29.終戦
一見、平和そうに見える日常に潜む影。それは生きとし生けるものが逃れ得ない生と死にまつわる有象無象の物語。
黄泉坂結弦は父親にあこがれていた。居酒屋の店主なのだけれど部下に仕事を任せて昼間から飲んだくれている父親に。だけど、親父の周りにはいつも人がいた。彼らの相談を見事に解決してしまう親父は結弦のヒーローだった。親父のようになりたい。それが結弦の夢だった。
だけど、自分は親父に似ていない。少年の悩みは尽きない。
「どわっはっはっ! それで吐き出されて血の池地獄に落とされたか!? 優雅なご帰還じゃねえか!」
「うるせえ、クソ親父!」
そうなのだ。天界から吐き出されたところは血の池地獄だった。全員血みどろだ。力の差を思い知らされた。オレたちが次元を渡り歩いて何日もかけてたどり着いた天界だが、唯一神はいつでも地獄に直結できるのだ。よく殺されなかったものだ。
「そういうな。元閻魔よ。閻魔殿は立派に交渉を果たされたぞ」
毘沙門天が庇ってくれたが、故勇者のお父さんも笑いをこらえている。
「水も滴るってのは聞いたことあるが、さすがに閻魔大王、血も滴るいい男じゃないか!」
「ステーキじゃねえ!」
ひかりがいたら二人とも殺されてるぞ。
一番ダメージが大きかったのはひかりだ。既に月夜叉の姿も保てなくなっている。死人であるひかりは本来地獄から出られないのだ。無理を言って毘沙門天の法気のお守りで何とかなっていただけだ。それももう使い果たされ、お守り袋はスカスカになっている。下手をしたら消滅していただろう。
気を失っていたひかりは阿形(明兄)が部屋に連れて行った。火蓮さんがついてってくれた。身体を清めなければそのままベッドに寝かせることもできない。相当無理をさせてしまった。
蛭子先輩は落ち込んでいたが元気そうだった。とりあえずシャワーを浴びてもらっている。血みどろのバニーガールなんて見られたもんじゃない。着替えは亜里さんが貸してくれるそうだ。オレたちもそれぞれシャワーを浴びて着替えることにした。
「宣言は聞いた。で、どうだった?」
執務室に主だった者を集めたところで親父が聞いてきた。ぼろぼろになった冥府城と傷だらけの元閻魔と故勇者を見ると先に聞きたい気持ちもあったが、これはオレの我儘が引き起こしたことだ。オレから話すのが筋だろう。
「うまくいったよ。まあ、わかりにくいやつだが話ができないほどじゃなかった」
*
「なるほどな。揚げ足取ったようなもんだが、まとめ方としては悪くない」
「どうせ唯一神は子供のことなんか気にしちゃいねえよ。ただそこにふわふわ存在してるだけだからな。まあ、極楽の仏部の方々も似たようなもんだけどな」
親父たちも一応は交渉の成果を認めてくれたらしい。
「オレは会ったことないけど仏様もあんな感じなのか? 天部の神々とはだいぶ違うみたいだけど」
オレの疑問に応えてくれたのは毘沙門天だった。
「信仰とは人が作るものです。仏も最初からあのようなものではなかったのです。釈迦牟尼が衆生の苦しみから解脱することを目的とした個人的なものでした。だからもっと人に近いものでした。宗教とは人の文明に左右されます。原始信仰における神々は人の生活に密着したものでした。もっと獲物が取りたい。実りを豊かに。そういった生きるための願いをかなえるための祈りの対象です。
やがて生活が安定し文明が進むにつれ人は無知を恐れるようになります。人の知恵や努力が及ばないこと、それが畏怖の対象となりました。自然や気候、人の生死や突然引き起こされる戦、そういったものが信仰の対象になります。我々の基となったのもこの時期の神です。
更に文明が進み人の集団が大きくなり、人にできることが増えていくと民衆は権力者に思考を委ねるようになります。ところが人の力でもどうにもならないことがあります。そうなったとき権力者の上に仰ぐもの、それは生活に密着した神々では都合が悪い。そこで考えられたのが人知を越えた絶対的な存在。それが今の仏であり唯一神です。現代の宗教は文明に合わせてつくられたものなのですよ。仏も唯一神も人の願いを叶えたりはしません。ただ聞くだけです。人はそれを勝手に解釈します。祈りが足りなかった。信心が足りなかった。ただ、それだけでは信仰を促すのには不足です。飴と鞭が必要です。飴は信心すれば極楽へ行けることでしょう。鞭は、そう地獄行きです。そこから先は宗教によって違います。信者でない者でも浄化によって救済する。仏の教えは欲深い。それに対して十字教は純粋であり、苛烈です。信じるものは天国に。信じない者、教えを守らない者は地獄で永遠の責め苦が待っています」
「つまり信じない者は人ではないってことか。だからどうでもいいと」
