23.聖女
一見、平和そうに見える日常に潜む影。それは生きとし生けるものが逃れ得ない生と死にまつわる有象無象の物語。
黄泉坂結弦は父親にあこがれていた。居酒屋の店主なのだけれど部下に仕事を任せて昼間から飲んだくれている父親に。だけど、親父の周りにはいつも人がいた。彼らの相談を見事に解決してしまう親父は結弦のヒーローだった。親父のようになりたい。それが結弦の夢だった。
だけど、自分は親父に似ていない。少年の悩みは尽きない。
「生きてるか?」
「俺はもう死んでるつーの!」
元閻魔のボケに律儀に突っ込みを返す故勇者。
戦いは終わった。サタンは片角を切り落としてやったら逃げてった。兵力の8割を削ってやっとベルゼブブも撤退した。どんな大戦でも損耗率が3割を超えることはめったにない。攻める側は負けたときも余力を残すものだ。
「まったく、しつこい奴らだったぜ」
「あれだけの悪魔を浄化せにゃならん。考えただけで頭が痛い……」
何せ8万もの悪魔とその眷属を倒したのだ。地上でなら十字教の地獄に再生するのだろうが、ここは極楽教の地獄だ。さまよえる魂は全てこちらで裁かなければならない。
「あれ、うまくいくと思うか?」
故勇者が聞いてきた。
「無理だろう。毘沙門天の言う通り、唯一神は人格すらない。ただの概念の塊だ。話し合いになるとは思えん」
元閻魔は突き放すように返した。
「それなら何故行かせた」
「あいつの成長に必要だからだ。これから社会は変わっていくだろう。地獄も変わるはずだ。そのときこれまでの地獄しか知らないのでは変化についていけないだろう。外の世界を知ることも必要なのさ」
「それもそうか」
元閻魔の言葉に故勇者は言い返さなかった。二人の父親の思うところは一つだった。
*
驚いたことに蛭子先輩はオレたちの飛行についてこれた。
「言ったでしょ。私にはそこらの神より古い血が流れている。神ではない。むしろ神とは対極の存在。これくらいのこと問題ない」
隣でひかりが面白くなさそうに頬を膨らませている。そうは言っても足手まといにならないだけましだ。
「もし、旅のお方、ここから先は難所です。その前に一息つかれてはいかが?」
涼やかな声に呼び止められた。
「何奴っ!」
毘沙門天が剣を向ける。確かにさっきまでは何もない白い靄がかかっただけの空間だったのだ。それが、今は急峻な峠を目の前にした荒涼とした大地が広がっていた。
注意深く毘沙門天が剣を構え直す。仁王たちが両脇を固め威圧をかける。が、その女は微笑みを絶やさなかった。
「そちらは異国の戦神様ですね。戦に参られるのでしょうか? ならばなおのこと、休憩が必要と存じます」
「十字教は一神教であろう。よいのか、我を戦神と認めてしまって?」
「それは教義の中でのお話。他教の神々を否定するほど傲慢ではないつもりですよ」
女は笑みを絶やさず毘沙門天に向かい合っている。オレでさえ気圧されるほどのすさまじい殺気を放つ毘沙門天を前にしてなおその女は態度を崩さない。敵ではないのかもしれない。なんとなくオレはそう思った。
前に出る。この隊の代表はオレだ。ならば礼を返すか、戦うか決めるのもオレでなければならない。
「連れが失礼した。オレは黄泉坂結弦。ある戦いを収めるための旅をしています。貴女の名前をお聞かせ頂けないでしょうか」
「私のことはマザーと及びください。皆、そう呼んでおります」
オレを相手にしてもその女の態度は変わらなかった。
「随分とお若いお母さんですね」
マザーはどう見ても20代前半、あるいは少女のようにも見える外見をしている。身にまとうものは質素な単衣だけだ。修道女ですらもっとよいものを着ているだろう。なのにマザーはそんな襤褸をまとっていてさえ崇高に見えた。
「現世を離れたらいつの間にかこの姿に……。体が痛まなくてすむのは死人の良いところですね。うふふ」
「お名前を教えてはいただけないのでしょうか?」
「現世のことはもう忘れてしまいましたわ」
敵ではないのかもしれないが、味方でもないようだ。当然だろう。鎧装束に身を包む、傷だらけの集団だ。落ち武者にしか見えない。ひいき目に見てもはぐれ小隊といったところか。信用できるわけがない。
「黄泉坂様」
「はい」
「先ほど、戦を収める旅とおっしゃいましたか?」
マザーは少しばかりオレたちに踏み込んだことを聞いてきた。だが、それには胸を張って答える。
