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41.事代主

 一見、平和そうに見える日常に潜む影。それは生きとし生けるものが逃れ得ない生と死にまつわる有象無象の物語。

 黄泉坂結弦は父親にあこがれていた。居酒屋の店主なのだけれど部下に仕事を任せて昼間から飲んだくれている父親に。だけど、親父の周りにはいつも人がいた。彼らの相談を見事に解決してしまう親父は結弦のヒーローだった。親父のようになりたい。それが結弦の夢だった。

 だけど、自分は親父に似ていない。少年の悩みは尽きない。

 紀淡海峡(きたんかいきょう)上空を東に飛んでいく何者かが二体。

「おのれ……邪教の鬼風情が私の野望の邪魔をしおって……」

野良天使(のらあまつか)ごときが大層な吠え面かくもんやねぇ」

「うるさい! 堕天の女神が……」

 敗れたというのにへらへらする相棒に男は噛みつく。だが女には一向に応える様子はない。

「まさか、この時代に蛭子(ひるこ)様の神格が現れるとはねえ……玩具(おもちゃ)と思って遊び過ぎましたえ」

「貴様……失敗を認めるのだな」

「えぇえぇ……此度(こたび)はわらわの失敗でありんす」

 潔く認める女。だがそれは悔いてなどいないことの表れである。

「次こそ失敗は許さんぞ」

「はいはい。ほな次行きまひょか」

 二体の怪しい影は東方へと消え去った。


     *


「恵比寿―っ!」

「様をつけんか、小娘がっ!」


 結弦たちは西宮社(にしみやしゃ)に戻っていた。

 赤松さんの船、行きに乗っていた手漕ぎの木造船ではなくエンジンの付いた漁船だった。海からヒルコが消えたので無線で船を呼び寄せたのだそうだ。

 快適な船旅を終え、西宮社にたどり着いた結弦たちを高浜宮司(たかはまぐうじ)は出迎えてくれた。日本中の経済を止めていたヒルコを昇華させたのだ。いくら蛭子命(ひるこのみこと)(まつ)っている神社でも困っていたには違いない。これ以上混乱が続けば逆恨みされかねない事態だったのだ。

 と思ったところで知らない空間に飛ばされていた。


 先輩は仲良さげに年配の男に抱きついていた。

 作務衣(さむえ)のような服を着た小太りの男だった。鯛と釣り竿(ざお)を抱えていことから推測はつく。あれが先輩の神格化を手伝った恵比寿神(えびすかみ)なのだろう。

「ええい、うっとうしい。離れんかっ!」

「ええーっ、いいじゃん。ケチ」

「なんじゃとーっ!」

 妙に親しげだが、今までまとわりついてきた先輩が他の男と仲良さげに話しているのが、寂しいなんて思ってないんだからねっ!


「それで原因までは突き止められませんでした」

 オレはこれまでのことを恵比寿神に説明した。一応は神代(かみよ)のころからの先輩神だ。

「ヒルコの発生を封じたのだ。まずはよしと言ったところじゃろう。このままにしておく気はないのじゃろう?」

 もちろんだ。許すつもりなどない。

「それにしても湧き出したのが物の怪というところが気になる。それにアマビエか? そやつが漏らした言葉もな」

 恵比寿が言うことはもっともだ。アマビエはオレたちのことを仏に魂を売った邪教の鬼風情と言ったのだ。

 オレのことならまだわかる。古代インドの神であったヤマが極楽教に下り、冥界の守護者になっているのだ。だが、先輩はどうだろう。日本神話からも消された古き神の末裔。どこにも邪教と呼ばれるいわれはない。

