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17 決断

 一見、平和そうに見える日常に潜む影。それは生きとし生けるものが逃れ得ない生と死にまつわる有象無象の物語。

 黄泉坂結弦は父親にあこがれていた。居酒屋の店主なのだけれど部下に仕事を任せて昼間から飲んだくれている父親に。だけど、親父の周りにはいつも人がいた。彼らの相談を見事に解決してしまう親父は結弦のヒーローだった。親父のようになりたい。それが結弦の夢だった。

 だけど、自分は親父に似ていない。少年の悩みは尽きない。

膠着状態だった。

 半月の休息期間をおいてベルゼブブとサタンの連合軍が再度攻めてきた。だが、その間に冥府城の防備もかなり整っていた。簡単には攻め込まれない。敵も圧倒的な数の力で押し込んでくる。黄泉の国の領土を取り返すまでにはいかない。

「苦戦しておりますな」

「ハエ五郎か」

「はい、ハエ五郎にございまする」

 夕闇の中、城壁から撤退する敵を見つめるオレの左肩にいつの間にかハエが一匹止まっていた。違和感もなくオレはハエ五郎を受け入れていた。

「死んだと思ったが……」

「はい、死にました。今度の転生でも望んでハエに生まれ変わりました」

「望んで? なんでまたハエに?」

「ハエの寿命サイクルは短こうございます。浄化を受けた身だからでしょうか、転生を繰り返す度、主様との絆が強くなります。七度の転生を経てこうして主様に言葉を届けられるようになりました」

「ならば前生のハエ五郎が何かを伝えようとしていたのも気のせいではなかったのだな」

「はい。主様の家臣への配慮、ありがたくお受けいたしました」

 やはりあれは気のせいではなかったのだ。

「助けてやれずすまなかった」

「お気になされませんように。あの生では絆が細すぎ臣の言葉を詳細まで伝えること叶いませんでした。月夜叉様にさっさと殺して頂けたおかげでいち早く転生することができました」

 どうもハエ五郎は死に対しても柔軟なようだ。

「ハエの生を選んだのは早い転生を望んだだけではございません。この種の体ならあのものの意向がわかるからでございます」

「ベルゼブブだな」

「いかにも」

 ハエ五郎は転生体で得た情報をオレに届けようとしてくれたのだ。

「聞かせてくれ、ルシフェル」

「それは遠い昔の生での名でございます。今はハエ五郎、主様より賜りし名を大事にしたく存じます」

 すまん……咄嗟のこととはいえ、いい加減な名前を付けてしまったことをオレは深く反省した。


 わかっていた。ハエ五郎がルシフェルの転生体であることを。浄化された後、その魂は解き放ったはずだった。それが地獄に舞い戻ってきたということはルシフェル自身が望んだことだ。自ら蒔いた種を収めようと望んだからに違いない。

 そうなればいいと考えていた。ルシフェルも自分の行いの責任を取れるようになることを。

 それにしてもずいぶんと早かったが。

「地獄の仕置きの中では時の流れが異なります。体感では一億年ほどでありましたでしょうか……」

 一億年も生きたことがないからよくわからん。


「此度の大発生……これはやっぱりあれだろうな」

 ルシフェルの転生体であるハエ五郎に問いかける。

「ええ、蠅のベルゼブブの嫌がらせです」

 冥府城の結界の中で発生する奴らはただのハエだ。ベルゼブブの眷属ではない。とはいえ全く影響を受けているわけでもなく見過ごすわけにもいかない。セキュリティの上でも衛生面からも。

「大王様の仰せの通りにございます。たかがハエを申せどされどハエ。武力はなかろうと衛生を乱されれば無視できぬ殺傷力も持ち得ましょう」

「つまり元を絶たなければならぬということだな?」

「ええ、元を絶た(大掃除をし)なければなりませぬ」


     *


「唯一神に会いに行こうと思う」


故勇者の活躍もあってベルゼブブとサタンを押し返し、地獄は息を吹き返した。だが、被害は深刻だった。もともと地獄は軍ではないのだ。

「今度はこちらから攻めるというのか? そんな兵力がどこにある」

親父が真っ先に反対した。

「行くのはオレと手勢だけでいい。それに戦いに行くんじゃない。話し合いに行くだけさ。唯一神とな」


そうなのだ。十字教悪魔軍は未だ不穏な動きを見せている。だが、それはサタンたち悪魔の勝手ではないだろう。十字教のトップ、唯一神の承認があったはずだ。オレは悪魔どもの動きを封じるために唯一神と話をつけに行こうと考えた。

