が踏み出されるのだ。誰もが待ち望んでいた。
期待に反して不安も大きい。
この10年、地獄は混乱していた。宗教戦争に起因する二度の地獄戦役。政変による経済封鎖と災難が続いた。その影響は現世にも現れていた。先日もヒルコの大量発生による日本近海の封鎖と騒動が続いている。
また、何かが起こるのではないか……その不安がぬぐい切れない。
冥府城の周囲は厳戒態勢が敷かれている。故勇者の眷属たちが城の周囲の警戒に当たっている。
「なあ、おっさん……」
巡回から戻ったらしい口縄火蓮が閻蔵に話しかける。
緋袴に白胴着、鉢金を額に巻いた火蓮は長弓を肩にかけ矢筒を背負ったままの戦装束を解きもしない。
警戒を緩めない彼女がわざわざ制御室まで会いに閻蔵に足を運んだのだ。何かあったに違いない。
だが、それを即座に問うような愚を老将は犯さない。
「場所を変えるか」
だらしなくふんぞり返っていた男は席を立った。
誰もいない談話室に入るとどかっと椅子に腰を下ろす。
「なにがあった」
火蓮を問い質す。
「たいしたことじゃないんだけどさ……」
火蓮も確認があるわけではないようだ。だが、魔王の判断を仰ぐべきだと歴戦の勇士の勘が告げているのだ。
「康太が戻らない」
山元康太は現閻魔大王黄泉坂結弦の幼馴染で成長著しい若手の有望株だ。神の系譜を持つ閻蔵や勇者の眷属である火蓮のような名持ちではない。実力は彼らの足元にも及ばないだろう。だが、幼馴染を奪われたことと親友だった結弦の覚醒が火をつけた。
今は一介の鬼卒にすぎないが、いずれ一軍を任せられる男になるだろう。今は勉強を兼ねて警護の小隊を任せている。その康太が巡回から戻らないのだという。
「魔王様、私が参りましょう」
魔王の問いかける言葉を幼い声が遮った。
「行先はわかるのか、ヒト五郎?」
周りの者たちに動揺を与えぬよう人目を避けたが、覚悟をもって聞くなら別だ。魔王も幼児を責めなかった。
「もちろん閻魔堂です」
「うむ…………」
この作戦において最も手薄で最も大事な場所を挙げた。ヒト五郎の読みは外れていないであろう。完全に閻蔵の油断だった。
それを取り返す覚悟ができている3歳児なのだった。
*
影の波に飲み込まれた。
なんでそのようなことになったのか……今では思い出せない。大事な理由があったはずだが。
まあいい。終わったことだ。
全身にまとわりつく影が鬱陶しい。だが、どうしても拭い去れない。
時速100kmで突っ走っても水量毎分100tの大滝に打たれても影は離れなかった。それどころかじわじわと肉体を侵食してきた。
蝕まれたのは体だけではなかった。何をやっても離れない影は私から気力を奪い去っていった。何もかもが面倒くさい。どうせ、もう終わりなのだ。
浸食されたのはあるいは魂だったのかもしれない。
私は無気力に彷徨い続けた。
いつの間にか肉体は崩れ、その形すら保てなくなっていた。
どのくらい彷徨い続けたのだろう。
1年? 2年? いや100年くらい過ぎた気がする。
それとも1日? いや1時間くらいだろうか。
時間の感覚はとうに失せていた。
何の問題もない。
死者には食事も休息も必要ないのだから……
……死者?
俺は死んだのか……?
それもいい。どうせじきにすべてが終わる。
神に会った。
すさまじい力だった。存在が既に暴力といえる。
本能で飛び掛かった。
一瞬で叩き伏せられた。
だが、俺は満足だった。
強い奴を見ると勇者の血が騒ぐ。
……勇者? なんだそりゃ……うまいのか?
奴が負けた。
しょうのない奴め。俺以外に負けるなど許さん。
俺は剣を手に取った。
折れた鈍らだが、意外に馴染んだ。
なんだこれは……?
