34.査察
一見、平和そうに見える日常に潜む影。それは生きとし生けるものが逃れ得ない生と死にまつわる有象無象の物語。
黄泉坂結弦は父親にあこがれていた。居酒屋の店主なのだけれど部下に仕事を任せて昼間から飲んだくれている父親に。だけど、親父の周りにはいつも人がいた。彼らの相談を見事に解決してしまう親父は結弦のヒーローだった。親父のようになりたい。それが結弦の夢だった。
だけど、自分は親父に似ていない。少年の悩みは尽きない。
居酒屋閻魔堂にはアルバイトが2人いる。蛭子雅美先輩と佐治小鳥だ。
家族経営の店だ。アルバイトを募集していたわけじゃない。蛭子先輩は高校(県下有数の進学校だ)に進むと4月のある日、当たり前のように店にやってきて勝手に働きだした。ひかりがいなくなり、千衣が赤子の世話で店に出られないことが多かったのでまあいいかとそのまま採用された。
佐治は入学式の日の夕方、店に乗り込んできてバイトをさせろと要求してきた。
訳が分からん。
「黄泉坂、あんたが呼び戻したんでしょ。責任取りなさいよ」
それがバイトとどう関係するんだ?
「私には親がいないから。年金暮らしのお祖父様お祖母様に無理はさせられないもの」
それはオレのせいじゃない。だが、生きたいのならあがけ。助けを求めろと言ったのはオレだ。
「だからってなんでうちなんだよ。そんなに高い時給は出せないぞ。稼ぎたいならもっと払いのいいところいくらでもあるだろう」
「……だって、男の人が怖いのよ……」
女子高生のバイト先との定番であるコンビニ店員でもファミレスのウェイトレスでも接客だ。佐治は義理の父親に傷つけられた過去がある。男が怖いというのもわかる。だが……
「うちの客はほとんど近所のごろつき親父どもだ。向いてないんじゃないのか?」
「だから、あんたのところに来たのよ……ここならあんたが守ってくれるでしょ……」
「それは無理。黄泉坂は私を守るので忙しいから」
「先輩は黙っててください」
割り込んできた蛭子先輩をフロアに追いやる。
「拾ってきたなら最後まで面倒見ないとな。俺みたいに」
「だから私猫じゃないって」
明兄の突っ込みに千衣ママがボケ返す。
「いずれにせよ、お前の始末だ。結弦、お前が決めろ」
親父に言われて腹を決めた。
「わかったよ。だけど未成年だから10時までな」
佐治小鳥も必死なのだ。生きると決めたのだから。
幸い祖父母は理解があった。母親と絶縁した小鳥を優しく迎え入れてくれた。だがそれに甘えてばかりはいられない。自ら生きるというのは自立するということなのだから。
子供の小鳥には完全に独立することはできない。それでもできる限りのことはしなければならないし、やりたいと思った。
容姿を使えばもっと稼ぐことは可能であろう。だが、女を使うことは男に縋るということだ。それは自立とは程遠い。小鳥は母親と同じ轍を踏みたくなかった。
それでも少しは期待する。自分を絶望の死の淵から救ってくれた王子様が母譲りの美貌に魅かれてくれることを
*
「いつまでそうしているつもりだ」
黄泉坂結弦は玉座の前で深々と頭を垂れている男に言った。
「この度の失態を詫びるにはこのくらいのことでは済まないことは重々承知しております。しかし、今回の不手際を詫びないわけにもいきません」
男は頭を上げることなく言い募った。
「その反省も謝意もない空虚な謝罪のまねごとを止めろと言っているのだ、蘇我」
先代閻魔大王の親父の言葉に蘇我公麿は頭を上げた。
「そう言ってくれて助かるよ。元閻魔」
「……お前がそんな奴だとは知っていたよ」
話の始まりは先月のことだ。
任期満了に伴う総選挙が行われた。経済政策の失政で世の中には厭世の雰囲気が蔓延していた。そんなときに与党、保守自由党で閣僚級を巻き込んだ政治資金不正疑惑が持ち上がった。政府及び与党は必死に善後策を打ち上げたが、任期では手の打ちようがない。趨勢を覆せないまま投票日を迎え、結果、保守自由党は大敗した。
代わりに政権を取ったのは革新民主党を中心とする革新連合だった。つまりは寄せ集めだ。この国は長らく保守自由党が政権を担ってきた。利権をバラまくことで地方の基盤を盤石に固め、都市部から効率よく搾取する。その構造は選挙では絶対だった。
安定した政権は影の社会にとっても都合がよい。生と死や世の中の成り立ちは政争によって左右されるものではないのだ。もっともそれは現場が考えることではない。裏の政府の代表である蘇我たちの仕事だ。蘇我はそれをしくじった。