「だが、道行きはどうする?」

「心配ない。ハエ五郎が知っている」

 皆がオレの肩に止まる一匹のハエに注目した。

「ハエ五郎は転生したルシフェルだ。元堕天使のルシフェルだ。十字教天界にも詳しい」


「ちっ……」

 殺虫剤スプレーを手にしたひかりが殺意を込めて迫りくる。まるでオレが襲われているかのようだ。慌てて止める。

「待て待てっ! 落ち着け、ひかり。今のこいつは仲間だ!」

 かばおうとするオレの肩からハエ五郎が飛び降りた。ひかりの目の前の机の上に止まり語り掛ける。

「月夜叉殿、お久しゅうございます。七生前のそれがしのふるまい忘れることはできぬと存じます。その件につきましてはいかようにも裁きを受けるつもりです。ですが、それは主様のお役に立てた後ということでご了承願いたい。何卒ご理解を賜りたく……」

 ハエ五郎の告白はひかりにも届いたようだ。構えたスプレーのトリガーに掛けた指は力の込め過ぎでプルプルと震えている。トリガーを引きたいという感情を理性が押し留めている。ひかりは勘がいいのだ。彼女の直感は必ず正解を引き当てる。オレはそれをよく知っている。

「ふん、大王様の下した罰をこなしたのでしょう。禊が済んだのならわたしがとやかく言うことじゃないわ」

 オレの側近であるひかりがそう言ったことでハエ五郎は許された。


 だが、オレの意見が認められてわけではない。最初にお父さん(故勇者)が口を開いた。

「しかしなあ……唯一神と話をするだと? 話が通じるような相手じゃないんだがなぁ……」

「いや、案外いい方法かもしれないぞ」

反対する故勇者のお父さんに代わって魔王の親父が賛成してくれた。

「営業でもそうだが、下っ端同士でもめているときはトップセールスで片を付けるのが近道だ」

「トップセールスで決められたんじゃ担当の面子は丸潰れだ。そんなことしたら下は渋々従うだろうが、信頼関係など築けないぞ。本当の仕事ってのは互いに納得して付き合うもんだ」

「お前、敵(悪魔)と信頼関係築いてどうする」

元閻魔は呆れた顔をした。


「ベルゼブブは冥府城の衛生面を支配してから攻め込むつもりです。次の手では疫病を持ち込むつもりでしょう」

「なぜわかる?」

「そこはそれ……蛇の道は蛇(ハエの道はハエ)です」

 親父の問いかけにハエ五郎が苦笑して答える。本人がハエだけに説得力がある。


「ハエへの転生も役に立つものです。ベルゼブブの命令が本能的にわかるのです」

「まあ、そういうことだ。あれだけの損害を出しても敵が引けない理由はそこにある。悪魔どもも唯一神に具申した地獄乗っ取り作戦が失敗したことは知られたくないはずだ。たぶん、報告してない。だから直接こっちから話してみるのさ。悪魔どもも諦めておとなしくなると思うけどな」

魔王が腕を組んで考え込む。

「そんなことでサタンやベルゼブブが諦めるとも思えねえが……まあいいさ。今の閻魔大王はお前なんだ。好きにやってみたらいい」


     *


「物騒な話をしているじゃないか」


不意の来客に皆が驚いた。いち早く反応したのはひかりだった。だが、構えた薙刀を即座に降ろした。

「毘沙門天様……」

男……いや神様か。毘沙門天というらしい。ひかりと羅刹が神様の前に畏まる。

「夜叉、羅刹、健在か? なんだ。夜叉は死んじゃったのか。どうする、帰ってくるか?」

「毘沙門! 500年も預けっぱなしにして、今更、返せじゃねえよ。二人ともうち(地獄)の家族だ。返さんぞ」

「そんなに経ったっけ?」


「このボケは毘沙門天。一応は戦いの神様だが、天界では四神の一柱、北方多聞天のほうが通りがいい」

魔王の親父が客をオレたちに紹介した。

「相変わらず口が悪いな、閻魔は。あれ? 閻魔だよね?」

親父を見て毘沙門天が首をかしげる。

「俺は引退した。今は息子が後を継いでいる。結弦、こっち来い」

親父とは旧知の仲らしい。呼ばれるままに側による。

「こいつが息子の結弦、現閻魔大王だ」

「そして俺の息子でもある」

故勇者が余計な口を挟む。

「あれ? 君は勇者君だよね。なんでここにいるの? 君、十字教徒じゃなかったの?」

「俺は無信心だったからな。気がついたらこっちに来てた。まあ、こいつ(元閻魔)と縁があったからな。そのせいだろう」

そうだったんだ。勇者だから皆十字教徒だと思っていた。毘沙門天も納得したらしい。

オレに向き直るとじっと顔を見た。

「ふーん。なるほどねえ。いい顔してるじゃないか。魔王の相だね。波乱万丈の人生が見える気がするよ」

「冷やかしなら帰れ!」

とんでもないことを口走る毘沙門天に魔王が怒鳴る。

「ひどいなあ。せっかく助力に来てあげたって言うのに」

「嘘つけ。地獄の問題に天界が援軍を出すわけねえだろ。天界の方こそ分が悪いってのに。ケチの帝釈が許すわけない」

それで天界からの援軍がないのか。どうりで。


「そうだね。四神の長としての多聞天では動けなかった。だから毘沙門天としてきたんだよ。援軍は僕一人さ」

「そういうことか……わかった。まあ、すぐに動く話じゃない。とりあえずうちに来い」

「おっ、焼き鳥をご馳走してくれるのかい。君んところの焼き鳥はうまいからね。越後の酒もあるんだろうね」

「お前の頭の中は謙信の頃と変わってねえな」

「ああ、景虎君か。懐かしいな。狂信的っていうの? 彼、自分は毘沙門天(僕)の生まれ変わりだって思い込んでてね。面白がって近づいたら離れられなくなっちゃって。20年くらい背後霊みたいになってたなあ」

