33.ヒト五郎
一見、平和そうに見える日常に潜む影。それは生きとし生けるものが逃れ得ない生と死にまつわる有象無象の物語。
黄泉坂結弦は父親にあこがれていた。居酒屋の店主なのだけれど部下に仕事を任せて昼間から飲んだくれている父親に。だけど、親父の周りにはいつも人がいた。彼らの相談を見事に解決してしまう親父は結弦のヒーローだった。親父のようになりたい。それが結弦の夢だった。
だけど、自分は親父に似ていない。少年の悩みは尽きない。
わたしはみつき。3さいのおんなのこ。みんなはミッキーってよぶの。
ゆづるもママもわたしのことかわいいってくれるの。あとパパも。
みつきはきょうからようちえんにいくの。ようちえんにはおともだちがいっぱいいるんだって。たのしみ。
あたらしいせいふくをきてぼうしをかぶってママとてをつないでいくの。おうたをうたいながらいくの。
みつきはタンポポぐみになりました。ようちえんにはほかにすみれぐみとももぐみとさくらぐみとチューリップぐみがあるの。さくらぐみとチューリップぐみはおにいさんおねえさんでちょっとこわい。
えんていであそぶときにおにいさんに“どん”されたの。みつきはちっちゃいからころんじゃって……でも、なかなかったよ。えらい? じゃあ、えらいえらいして。あたまなでなでしてもいいよ。
おにいさんはごめんなさいしてくれたけど、みつきをたすけてくれたのはごろーくんなの。ごろーくんはねぇ、おとこのこなの。それでタンポポぐみなの。いっしょなの。
でもね。みつきはゆづるとけっこんするから、ごろーくんとはつきあえないの。
*
黄泉坂結弦は、帰り道を急いでいた。
普段の通学路ではなかった。今日は千衣から光月のお迎えを頼まれたのだ。
千衣は家業の居酒屋の従業員だが、夫である明や義両親の黒鉄夫妻ともども結弦の家族みたいなものだ。光月は明と千衣の一人娘だ。そして黒鉄夫妻の娘、明の妹であるひかりの生まれ変わりでもある。
ひかり……結弦とは兄弟のように育ち、来世での再会を誓った大切な人である。結弦は今でもひかりを守れなかったことを悔いていたのだ。
結弦は地獄の一族として育ち、閻魔大王である親父の薫陶を受けていた。親父の後を継ぎ当代の閻魔大王である結弦はひかりを守れたはずだったのだ。だが現実は守るどころかひかりには守られっぱなしであった。ひかりはその身を盾にして結弦を凶弾から救ってくれたのだ。
転生したひかりの魂は地獄の旧法によって賽の河原に捉われていた。それを勇者に救われた。勇者は元閻魔である親父の宿敵であり、結弦の血のつながった父親である。和解した勇者は結弦のもう一人の父親として結弦を支えてくれた。しかし、賽の河原に捕らえられたひかりを救うため勇者は犠牲になった。
勇者のお父さんがいなければひかりは望み望まれた転生はできなくなるところであった。結弦が弱かったせいでひかりだけでなく、勇者のお父さんまで失うことになったのだ。
光月は健やかに育っている。だが、覚醒の兆しはない。
地獄の一族のほとんどの子は転生者だ。覚醒により前世の力を取り戻す。ひかりの前世は月夜叉。羅刹と主に毘沙門天に仕えていた神だ。勇者のお父さんが救わなければ月夜叉の存在は消耗し尽くしてしまうところであった。いや、そんなことはどうでもいい。
オレはもう一度ひかりに会いたい。
十字路を店とは逆の右に曲がるそのまま通りを200mほど進んだところに光月の通う小鳩幼稚園はある。ひとクラス20名で3学年それぞれ2クラス。園児120名ほどの中規模幼稚園だ。なぜそんなことを知っているかというと10年ほど前まで結弦も通っていたからだ。
それでも久しぶりに来てみると違和感を覚える。
(こんなにちっちゃかったんだな……)
園庭、遊具、机、椅子すべてが小さくおもちゃみたいだ。
わかっている。幼稚園が小さくなったのではなくオレが大きくなったのだ。
オレは身長192cm、体重は95kg、高校生になってまた一回り大きくなった。太っているわけではなく筋肉の塊だ。普段からビールサーバーや酒瓶など重いものを扱っているし、朝晩と真剣の素振りも欠かさない。
第二次地獄戦役が終わって2年近く経つ。以来実戦はないが、あのときひかりを守れなかったオレはサボることなど考えられない。あのときの後悔を繰り返したくない。
光月を失うことになったら……恐怖に追い立てられるように必死に剣を振るう。千回を超える頃、ようやく心が平静を取り戻す。
これでいい。オレは強くあらねばならないのだ。
*
光月は年少のタンポポ組にいる。
午後4時の幼稚園は退園していく子供たちで混みあっていた。
年少の子から順番だ。送迎バスで通う子供が飛び出してくる。徒歩通園の光月はその後だ。
迎えに来た結弦に気が付いた光月が飛び出して手を振る。
「ゆづる―っ!」
手を振り返そうとしたとき
危ないっ!