「はい」
「それにしては少々……武威に欠けるお姿に……失礼しました」
言いたいことはよくわかる。普通なら戦を収めるといえば敵を打ち破って言うことを聞かせることを言うだろう。だが、
「戦を収めることは戦うこととは違いますから」
「まあ……それでは黄泉坂様は戦をせずに争いを収めるおつもりなのですか?」
「そうです。親父たちには反対されましたけど」
「それはそうでございましょうね」
マザーはコロコロと涼やかな笑い声を立てた。それはオレの言葉を無謀と嘲笑うのでもガキの戯言と見下すのでもなく、好意的な気持ちの表れに思えた。
「歓迎しますわ、黄泉坂様。この土地のマザーとして精一杯のおもてなしをさせて頂きます」
「俺は貴女を知っている気がします、マザー」
突然、阿形が口を挟んだ。仁王の片割れであり、オレの最も頼りにする明兄が一歩前に出る。だが、言葉とは裏腹に警戒を緩めない。
「常に紛争の最前線に立ち、その土地の平和を質として土地神を折伏し、最恐の侵略兵器と揶揄された偽善の聖者とは貴様のことであろう」
阿形の追及にもマザーは微笑みを消すことはなかった。
「武神様のおっしゃることは正しくもあり、違ってもいます」
「どういうことだ」
「武神様、争いはなぜ起こるのだと思われますか?」
マザーは問い返す。
「争いとはエゴのぶつかり合いの結果だ。そこに正義などない。ただ愚かであったというだけのこと」
「その通りです。私は別に十字教を広めるために活動していたわけではありません。十字教の支配地域を広げることになったことも十字教のエゴと言われればそうでしょう。でも、その以前から争いは絶えなかったのです。私は愛しき隣人を戦禍から守りたかった。ただそれだけのこと。
では、なぜ争いは絶えなかったのでしょうか。再度問います。争いはなぜ起こるのだと思われますか?」
「……」
阿形はそれに対する答えを持たない。仁王だって仏の威光を広めるため戦ってきた武神なのだ。
「簡単です。ただ貧しかったからです」
マザーの言葉は力を持っていた。誰もが屈服する力があった。これが聖女の力なのか。
「ここは人が生きるには厳しい土地です。土は枯れ、雨は少なくそのままでは作物は育ちません。人々は生きるために争うのです。わずかな平地を争い、少ない水を奪い合い、労働力として人を取り合ってきました。譲ることは集落の死を意味します。それくらい過酷な土地だったのです。望んで住んでいるわけではありません。争いに敗れ豊かな土地を追われ、しかたなく住んでいるのです。何百年も前に先祖が破れた民は争いなど起こさず死ねばよいのでしょうか? 私はそうは思いません。彼らにも生きる権利があります。そして私にも愛しき隣人を助ける自由があるはずです」
マザーは人助けを自由と言った。
「私がお手伝いした土地に十字教が普及したのは十字教がお金を出してくれたからです。もちろんお金で全て解決するわけではありません。でもお金があれば井戸が掘れます。井戸から湧いた水があれば飲み水に苦労することはなくなります。わずかばかりの畑を潤すことが出来ます。そこで取れた穀物で人々は生きてゆけます。
私は聖女とやらと呼ばれているらしいですわね。別に望んだわけではありません。ですが、利用させて頂きました。私には、私が助けようとしている人々にはお金が必要であったからです。おかげで寄付金は集めやすくなりました。でも、勘違いしないでください。私は十字教の布教などしておりません。私がお手伝いした村には土地の信仰を手放さなかった方々もいらっしゃいます。私は無理強いなどしたことはないのです」
「だが、結果として十字教に救われたのに帰依しなかった者たちはその土地を追われることとなった。帰依した者たちも父祖を忘れ、土地神を捨ててしまってはもはや民族とは言えぬ亡者と同じであろう」
「それでも血は残ります。生きていること、父祖の血を繋ぐこと以上に尊いことはないでしょう」
「ならば十字教の金など与えるべきではなかったのだ」
「それでしたら十字教以上にお金を出せばよろしかったのではなくて。極楽教の世界も資本主義だと思っておりましたが、そこまで否定するつもりですの」
「もうやめましょう。明兄もそこまでだ」
