16 敵
一見、平和そうに見える日常に潜む影。それは生きとし生けるものが逃れ得ない生と死にまつわる有象無象の物語。
黄泉坂結弦は父親にあこがれていた。居酒屋の店主なのだけれど部下に仕事を任せて昼間から飲んだくれている父親に。だけど、親父の周りにはいつも人がいた。彼らの相談を見事に解決してしまう親父は結弦のヒーローだった。親父のようになりたい。それが結弦の夢だった。
だけど、自分は親父に似ていない。少年の悩みは尽きない。
オレは執務室に戻ると主だった者を集めた。もちろん勇者の一党も一緒だ。そしてオレの考えを聞かせた。
「なるほどな。結弦、お前、この馬鹿の血を引くわりに頭いいじゃんか。さすが俺の息子だ」
「俺の息子だからだろう」
親馬鹿どもを無視してオレは話を続けた。
「天界における唯一神と至高仏の戦いは信仰心の力に寄るんだろう? ならば、地獄だって同じことがいえるんじゃないのか?」
「結弦、地獄を信仰するやつなどいないぞ」
「当たり前だ。そもそも地獄は一機関であって信仰の対象ではないのだ」
こういうところ親馬鹿二人はとても似ている。
「それでも信じる信じないはあるだろ。だいたいここを見てみろよ。地獄に来る人は日本人ばっかりじゃないか。日本で死ぬ外国人もいっぱいいるはずだ。けど、そういう人たちはほとんどここには来ない、あっ……」
全員の視線が勇者一党の重戦士アレックス・ラモンに集まった。
「ナルホドナルホド、ワカリマス。ボク、クォーターデオバアチャンニホンジン。ニホンニキテカラオバアチャンニエンマサマノコトオソワリマシタ。ニホンノジゴクシンジテイタ。ダカラ、ボク、ココニキタ」
どかっ!
火蓮さんの蹴りがさく裂した。
「嘘つくんじゃねえ! お前、見掛けがあれなだけで、クォーターはクォーターでもスリークォーターだろ。ほぼ、日本人じゃねえか! その色だって半分日サロだろ! 都合いいときばかり外人のふりしやがって。ああん!? 羅門アレックス太郎さんよぅ」
元ヤン怖えーっ!
まあそれでもとりあえずよかった。オレの考えは間違ってはいないようだ。
……話を続けよう。
「た、多分、それぞれの文化で信じている死後の世界に行くんだろう。それって日本人のほとんどは地獄を、閻魔大王を信じてるってことだろ。だからここに来るんだ。だいたい十字教の審判って最後の日だけで普段はどうなってるのかオレにはイメージしにくいんだよ。それに比べて天国とか極楽浄土ってイメージが近い。どちらを信じるかはその人次第なんじゃないか。だから票が割れる。争いになるほどに」
「なるほど、日本人にとって地獄はほぼこのイメージになるから争いにならないのか」
「確かにな。十字教徒の家系である俺ですら地獄と言えば閻魔大王に三途の川のイメージは持ってる。もっとも俺は破門された身だから関係ないがな」
十文字清志郎が呟く。
「そこでルシフェルだ。ルシフェルはメジャーな悪魔だ。堕天使ルシフェルはその由来も含めて日本人でも知っている人は多い。日本の地獄を乗っ取るには十分資格がある。ただ、十字教の悪魔は生者をたぶらかすことはあっても死を管理しない。それは神の領域だから。ルシフェルが狙っていたのは悪魔の頂点だ。つまり、ルシフェルは地獄を滅ぼしても地獄を統括する気はない」
「それってどういうこと?」
ひかりが小首をかしげた。
「ルシフェルは十字教の大悪魔だが、十字教の地獄ではたいして幅が利かない。それでは大悪魔には満足できない。だからルシフェルは極楽教の地獄を乗っ取って唯一神の威光を上げようとしてたんだ。そのご褒美として天界に返り咲こうとしていたとか」
オレは故勇者に向き直った。
「お父さん、勇者って十字教の英雄だよね」
「ああ、そうだ。唯一神に選ばれし人智を超越した存在だ」
「ならば、何で敵が極楽教の閻魔大王だったの? 普通に考えて十字教の神様の敵だったら悪魔だろ? それに十字教において生死を司っているのは唯一神自身じゃないか。だいたいそれを大悪魔ルシフェルが言い出すことがおかしいだろう?」
「言われてみればそうだなあ……」
「これは悪に困った民衆を勇者が救済する英雄の物語じゃない。エゴとエゴがぶつかった単なる権力争い。宗教戦争なんだよ。オレたちは利用されているんだ」