後から出てきた子供が光月とぶつかった。
年長組だろうか。倍は体重がありそうなその子に光月は吹っ飛ばされた。転ぶ……と思ったとき、それを支える小さな手があった。
「光月ちゃん、気を付けないとあぶないよ」
「うん……ありがとう、ごろーくん」
小さなジェントルマンが手を引いて光月を連れてくる。
…………………………………………………………………………………………………………………………………………まさか…………うそだろう
小さな体がオレの前に跪く。
「お久しゅうございます、主様」
「……ハエ五郎か?」
「はい」
ハエ五郎の目も潤んでいる。
オレたちは堅く抱き合った。
「死んだと思ったぞ……」
「死にました。だから生まれ変われました」
「セラフィエルの断罪の一撃にやられたのはなかったのか?」
「来るとわかっていればタイミングは測れます。熾天使ごときに後れは取りません。私は寿命で死んだのです」
「そうか……本当に良かった……」
涙を流して再会を喜び合うオレたちを光月が不満気に見つめる。
先生たちは何故か目を潤ませて光月がオレたちの邪魔をしないよう抱き上げて遠巻きに見守ってくれていた。
「顔のいい男って年齢関係ないよね」
「生BL……尊い……」
「愛よ。愛……」
……不穏な会話が漏れ聞こえるが、オレたちは気にしなかった。
*
ハエ五郎の前世は十字教の堕天使ルシフェルだ。そう考えれば美少年になるのも当然だが、前世と前々世はハエだったからな。
生まれ変わったハエ五郎は目を見張るような美少年……美幼児だった。目はパッチリと見開いて栗色の瞳が輝いている。瞳と同じ栗色の髪の毛はサラサラで風もないのにふわふわと揺れる。前世が前世だったからか理知的な表情は他の子どもたちと一線を画している。にもかかわらず体は幼児なのだ。大人の精神と子供の体のアンバランス。紳士的な振る舞いと舌足らずな言葉使い。
こいつモテるだろう。事実、幼稚園の先生はもちろん迎えに来た母親からも大人気だった。
「興味ありません」
「そうか。だが、光月を守ってくれてありがとう」
「月夜叉様には大変お世話になりましたから。ささやかなご恩返しです」
ハエ五郎の7生前であるルシフェルは堕天使であり、悪魔だった。
人をたぶらかし貶める存在だった。ルシフェルは十字教の悪魔たちを率いて極楽教の地獄に攻め込んだ。勇者を騙して先兵とした。
勇者の活躍で黄泉の国の大半は落とされた。当時の閻魔大王であった親父を放逐したのが16年前、第一次地獄戦役のことであった。
その後、勇者とその眷属は地上に戻った。そして勇者の子として結弦は生まれた。そのままであれば結弦は勇者の子として普通に育ち、平凡な人生を送るはずだった。
だが、ルシフェルは地上に暮らす勇者を殺した。残された家族を襲った。地獄の鬼を装って。
救ったのは親父、当時の閻魔大王であった。政敵であった勇者を認めていた親父は勇者の子を匿い自分の子として育てた。それが結弦だ。
結弦は親父に憧れた。町の人たちに頼られ助ける親父をかっこいいと思っていた。そこで悩む。自分は親父に似ていないと。親父のようにはなれないと。
閻魔大王の側近であった黒鉄源治や母親代わりであった黒鉄満代、兄貴分だった明、副担任だった明の妻である千衣、そして幼馴染だったひかり。周りの人たちに助けられ励まされて結弦は成長した。そして親父は地獄の統括者の地位を結弦に託したのだ。
