30.輪廻の輪に
一見、平和そうに見える日常に潜む影。それは生きとし生けるものが逃れ得ない生と死にまつわる有象無象の物語。
黄泉坂結弦は父親にあこがれていた。居酒屋の店主なのだけれど部下に仕事を任せて昼間から飲んだくれている父親に。だけど、親父の周りにはいつも人がいた。彼らの相談を見事に解決してしまう親父は結弦のヒーローだった。親父のようになりたい。それが結弦の夢だった。
だけど、自分は親父に似ていない。少年の悩みは尽きない。
「記録しました。大王様、承認の印を」
毘沙門天がオレの執務室に遊びに来ておしゃべりをしていた。オレも特に忙しくなかったのでだらだら付き合っていた。そのとき、書類を持ってひかりがやってきた。ひかりが恭しく差し出す閻魔帳にマラコーダの審判の記録が記されている。オレはその最後に閻魔大王と署名し、朱印を押した。
判子を押すのは慣れないと結構難しい。少し傾いた。だが、これで騒動は終わった。これから地獄の立て直しが始まる。
そんなとき、オレは一枚の紙片が光を放っていることに気がついた。その紙にはだた一文字、梵語で『天』と書かれていた。光はその文字が放っている。
?
秘書役であるひかりも知らないようだった。だが、毘沙門天は何だか知っているらしい。立ち上がると出口に向かう。
「頃合いですね。私はそろそろ失礼します。本来私はここにいてはいけないはずですから」
「すみません。毘沙門天様……」
「夜叉がしたいようにすればいい。500年もほったらかしにして、私はよい主ではなかったね」
すれ違うとき、ひかりが主神(毘沙門天)に謝り、彼はそれを受け入れた。何か二人だけの合意があったのだろう。
「結弦様に最後に私から助言を一つ。貴方にとってはショックなことでしょう。だが、それは貴方のせいではありません。皆が精一杯やった結果なのです。そう思って受け止めて頂きたい」
「これから何か起こるのか?」
「起こりますとも。貴方の人生はまだまだこれからです」
答えになっていなかったが、彼はそれ以上言うつもりがないようだった。そのまま部屋を出ていく。天界に戻るのだろう。
*
「おお、ようやっと来やがったか」
「ずいぶん遅かったな」
「どうせ天界の連中、誰に責任を取らせるかでうだうだやってたんだろう」
親父たちも知っていたようだった。どうやら光る文字は天界からの連絡らしい。騒動を収めた後、オレは報告書を天界に上げていた。ルシフェル、マラコーダ等名のあるものを始め8万もの悪魔を捕えている。これから浄化しなければならない。浄化された魂はやがて様々な生命に転生していくだろう。人口減少の歯止めの足しにはなるだろう。御印は今回のオレの働きに対する沙汰を下すために使者が来る先ぶれだったらしい。
元閻魔の親父の指示で玉座の間に召喚の式を整えた。
オレを中心に左右に元閻魔大王と故勇者が並ぶ。後ろにひかりが控える。親父がひかりを下がらせようとしたが、ひかりは聞かなかった。オレが唱える真言により天界の扉が開いた。
降臨した天界の使者は圧倒的な神威を放つ。だが、唯一神と対峙したオレにとっては耐えられないほどのものではない。
「我は帝釈天。天部の長にして天界行政を司るものである。貴公の上げた報告書、読ませてもらった。若き地獄の長よ。なにか補足はあるか?」
「ありません。報告書に書いたことが全てです」
重々しい帝釈天の言葉にオレは緊張して答えた。帝釈天は天部の最高神。天界行政の最高権力者だ。地獄の始末も彼の心一つで決まってしまう。自然とオレは畏まっていた。だが保護者たちにとっては違ったようだ。
「で、大日さん(大日如来:極楽天界の至高仏)はなんて言ってんだよ」
「帝釈なんて雑魚よこすくらいだから、気にもしてねえんだろ」
行政のトップ、地獄においても上部組織の責任者に対して口が過ぎる。オレは頭を抱えたくなった。だが、帝釈天は顔をしかめただけでそれには答えなかった。
「沙汰を告げる。黄泉坂結弦よ。貴公の地獄統括位の承継を認める。以後、閻魔大王を名乗ることを許す。早急に地獄を立て直すように」
オレは胸をなでおろした。ここ10数年空位になっていた地獄統括、閻魔大王の地位をオレが承継することを天界も認めてくれたのだ。敵対していたとはいえ天界に弓を引いたのだ。罰があってもおかしくなかった。
