27.Rex(恐怖の大王)
一見、平和そうに見える日常に潜む影。それは生きとし生けるものが逃れ得ない生と死にまつわる有象無象の物語。
黄泉坂結弦は父親にあこがれていた。居酒屋の店主なのだけれど部下に仕事を任せて昼間から飲んだくれている父親に。だけど、親父の周りにはいつも人がいた。彼らの相談を見事に解決してしまう親父は結弦のヒーローだった。親父のようになりたい。それが結弦の夢だった。
だけど、自分は親父に似ていない。少年の悩みは尽きない。
ハエ五郎は飛んだ。未だかつてなかったほどに。
簡単に逃げ切れる相手ではなかった。かつての盟友であり、百戦錬磨で唯一神から旗頭を任されるほどの相手では。
それでこそ命を懸けるにふさわしい相手です。
でも、私の狙いはあなたではないのですが……
「巻き込んですいません。ミカエル殿……」
びゅうううううっ!
降魔の矢が羽先をかすめる。
(いけませんね。心疎かに相手できる方ではありませんでした)
だが、ハエ五郎はやらなければならないのだ。
「聞こえているのでしょう? セラフィエル! 盗み聞きの得意なあなたのことです。ミカエル殿に任せたといいつつ任せきりにするはずがないですよね。心卑しきあなたのことです。よく知っていますとも!」
*
堕天される前のことだった。
あの頃の私は確かに調子に乗っておりました。
唯一神様にかわいがられていたと思います。思い違いかもしれません。今思い返してもあのお方はその思いの一片たりとて汲み取れぬお方でした。ですが、私は……いえ、私に限らず天使たちはその御心に叶おうと必死だったのです。
その中で私は第一級の成果を上げておりました。他教の神々を下し、信者からはより多くの供物と信仰を引き出すことを成しておりました。
それはまっとうな手段ばかりであったとは申しません。神になりすまし信仰をかすめ取ることで他教の神の力を奪うこともしました。それがどうしたというのです。改宗させることは救済でもあるのですから。
詐欺まがいに供物を巻き上げたこともありました。それが何だというのです。喜捨は善行です。善行を施すことで信徒は天国への門が開かれるのですから。
神はいつもお喜びになりました。いえ、お喜びになったように思われました。
ですが、セラフィエルはいつも私の行いにケチをつけて功績を認めようとしませんでした。
いつしか私はセラフィエルを疎ましく思うようになっておりました。そしてセラフィエルを熾天使長の座から引きずり落してやろうとさえ考えておりました。機会あればその立場に成り代わってやろうとも。
ミカエルにはそれとなく諫められたこともありましたが。
私はその機会を狙っておりました。そうですね。ざっと1000年ほど。
慎重になりすぎていたのかもしれません。時間というものは平等です。私が計画を進めている時間はセラフィエルにとっても備えるには十分な時間であったのです。
その時は突然来ました。
少しずつ、私の成果は唯一神様に届かなくなっていきました。気が付いたときには私の回収した信仰は、供物は、邪なものとされ神の御許へは届かなくなっていたのです。
唯一神様からお褒めの言葉を頂いた成果にケチをつけることは唯一神様のお考えを否定することになります。ですからセラフィエルはまずその成果を神の御許に届かなくしたのです。
そして得たはずの信仰や供物は邪なるものとして断罪されました。
哀れなり。改宗したはずの者たちは為政者から異端者として処刑されました。
供物は没収され、信徒は邪なる願いを持ったものとして吊るされました。吊るされた後は石撃たれ、辱められました。彼が救済を願った難病の娘とともに。
怒り狂いました。そのときには正常な判断がついていなかったのだと思います。
私はセラフィエルに向かって突進しました。
熾天使の身分としては人間に肩入れしすぎていたのかもしれません。ですが、私の手法はともかく信徒たちの願いは真摯でした。彼らの願いすら政争の具としてしまうとは、いったい信仰とは何なのでしょうか。
そのときの私には何もできませんでした。
既に堕天の雷によって裁きを下された後だったのです。
堕天してからの私は何も変わりませんでした。人間の前に立ち、その願いを顕わにしてやりました。欲望を開放してやりました。神の御心には叶わずとも彼らは満足して死んでいきました。地獄に落ちることを承知の上で。信仰心を疑うことなく。
*
「さあこれが私の思いだ! 言いたいことがあれば言ってみるがいい、セラフィエル! 足の引っ張り合いをすることが唯一神様の御心なのか私が聞いてやりますとも! 異教の神の眷属となった私を止められるなら止めてみろ! セラフィエルーーーーーーーっ!」
びゅうううううっ!
