40.黄泉平坂
一見、平和そうに見える日常に潜む影。それは生きとし生けるものが逃れ得ない生と死にまつわる有象無象の物語。
黄泉坂結弦は父親にあこがれていた。居酒屋の店主なのだけれど部下に仕事を任せて昼間から飲んだくれている父親に。だけど、親父の周りにはいつも人がいた。彼らの相談を見事に解決してしまう親父は結弦のヒーローだった。親父のようになりたい。それが結弦の夢だった。
だけど、自分は親父に似ていない。少年の悩みは尽きない。
帆を張っていたとはいえ、手漕ぎ船でわずか3時間の船旅であった。潮流に乗れたことも大きかったのだろう。西宮港から60kmはあっという間だった。
「陸に上がったとたん強気ですこと」
先輩は黙って!
陸のヒルコたちも先輩に頭を撫でられるときゅーきゅー鳴きながら飛び跳ねてどこかへ行ってしまった。
とはいえ次から次へとひっきりなしに湧き出してくる。正直言ってきりがない。
どうしたものだか……
*
「阿形はん、こいつらもう死んでるやろ。ほとけさん、傷つけたらあかんちゅうし、どねいせいっちゅうねん」
鮫島鉄也がぼやく。だがそれも奴の幻術のうちだ。口調とは逆に手際よく亡者を拘束していく。鉄也に答えず黒鉄明は閻魔の真言を唱える。
「のうまく さんまんだ ぼだなん えんまや そわか……むん!」
どさっ
もがいていた亡者の動きが止まりただの屍体に戻る。
「よっしゃ! 捕まえたで」
鉄也の手の中で豚のぶーさんのぬいぐるみがじたばたと暴れていた。
「これで101匹か……それにしても大王様の真言ちゅうのはすごいな。暴れまわって会話もままならんかったゾンビが一瞬にしておとなしゅうなりおる」
「おとなしくはなっていないがな」
じたばた暴れるぬいぐるみを見て明は言う。
「こんなん可愛いもんや」
ぬいぐるみを麻袋に放り込むと哲也は肩に担ぐ。まるで季節外れのサンタクロースだ。
魔王の命で明は哲也と一緒に亡者の慰撫を行っていた。
冥府の閉鎖により死者は幽世に送られず、現世に亡者が溢れていた。それを鎮める。と言っても閻魔の真言で肉体と魂の接続を切っているだけだが。肉体を失った亡者の魂はぬいぐるみに一時的に確保する。いずれ地獄が再会した暁にはちゃんと手続きを踏んで送り出すことになる。それまでの一時凌ぎだ。
「地獄が再開されるまでに日本人全員ぬいぐるみになるんちゃうか?」
そんなことはない。国内の1年間の死者数は約144万人、一日当たり4000人弱が死んでいる。日本人全てがぬいぐるみになるのは80年ほど先のことだ。
「なに計算しとんねん! 真面目かっ!?」
鉄也の突っ込みは正しい。日本人が滅ぶ前に我々地獄の鬼たちが滅ぶ。我らを保たせているのは人々の信仰なのだ。亡者となった屍人に信仰心はない。
「他のチームがおるにしても毎日4000匹のぶーさん捕まえてられんって……」
鉄也の言う通り焼け石に水だ。
もっとも死者の全てが亡者になるわけではない。人は死んでもそう簡単に死を受け入れられない。四十九日の鎮魂を経て納得するものだ。納得できなくても暴れる者はごく少数だ。大半の者は自失して漂うのみだ。
だが、生への執着の強いものや強い妄執に捉われた者は亡者となる。屍人でありながら妄念で肉体を動かし亡者となる。それを強制的に鎮めるのが明の仕事なのだ。
「ああ……光月に会いたい……」
愛娘とも妻とももうひと月以上会っていない。鉄也でなくても愚痴もこぼれようものだ。
「ねえ、小鳥。ゆづるはいつになったらかえってくるの?」
閻魔堂での留守番に飽きた光月が小鳥に甘える。
「そうだね。いつ頃かな? きっとお土産いっぱい買ってきてくれるよ。楽しみだね。光月ちゃんはお土産、なにがいい?」
「んっとねぇ……プルキュア!」
光月はお気に入りの魔法少女アニメの主人公の名を挙げた。どこがとは言えないがぷるんぷるんと肉感的なヒロインが主人公の美少女アニメだ。やっぱりおっぱいなのか?