*
「まったくしつこいやつらだ」
ルシフェルとの決戦からひと月後、今日もオレは鬼たちを率いて悪魔軍と戦っていた。
「相手はベルゼブブですから」
吽形が答える。
オレの当面の敵は、蠅の王ベルゼブブ。ルシフェルを倒したと思ったら、また闘いの日々が始まった。十字教軍の総大将であったルシフェルが浄化されたため、他の有力悪魔が動き出していた。搦手東門では親父とお父さんがサタンと闘っている。
「敵が弱ってきたところに付け込むのがベルゼブブです」
「つまりは舐められてるってことか……」
無理もない。地獄軍はルシフェルとの戦いで大きな損害を受けた。冥府城はぼろぼろだ(ぼろぼろにしたのはオレだが)。補修作業はさせているが大軍を支えるには心もとない。ならば討って出るしかない。オレが地獄軍を率いて鬼門(表門)のベルゼブブ、親父が勇者一党を連れて東門(裏門)のサタンと当たることになった。配置は親父が決めた。
「これからはお前が地獄を率いていかなきゃなんねえ。今のうちに配下を掴んでおけ」
親父としてはオレのトレーニングのつもりかもしれない。先のルシフェル戦がオレの初陣だ。だいたい闘うこと自体初めてだった。ましてや一軍を率いての戦闘なんて。トレーニングも何も初めて尽くしだ。
「大王様はよく務められていると思います。指揮も様になってますし、戦況も見えるようになってきました」
吽形が褒めてくれるが、半分は慰めだろう。今日も餓鬼兵の半分は討たれた。ここ地獄なら餓鬼は再生するが、それでも生まれたばかりの鬼を戦闘に出すわけにはいかない。鍛え直すのにも時間が必要だ。
「敵はベルゼブブです。ルシフェルのように策は仕掛けてきませんが、何せ数押しですから。ある程度の消耗は仕方がありません。それでも昨日今日でかなりの打撃を与えました。あと少しで押し返せます」
阿形(明兄)が庇ってくれる。確かにオレにも手ごたえはある。だが、地獄の全軍を率いてようやっとこれなのだ。魔王は司命(源治さん)と勇者一党のわずか8人でサタンを押し返しているのだ。力の無さに嫌になる。
「明兄、ちょっと素振りをするから見てくれよ」
「大王様は真面目ですね」
そんなんじゃない。守りたいものを守るためには今のオレでは全然足りない。
*
1週間ぶりに冥府城に戻った私は鬼門前の一の曲輪に足を向けた。結弦が稽古をしていると聞いたからだ。
最近は私も息子のことを結弦と呼ぶようになった。再開してからひと月ほどになる。親子の名乗りを果たし、息子は私の謝罪を受け入れてくれた。父と認め『お父さん』と呼んでくれるようになった。
素直でよい子に育った。それがなおさらにこの子があの男の息子であることを意識させる。
仮に私が生き残ったとしたら息子はこのように立派に育っただろうか。その点は全く自信がない。妻はちゃんとした女だったから、おかしな育て方はしなかっただろう。しかし、私の背中を追うような子にはならなかっただろう。それだけは確信できる。私は家庭向きではないのだ。
勇者というのは一瞬の輝きだ。世の中の危機に際し、突如現れ敵を倒す。それだけの存在だ。戦いが終われば表舞台から姿を消す。平時には無用の存在なのだ。ましてや存在意義ともいうべき戦いが私情によるものだったのだ。偽善の勇者だ。いや、勇者を名乗る資格すらない。それなのに私は表舞台に長居しすぎた。だから強制退場させられた。
息子にとってはその方がよかったのだろう……
一の曲輪に出る。結弦が剣の素振りをしているのが見えた。阿形が見てやっているらしい。他には誰もいない。大手門の戦いも一段落ついたところだ。皆、次の戦いに備えて調練や城の補修を行っているのだろう。私は結弦たちのほうに足を向けた。
結弦は愛刀の焔魔刀を一心不乱に振っている。初めて刀を握ったのは先日のルシフェル戦だったそうだがなかなか様になっている。14歳としては大きいほうだろう。体つきはまずまず。無理に筋肉をつけようとせず体幹を優先して鍛えていたのがわかる。動きを落とさない悪くない鍛え方だ。元閻魔の思いのほどがわかる。
そんな息子に私は何ができるだろう?
