39.オノゴロ島
一見、平和そうに見える日常に潜む影。それは生きとし生けるものが逃れ得ない生と死にまつわる有象無象の物語。
黄泉坂結弦は父親にあこがれていた。居酒屋の店主なのだけれど部下に仕事を任せて昼間から飲んだくれている父親に。だけど、親父の周りにはいつも人がいた。彼らの相談を見事に解決してしまう親父は結弦のヒーローだった。親父のようになりたい。それが結弦の夢だった。
だけど、自分は親父に似ていない。少年の悩みは尽きない。
淤能碁呂島、現代でいうところの沼島は淡路島の南に浮かぶ勾玉の形をした小島だ。地元以外ではあまり知られてはいないが、ここが日本の始まりの島だ。淡路島、日本最古の歴史書である古事記では淡道之穂之狭別島はヒルコの失敗から国作りをやり直した伊邪那岐と伊邪那美から生まれた最初の島で現代では淡路島の土生港から沼島の沼島港までフェリーに乗れば10分ほどで行くことができる。
島には神話の「天の御柱」といわれる上立神岩が今でも残っており、自凝神社の神域とされている。御神体であるおのころ山の麓から山上に向かってひたすら階段と坂を登ってゆき、社殿前の104段の石段が最後の山場となっている。
自凝神社の拝殿内には伊邪那岐と伊邪那美の画が置かれ、社殿裏手には二神石像などが奉納されている。
そんな淤能碁呂島にオレたちは向かっていた。
乗っているのは漁船ではなく神事にも使われるという手漕ぎの木造船だ。漕いでくれるのは社人の赤松さんだ。ご先祖は蛭子命を祀った漁師とともに西宮社を建立した網元だったそうだ。今では地元の海運会社を経営しながら神事用の船を管理しているとのこと。その縁で船を出してくれることになった。ジェットエンジンくらい積んでいてほしいものだが、今の大阪湾をエンジン付きスクリュー船で乗り込むのは困難だ。もちろんうじゃうじゃといるヒルコのせいだ。
一般的に手漕ぎ船の速度は時速4kmと言われる。歩くのと変わらない速度だ。それでも帆を張れば時速10kmを超える。だが、今の船速は明らかにそれを超えている。
「きもちいい……」
潮風を浴びて蛭子先輩の短めの髪が流れる。
綺麗だ。思わず見とれてしまう。
(いかんいかん。相手はあの先輩だぞ。すぐにいつものトンデモ発言で引っ搔き回すに決まってる)
自分に言い聞かすが、今日ばかりはうまくいかない。
ヒルコたちは蛭子先輩の言うことを素直に聞いてくれる。
「道を開けてくれる? ありがとう。いい子ね」
先輩がお願いするとヒルコたちは道を開けて通してくれる。と言っても一緒に流されているだけなのだが。
「ヒルコたちも流されているみたいだな」
「それはそうなのです。蛭子たちは自分の意志で動いているのではないのです。この国の領海を埋め尽くすべく生み出され流されているだけなのです。はい」
蛭子先輩に代わりAI五郎が勝手に答える。
「聞き分けのよいいい子たちよ」
彼らに慈愛の目を向ける聖母のような蛭子先輩が言う。
ヒルコたちは勝手に生み出され、流されるまま日本近海を埋め尽くす。本来であれば海からの贈り物であるはずのヒルコはこの国の生業を阻害しているのだ。それは本来のヒルコの在り様に反する何者かの悪意を感じる所業である。
結弦は悪意の根源である何者かを決して許さないと誓う。それは敬愛する(本当か? 若干の疑念は自覚している)蛭子雅美に対しての義理立てだけでなく、義を貫き、恨みを残さなかった古代の英雄に対する敬意でもあった。
オレもかくありたい。
結弦は養父である黄泉坂閻蔵を尊敬していた。あのようになりたいと思っていた。だが、そうではないのだ。親父は確かに尊敬すべき大人であった。店の片隅で昼間から飲んだくれているが、そんな親父の周りにはいつでも人がいた。頼り慕われ尽くすそんな人たちに親父はいつも囲まれていた。親父もそんな人たちに応えようと骨を折っていた。
今だからわかる。親父は平時の統治者なのだと。人々の営みを守るというのはそういう日常の些細なもめ事を裁くことなのだ。公正な裁きがあると信じられるからこそ安心して人は暮らせるのだ。親父になら死後の裁きを任せられると