「かーーーーーーっ、これだから天部のやつらはきたねえ」
「そういうな、元閻魔よ。官僚が気にするのは自分が責任をかぶらないことだけだ。地上と変わりねえよ」
保護者?……野次馬たちの嫌味に帝釈天も黙っていられなくなったようだ。
「元閻魔それに故勇者よ。貴様らには追って沙汰を下すこととしよう」
行政の長による恐ろしい言葉だったが、外野たちには堪えなかったようだ。
「はったりかますんじゃねえよ。俺たちに罪があるって言うなら何の罪があるって上に説明するつもりだ? ルシフェルだけでなくマラコーダなんて小物にまで出し抜かれやがって。天界の勢力争いの不始末を地獄に回すんじゃねえ。自分のケツは自分で拭けよ」
「結弦が報告書には記述しないと決めたんだ。これは貸し一だからな。あっ、帝釈てめえ、逃げんじゃねえ!」
故勇者と元閻魔の父親たちの言葉に苦々しく顔をしかめた帝釈天だが、そのまま無言で姿を消した。
「親父も父さんもいい加減にしてくれよ。ひやひやしただろ」
帝釈天がそれ以上のことを言わずに去ったことにほっとしたオレは保護者達に苦情を言う。
「甘いな、結弦。帝釈天は天部の主神だが、所詮は官僚のトップにすぎない。天界じゃ小物だ。極楽の天界が本気だったら仏の誰か、最低でも如来クラスが出張ってくるさ。どうせ天部の連中、自分たちに都合悪い話は上げてねえんだろ。俺たちのしたことは奴らにとっては痛し痒しなんだよ。天界に楯突いたのは腹立たしいが、天界での勢力争いに押し負けているところに地獄まで取られてみろ。帝釈天など神位から降格か、悪けりゃ天界追放で下野しなけりゃならなかったところだ。俺たちがあいつの首の皮一枚残してやったようなものさ。だから、あいつらのはったりなどに畏れ入ってちゃダメなんだよ。わかったか」
元閻魔は濁声でほざく。
「お前は極楽教の中でただ一人、十字教の唯一神との交渉をまとめたんだ。ある意味、極楽教のキーマンになったんだ。これからは取って代わろうと言う奴から一旗揚げてやろうというごろつきまで挑戦を受ける立場になったんだ。大変だぞ」
故勇者が怖ろしいことを言う。だが、それは本当のことなのだろう。
「とはいえ、閻魔大王としてのデビュー戦としてはまあまあだ。そこらへんはおいおい覚えていけばいい。まだ、お前は閻魔大王(仮)みたいなものだからな」
お父さんは息子の戦果を一応は褒めてくれた。
オレは自分の至らなさを痛感した。自分もいつかはこの父親たちのように文武両面で戦えるようになるのだろうか。
そんな不安を見透かしたように大人たちが声を揃える。
「「心配するな。お前は俺たちの自慢の息子なんだからな!」」
オレは父さんたちが大好きだ。
*
帝釈天による叙任が済んだ緊張が解けたせいだろうか、ひかりが崩れ落ちた。わかっていたかのように親父が抱きとめた。ひかりを抱き上げると裁可の間に連れてきた。
「結弦、お前にとってはつらいことかもしれない。だけど、これはひかりちゃんが自ら望んで行ったことの結果だ。彼女の気持ちを理解して務めなさい」
お父さんが優しく言い聞かせてくれた。
ようやっと何が起こるかが理解できた。ひかりはいなくなるのだ。死人として地獄にいることすらできないくらい消耗してしまった。オレが転生させてやらなければ早晩消滅してしまう。
おそらく帝釈天の法気がダメ押しになったのだろう。だが、承継が認可され正式に閻魔大王に就任しない限り地獄の一族に望む転生はさせてやれない。ひかりはギリギリまで耐えていたのだ。そして元の主である毘沙門天の下に帰ることを選ばず、地獄に転生してオレたちと生きることを選んだのだ。
親父が呼んだのだろう。源治さん、満代さん、明兄、千衣先生がいた。先生は必死に涙をこらえていた。
「閻魔大王様。故黒鉄ひかりに転生の裁可を」
親父が恭しくオレの決断を促した。
「ひかり……」
「ゆーくん、我儘聞いてくれてありがとう」
「我儘じゃないよ。今まで一緒にいてくれてありがとう。ひかりのおかげでオレは自分の道を選ぶことができた。ひかりには守ってもらってばかりだったな。今までのオレはそんなことにも気付いていなかった。こんなダメなオレを支えてくれたひかりは一番の恩人だ。遅くなったけどオレはひかりの気持ちがわかった。オレのひかりに対する気持ちもようやっとわかった。大丈夫。オレはもう迷わない」