闘ってわかった。
俺はこの剣を知っている。何故だかわからないが、そう思った。
懐かしく、安らぐ
あいつが小賢しいことを企んでやがる。剣先を切り飛ばそうなんて鈍ら相手に見え見えだ。
だから透かしてやった。そのまま胴を薙ぐ。
浸食されたせいか力が乗り切らない。
受けられた……
爆炎の炎に巻かれた。
なんだこりゃ……俺の剣じゃねえか
*
「お父さん……だよね……?」
少年の声に我に返る。
目の前にいたのは息子だった。
「おう、結弦、強くなったな」
あれから何年経ったのだろう。息子は見違えるように強くなっていた。背も少し伸びただろうか。並ぶと俺と同じくらいあった。
息子の隣には清志郎もいた。
なぜだか二人とも怪訝そうな顔をしている。
「お前ら、どうかしたのか?」
どうやらわかっていないのは俺だけのようだった。
*
あれから3年経っていたようだ。
俺は輪廻の輪に還ったひかりちゃんを助けるために地獄の法を犯したそうだ。覚えていないが。
「お父さんのおかげでひかりは無事転生できた。覚醒はまだだけど」
「そうか。それはよかった」
何かの役に立ったのならよかった。覚えていないが。
「それより兄貴、そのお姿は……?」
清志郎が言うに俺は若返っているらしい。
「どうやら経験値をごっそり持っていかれたようだ。今の俺はお前らと出会った頃ほどの力しかない」
「なら、力は堕ちていませんね。兄貴の力は持って生まれたものですから。兄貴は修行などしたことないでしょう」
何気に失礼なことを言いやがる。
「反魂の術の影響だね」
結弦が言う。
「魂を逆再生して生まれる前に戻してしまう。全てを無かったことにしてしまう術だよ」
地獄の番人はとんでもない刑罰を下したようだ。
「術の進行が止まったのは素戔嗚様のお力か」
「たぶんそうだけど……そんなことよりお父さん……」
息子よ。若返ったこと以上に驚くことなどなかろう。
「今のお父さんは屍人じゃないよ。たぶん、死ぬ前に巻き戻されたんだ」
なんだってーーーっ!
*
午後5時過ぎ、開店したばかりだというのに満代さんは暖簾を取り込んだ。
「ごめんなさいね。厨房の調子が悪くって今日は何も出せないの」
まだ明るいうちからやってきた客を追い返していく。
何があったのだろう。コンロなら普通に使えてたのに?
小鳥にはわからない。
「そんな、殺生なぁ。これだけが楽しみで生きてるんだぜ」
「酒さえあればつまみなんて乾きものでいいからさぁ」
「聞き分けないこと言わないの。そんなに飲みたければツケを払ってからにして」
ごねる客を満代さんは容赦なく叩き出す。
「韋駄天君」
厨房を任されていた韋駄天様に呼びかける。
神様のはずなのだけど源治さんの代わりに厨房を手伝わされたりして、ついには君呼ばわりされてる。バイトかよ!
「お使い頼まれてくれる?」
「いいけど。どこまで?」
「ゆーくんのとこまで」
どくんっ!
心臓が跳ね上がった。
私の好きな人。叶わない恋でも諦められない。名前を聞くだけでもときめいてしまう。
だけど満代の言葉を聞いて空気が引き締まった。
「小鳥ちゃんと光月を連れてってくれる?」
韋駄天様が首を振った。
「もう遅いようですよ。お義母さま」
千衣さんがモップを構えて戸口に向き合う。
いったい何が起こるの?
預けられた光月を抱いて小鳥は表を見つめる。
「天国でのうのうと暮らすより地獄を這いずり回って生きていきたい。」をお読みくださりありがとうございました。
地獄の予算が復活してスーパーコンピューター『シャングリラ』の再起動が始まります。皆が願った冥府の再開です。そんなとき、手薄になった閻魔堂に異変が起きます。結弦は間に合うのでしょうか。
投稿は毎週金曜日に行う予定です。今後もお付き合い頂けたら幸いです。




