24.天使
一見、平和そうに見える日常に潜む影。それは生きとし生けるものが逃れ得ない生と死にまつわる有象無象の物語。
黄泉坂結弦は父親にあこがれていた。居酒屋の店主なのだけれど部下に仕事を任せて昼間から飲んだくれている父親に。だけど、親父の周りにはいつも人がいた。彼らの相談を見事に解決してしまう親父は結弦のヒーローだった。親父のようになりたい。それが結弦の夢だった。
だけど、自分は親父に似ていない。少年の悩みは尽きない。
天界まであと少しというところ。ここは本日の野営を決めた洞窟の中だ。
阿形を見張りに残し、それぞれ野営の準備に勤しんでいる。
そんな中、夕食のバナナにかぶりついているハエ五郎に蛭子先輩が話しかけた。
「ねえ、あなた」
「なんでしょう、先輩殿」
「あなた、強そうには見えないわね」
「ハエでございますから」
「でも、あなたも見かけ通りではないのでしょう? もっと小狡い裏の顔がありそうな感じ……」
「裏も何もただのハエにございます」
「戦いのときも見かけなかったわね。本当はマルちゃんよりずっと強いのでしょう?」
「御冗談を……所詮、ハエ。戦の役にはたちませんから。主様が耳の中に招き入れてくださいまして匿って頂きました」
「なんですって!? ハエの分際でゆーくんの耳の中に隠れているんですって?」
聞きとがめたひかりが会話に加わる。
「はい。主様は臣にも優しくしてくださいます」
「ふざけるんじゃないわよ。不衛生でしょ。ゆーくんが病気になったらどうするの?」
「月夜叉殿、ハエは生まれ持って病原菌を持っているわけではございません。私は今生では果物しか食べておりません。きれいな体でございます」
……ハエ五郎、ときどき思うのだが、ひかりに対してその思わせぶりな物言いはわざとじゃないだろうな?
「それでもゆーくんの耳の穴なんて……あんたなんかお兄ちゃんの汚い耳の中にでも入っていればいいのよ!」
兄に向ってひどい言い草だが、明兄も妹を裸踊りさせるような奴だしな。致し方あるまい。
「まったく……ゆーくんの体の中に入るだなんて……うらやましい……」
「月夜叉殿、それは逆ではありませんか?」
「?」
「主様の内に入るのではなく、どちらかと言えば入ってもらうことを目指すべきでは……ふっ、失礼……」
メリハリのないひかりのボディを見てハエ五郎が嗤う。
あいつ、ぶっちゃけやがった!
「……コロス……絶対ぶっ殺す!!」
顔を真っ赤にしたひかりがポケットから殺虫剤を取り出し、噴射する。逃げるハエ五郎。
「まてーーーっ!」
「ゆーくん、黒鉄さんは嫌だそうだから、あたしにしない? あたしならいつでもOKよ♡」
先輩もちょっと黙って。
「くそ女! お前も殺す! 絶対殺す!!」
……
まあなんというか、みんな仲良くなれてよかった。
*
そんなこんなで和気藹々と順調に旅は進んだ。
あと数日で天界に着くという日の夜、ハエ五郎が軍議を開きたいと申し出た。
「いよいよ、覚悟を決めたってわけね。ここまで来たら道案内の必要もないものね。安心しなさい。死ぬときは一瞬だから」
ひかり、殺虫剤をしまいなさい。
「月夜叉殿、これまで大変失礼致しました。月夜叉殿のお姿があまりに可憐でついからかいたくなってしまいました」
「まあ……そんなこと言っても騙されないんだからね」
うん……こいつ本当にちょろいな。
「主様とのお似合いカップルぶり初々しくてべた甘で胸やけがします」
「お似合いだなんて……」
ハエ五郎、さらりと毒を混ぜるな。そしてオレを巻き込むな。
「本日の軍議では、これから起こるであろうこととその敵についてご説明致します」
ひかりを手玉に取ったハエ五郎はまじめな顔に戻り軍議を仕切る。
「何が起こるというのだ。あんな概念の塊など守る必要などないはずであろう。ましてや唯一神は絶対権力者。極楽天界のように信仰を分け合っているわけではあるまい」
「そんなことはありません。代表的なのは聖母様でしょう。他にもマザーなど聖人も信仰の対象ではあるのです。もちろん唯一神の眷属としてですが」