閻魔大王となった結弦の最初の仕事は最後の拠点冥府城を襲う地獄軍とルシフェルとの戦いだった。未熟だった結弦はルシフェルに苦戦した。それを救ったのは親父の教えだった。幼かった結弦を導くように教えてくれたことを結弦は思い出す。実戦で教えを理解した結弦は覚醒し、ルシフェルを倒した。閻魔大王の権能により地獄での浄化を命じたのだった。
ルシフェルを倒した後は、サタンとベルゼブブとの戦いだった。元閻魔の親父と故勇者のお父さん、二人の父親に助けられながら地獄の復興を目指す。だが、戦いは終わらない。
地獄でハエに転生したルシフェルはハエ五郎として結弦に忠誠を誓う。結弦もハエ五郎を眷属として認めたのであった。
戦いを収めるために結弦は十字教の主神、唯一神と話し合うことにし、十字教天界に向かう。旅の途中で様々な人と出会い結弦は成長した。一方、激戦となった天使との戦いの中で結弦はハエ五郎を失う。怒りに我を忘れ天使を滅ぼそうとする結弦だったが、忠臣たちに諫められ戦を終わらせる大義を思い出す。天界を訪れた結弦たちは唯一神との対面を果たす。結弦と唯一神との合意をもって第二次地獄戦役は終結した。
*
「ハエ五郎、お前を十字教に取られたと思っていたからな。帰ってきてくれてうれしいぞ」
「そこまで臣を思ってくださり有りがたき幸せにございます」
抱き上げたオレの腕の中でハエ五郎が甘える。
周りから黄色い悲鳴が上がる。
「鼻血が……」「ティッシュティッシュ!」「尊い……」
どうも周りがうるさい。
「それで、お前は今どうしている」
「はい、今の名は史五郎と申します」
「史……というと商店街の本屋か?」
「はい。気が利かぬ者どもで主様から頂いたハエ五郎と名付けさせようと誘導したのですが……まったく」
……ボケかと思ったが、どうやら本気らしい。そういえばこいつは元天使だった。少し狂信的なところがある。
「仮にも親なのだから無下にするな」
生まれたばかりの赤子に名付けに注文を付けられた親の気持ちになれ。
「今は人なのだからハエ五郎でもあるまい。史五郎でヒト五郎。丁度良いではないか」
「ははっ。臣は今より主様につけられたヒト五郎と名乗ります」
まあ、喜んでくれてよかった。
ツンツン
小さい手がオレの制服の裾を引っ張る。
「どうした、光月?」
呼びかけてきたはずの光月はフグのようにほっぺたを膨らませて目を合わせない。
ご機嫌斜めである。
オレは空いた左腕で光月を抱き上げ、目を合わせて語り掛ける。
「光月、ほっといてごめんな」
「……うん」
頬を染めて機嫌を直した光月はオレの右腕に抱かれるヒト五郎に向かって言い放った。
「ゆづるはみつきとけっこんするんだから、ごろーくんはダメなの!」
それを聞いてまたしても周りが盛り上がる。
「きゃーっ! 三角関係よ!」
「大王様ったら両手に花よ!」
「どっちを選ぶのかしら?」
……相手は3歳児だぞ。この幼稚園、大丈夫なのか?
「天国でのうのうと暮らすより地獄を這いずり回って生きていきたい。」をお読みくださりありがとうございました。
ひかりの転生体こと光月ちゃんは幼稚園に入りました。元気いっぱいです。光月を迎えに来た結弦はハエ五郎と再会します。苦楽を共にした側近のハエ五郎は今世では人間に生まれ変わりました。結弦に代わり光月を守ってくれているのでした。
投稿は毎週金曜日に行う予定です。今後もお付き合い頂けたら幸いです。