「ゆーくん……」
ひかりは弱ゝしく、それでも嬉しそうに微笑み返してくれた。
悪いな、毘沙門天。この笑顔をオレは返さない。
「絶対に離さない。これまでも、そしてこれからも、ずっとオレの希望の光でいてくれ……愛している」
「私も……」
これが伝えられればもう十分だ。
「転生の裁可を下す。故黒鉄ひかりよ。地獄の一族への転生を命ずる。次の生でも励むように」
「はい」
ひかりは消えた。いや、その姿が見えなくなっただけだ。その魂は天界にはいかず。そのうち一族の子として生まれるだろう。それまでのお別れだ。すぐに会える。会えばすぐわかるはずだ。だって、ひかりなのだから。
源治さんと満代さんが深々と頭を下げた。ひかりの希望を叶えたオレの裁可に対する感謝の気持ちなのだろう。隣では涙をこらえきれなくなった千衣先生が明兄の胸に顔を埋めている。転生は悲しむものではない。とはいえ溢れ出るものはしょうがない。涙を見せないよう先生なりの気遣いなのだろう。
不意に先生が何かに気がついたように顔を上げた。明兄に何かささやく。身を屈めて先生の言葉を聞いていた明兄が驚いたように首を振る。駄々をこねるように先生が首を振り返す。諦めたように応える明兄に千衣先生は大きく頷いた。
*
私は秘書官にも告げずに執務室から外に出た。
今の私は閻魔大王に使える武将の一人だ。現世には行けないが、黄泉の国なら大抵のところには行ける。結弦が唯一神と手打ちしたおかげで悪魔軍の侵攻は大幅に減った。今では嫌がらせ程度に領域を侵すことがたまにあるくらいだ。
黄泉の国の領土も8割ほどは取り戻した。もう陥落寸前の亡国ではない。私もそれなりに働いた。結弦の役に立てただろうか。
地石寺に続く黄泉平坂とは別の現世との国境近くに私はいた。
世の中ではこちらの方が有名だろう。
ここは三途の川のほとり、賽の河原だ。
目的の少女はすぐに見つかった。
数日前に別れたときよりだいぶ幼く見える。14歳だったはずだが今の見かけは5歳くらいであろうか。
ここは現世とは時間の流れが違う。当人の体感に強く影響を受ける。だいぶ消耗しているようだ。大切な人との別れが意志を削り、消耗を速めているのだろう。
急いで来てよかった。あと少し遅ければ完全に浄化され、魂の繋がりすら忘れてしまうところであった。それでは結弦が哀れだ。せっかく再会できたとしても繋がりがなければ思いは一方的になってしまう。決して息子が望む未来にはならないだろう。
「ひかりちゃん」
私が声をかけると少女は石を積む手を止め、振り返った。
「おじちゃん、だぁれ?」
舌足らずな言葉で問い返す。
「ひかりちゃんを助けに来たんだ」
少女は小首をかしげた。自分の置かれている状況がよくわかっていないようだ。
「ひかりちゃんはここで何をしていたのかな?」
「ん~とねぇ、石を積んでいたの」
「どうして?」
「わかんない。でもしなきゃいけないの」
「そうなんだ」
「でもね。いつもこわい鬼さんがきてこわしちゃうの」
「そっか……怖かったね」
「……うん」
「ひかりちゃんはここにいたいかい?」
少女は迷わず首を振った。
「会いたい人がいるの」
当たり前だ。ここに望んでくる子供などいるわけがない。親より先に死んだ子供は賽の河原で永遠の責め苦を受けるなどあってはならないことだ。
いつの世だと思っているのだ。悪法なら変えるべきだろう。それができるのはお前だけだ。息子よ。
「なら、おじさんがここから送り出してあげよう」
私は少女を抱き上げた。
「でも……」
「でもなんだい?」
「こわい鬼さんたちが、いっぱいくるよ」
恐怖を思い出したかのように少女は私にしがみつく。
「大丈夫だよ。おじさん、こう見えてとても強いんだ」
「ほんと?」
「本当だとも」
少女の怯えを振り払うように私は力強く頷いた。
「天国でのうのうと暮らすより地獄を這いずり回って生きていきたい。」をお読みくださりありがとうございました。
ずっと結弦の側にいて助けてくれたひかりが輪廻の輪に還っていきました。地獄の法に勇者が戦いを挑みます。息子たちの未来を信じて。
投稿は毎週金曜日に行う予定です。今後もお付き合い頂けたら幸いです。