周りの大人たちが全国を飛び回って働いており閻魔堂もすっかり寂しくなった。小鳥の仕事もいつの間にか光月の世話係だ。
「プルキュアはどうかなぁ……黄泉坂が行ってるの関西だからなぁ。プルキュアはパパにお願いしてみたら?」
父親も出払っていて寂しいだろうと話題を振ってみる。
「イヤ! パパじゃないの。ゆづるがいいの!」
幼い娘にとって父親の扱いってこんなものかと小鳥はショックを受けた。まあ、自分も幼い頃に死別した父親のことなんて思い出したこともないのだけれど。
もちろん明はそんな光月の心情など知らない。
*
自凝神社の裏にある洞窟は黄泉平坂に繋がっている。
淤能碁呂島に建てた八尋殿を住みかとして国生みを行っていた伊邪那岐と伊邪那美であったが、火の神である火之迦具土を生んだときの火傷がもとで伊邪那美は命を落とす。伊邪那岐は悲しみと怒りのあまり伊邪那美の死の原因となった火之迦具土を十拳剣で斬り殺してしまう。このときバラバラになった火之迦具土の体から神々が生まれた。天津神最強の建御雷もこのときに生まれたのだが、それはまた別の話。
伊邪那岐は伊邪那美を甦らせるべく、死者の国である黄泉の国へ行くことを決心した。伊邪那岐は黄泉の国へ単身乗り込み、伊邪那美のいる神殿へと向かう。ここで伊邪那岐は伊邪那美と扉を挟んで再会した。
伊邪那岐は「帰ってきてまた二人で国を作ろう」と誘う。最初、伊邪那美は「既に自分は黄泉の国の食べ物を食べてしまい、黄泉の国の住人になってしまったから帰ることはできない」と断る。しかし、伊邪那岐の強い気持ちに動かされ黄泉の国の神に帰国の許しを得る。
このとき伊邪那美は伊邪那岐に「地上に着くまで絶対に振り返って自分の姿を見ないよう」約束をさせた。伊邪那岐は約束を守ると言い、二人して黄泉平坂を上って帰りを急いだ。あと少しで地上に着く、日の光を見た伊邪那岐は喜びに約束を忘れて振り返ってしまう。
そこで伊邪那岐が見たのは、蛆虫が体中にわき朽ち果てた伊邪那美の姿であった。あまりの姿に恐れた伊邪那岐は逃げ出す。
伊邪那美は伊邪那岐に変わり果てた姿を見られたことを恥じ、伊邪那岐を黄泉の国から逃がすまいと黄泉の国の兵や雷神を遣わして追いかけた。伊邪那岐は黄泉の国の入り口を、千人でやっと動かせるような大岩で塞いで逃げ切った。
伊邪那美は「愛する夫よ、私にそのようなことをするのであれば、あなたの国の人間を一日1000人ずつ殺して連れてきましょう」と言った。
伊邪那岐はそれに答え、「愛する妻よ、あなたがそうするなら、私はこの国に1500もの子を誕生させましょう」と言い返した。
こうして人々に寿命ができ、伊邪那美命は黄泉津大神という神格が付けられるようになった。
つまり黄泉平坂はこの世とあの世をつなぐ道の一つなのだ。そして黄泉の国の王はこのオレだ。日本神話と古代インドの神の流れを汲み極楽教に組み込まれ日本に根付いた閻魔大王は伊邪那美と非常に近しい関係にある。
ならばこそ黄泉の国を、そして伊邪那美を騙る何者かを許すことはできない。
オレはヒルコに代わり湧き出す異形のものたちを切り伏せた。
「黄泉坂、あんた黄泉の国でこんなの飼っていたの? 趣味ワル……」
どろどろとした澱のようなものを見て先輩が呟く。
オレのせいじゃないですって……
だが先輩も異常に気が付いたようだ。
「先輩、ここは黄泉平坂であって黄泉平坂じゃない」
そうだ。ここは黄泉平坂の霊気を掠め取った何者かによる咎地だ。許せるわけないだろう。それはヒルコをだしに使われた先輩も同じ気持ちだった。
「ヒルコたち、やっておしまい!」
きゅー、きゅー、きゅーっ!