自分はああはなれない。自分はもっと苛烈で峻厳だ。それは生みの親である故勇者の影響かもしれないし、時代のせいかもしれない。安定していた地獄は……人の生と死の輪廻はここ十数年で大きく変わった。二度の十字教悪魔の侵攻はその一端でしかない。人の信仰が揺らいでいるのだ。
それは価値観の多様化のせいかもしれない。それ自体は悪いことではない。だが、人の頼るべく根幹が揺らいでいるのを結弦は感じていた。
親父から閻魔大王位を継いで3年。結弦は自分なりの理想を思い描いてきた。十字教唯一神とも話した。掴みどころのないやつだったけど、人が自分の責任と意志で選ぶことに合意できた。それが間違っているとは思わない。
ただ、それは信じるべき道を求める者たちを突き放していることになるのではないだろうか。価値観の統治者として率いていく責務を放棄していることではないだろうか。
以前、千衣と話したことがあった。人は自分の行いの責任を取れることが幸せなのだと。その思いは変わらない。その結果、地獄の責め苦を受けることになろうとも、自分の行いの結果だと悟ればそれは幸せなのだと。
ならば間違える前に教えることは必要ではないのか。人が全知であるのなら、そこからどの道を選ぼうとその人の責任である。だが、無知により道を誤るのならそれはその人の責任なのだろうか。
結弦の悩みは尽きない。
自分は既に統治者なのだ。
*
「ありがとう、小鳥―っ!」
居酒屋閻魔堂の控室、と言っても黄泉坂家の居間なのだが。
佐治小鳥に可愛くツインテールに髪を結ってもらった光月が歓声を上げる。
「かわいいですよ。光月ちゃん」
「うんっ!」
先日から入りびたるようになった美幼児の史少年が光月をほめる。光月と幼稚園で同じクラスらしい少年は3歳児とは思えない大人びた言動をする。
「小鳥と一緒なの!」
こら、光月! 余計なことを……
「あなたもよくお似合いです」
余計なお世話よ、ショタ坊。高校生にもなって幼稚園児とおそろいのツインテールを褒められたってうれしくないんだからね。
結弦たちが出かけて1週間になる。結弦にべったりだった光月が寂しそうにしているのを小鳥は放っておけなかった。
わかっている。この子は幼くても恋敵なのだ。しかも、恋仲だった黒鉄ひかりの転生体だ。生まれ付いた時点で勝負は見えている。
そんなことはわかっている。だけど自分ではどうしようもないのだ。ただ流されていた自分を助けて、叱ってくれた王子様。惚れるなという方が無理な話だ。だから、押しかけた。わずかな伝手をたどって同じ高校に入り、再会を果たした。家に押しかけて無理やりバイトをさせてもらっている。ご家族や店の人たちの反応で気づいた。黄泉坂には思い人がいる。それがあの幼女だと気が付くのに時間はかからなかった。
ロリコンなの!? と思ったがそうではないらしい。
小鳥にとっても同級生であった黒鉄ひかり。ぼっちだった小鳥にも公平に声を掛けてくれた優しい子だった。事故で死んだと聞いた。その魂は光月に転生していた。
信じられないような話だったが、小鳥だって死にかけて地獄に落されたところを黄泉坂に助けられたのだ。信じるしかない。まったく王子様のくせに女の子に甘い。
光月だけでなく店には先輩までいた。きれいな人で普段の言動からは想像もできないけど県内随一の進学校にいるらしい。なんでそんな人がこんな居酒屋でバイトをって思ったけれどやっぱり黄泉坂が目当てのようだ。ときどきわざとらしく胸を押し付けている。やっぱりおっぱいなのか!?
自分のささやかな胸と見比べてみる。お母さん、せっかくそっくりに生んだならそこも似せてよ!
バイト先として閻魔堂はよいところだった。仲間は優しいし賄いはおいしい。なついてくれる光月はかわいいし、蛭子先輩もたまにおっぱいマウントを取ってウザい以外は優しい。私が大人の男の人を苦手としていることを知ってかセクハラしてくる酔っ払いに対して揉むなら自分のにしろと庇ってくれる。というよりやっぱりおっぱいマウントなのではなかろうか?