またしても降魔の矢が羽先をかすめる。
だが、今度の矢は手心が感じられた。ミカエルの本気ならこの期に及んで私の心臓を外すことなどありえない。
既に法力も尽きている。体力も限界をとうに超えている。たかだかハエ一匹の力で熾天使の全力の追跡をかわし続けているのだ。
残りの天使軍の半数はひきつけているだろう。
ひっきりなしに飛んでくる矢にミカエルほどの力はない。だが、ハエを殺すには十分だ。だからこそ当たるわけにはいかないのだ。
*
何も言うことはない。
ルシフェルの激白をミカエルは聞いていた。先程の矢とてわざと外したわけではないのだ。視界が滲み、狙いが定まらなかっただけだ。
確かにあのものの手法は褒められたものではなかったかもしれない。だが、思いは真摯であった。それを政争の具に貶め、あまつさえ助言めかして止めようとした。
ああ……私はあの頃と何も変わらぬ。何も変わらぬ卑怯者のままだ。
だから……これは罰なのだ。
追い詰めた小蠅に向かって槍を繰り出す。
捉えたはずの穂先に残る感触は異様に軽かった。
視界が真っ白に染まる。
断罪の一撃。セラフィエル様が持つ究極宝具の一つだ。友軍をも巻き添えにしてまでルシフェルを消そうということは。彼の言っていたことは正しかったということか……
せめて戦友の魂が自由であらんことを願う。
*
ミカエルが突出しているせいであろう。同士討ちを恐れて後方からの射撃はなくなっていた。
(つまりは追い詰められているというわけですね)
ハエ五郎は限界だった。いや、限界をとうに超えていた。羽には力が入らず。法力で速度を維持しようにもその法力も尽きかけていた。今のハエ五郎は命を絞り出して速度に変えていた。いつまでも続けられるものではない。
でもそれでいい。それこそがハエ五郎の狙いだった。
極楽教世界では魂が囚われさえしなければ何度でも生まれ変われる。十字教ではありえない戦略である。気取られるはずがない。セラフィエルの切り札、断罪の一撃を引き出しつつ、その手に掛からない。寿命……それこそがハエ五郎の秘策であった。
セラフィエルが断罪の一撃を撃つかどうかは賭けである。ではあるがハエ五郎には確信があった。セラフィエルにはルシフェルを抹殺しなければならない理由があるのだから。
(尻に火が付いたセラフィエルに取れる手はあれだけでしょうからね。
巻き添えにするミカエルには申し訳ないけれど……)
「主様、あなたの臣ハエ五郎は今還ります……」
迫りくるミカエルと槍の穂先と追って迫りくる純白の津波を見つめながら……ハエ五郎は絶命した。
*
天界から放たれた一条の光がハエ五郎を追ったミカエル軍を飲み込んだ。その先にいたはずのハエ五郎も……
まとわりついていた天使どもも唖然としていた。討伐軍の主将もろとも仲間の大半を失ったのだ。
「味方に向かって断罪の一撃を放つのか……」
毘沙門天の言葉がオレを現実に引き戻した。
嘘だろう……天使の手に掛かって死ねばその魂までも捉われるというのに……命を大事にするって言ったじゃないか。魂が帰ってこなければ転生だってできないんだぞ。
「ハエ五郎―――――っ!」
オレの叫びは光を失った虚空に消えていった。
状況が把握できてくると止めようもない怒りが湧いてきた。ハエ五郎の仇なのだ。
「許さぬ! 天使どもを殲滅する!」
「なりません!」
焔魔刀を振り上げ叫ぶオレを仁王たちがが諫める。
「貴方様は戦を収めるためにここまで来たはずです。ハエ五郎とて望んではおりますまい」
「戦を仕掛けてきたのは奴らではないかっ!」
「それはお互い様です」
「奴らはハエ五郎を殺した!」
「我らも何千という天使を殺しました」