「結弦、ちょっといいか?」
声をかけたというのに次の言葉が見つからない。13年もほったらかしにしておいていまさら父親らしいことなど何が言えよう……
「ちょうどよかった。素振りをしてたんだけど。お父さん、見てくれない?」
息子が気を利かせて言ってくれる。よくできた息子だ。
結弦は愚直に素振りを繰り返す。上段に構え振り下ろす。足を戻し、また振り上げ、振り下ろす。何度も何度も繰り返す。
ルシフェル戦で覚醒したと聞いた。刀を握ってひと月とは思えない鋭い剣筋だった。そういえば結弦は厨房で包丁の修行をしていると聞いた。刃物には慣れているということか。包丁と刀は違うと思うかもしれない。しかし、どちらも肉を断つことに特化した刃物だ。肉を切る感覚を養っておくことは刀の訓練にも役立つ。正しく包丁を覚えれば刀も理解するのは早いだろう。もっと気が乗せられればよいが、今はこれでいい。私が教えることは何もない。
「どうかな?」
10分ほど素振りを続けてから結弦は私に聞いてきた。
「……それでいい。続けることだ」
「うん」
たいしたことは言えなかったが息子はうれしそうに頷いた。
ふと、息子の手にする刀が目に入った。
「それがお前の刀か」
「うん。見る?」
私は息子の愛刀を手にした。焔魔刀。炎の属性を持つ聖剣だ。焔魔刀は抵抗したが聖気を込めてねじ伏せた。
「ふんっ!」
左手一本で上段から振り下ろす。爆炎が立ち上る。振り下ろした勢いのまま右、左と払う。炎が渦を巻いて巻き上がる。
両手に持ち替え、上段から振り下ろし、そのまま突きを放つ。
「ふんっ!」
絞り込まれた炎が青白い光を放ちながら石垣にぶつかる。石垣はどろりと溶け落ち爆散した。
なかなかのじゃじゃ馬だ。
「…………」
結弦も阿形も唖然としていた。
「すまん。石垣を崩してしまった」
先日の戦いで傷ついた冥府城は再建途上なのだ。
「いいよ。後で治すから。でも、すごいね。勇者が使うとそんなすごい力がだせるんだ……」
結弦が感心したように呟く。
「剣の力だ。お前もいずれ気を使いこなせるようになればこの程度には使えるようになる。その剣はお前には合っていると思う」
父親の威厳を見せられただろうか。
「十字教の神聖力でも焔魔刀は使えるんだね」
「は?」
息子は何を言っているのだ? 閻魔は何を教えてきたのだ?
「息子よ。十字教でいう神聖力と極楽教でいう法力は同じものだぞ」
「は?」
今度は結弦が間の抜けた声を上げた。
「いいか結弦。世の中は物理法則で動いている。それは我々怪力乱神の類も同じことだ。むろん神仏もな。東西が違えどこの世のエネルギーが異なることないのだぞ。それぞれが正当性を言い立ててそれらしく呼んでいるだけだ」
「なら、悪魔の魔力も?」
「当然だ。誰が好き好んで自ら魔などと名乗るものか。それは己が正しいと主張しているやつがつけた蔑称だ。全ては物理エネルギーに変換した精神力を指していて同じものだ」
「オレ、閻魔だけど……」
「仏に調伏された原初の神だからな。まあ、閻とはみめうるわしいという意味だから敬意は込められているのだろう」
「そうなんだ……」
こんな間の抜けたところは息子もまだまだ子供なのだと思う。敵の悪意を疑ったこともないのだろう。私もただの愚連隊上がりではない、父親らしいところを見せられたであろうか。
*
「あっ、こら、まて~っ」
執務室の中を殺虫剤のスプレー缶を持ったひかりが走り回っている。
最近、地獄ではハエが増えた。増えたというより大発生だ。おかげで地獄では毎日殺虫剤をアマゾネス(ネット通販)で箱買いする羽目になった。
ハエの一匹がオレの手にしている書類の上にとまった。
「追い詰めたわよ~。さあ、観念しなさいっ!」
そのとき、ひかりに追い詰められたハエが前脚を上げた。そして両腕を広げたりすり合わせたり、まるでオレに話しかけるかのように……
「なるほど……ハエが手を擦る脚を擦る……ハエ五郎、お前は命の尊さをオレに伝えようとしてくれているのか……」