悪役みたいな先輩の台詞にヒルコたちが猛然と襲い掛かる。手足のないヒルコたちは異形のものに食らいつく。急所がどこかもわからないどろどろとしたものを食い破り、嚙み砕き、飲み込んだ。
腹下さなければいいのだが……
とにかくヒルコたちの援護で敵の圧が下がる。
オレも前に出て焔魔刀を振るう。
蜘蛛の体に牛の角を持つ鬼の顔をもつ化け物……あれは牛鬼か? 鮫に似た姿で針の生えた尾を持つ化け物……磯撫か。船をも一呑みするような大魚……悪樓、長大なウナギのような姿はいくち。その他、海坊主、影鰐、栄螺鬼、海御膳、その他もろもろ名も知らぬものもいる……この国の妖怪大戦争か……
だが、妖怪ごときではオレの敵ではない。焔魔刀で切り伏せ、その熱で浄化する。ここは黄泉平坂、オレの領土だ。妖怪たちはその妄執ともども昇華し輪廻の輪に還っていく。
人への恨みを忘れ、よき転生を。心の中で祈る。千衣先生に褒められたその思いを忘れたことはない。
オレは次々と妖怪を浄化させていく。ヒルコはそれ以上の勢いで食らいつくす。
ぎゅ~ぎゅ~
腹いっぱいになったのか、食った妖怪に当たったのかヒルコが苦しそうに退却していく。代わりのヒルコがすぐに穴を埋める。日本中に散らばったヒルコが淤能碁呂島に戻ってきたかのようだ。ヒルコの渋滞で剣が振るいにくい。
だが、それ以上に妖怪の湧き出す速度が増していく。根源に近づいたのだろうか。
「おのれ……仏に魂を売った邪教の鬼風情が……」
ラスボスだろうか? 鳥の嘴を持った半人半漁の妖怪が呻く。
こいつは知っている。アマビエだ。江戸時代に突如大流行した比較的新しい妖怪だ。疫病が流行ったら自分の写し絵を人々に見せよと言い残したとされる疫病除けになるとされる妖怪だ。何年か前に感染症が流行ったときに有名になった。そのせいで霊力を取り戻したのかもしれない。悪い妖怪ではないのかもしれない。
一刀のもとに切り捨てた。
転生したら薬師如来様の家来にでも推薦してやろう。
どうやらアマビエはラスボスではなかったようだ。
妖怪が湧き出す圧が下がらない。
「黄泉坂、ヒルコが……」
慌てたような声で先輩が叫ぶ。
きゅーきゅー……
ヒルコたちが弱弱しい姿で先輩の腕に抱かれていた。あの猛々しかった姿はもうない。限界を超えたのだ。
しかたない。一時撤退だ。
「うおおおおおおおおおーーーーーーーっ!!」
直径10mはあろうかという大岩でオレは黄泉平坂を塞いだ。どこにそんなものがあったのかって? ここは黄泉の国、オレの領土だ。それくらいどうにでもなる。伊邪那岐に倣ったようなものだが、黄泉の入り口を塞ぐにはこれと決まっている。
「先輩……もうこれ以上ヒルコが生み出されることはない。ヒルコたちを休ませてやろう」
生み出され続けていたヒルコを止めるという目的は達したのだ。敵の打倒は次の機会だ。
先輩はこくりと頷いた。
静かになった坂の途中で先輩が膝をつく。抱きかかえているヒルコの以外にもヒルコたちが甘えるように先輩に寄ってくる。手の届く限り先輩は優しくヒルコたちの頭を撫でてやる。続々と集まってくるヒルコたちに先輩が取り囲まれる。うじゃうじゃとまとわりつき先輩の姿が見えなくなった。
「先輩……?」
「大丈夫……いい子たちね。ありがとう」
ヒルコの姿がおぼろげに光り出した。光は徐々に強くなったかと思うと隙間から光の奔流が溢れ出す。
思わず目を閉じた。
気が付くとヒルコは一匹もいなくなっていた。
一匹とは不敬かな。一応は神の系譜なのだ。
「先輩……」
それ以上かける言葉がなかった。先輩は泣いていた。
一緒に船旅をして、共に力の尽きるまで戦ったのだ。ヒルコがいなければオレたちだけではどうにもならなかった。
改めて誓う。英雄の末裔に感謝の祈りを、そして彼の汚名をいつか必ず晴らすと。
「天国でのうのうと暮らすより地獄を這いずり回って生きていきたい。」をお読みくださりありがとうございました。
敵の拠点に侵攻開始です。地味な主人公も頑張って剣を振るいます。ですが、ここでの主役は何と言ってもヒルコ。きゅーきゅーとかわいい声をあげて獰猛に敵を食らいつくします。でも、もうお腹いっぱい
投稿は毎週金曜日に行う予定です。今後もお付き合い頂けたら幸いです。