毘沙門天の疑問にハエ五郎が答える。
「それに取り巻きがいます」
「取り巻き……それは天使のことか?」
「左様です。天使の中でも直に神の声を聞けるのは熾天使など限られたものだけです。なのに余所者が神と話をしようだなんて面子をつぶすようなものです」
「なるほど。つまり、次の敵は天使ってわけね」
ひかりは納得したようだが、オレは簡単には頷けない。
「唯一神はオレたちのことをどう思っているんだ?」
「なんとも思っていないでしょう。唯一神様は信仰を捧げるものには慈悲深いお方ですが、それ以外のものには関心ないでしょう。宗教戦争の時代でも十字軍など下界のことには関心ありませんでしたから」
「天使たちの独断ってわけか」
「はい」
やはり敵は唯一神ではないのだ。戦を止めれらる可能性はある。
「戦場はどこになる?」
戦の腹をくくった毘沙門天が問う。
「戦略的には天界に引き込んでの殲滅戦が望ましいでしょうが……」
「天界に悪影響が出る」
「はい。献上された信仰心による神聖気が消耗されては唯一神様の勘気に触れる虞があります。適当に距離が離れたところではないでしょうか」
「ならなぜこれまで仕掛けてこなかった?」
「奴らは悪魔をそそのかして極楽教を攻めさせておりました。形の上では天使は関与していないのです」
「看過していた。暗黙の了解というやつだな」
「はい、それでも自ら手を出すとなると……」
「方針を変更するのも失態となる」
「はい」
まったく……極楽教天界の足の引っ張り合いもひどかったが、十字教でも同じようだ。こんなやつらを信仰するに値するのだろうか? 信じている人がかわいそうだ。
「よいのです、主様。人間とて信仰しているのは救済のためにすぎません。縋れるものであればなんでもいい。たとえそれが名も知らぬ天使であっても」
「十字教の弱みだな。唯一神以外は雑魚だ」
「数だけはありますが。ほんの無限ほどですが」
ハエ五郎、それは“だけ”とは言わない。
「まあ、ゴキブリみたいなものです。1匹見たら100匹いると思えと。生命力もGなみですよ、主様」
虫みたいに言うな。ベルゼブブより強敵じゃないか。
……出てくるのはやはり彼でしょうね。
ハエ五郎は旧知の天使を思う。融通が利かなくて小心者で貧乏くじばかり引かされる哀れな、それでいて嫌いになれなかった天使の顔を。
*
熾天使長様が苛立っている。
こういうときは何もしないほうがよいのだ。何を言ってもセラフィエル様を苛立たせるだけだ。余計なことを言えば勘気に触れることもあり得る。場合によっては堕天すら命じかねない。
それを察してミカエルは黙って控えている。
だというのに空気を読まないヤツがいた。
「ねえ、セラフィエル様。どーしたの? そんな怖い顔しちゃってさ。ハゲるよ」
ラファエルがセラフィエル様の顔を覗き込んで話しかける。
「バカ! ラファエル、失礼であろう……」
「どうしました、ミカエル? 騒がしいですよ」
だというのにセラフィエルが問い返したのはミカエルに対してだった。
まったく……いつもこうだ。ラファエルのバカなど放っておけばよったのだ。
ミカエルは堪え性のない自分の性癖を呪った。
セラフィエル様は熾天使長だ。熾天使とは神と直に接することができる最も偉い天使である。その長であるセラフィエル様は天使たちの中で最も偉いお方なのだ。場合によっては神の代理として権能を振るうことさえある。その対象は我ら熾天使の同僚であっても例外ではない。怖しいお方なのだ。
第一位階の天使は統一と完璧を司る。
その統一と完璧を犯そうとする輩がいる。許されざる事態だ。セラフィエル様が眉を顰めるのも当然だ。
当初、我らは悪魔どもを黄泉の国にけしかけた。黄泉の国とは極東の島国における地獄のことだ。洋の東西はあれ、地獄のことは地獄のものがふさわしかろうとの考えだった。
