22.ヒルコ
一見、平和そうに見える日常に潜む影。それは生きとし生けるものが逃れ得ない生と死にまつわる有象無象の物語。
黄泉坂結弦は父親にあこがれていた。居酒屋の店主なのだけれど部下に仕事を任せて昼間から飲んだくれている父親に。だけど、親父の周りにはいつも人がいた。彼らの相談を見事に解決してしまう親父は結弦のヒーローだった。親父のようになりたい。それが結弦の夢だった。
だけど、自分は親父に似ていない。少年の悩みは尽きない。
伊耶那岐命と伊耶那美命が天浮橋に並び立つ。伊耶那岐命が手にした天沼矛を差し入れ、渾沌とした大地をかき混ぜたところ、矛から滴り落ちたものが積もって淤能碁呂島となった。
淤能碁呂島に降り立った二神は「天の御柱」と「八尋殿」を建てた。伊耶那岐命は左回りに伊耶那美命は右回りに天の御柱を巡り、出会った所で相手の魅力を褒めあった。
「ああ、なんという素晴らしい男神でしょう」
伊邪那美命が先に伊邪那岐命を褒めた。
次に伊耶那岐が伊邪那美を褒めた。
「ああ、なんという愛おしい乙女神だろう」
伊耶那美命は己の体に足りないところがあることに気付いた。
伊耶那岐命は己の体に余っているところがあることに気付いた。
伊耶那美命が誘う。
「では、私の体の足りないところにあなたの体の余っているところを差し込めばよくないかしら」
「それがよい。そうしましょう」
伊耶那岐命が受けた。
しかし生まれてきた子はぐにぐにゃした人とも神ともつかぬ異形のものであった。
蛭子命と名付けられた子は3歳になっても立つこともできなかった。
二神はヒルコを葦船に乗せて流した。以降、正史にヒルコは載らず、二神の子の数には入れないとされている。
「困りました」
伊耶那美命の言葉に伊耶那岐命が応える。
「儀式の折り、貴女から声を掛けたのがよくなかったのかもしれません。今度は私から誘いましょう」
こうして二神は儀式をやり直した。
伊耶那岐命は左回りに伊耶那美命は右回りに天の御柱を巡り、出会った所で相手の魅力を褒めあった。
「ああ、なんという愛おしい乙女神だろう」
「ああ、なんという素晴らしい男神でしょう」
伊耶那岐命が誘った。
「私の体の余っているところをあなたの体の足りないところに差し込めばいかがでしょう」
「それがいい。そうしましょう」
伊耶那美命が受けた。
こうして生まれたのが淡道之穂之狭別島(淡路島)であった。
次いで伊予之二名島(四国)、隠伎之三子島(隠岐島)、筑紫島(九州)、伊伎島(壱岐島)、津島(対馬)、佐度島(佐渡島)、大倭豊秋津島(本州)が生まれ大八島国(日本列島)が形作られた。
*
蛭子雅美先輩はオレたちの中学の先輩で一学年上の3年生だ。
オレの所属する園芸部の部長でもある。他は幽霊部員ばかりなのでほぼ二人きりで部活をやっていた。うまくやってきたのだから仲がいいといえばそうなのだろう。だが、オレは先輩のことを何一つ知らない。
この口数が少なく、反応の薄い先輩は必要なことしか言わないのだ。オレは先輩の好きなものも嫌いなものも将来の夢もどこの高校に行きたいのかも何も知らない。
部活で校内緑化運動に参加することになったときも顧問から言われた事実を伝えるだけだった。
「つまり来月の緑化期間までにプランター30個を準備しなければならないのですね?」
「そう。予算が2万円だからプランター一つに掛けられる予算は700円弱ね」
オレの質問に淡々と答える先輩。
「あとひと月じゃあ、種からは無理ですね。種から育てられればもっと安くできたんですけど……鉢植えを買ってくるしかないですね。予算足りるかな?」
「足りるわけないでしょ。プランター一つに最低3株として一株300円としても900円はかかるわ」
「もっと早く言ってくれればいいのに」
「そんなこと言ってもしょうがないでしょ」
伝え忘れていた顧問が悪いのだが、文句も言わず淡々と仕事をこなす。本当はどう思っているのかわからない。
顧問と言えば、園芸部の顧問は鏡嵐丸だ。この頃からあいつはオレを監視していたらしい。クズだな。
「足りない分はどうします?」
「一時的なものだし、花壇から移し替えましょう。黄泉坂、やって」
こういうところ、蛭子先輩はしっかりしている。やる気はないけれど。
成績も学年でトップクラスだったはずだ。本人は気にしていないようだが。そういえば先輩が勉強をしているところを見たことがない。授業中もいつも居眠りばかりしているのに(なぜ知っているかといえば体育の授業のとき見たからだ。1階の窓側の席なので目立っていた)。
「おい、見ろよ。蛭子先輩また寝てるぜ」