「てなわけあるかーっ!」
ぷしゅーーーー
殺虫剤による一撃でひかりは彼を瞬殺した。
「なにすんだ! 今せっかく……ハエ五郎がオレに何かを伝えようとしてくれていたのに……」
涙ぐむオレを見てなぜかひかりがドン引きしていた。
「なにすんだって……ハエ退治じゃん。名前まで付けちゃってキモっ……」
「ひかり~っ、お前には人の心はないのか、このオニ!」
「まあ、オニだし……」
「それにこの書類、殺虫剤のシミができちゃったじゃないか」
「大丈夫大丈夫。今、うち(地獄)の書類、そんなのばっかだから」
「オレにもかかったんだけど……」
ジト目で見やる。
「……ゆ~くんが転生するとき間違ってもハエにならないようにハエ成分を殺菌しておいたの……ごめんね(てへぺろ)」
はあ、まったく……
コンコン
そんな騒がしいオレたちのところに客がきた。
「大王様、お時間を頂いてもよろしいでしょうか」
やってきたのは十文字清志郎だった。
*
ひかりが困った顔でオレを見る。目の前では十文字清志郎が土下座をしていた。
「顔を上げてくれ。もう済んだことだ」
ハエ退治のドタバタを誤魔化すために通してみたらこの有様だった。困ったものだ。だが、清志郎も後悔していたのだろう。お父さんは部下の不始末に詫びを入れる機会を設けてやったのだろう。
「……それでは私の気が済みません。何卒罰をお与えください。月夜叉様にもお詫びの言葉もございません。地獄での浄化でもなんでもお申し付けください」
こういうところはこの兄妹はよく似ている。真面目なのだ。
「そうは言っても清志郎は十字教徒だろ。今はここ(地獄)にいるとはいえそれは信仰の問題だから清志郎が本当に信じていなければちゃんと浄化できるかわからない。いい転生させてやれないと思うけど」
ひかりが隣で頷く。
「いえ。私は既に破門された身。ましてや悪魔とはいえ十字教軍に楯突いたからには今更、天国に行けるはずもありません」
「それについては申し訳なかった。オレたちを助けるために……勇者の眷属として天国に召される権利があったんだろ?」
「そのようなお心遣いは無用です。その程度では自分の不始末の償いにすらなりません」
「ならもうしばらく手伝ってくれよ。それが罰だ。地獄の再建にはまだ時間がかかりそうだから」
清志郎は不満そうだったがオレは話を打ち切った。どうやらこの戦争の幕引きを真剣に考えなければならないようだ。
*
ベルゼブブとサタンは退却した。だが、それも一時的なものだろう。地獄の再生は道半ばだし、なによりやつらが諦める理由がない。
そんなある日のこと
「大王様。あの女どもなんとかしてください」
秘書官である司録が書類の束を届けに来たついでに苦情を言いだした。ひかりと千衣のことだろう。戦況が落ち着いたので千衣先生が初めて地獄に遊びに来た。こっちに来てからのひかりに会うのは初めてのはずだ。二人は抱き合って再会を喜んでいた。
「明兄がついていっただろう。そっちに頼め」
「それが、血の池地獄で水浴びなんて始めやがったんです。阿形が睨みを利かせてますから誰も近づきませんが、はっきり言って目の毒です」
「はあ? 血の池地獄で水浴びってあいつらエリザベート・バートリでも気取ってんの?」
「何でも夏休みに海に行きそこなった代わりだそうです。獄卒どもが浮き足立っちゃって。餓鬼どもは自ら血の池地獄での浄化を希望する始末で。いい出汁がでているとか言って……小娘のほうはまだいいんです。でももう一人のほうは……」
「司録……お前、それ絶対ひかりに言うなよ」
それはつかの間の休息だった。
「天国でのうのうと暮らすより地獄を這いずり回って生きていきたい。」をお読みくださりありがとうございました。
第3章から結弦の戦いが始まります。敵を見定め意志をもって戦いに臨みます。二人の父親がそれを見守ってくれています。
投稿は毎週金曜日に行う予定です。今後もお付き合い頂けたら幸いです。