「仮にも神様なんだからそこは守護神を名乗るべきなんじゃねえか?」

魔王の親父とは親しいようだった。


「すげー……いいなぁ」

故勇者のお父さんは羨ましそうだった。

「お父さん、羨ましいの?」

「そりゃ、そうだろ。直に謙信に憑いてた神様だぞ。ただ毘沙門天ってだけでかっこいいのに。あの上杉謙信だぞ」

「だったら、一緒に行って来れば?」

「俺だってそうしたいさ。でも、俺は死んでるからな。ここ(地獄)からは出られねえんだよ。ああーっ! なんで俺、死んじゃったんだろ……」

お父さんは本当に悔しそうだった。


     *


「だーかーらーっ、何言ってんだかわかんねえんだよ、韋駄天」

康太が韋駄天に文句を言う。韋駄天は地獄を勝手にフラフラしていたところを魔王に捕まり、下働きのようなことをやらされている。一応、神様なんだよね。馬鹿だけど。

「だから~ 何度も言ってんじゃん。マルちゃんって言うインフルエンザを何とかしろって。元閻魔の命令だから」

「インフルーエンサーな」


冷静に突っ込みを入れる康太。地上に残せる戦力が少ない結弦達にとって康太の存在は貴重だった。しかも中学生という流行を掴みやすい立場なのだ。今は閻魔堂の2階の結弦の部屋で魔王のために情報収集に励んでいる。

「何とかしろって言われても何すりゃいいんだよ」

「そんなの康太が考えろよ。おいら馬鹿だし、地上のこと詳しくないんだから」

開き直る韋駄天。康太がますますイラつく。

「つまり、マルちゃんの人気を落とすかそれ以上の人気映像を作れってことだろ。ふざけんなよ。相手は1000万再生持ってんだぞ」

「そんなことは元閻魔に言ってくれよ」

正論で返す韋駄天。康太はぐうの音も出ない。そんな康太に救いの女神が現われた。麦茶を差入に来た千衣だった。


「康太君、お疲れ様。はい、麦茶。韋駄天様もどうぞ」

「わーい、麦茶だ。砂糖入れてくれた?」

「はい。韋駄天様のご注文通り」

ランニング姿の韋駄天は千衣からグラスを受け取るとごくごくと飲み干す。まるでマラソンランナーの給水だ。

「千衣先生、こんなやつに『様』なんていらないから」

「でも神様でしょ。ダメよ、そんなこと言っちゃ」

「そうだぞ。おいら偉いんだぞ」

「バカだけどな」

調子に乗る韋駄天に康太が顔をしかめる。


「ねえ、YOUTUBER ってお金稼げるんでしょ。どういう仕組みなの?」

いちいち説明している気分ではなかったが、どうせ議論は行き詰っているのだ。康太は千衣の質問に答えることにした。

「映像のここんところ、広告が入るでしょ。再生回数に合わせてその広告料が投稿者に入るんだ。サイトの運営はそうやって人気がでそうな映像を投稿するよう誘うんだ」

「鏡先生の投稿って再生回数1000万回超えてるんでしょう? いくらぐらい儲かってるのかな?」

「3年くらい前からやってるみたいだし、数億円は稼いでるんじゃない」

「うわー! 税金高そう……」

「え!?」

「だって、鏡先生、教師として働いてるでしょ。だったら副収入は確定申告して税金納めなきゃ」

康太と韋駄天は顔を見合わせた。互いに大きく頷く。韋駄天が本当にわかっているかは怪しかったが……


「悪魔がそんなの真面目にやるわきゃないわな。ありがとう、千衣先生。攻めどころが見えてきた。人気チューバーの脱税なんて最高の炎上ネタだ」

「よくわからないけど何とかできそうなの?」

「ああ! 韋駄天、ちょっと頼まれてくれるか?」

「よくわからないけど、まかせろ!」


社会科教師鏡嵐丸は悪魔だ。正体はマラコーダ。何を企んでいるのかわからないが、好き勝手にはさせてやるものか。これはひかりの弔い合戦だ。康太にとってもひかりは大切な幼馴染なのだ。

「天国でのうのうと暮らすより地獄を這いずり回って生きていきたい。」をお読みくださりありがとうございました。

 第17話では、結弦はこの戦いの決着をつけるべく一つの決断をします。簡単な道ではありませんが新しい仲間も迎え、新たな冒険に旅立ちます。

投稿は毎週金曜日に行う予定です。今後もお付き合い頂けたら幸いです。

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