机に伏して無防備に眠る先輩を2年生男子が覗き見る。
「押しつぶされてもでっかいよな。触りてぇ」
机に押しつぶされた胸が窮屈そうだ。
そういえば先輩は下級生男子から密かに人気がある。
密かにというのは誰も告白しないからだ。
「黄泉坂、お前、園芸部で蛭子先輩と一緒なんだろ?」
「本当か? ずりぃぞ! あのおっぱい独り占めか!」
その理由はスタイルの良さにある(バニーが似合うのも納得だ)。顔もきれいだ。かわいいというよりきれい寄り。おかげで時々オレも巻き込まれる。だが、それだけだ。
「なら、園芸部入るか?」
「い、いやぁ……俺は野球部で忙しいから……」
「美人は見ているのがいいんだって……」
と逃げられる。
常に眠そうな目とろくなことを言わないアホ口のせいである。先輩は残念美人なのだ。
美人は眺めるのがいい。至言だ。
*
「先輩はいったいなにがしたかったんだ?」
蛭子先輩は力を持たない。オレたちに囲まれても抵抗する素振りを見せなかった。オレが聞きたかったのは最後に残った疑問、先輩の目的だ。
「私はヒルコ。日本創世の滓。神にも人にもなれず、流された混沌の末裔。私の願いは世界の混沌。世界中から秩序がなくなり、ただ混然一体となった世界。その世界なら私は神と同等の力を持てる。神の仲間に加われる。吉祥天様が教えてくれた。それが私の……私の一族の望み」
蛭子先輩にそんな枷が掛けられていたとは知らなかった。
「すまない。先輩の希望を叶えることはできない。オレは生と死の秩序を守る法の番人、閻魔だから」
「もういいわ。終わったことだもの」
蛭子先輩の野望も潰えた。おとなしく諦めてくれてよかった。また、別の悪魔にたぶらかされたりしなければよいのだが。
「よりによって吉祥天か……」
毘沙門天が苦々し気に呟く。
「吉祥天がどうかしたのか?」
「お恥ずかしいことに私の嫁です。もともとあいつはどうかしています。あれの母親、鬼子母神の狂っていた頃の子供でしてね。母親が神格化したことに不満を抱いていたようです。一緒に神となりましたが、悪いところばかり受け継いだようです。口先ひとつで人をたぶらかし、引っ掻き回すやつです。なぜと問うても『だって面白いから』で済ませてしまう。そこいらの悪魔よりもっとたちが悪い」
仁王達に縛り上げられ転がされたマラコーダを見遣り、毘沙門天は吐き捨てた。
「吉祥天様を悪く言わないで!」
「見解の相違だな」
先輩が珍しく感情的な声を上げた。だが、毘沙門天は相手にしなかった。
「韋駄天。マラコーダを連れてくついでに蛭子先輩を送ってくれないか? しばらく親父に預ける」
「えーっ。おいら荷物運びは得意じゃないんだけど」
文句を垂れる韋駄天を無視して蛭子先輩がオレに尋ねた。
「黄泉坂はこれからどうするの?」
「唯一神に会いに行く。この地獄を巡る戦いを終わらせるんだ」
そうだ。邪魔が入ったがこれで本来の目的に向かえる。
「そう、じゃああたしも行く。連れてって」
先輩がとんでもないことを言いだした。
「ちょっと、あんた図々しいにもほどがあるわよ。こんな女、マラコーダと一緒に縛り上げて落としちゃいましょう。地獄で浄化でもしてもらえばいいんだわ」
ひかりが割り込んだ。オレと仲良く話しているのが気に入らないらしい。仲良くしているつもりはないのだが、なぜか蛭子先輩にはいつも使われてしまう。
「先輩、危険な旅になりますよ」
「構わない。十字教の本陣に極楽教が攻め込むんでしょう。しかも、地獄と天国の戦い。これこそ混沌でなくてなんていうの。連れてってくれないならいいわ。一人で行くから」
先輩の言うことは一つも理解できない。別に戦いに行くわけじゃないし、秩序を守るために行くのだが……先輩には通じないだろう。オレは早々に説得を諦めた。
「わかりました。連れてってあげますよ」
「ちょっと、ゆーくん!?」
だってしょうがないだろ。先輩はいつまでたっても先輩なんだし。
「ただし条件があります。マントを羽織ってください。その格好は……何というか……刺激が強すぎるんで」
「わかった」
「助かります」
「バニーガールが好きなのね、ゆーくんは」
「先輩!?」
こうしてオレたちはお荷物を一人増やして旅を続けることになった。
「天国でのうのうと暮らすより地獄を這いずり回って生きていきたい。」をお読みくださりありがとうございました。
バニーアシスタントの不思議ちゃんこと、蛭子先輩の正体が明かされました。その正体は……残念美人でした。もったいない。
ともあれ先輩も結弦の旅の仲間となりました。
投稿は毎週金曜日に行う予定です。今後もお付き合い頂けたら幸いです。