「この手口を小職は知っているのです、はいっ!」

 口を挟むAI五郎に頷く。

 AI五郎の本体であるヒト五郎の7代前の前世はルシフェルだった。ヒト五郎ならよく知っているはずだ。異国の神を悪魔に(おとし)め侵略するその手口を。

「だが、どうしてだ。唯一神とは手打ちをしたはずだ……」

「やつらも一枚岩ではなかったということじゃろう」

 恵比寿の言わんとすることはわかる。いったい誰なのだ。悪魔ではあるまい。冥府城には親父もいれば故勇者の遺臣もいる。彼らを出し抜くことなどできるわけがない。

「それに十字教の連中にしてはこの国の故事や妖怪に詳しすぎる」

 手を貸しているもの……いや、黒幕がいる。


「それで閻魔(えんま)殿、これからどうする?」

「急ぎ冥府に戻り黄泉平坂に攻め入ります」

 恵比寿神の問いかけにオレは答えた。国母(こくぼ)伊邪那美命(いざなみのみこと)と英雄蛭子の名を汚した奴らを許しておけない。

「それならば一つ薦めたい」

 なんだろう? 恵比寿が俺に肩入れする理由がわからない。先輩が取り持つ縁なのか


 とまどうオレに恵比寿は提案した。

「出雲に行かぬか? 父上には添え状を書こう」


     *


 帰りのHR終わると佐治小鳥(さじことり)は教室を出ていこうとする山元康太(やまもとこうた)を呼び止めた。

「山元……」

「なんだ? 佐治か……」

 警戒している康太に食らいつく。逃げられるわけにはいかない。小鳥には他に黄泉坂結弦(よみさかゆづる)について知る手掛かりなどないのだ。

 確かに店の人たちはよくしてくれる。だがそれは店のことについてだけだ。黄泉坂の……閻魔大王のことについては口が堅い。それは光月(みつき)に対しても同じなのだ。

 閻魔の眷属は覚醒して一人前とみなされる。どれだけ力があろうと覚醒していなければ大事なことは教えてもらえない。一族であってもそうなのだ。なら、ただ助けられただけの縁もゆかりもない小娘ならどうだろう。絶望的だ。

 だからこそ康太を逃がすわけにはいかない。クラスメイトという縁があり、女子に甘いと言われる康太なら何かを教えてくれるかもしれない。そう思ってのことだった。


「俺は何も知らないぜ」

 既に読まれていたようだ。攻めれば落ちるようなら胸くらい触らせてやってもよいかと考えていたのだ。

(それ以上は絶対無理!)

 黄泉坂に対してだって躊躇(ためら)ってしまうほどなのだ。

(だって小さいとか思われたら立ち直れないじゃない……)

「まあ、お前ならいっか……」

 代償なしに気を許してしまう康太は予想以上にちょろかったのか?


 時間がないこともあり、一緒に帰ることになった。康太の家は宵が原商店街の八百屋なのだ。商店街の中にある閻魔堂に向かう小鳥と同じ方向だ。

「と言っても本当に何も知らないんだけどな」

「じゃあ、山元はなんでそんなに忙しそうなのよ」

 予防線を張る康太を逃す気はない。

「まあ、それは備えだ」

 康太はすんなり答えた。逃げる気ではないらしい。

「俺の家はさ。結弦んとこみたいに大王様の家系でもないし、ひかりみたいに神の眷属でもない。ごく一般的な獄卒の家柄だ。強くなりたいと思っていたし、修練も欠かしてねえ。だけどな、わかっちまうんだよ。俺はこれからどんなに修行しても神々との戦いにはついていけねえ。結弦の旅についていったとしても足手まといだ」

 黄泉坂の親友ポジだと思っていた康太の告白に小鳥は戸惑う。

 もしかしたら黄泉坂のことを聞きたいと迫ったことが康太のプレッシャーになっていたのだろうか。

 私は自分のことしか考えていなかった。


 後悔を覚える小鳥を笑うかのように康太は続ける。

「けどさ。そんな俺にだってできることはある。何かが動く気配がする。悪魔どもじゃねえ。だが、十字教がかかわっているのは確かだ。代り映えしない景色でも毎日見てるんだ。何かが違うことくらいわかる。今度こそ遅れは取らねえ。ことが起こったとき、真っ先に気付いて蹴散らしてやる。攻め込む戦力にはなれなくてもそれが俺の戦いだ。結弦がいない今だからこそ光月は……ひかりは俺が守らなきゃならないんだ」