オレは議論を止めた。マザーという女は戦士なのだ。理想の世界に向けて戦い抜いた。利用できるものは何でも利用した。自分の名声まで。きっと自分は十字教の先兵として侵略に加担したという悪名を背負わされるだろうということまで知っていた。それでも、それすらも利用して理想のために戦い抜いた女傑なのだ。
*
議論を解散させ、皆を休ませることとした。提供された建物は日干し煉瓦を積み上げ枯草で葺いただけの粗末な小屋であった。マザーの家らしい。
疲れ切っていたひかりを寝かせるとオレは外に出た。いつの間にかオレたちは集落の中にいた。全員集めても30人ほどの小さな集落だ。だが、井戸があった。マザーが十字教から引っ張り出した金で掘った井戸だろう。
井戸は飲み水になる。健康を損なうことのない命の水だ。一部は畑を潤すのにもつかわれているのだろう。食料がまかなえれば人はもっと増えるだろう。人がいれば自力で井戸を掘ることも可能となる。この集落は大きくなる。十字教の恩恵を受けた人たちの中には土地神への信仰を捨て十字教に帰依するものの出るだろう。それを悪いとは言わない。先祖代々の信仰は彼らを救わなかった。十字教でもない。金でもない。救ったのはマザーだ。
集落の外に出た。小さな畑のその中にマザーがいた。
「部下が失礼しました」
マザーはオレの謝罪を微笑んで受け入れてくれた。
ここに住んでいる人たちが帰依するのはマザーだ。十字教マザー派とでもいうのだろうか。理想に殉じた澄み切った思想だ。そこには悪魔などいない。折伏された土地神も悪魔になどならずに祖霊の一人として子孫を見守ってくれるだろう。
オレの敵はここにはいない。それがわかっただけで十分だ。
「黄泉坂様は戦いを収めに旅をしているとおっしゃいました」
マザーはオレの言いようが気に入ったらしい。
「オレの世界では死者の魂は浄化され転生するとされています」
「私の信仰している価値観とは違いますね」
「そうですね。でも、十字教にも地獄はあります」
「はい」
「十字教の地獄は死者がいくところではない」
「はい」
「調伏された土地神が邪神とされ澱んでいるところです。彼らは悪魔と呼ばれます」
「はい」
「十字教の教えが広まるほど悪魔は増え、地獄が広がります。その悪魔と俺たちは戦っています。ですが、ここには悪魔はいない。それは貴女が土地神と争うことを良しとせず、祖霊として丁重に扱ったからです。だから彼らは悪魔にならなかった」
マザーは嬉しそうに頷いた。
「黄泉坂様はまるで私のことを見てきたようなことをおっしゃいます」
「十字教にも貴女のような方がいると知れてよかったです」
「オレの親父も極楽教に折伏されてきました。幸いにも邪神扱いはされず位階を与えられ秩序を守る役割を与えられています。後を継いだオレとしてはその秩序を守りたい。信仰ではなく自分の行いに自分で責任を持つそんな世界を守りたい」
オレは自分の中に固まりつつあるオレの理想をマザーに語った。マザーと話していてまた一つ明確になってきた気がする。
「一つお願いしてもいいですか?」
マザーがいたずらを思いついた子供のような笑顔で言った。どきんとした。心臓に悪い。
オレの返事を待たずにマザーは言葉を続けた。
「どうかこれからの戦いでも殺さないでください」
「……殺さないと約束はできません。ですが、例え悪魔であったとしてもその魂の一片たりともおろそかにはしません。浄化して輪廻の輪に返すと誓いましょう」
マザーの理想に叶う答えだったかはわからない。でも、オレにとって精一杯の気持ちだ。
「ふふっ、それで充分です」
マザーは少女のような微笑みで答えてくれた。
「それでは私から、お礼の祝福です」
マザーはオレの頭を抱くと抱きしめてくれた。小柄なマザーであったが、頭二つ分は高かったはずのオレが自然と抱きとめられてしまった。柔らかいものが顔に押し付けられる。
「小さな従者さんにもお裾分け」
襟の裏に隠れていたハエ五郎にも気づいていたみたいだ。
微笑むマザーは、なんというか……やっぱり聖女だった。
「天国でのうのうと暮らすより地獄を這いずり回って生きていきたい。」をお読みくださりありがとうございました。
旅の途中で立ち寄った山際の寒村、そこで結弦たちは聖女に出会います。聖女と話した結弦は何かを感じ取ります。彼女の存在は結弦の将来にどのような影響を与えるのでしょうか。
投稿は毎週金曜日に行う予定です。今後もお付き合い頂けたら幸いです。