それでもたまに疎外感を感じることがある。自分は余所者なのだと。
魔王様(しょぼい居酒屋の店主にしては大仰なあだ名だ)に聞いてみたことがある。
「私、黄泉坂が好き。だから教えて黄泉坂のことを」
魔王様は笑わなかった。ちょっと困ったような顔をしてそれでもちゃんと向き合って答えてくれた。
「お前はいい子だ。不幸にめげず生きようとしている。自分ができることを一生懸命しようとしている。だからこそ巻き込みたくねえんだよ」
魔王様は大人だ。私のような小娘の感情にもきちんと向き合い諭してくれる。
でも……それでは納得できない。
「あのとき……死にかけて地獄に落ちた私に黄泉坂は閻魔だと名乗った。そして助けてくれた。叱ってくれた。だから私ももう無関係じゃない。同情だとわかってる。迷惑はかけない。だから仲間外れにしないでよ。もう……私を一人にしないで……」
泣くつもりなんてなかった。母なら女の涙は武器だくらい言っただろう。でも私はそうなりたくなかった。黄泉坂の負担になんてなりたくなかった。
でもどうしたらいいの? 勝手に溢れ出すんだもの……
*
「潮に乗りました」
赤松さんの声を聴くまでもなく、ぐんっと船速が上がったのがわかる。
赤松さんは西宮社の社人だ。オレたちの目的を知った高浜宮司が貸し出してくれた。普段は漁師をしており大阪湾は庭のようなものと言っていた。ヒルコのせいで漁に出られず困っていた赤松さんも喜んで乗ってくれた。
紀淡水道は大阪湾から太平洋に抜ける出口だ。穏やかな内海から荒波渦巻く大海へ。潮流は激しく複雑だ。小舟は波を切り裂き走る。まるで高速道路を突っ走るスポーツカーのように。
紀淡水道を抜けると波は少し落ち着いた。大阪湾を出たとはいえ本当の外海はまだ先だ。紀伊半島と四国に囲まれた和歌山湾の沖合いだ。淡路島に沿った潮流に乗って船は突っ走る。
ヒルコはますますその密度を増していた。大阪湾方面や鳴門海峡を通って瀬戸内に向かうものもいるが、多くは外海を目指す。沿岸流に乗って日本近海を埋め尽くすのだろう。
「ありがとう。そろそろ危険だから離れていて。えっ、でも……」
懐いていたヒルコが蛭子先輩の言うことを聞かないらしい。こんなことは旅を始めてから初めてのことだ。
それは突然きた。
「黄泉坂っ!」
「わかってる!」
もちろんオレは油断していなかった。紀淡水道の荒波に船酔いしたなんてことはない。ないったらないのだ。ちょっと三半規管が異常をきたしているだけで……
げろげろげろげろ……
結論から言うとオレの出番はなかった。
海中からぬうーっと出現した海坊主はヒルコたちが寄ってたかって食いつくしてしまった。手も足もないくせに獰猛なことこの上ない。まるで飢えたピラニアのようだ。
そのあとも何匹か海坊主が……海坊主ではない奴も交じっていたようだが、確認するまでもなくヒルコに退治された。
「ありがとう。さすがは英雄蛭子命の末裔ね」
先輩に褒められたヒルコたちはきゅーきゅーっと鳴きながら飛び跳ね、どこかに行ってしまった。
イルカじゃないんだから……
そしてオレたちは沼島こと淤能碁呂島に上陸を果たした。
*
「来たようだな。海坊主たちもだらしのない……」
暗がりの中、嗄れ声が呟く。
「虐げられた古きものとはいえ邪教の神にすら立ち向かえない雑魚か……」
「当たり前でしょう。あの者たちは現世で最も力を持つ神の末裔よ。それともあなたには力量の見極めもできないのかしら」
涼やかな声が嗄れ声を冷やかす。
「だまれ、邪教の女神よ。落ちぶれた其方を助けてやったのは我ぞ」
「ふぅん……野良の天使を拾ってやったつもりだったけど。立場変わるとこうも見え方が違うのですね。ま、あたしは面白くなればどっちでもいいのですぇ」
不穏な女神は穴の奥から続々と生まれ溢れ出る創造物を眺める。
先程から創造物が一向に言うことを聞かなくなったことは女神にとっても面白くない出来事だった。
「天国でのうのうと暮らすより地獄を這いずり回って生きていきたい。」をお読みくださりありがとうございました。
いざ敵地へ出発です……ですが、陸の大王も海の上は苦手なようです。
投稿は毎週金曜日に行う予定です。今後もお付き合い頂けたら幸いです。