 故・黒鉄(くろがね)ひかりは康太にとっても大事な幼馴染なのだ。


「……山元ってもしかしたら恰好いいの?」

「なぜ疑問形なんだよ! まあ、気が付いちまったのならしょうがねえ。俺に乗り換えてもいいんだぜ」

 へこたれない康太に小鳥は笑顔で返す。

「それはムリ! 私は黄泉坂が好きだから」

「知ってる」

 康太も気にしない。

 だけど格好いいと思ったのは本当だ。

「さあ、行けよ、小鳥。今日もバイトだろ」

「うん。ありがとう」

 警戒を解いたのか。それとも仲間として認めてもらえたのか。初めて康太に名前で呼ばれても嫌な気持ちは湧かなかった。


     *


 康太に手を振って去っていく小鳥。

 じっと見送っていた康太は視線を外す。そして(つぶや)く。

「男に見つめられてもうれしくないぞ」

 康太の呼びかけに反応して塀の陰から陰気な男がのそりと現れる。

「なに……勇者の眷属を軽くあしらった鬼人(きじん)がしおらしいことを言うものだ」

「うっせえ、清志郎(きよしろう)

 それは千衣の兄であり、故勇者の眷属であった十文字(じゅうもんじ)清志郎(きよしろう)だった。故勇者こと日色英雄(ひいろひでお)将軍亡き後、眷属たちは慕っていた故勇者(兄貴)の遺児である結弦を守ることにした。死して地獄に落ちたものは冥府城の防衛に、生きながらえたものはこの世の諜報に勤しんでいる。

 同僚の鮫島哲也(さめじまてつや)は妻、故亜里(あり)と一緒に冥府城に居を構えつつ地上での索敵に務めている。故・口縄火蓮(くちなわかれん)と故・アレックス羅門太郎(らもんたろう)は冥府城に詰めている。清志郎は妹を陰で見守りながらこの世の動向を見張っていた。

 かつては勇者の眷属として十字教に与していた十文字清志郎の戦いのフェーズは新たな段階へ移行したのだ。一度は失敗した兄貴の家族を、そして妹を今度こそ守るのだ。

 それを康太は理解している。思いは同じなのだ。

「変わりはない。ヒルコの騒動も大王様が収めてくださるだろう」

 清志郎の報告を受け今日の見回りのことを考える。華々しく遠征に出かける結弦がうらやましくないわけじゃない。

「だが、それはお前の戦い方ではない」

「わかってるよ」

 今度こそ幼馴染を守るのだ。

「だからお前が行け、清志郎」

 康太は自分の戦いに意識を向けた。


     *


 恵比寿神の御利益には商売繁盛、豊漁祈願、航海安全に並んで五穀豊穣というものがある。今でこそ海の幸を司る恵比寿神であるが、かつては事代主命(ことしろぬしのみこと)と呼ばれていた。事代主命は大国主命(おおくにぬしのみこと)の子として共に日本の国造りを行った国津神(くにつかみ)である。

 国津神(大豪族)であった大国主はその子供たちの中でも最も事代主を信頼していた。そして事代主もよく大国主に仕えた。そんな事代主であったからこそ大国主は国譲りという大事を行うに際し、事代主の意見を聞いたのだ。

 大国主はその字面からダイコクと読まれることもあった。後世に大黒天と混同されるようになり大国主の一族は栄えていたこともあり田んぼの神様、五穀豊穣の神様としての信仰を受けるようになった。大国主の息子である事代主つまり恵比寿も五穀豊穣の神として祀られるようになったのである。