一向に改善しない景気に疲弊した地方にとって今回の不正疑惑は選挙協力を躊躇わせた。といっても本気で政権交代を望んだわけではない。一度、お灸をすえてやろうというくらいの気持ちだった。つまり新政権は誰にも期待されていなかったのだ。
それでも当の本人にとっては絶好のチャンスだ。結果を出して長期政権を築いてやろうと野心を持ってしまった。
政権交代が頻繁に起こる二大政党制を敷く国では野党も影の内閣を組んで政権運営を学ぶ。失政すればいつでも政権を奪ってやると準備を怠らない。だが、たまたま政権を取ってしまった革新民主党にそのような準備はなかった。
もともと労働者階級の代表や市民活動家上がりのクリーン以外の能力のない政治家たちである。何も考えず与党の提出する法案に反対することが仕事と考えているような連中である。政治に対するビジョンなど持ち合わせていない。やることと言えばムダを省いて減税する。それくらいのことしか言えなかった。
「で、地獄の予算を削ると……」
「削るではなく全廃ですね」
先ほどまでの謝罪が嘘のように蘇我は気軽に言う。
蘇我公麿は内閣官房付参事官で地獄を担当している。とはいえ公務員名簿に名前が載ることはない。あたりまえだ。地獄など政府の組織図には載っていない。蘇我は裏の政府の役人だ。親父が襲名する前から今の地位にいたそうだから人間かどうかも怪しい。
「烏山新首相ってバカなのか?」
「馬鹿ではなく無知なのですよ」
蘇我が訂正するが、結果は同じだ。
「死者とは人生の先達だ。目上の者に敬意を払えない奴は終わりが悪いぞ」
「ですから、無知なのですよ」
地獄の運営には多額の予算がついている。管理の補助をするスーパーコンピューターやインフラの整備などに充てられている。灼熱地獄のエネルギー費は莫大だ。先日も重油から単価の安いガスに切り替えたばかりだ。廃熱利用など効率化は行っているが、さすがに地球温暖化が問題になっているこのご時世、石炭に戻すわけにもいかない。
このように使われる地獄の予算は政府内では祭事費として処理されている。それも使途を問わない機密費である。もっとも会計監査院の監査もあるし明朗会計だ。オレとしては公開しても困らないが、地獄の存在を公にするわけにもいかんだろう。
というわけで6月の中旬に烏山首相以下政府高官が非公式に冥府城に来た。当然、結弦たちのヒアリングのためだ。
これが公になって地獄省なんてものができたらオレが地獄大臣になるのだろうか。
絶対やりたくない。
「地獄ですか。貴方たちの機関には多額の税金が費やされています。それについて何か釈明は?」
総理を差し置いて査問官の列の真ん中にいた怖そうなおばちゃんが言う。たしか、構造改革担当大臣とかになった人だ。テレビで見たような気がする。
何、言ってるんだ、こいつ? 不勉強すぎるだろう。
「釈明? 釈明はありません」
言ってやった。必要だから使うのだ。使うことを認められてきたのだ。誰もが死後は穏やかな気持ちで転生したいだろう。オレたちもそれに応えて公正な裁きを行う。そのための経費なのだ。蘇我もオレを止めなかった。
「ないって……貴方、黄泉坂君と言いましたか。貴方みたいな子供にはわからないでしょうけど、貴方の機関には多額の税金が使われているの。人々が働いて得た収入から納められた血税がね。私たち国民の代表は貴い血税が無駄に使われていないか監視する義務があります。黄泉坂君、貴方は税金の間違った使い方に釈明の余地がないと言いました。そっちがそういう態度なら構いません。この使途は無駄と判断します。それ以外にも不正がないかあなた個人も監査の対象になりますからね。未成年だからと言って容赦しませんから」
バカに付ける薬はないとはこのことだ。
オレたち地獄の鬼たちは政府からの支給から給料などもらっていない。何の不正ができるというのだ。
このまま終わったら現世が滅びる。たかがおばさんのヒステリーでそんなことさせない。
「おばさん、人は死んだらどうなるか知ってる?」
「おば……こほん。失礼ですね。まあ子供の戯言くらい聞き流しましょう。で、なんですか? 人が死んだらですか? 生命活動が停止したら無になります。当たり前じゃないですか」
「魂とか信じないんだ」
「当たり前でしょう。そんな非科学的なこと……」