「あのゴキブリどもはいくらでも再生するではないか。ハエ五郎とは違うっ!」
両腕を仁王たちが抑え込む。
「離せっ! ハエ五郎の仇を取るのだっ!」
「大王様、落ち着いてください」
「うるさいっ! オレは落ち着いているっ……はぁはぁはぁ…………………」
心臓の音が煩い。怒りで体が何倍にも膨れ上がったみたいだ。治められる自信がない。
「はぁはぁはぁ……………………………………わかった。セラフィエルの馘で手打ちにしてやる……はぁはぁ」
「なりません!」
わかっている。天使に責任を取らせようものなら唯一神との講和はならないだろう。だが、ハエ五郎を殺したことは許せない。怒りで窒息しそうだ。
……そんなにもルシフェルを殺したかったのか……自分の保身のために……
「許せない……はぁはぁはぁはぁ……………………………………………はぁはぁはぁ…………………………………………………はぁはぁ…………………………………………………………………………………………………………………………はぁ……………………………………………………………………………………………………………………………………………………」
「大王様はまた一回り大きくなられましたな。その成長ぶりは目を見張るようです。ですが、怒りのみで法力を制御するのは感心しませんな」
オレはハッとした。
毘沙門天の言う通りだ。ハエ五郎を殺された怒りで体が膨れ上がるほどだった。それがオレの成長だったかはわからない。だが、成長だったとしても怒りに任せて積み上げてきたものをぶっ壊していい理由にはならない。そんなことはオレを信じて支えてくれたハエ五郎だって望んではいなかった。
「…………毘沙門天の言う通りだ。オレは戦いを収めるためにここに来たのだ」
「その通りです」
ハエ五郎だって仇を取ってほしいとは思っていないだろう。オレたちは唯一神と話をしに来ただけなのだ。それはわかっている。
「わかった。皆殺しはやめだ。先へ行く」
「「「はいっ!」」」
皆が安堵したように付き従う。
だが、これくらいの八つ当たりは構わないだろう?
オレは天界の正門を蹴り破った。
*
Rex!
王よ!
Rex!
王よ!
Rex tremendae majestatis,
恐ろしい威厳の王よ
Qui salvandos salvas gratis,
贖われた者を救うお方よ
Salve me, fons pietatis.
おお慈悲の泉よ。私をお救いください
(Requiemレクイエム:Rex tremendae「恐怖の大王」)
それは恐怖の大王であった。
天界の城門を蹴破り侵入してきた異教の鬼達。
憤怒の形相に顔を朱に染め、鋭い眼光で周囲を睥睨する。
「ひっ……」
ぷしゅ……
その血走った視線の圧力だけで下級天使が消滅した。
圧倒的な存在感で征服した敵地を練り歩く。畏怖を振りまく恐怖の大王と付き従う眷属たち。
セラフィエルは己の過ちを悟った。恐怖の大王など打算で止められる存在ではなかったのだと。
怒りを隠さない鬼の首領はセラフィエルたち熾天使に目もくれない。目が合いでもしたら怒りを収めることが難しくなると思っているかのようだった。
天界を治めるはずの天使たちは何もできずに見送るのだった。
「天国でのうのうと暮らすより地獄を這いずり回って生きていきたい。」をお読みくださりありがとうございました。
天使を圧倒した結弦。しかし、最大の理解者ハエ五郎を失ってしまいます。毘沙門天の説得で怒りを抑え込む結弦ですが、恐怖の大王として天界を蹂躙するのでした。
投稿は毎週金曜日に行う予定です。今後もお付き合い頂けたら幸いです。