「ふーん……恵比寿って偉かったんだ……」

 恵比寿の膝を枕にしてごろごろとだらしなく寝そべっていた蛭子雅美(ひるこまさみ)が呟く。ありがたみがわかっているようには見えないが

「だから、様をつけろと言うとるんじゃ」

「蛭子は長男だから私の方が偉いって恵比寿が言った」

蛭子命(ひるこのみこと)殿はな。お主は百代末の子孫じゃろうが」

「でも恵比寿が言った」


 こんなに誰かに甘える先輩を結弦は初めて見た。

 ずけずけと人の懐に入り込むくせに誰も信用せず孤高を貫いてきたあの先輩が……でもそれはいいことなのかもしれない。同じ根源(海の幸)の神である恵比寿神と相性がいいのかもしれない。神格化してからの蛭子先輩はどこか不安定で、振り回されつつ心配していたのだ。


「それはそうとして出雲とどう繋がるのですか?」

 先輩のことはいいことにして結弦は話を元に戻した。

「うむ。伊邪那岐(いざなぎ)様が下った黄泉平坂(よもつひらさか)は出雲にある」

「えっ……横浜ではなく?」

「閻魔殿、それはお主の拠点であろう。それは黄泉平坂が具現化したものの一つにすぎぬ。沼島(ぬしま)に出現したのもそうじゃ。考えてもみろ。この国の死者が総て同じところから黄泉(よみ)の国へ下るわけがなかろう。黄泉平坂はどこにでもあってどこにもない。象徴のようなものじゃ」

「なら……」

「だが、出雲は違う」

 断言する恵比寿に結弦は開きかけた口を閉ざした。神代のころからの生き残りなのだ。何かを知っているに違いない。

「出雲の黄泉平坂はまさしく伊邪那岐様がお通りなされた場所じゃ。坂の入り口にある揖夜神社(いやじんじゃ)は今でも伊邪那美(いざなみ)様を祀り、その御霊(みたま)慰撫(いぶ)されている。(おそ)れ多くも神敵の輩は伊邪那美様眠る彼の地を汚したのじゃ。許せるわけなかろう!」


 恵比寿は怒っているのだ。

 自らの属する秩序に対しての冒涜だ。怒らないわけがない。

 そしてそれは結弦にとっても同じことであった。


「黄泉坂、頑張って♡」

 先輩、寝っ転がった格好でいわれても……

「先輩は行かないんですか?」

「ん……ヒルコは助けた。余は満足じゃ」

 どちらかと言えば先輩の方がヒルコに助けられていたような。でもまあ、しょうがない。

「では恵比寿殿、先輩を頼みま……」

「お断りじゃ!」

 食い気味に拒絶された。

「礼儀のなっていない小娘など面倒なだけじゃ。さっさと連れて帰れ!」

 ダメ押しまでされてしまった。

 だが、当の本人は恵比寿の膝の上で既に寝息を立てていた。まるで祖父に甘える孫のようだ。


「祖父と孫って……他に言いようはないのか?」

「いいえ。先輩に色恋など想像もつきません」

 ぼやく恵比寿に軽く仕返しをしておいた。


 もともと綺麗な人(不思議ちゃんだが)だったが、羽化登仙(うかとうせん)を果たしてからは磨きがかかった。神々(こうごう)しくてとても祖父に甘える孫には見えない。

「まあ、こやつも数百万のヒルコを昇華させたのじゃからな。疲れたのであろう」

 ほだされたのか優しげな目をして先輩の頭を撫でる恵比寿神。

 想像はつかないが、恵比寿になら先輩を任せてもよいかもしれない。結弦は思った。

「天国でのうのうと暮らすより地獄を這いずり回って生きていきたい。」をお読みくださりありがとうございました。

 オノゴロ島の戦いを終えた結弦たち、ヒルコを昇華させることには成功しましたが敵には逃げられます。次の戦いが迫っています。

 それにしても蛭子先輩のラブストーリーが始まる予感です。

投稿は毎週金曜日に行う予定です。今後もお付き合い頂けたら幸いです。

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