「でもそれが真実なんだけどね。すべての死者は悪人善人関係なく冥府に来るんだよ。そして裁きを受ける。冥府が機能しなければ人は死ぬこともできず地上は亡者が溢れ返ることになる。魂が輪廻転生しないから子供が生まれることもない。1年と経たずにこの国は滅びる。おばさんがやろうとしているのはそういうことだよ。あんた、人の生死に責任が取れるのか?」
反論できないおばさん。だが、その目は納得しているようには見えない。
「閻魔様って極楽教の神様でしょう? そうよ、我が国は政教分離をとっています。なら、特定の宗教に税金を使うのは間違っています」
してやったりとのおばさんだが、困ったものだ。
「あのなあ、宗教に関係なく人は死ぬし、子供は生まれる。ようは信じているかどうかだ。あんた、人の信じる心まで否定しようというのか。たいていの日本人は地獄と閻魔を信じているんだよ」
「それはまあ……うそをつくと閻魔様に舌を抜かれるぞと言いますからね。迷信ですが」
おばさんは親のそんなことを言われて育ったのか。誤解は訂正しておかなければ
「失礼だな。オレはそんな野蛮なことしないぞ」
「えっ……」
「そうだよ。そしてオレが第146代閻魔大王黄泉坂結弦だ。おばさんが来るときを楽しみにしてるよ」
*
「構造改革担当大臣が失礼した、閻魔大王殿」
おばさんは納得していないようだが、烏山首相の一言で後ろに下げられた。
「まずは地獄を見せて頂けませんか」
「はい、総理大臣閣下。冥府が何を司っているか真実をご理解ください」
烏合の衆とはいえトップにのし上がるだけはある。烏山首相は冷静だった。
「へーっ……思っていたのとはだいぶ違います。釜茹とか針の山を歩かされるとかじゃないのですね……」
どんなイメージを持っていたんだか。別次元とはいえ現代社会だぞ。そんな野蛮なことをするわけないだろう。とはいえあるものもある。
例えば火あぶりとか。肉体の崩壊を経験させることで執着を捨てるために行う。当然、苦痛は軽減してある。まあ、あえて言う必要もないだろう。
現代の地獄の苦役は主に精神的な浄化が中心になる。前世を反省して魂に刻み込まなければ転生しても同じ過ちを繰り返すことになる。犯罪者の魂が生まれ変わっても犯罪者になったら目も当てられない。
浄化プログラムは一人一人に合わせて組まれる。場合によっては労働など肉体的苦役を科すこともある。浄化プログラムを補助するのがスーパーコンピューターだ。勘や思い付きで死者を振り回すわけにはいかない。転生先もスパコンで決めている。
それでも浄化しきれないときは人以外に転生させることもある。例えばハエとか。短いサイクルでも別の一生を過ごしてみるといかに己が愚かだったかを理解することが多い。人間に転生させるときはハエだった時の記憶は浄化する。腐った食べ物を好む子になっては困るからな。
せっかく総理大臣に視察に来てもらったんだ。シミュレーションでハエの一生を体験してもらった。目覚めたときは青い顔をしていたけど感じるものはあったようだ。
ついでに地獄の亡者どもと鬼ごっこも体験していった。これは別に企画したわけじゃない。亡者と話したいというから許可したら、例のおばちゃんが「生前の行いを反省してますか?」とか「次の生ではまじめに生きるんですよ」とかとんちんかんな正論をぶちかまし、亡者の怒りを買ったのだ。
60代70代の爺さん婆さんに鬼ごっこはきつかったろうが、自業自得だ。地獄の苦役は生前の行いによるとはいえ、犯罪者ばかりではない。魂を浄化するための苦役なのだ。正論などここでは何の役にも立たない。
だが、死者の管理が止まったとき、地上がどうなるのかは体験できた。
帰るときにはお見送りついでに耳元でささやいてやった。
「総理大臣閣下、お疲れさまでした。最後に一言。ここは黄泉の国です。地上に帰るまで絶対に振り返らないでください」
イザナミの神話を知っていたのだろう。烏山首相は青い顔をしてこくりと頷いた。
理解してくれたと信じたい。
数週間後、冥府の予算が停止されることが決定した。構造改革担当大臣が強く主張したらしい。
人は真実ではなく信じたいものを信じるのだ。
「天国でのうのうと暮らすより地獄を這いずり回って生きていきたい。」をお読みくださりありがとうございました。
地獄のピンチです。経済封鎖というのでしょうか。それにしても現代の地獄はハイテク化しています。それでも環境問題とは無縁でいられません。省エネ省エネ!
投稿は毎週金曜日に行う予定です。今後もお付き合い頂けたら幸いです。