オレの問いに毘沙門天は頷いた。
「そういうことでしょう。生前の行いで裁く閻魔大王と生前の信仰で篩にかける唯一神で違いは大きくありません。貴方様の信仰、人は自由であるという考えは唯一神にも受け入れやすいでしょう。信じない者は端から子ではないのですから。ただし、信仰しない者、道を踏み外した者まで責任を取らせ、浄化して救ってやる。貴方様のその懐の深さはまさしく神と呼ばれるべきものでしょう。私は貴方様を地獄の盟主として仰ぎます」
毘沙門天はオレのことを買いかぶりすぎだ。
「そこまで大したものじゃないよ。それにしても毘沙門天はなんでも知っているね。十字教のことまで」
「私は戦の神ですからね。人を知り、地を知り、天を知る。戦の基本ですよ」
平然と答える毘沙門天が一番怖い。
*
出発してからのことについて話を続けた。
毘沙門天の先導で次元転移を繰り返して数日、持国天を振り切ったこと。次に出てきた阿修羅王と戦いになったこと。阿修羅王を喝破したことを話した。
「ああ、それでか……」
「何かあったの?」
「ああ、阿修羅の奴、戦場に殴りこんできてな。敵陣を引っ掻き回していきやがった。お前には『借りは返した』だと」
「その程度で返せるほど安い借りではなかったはずですがね」
親父の台詞ににこやかに答える毘沙門天がマジで怖い。
もう少しで天界に着くというところでマラコーダに邪魔されたこと。YOUTUBER マルとしての人気が信仰心と同様、力になったこと。康太と韋駄天の助力を受けてYOUTUBER マルの仮面を引き剥がし、マラコーダとして捕らえた。
十字教天界に乗り込む前に天使軍との戦いになったこと、そこでハエ五郎の犠牲によって天使軍を自滅に導いたことを話した。
「ハエ五郎のことは気に病むな。男なら命を懸けるべき時というものがあるものだ」
お父さんが慰めてくれる。それはわかっている。ハエ五郎の死は決して無駄ではなかった。
「それからマラコーダだが、韋駄が持ってきたあいつはそのまま牢に放り込んである。お前の裁可待ちだ。しかし、あんな小物でも力になるんだな」
親父が感心したようにつぶやいた。
「SNSって人気が出ると一種の信仰みたいになるから。インフルーエンサーとか呼ばれちゃって。だから調子に乗るのよ」
今回の当事者だった蛭子先輩が説明した。
「最初に興味を持ったのもマルだったわ。SNSがお金になるとどこからか聞き込んで自分ならもっと不思議な映像が取れるって。でも最初は散々だったらしいわ。それで研究して若者が影響受けやすいって結論出して。若者受けしそうなマルちゃんってキャラ作って、5回目くらいからお色気が足りないって私に声かけてきて。私も秩序を乱すのは好きだったから、乗ってみたの。バイト料弾んでくれたし。優等生キャラが背徳的なバニーガールの格好しているなんて最高にカオスでしょ」
突っ込みたくはないが、先輩は優等生キャラじゃなくて不思議ちゃんだったと思う。
「ああいうものは走り出したら止まれないの。人気が出てくるともっと過激なものを作らないとと焦り、見る方ももっともっとと煽る。そのうちやる方も見る方も何が何だか分からなくなって……。あれは新時代の信仰ね。決してマルを信仰していたわけじゃない。ただ、最初は作品が人を呼ぶの。そのうち作品自体より評判が評判を呼ぶようになる。そうなると加速度的に再生回数は増えていく。そうなったらもう誰にも止められない。マルの映像は面白いから見てみろよ。本当だ。次はどんなの見せてくれるんだろう。そう言った信用と期待がマルに力を与えた。決して長続きしない偽物の信仰だったけどね。ゲームを基に生まれた勇者とおんなじ。混沌たる時代の新しい信仰よ。あいつはね。鏡先生やマラコーダの姿ではしょぼいやつだったわ。けど、マルの仮面をかぶると一変するの」
蛭子先輩が元相棒のマラコーダを語った。マラコーダは拘束されて牢に入れられている。落ち着いたら沙汰を下してやらなければならない。ルシフェル同様浄化することになるだろう。いずれにしてもマラコーダについては終わった話だ。だが、まだ終わっていない話がある。
「姉ちゃんの話も聞かせてもらいてえなあ。なんであんたは結弦につきまとおうとしたんだ? 結弦と千衣の写真を撮ったのもあんたなんだろ?」
元閻魔の親父が蛭子先輩本人に目を向けた。
*
「ふーん。原初の神の末裔ね……」
「神じゃない。神になれなかったもの」
「似たようなもんだよ。信じる奴がいればあんただって神になれたんだ。別に神になっていいことなんざねえけどな」
「それはあなたが神だから」
やっぱり閻魔大王って神様なのだろうか。