あれを言い出したのはウリエルだったか……ミカエルも反対しなかった。賛成したというより関心がなかったのだ。
ルシフェルなどはよく踊ってくれた。天界へ返り咲くチャンスだと吹き込んまれたのが効いたのかもしれない。そんなはずあるわけがないのに。熾天使とは完璧でなければならないのに。
もっともミカエルは関心がなかった。地獄同士共倒れになってしまえばよいとさえ思っていた。汚いものがいなくなれば神の理想の世界に近づくと考えたのだ。
だが、それは間違っていた。
最初はうまくいった。ルシフェルは勇者などという傭兵を見つけ出し、敵に当てた。傭兵たちは戦力になった。十字教を真似た下賤なものを神が認めるはずが無かろう。所詮は遊戯の中のキャラクターにすぎぬというのに。魔王と戦う者ということで十字教の聖者とみなされるようになった。戯言と放っておくうちにいつの間にか馬鹿にできぬ信仰を集めていた。信仰を持つということは力を持つということだ。
彼らは極楽教の地獄をあと一歩というところまで追いつめた。だが、そこでルシフェルが下手を打った。仲間割れをした挙句、奴は浄化され消滅した。極楽教は息を吹き返した。
地獄とは罰である。罰のない権威など畏れられない。教義の本質にかかわることなのだ。地獄が他教の手に渡るとは宗教の存亡がかかっている。極楽教の地獄と言っても極東の一部の宗派に限ったことではある。だが、あの国は人口だけは多いのだ。そこの極楽教を滅ぼすことには意味はあったのだ。そのはずだった。
閻魔を放逐し、地獄の機能を停止寸前まで追い込んだ。それでも極楽教は滅びなかった。天界戦においても押していたというのに、なぜか閻魔への信仰は衰えなかった。やがて代替わりした若い閻魔が盛り返した。いつの間にか黄泉の国の大半は取り返されていた。
サタンもベルゼブブもだらしない。所詮は低俗な悪魔だ。
いや、そうではない。我々は人間の信仰心を見誤っていたのだ。
そして我らは窮地に追い込まれている。
もちろん唯一神様の版図が侵されるわけではない。そんなことあるわけがない。追い込まれているのは我々……天使だった。
極楽教では人間は死ぬと新たな生へと生まれ変わると教えているそうだ。輪廻転生といったか。
あり得ぬ。
生まれ変わってしまったら生前に積んだ善行はどうなってしまうのだ。人は生きているうちに積んだ善行により天国に召される。生まれ変わってしまってはその権利はどうなってしまうのだ。その程度のことにすら考えが及ばないとは愚かなものたちだ。
彼らは魂というものを信じているらしい。死後は魂が浄化され新たな生に転生する。馬鹿な。死者の魂が新たな命に生まれ変わるというのなら、それでは人口は増えるはずがないではないか。
我ら十字教とて魂という考え方はある。死者の魂は生前の行いにより天国に召され、或いは地獄に落される。
それでは魂はどこから来るのか……
天国も地獄も死者の魂が審判の日まで無限に増え続けるのか……
「ミカエル……」
「はっ」
いけない。セラフィエル様の前だというのに愚にもつかぬ考えに溺れていた。良くない兆候だ。
「ラファエルのことは気にしてはいけません。あれはああいうものなのだから」
セラフィエル様のおっしゃる通りだ。
ラファエルは無邪気を具現化したような天使だ。その朗らかさに救われることもあるのだが、このようなときは邪魔でしかない。
「ですが……」
「なら、あなたが何とかしてください」
「はっ……?」
「侵入してきた賊をあなたが責任をもって排除してください。いいですね」
まただ……また余計なものを背負い込まされてしまった。
ミカエルは己の貧乏性を悔やんだ。
「天国でのうのうと暮らすより地獄を這いずり回って生きていきたい。」をお読みくださりありがとうございました。
唯一神との対話を目指して十字教天界を進む結弦たち。敵の正体が明らかになってきました。G並みの生命力とハエ以上の繁殖力を持つ奴ら、そう天使です。
投稿は毎週金曜日に行う予定です。今後もお付き合い頂けたら幸いです。