「神って言ったって仏に負けて配下にさせられてこき使われてる公務員だぜ」
「それでも神は神」
先輩は諦めない。
「で、もしあんたが神になれたら、どうすんだい?」
「決まってる。世界を混沌に導く」
「今も十分混沌としてると思うけどな。といったって神がそうしたんじゃねえぜ。人が勝手に多様化するんだ。エントロピー増大の法則だな」
「そんなことない。唯一神にも対抗できる力を持った黄泉坂なら、きっと……」
蛭子先輩は諦めきれないようだが、この話は終わりだ。
「とにかく、唯一神とは手打ちができた。宗教戦争はもう終わりだ。後は人が決めることだ。それぞれ好きなようにね。そしてその責任は自分で取るんだ。人の人生はもう神が決めることはない。人が決めるんだ。それが新しい時代の混沌とした秩序だよ」
*
「蘇我さんでしたっけ? ありがとうございます。助かりました」
オレは車に乗っていた。いや、乗せられていた。向かう先は……霞が関? どこだ。それは……
「いえいえ、こちらこそお役に立てたようで渡りに船です」
本心を隠そうともせずにこやかに話す隣の男は蘇我公麿。政府のエージェントと名乗った。
蘇我さんはオレをあるところに連れて行こうとしていたらしいのだが、親父に断られて困っていたらしい。親父の意向に背くことになってしまったが、背に腹は代えられない。オレは逃げるのに必死だった。手段を選んではいられなかった。
まったく強敵だった。唯一神に向かい合ったときだってあそこまで恐怖を感じなかった。
それは天界遠征から帰還し、もろもろの後始末を付けて閻魔堂に帰ってきたときだった。
「黄泉坂君! ……お帰りなさい」
「ただいま、千衣先生」
涙ぐむ千衣先生が出迎えてくれた。夏休みに入ってすぐに地獄に行ってそれっきりだった。今は10月の終わり。もう3か月近く経っていた。
「心配したんだから……」
「オレは大丈夫ですよ。それより先生は大丈夫でし……!?!!」
背中に圧倒的な殺気を感じて動けなくなった。
ダメだ。今動けば確実に殺される。額から汗がつつーっと流れた。
「お帰りなさい、ゆーくん……」
ぎ ぎ ぎしぎしっ
固まって動かない体を叱咤し油の切れたロボットのようにぎこちなく振り向く。その声には人を支配するような迫力があった。
そこには優しく出迎えてくれる満代さんの笑顔があった。……だが、目が笑っていない。
満代さんは鬼の一族の一員で源治さんの奥さん。ひかりや明兄の母親でオレにとっても母親代わりのような人だ。細身で優しい人だけど怒らせると無茶苦茶こわい。
明兄が逃げた理由が分かった。
地石寺から車で閻魔堂まで送ってくれた明兄は「まだ、仕事が残っているから」と言い残して脱兎のごとく行ってしまった。
子供の頃は頼りがいある兄貴だと思っていたけどこのところ違った面を見る機会が多い。
「聞いたわよ。ゆーくん、唯一神との講和を成立させたんですって。スゴイワネー、パチパチ」
「そ、そうなんですよ。襲撃を受けて満代さんがケガしたって聞いて、この戦争を終わらせなきゃいけないって思って……」
「ソウナンダー。シンパイシテクレテアリガトー……でも、そんなに心配してくれたのなら顔見せに来るなり連絡の一つもくれなかったのってどうなのかしら。ねえ、なんでなんで?」
それから一時間以上オレは満代さんの拷問を受けていた。もちろん正座でだ。
千衣先生からも「心配したんだからね。少しは反省なさい」と叱られた。
反省はするよ。あのときのオレは悪魔軍の襲撃とルシフェルとの決闘、初めて軍を率いてのベルゼブブとの死闘と一杯いっぱいで気を遣う余裕なんてなかった。ただオレを信じて待ち続けてくれた満代さんと千衣先生に心配をかけたことは申し訳なく思う。
でも、これいつまで続くんだ?
そんなときに目の前に垂れ下がってきた蜘蛛の糸を掴むのはしょうがないだろう。
「終戦合意の宣言まで出しちまったんだ。しょうがねえだろう」
車の中から携帯で状況を報告したら親父も同意してくれた。
「所詮は紙切れ上のことだが、これで名実ともにお前は地獄の主となる。そのことは覚えておけよ」
親父に励まされてオレは霞が関に向かった。
首相官邸の秘密の地下事務所に連れ込まれたオレは、もちろん総理大臣などに会うこともなくよくわからない書類に何十枚にサインをさせられた。
「天国でのうのうと暮らすより地獄を這いずり回って生きていきたい。」をお読みくださりありがとうございました。
結弦が生まれる前から続いていた地獄戦役は終戦を迎えました。王子は書類上も閻魔大王として届けを済ませました。地獄の結弦の時代が幕を開けます。
投稿は毎週金曜日に行う予定です。今後もお付き合い頂けたら幸いです。




