表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
天国でのうのうと暮らすより地獄を這いずり回って生きていきたい。  作者: 灰色 シオ
「天国でのうのうと暮らすより地獄を這いずり回って生きていきたい。」外伝 「太陽の子」
107/136

Ex6 戦略

 理不尽な暴力により住み慣れた土地を追われ、海の果ての小島に流れ着いた海神の一族。彼らは屈辱に甘んじることなく自らの手で未来を切り開くことを選択しました。

 準備を整えて臨んだ冒険でしたが、すべてがうまくいくわけではありません。数々の苦難に立ち向かい、あるときは戦って打ち破り、あるときは和して難局を乗り切ります。

 海神族の王子ヒルコは偶然出会った謎の人物ユヅルや仲間たちと力を合わせて打ち勝ち、自らも成長していきます。

 そんな王子の冒険と成長の物語。

背水の陣(はいすいのじん)という言葉があります」

 ユヅルが言う。

「逃げ場がないところに布陣して兵に死力を尽くさせるという意味もありますが、一般的には悪手(あくしゅ)とされています。動きが読まれやすい上に兵が恐怖に駆られて逃げ出すことが多いのです」

「逃げ場がないのに?」

「川があります」

 ヒルコの質問にユヅルはまじめに答えた。


「川というのは守る側にとっても、そして攻める側にとっても厄介なものです。歩兵一人なら泳いで逃げられても軍勢揃って渡るのは難しいものです。だから、此度(こたび)はここに河内(かわち)勢を配します」

「ユヅル、さっきといっていることが違うではないか!?」

 ヒルコは訳が分からんと声を上げた。

 副将であるカミムスビはわかったようだが、主君の成長の為と見定めて口を出さなかった。


「ヒルコ様、河内はオオシコウチの庭にございます」

 ゆっくりとユヅルは答えを言った。


 河内平野の北側は木津川が流れ、その河口付近は幾筋にもわかれた湿地帯を形成している。道頓堀が整備され、水路が確立するまでここは人の住まぬ水鳥たちの楽園であった。それまであと三千年は待たなければならない。

 河内の民はそこを葦船(あしぶね)に乗って自由に往来している。慣れぬものには地獄の泥沼でもそこの住民にとっては道も同然なのである。


「なるほど。背水の陣を装って敵に不利、味方に有利な場所に引き込もうというのだな」

「はい。大軍に任せてホクラヒコは乗ってくるでしょう」


     *


 ユヅルの献策(けんさく)がはまりヒルコの初陣は大勝利であった。

「お見事でありました、若様」

「うむ」

 応えるヒルコの顔は初陣を見事に果たした興奮に紅潮していた。


「この剣は素晴らしいな。青銅の剣すら切り裂いてしまったぞ」

「剣はあくまで道具にございます。ヒルコ様の腕あってのこと」

 褒められたユヅルであったが、なんでもないことのように答える。


 当時の鉄剣はその重みで叩き切る使い方が主流の中で布都御魂剣(ふつみたまのつるぎ)の切れ味は別格であった。だが、小枝で鉄剣を切ってしまう腕を持つユヅルにとっては当たり前のことのようだった。


 ヒルコは木津川の河原に兵たちを集めた。

 その中には……その大半を占めているのは縄で縛られた捕虜たちであった。


 屈強な男たちである。しかしその本質は百姓であり臆病なのである。戦意の高揚が()め、両腕を(いまし)められた状態では屠殺場に連れてこられた家畜同然にしょげかえっていた。(あらが)おうとするものすらいなかった。

 そんな家畜300人と同盟者河内の兵100人。それらを前に本日の主役ヒルコノミコト率いる海神(わだつみ)の兵20人が立つ。


 ヒルコの前にはホクラヒコの首が備えられている。

 両腕を戒められたサオネツヒコが引き立てられてきた。


 ヒルコの面前に(ひざまず)かされたサオネツヒコはヒルコより少し年上であろうが、まだ髭も生えそろわぬ若者であった。泥は拭われていたが騎乗から泥濘に突っ込んだのだ。拭いたくらいで落ちるわけもない。顔も角髪(みずら)に結った髪も乾きかけた土に汚れていた。

 それでも育ちのよさそうな気品は隠せない。そして当主たる父を守ろうとして単騎討ち入ろうとする勇気を持った若者なのだ。


「サオネツヒコよ。明石族の当主、そなたの父ホクラヒコは(われ)が討ち取った」

 ヒルコの言葉にサオネツヒコは微かに頷いた。

「俺が憎いか? サオネツヒコ」

 今度の問いには頷かなかった。


 少し考えてサオネツヒコは口を開いた。

「父は無知でした。海路を閉ざされ山に籠もり他族の繁栄をうらやむばかりで一族を発展させるほかの手段を考えることもありませんでした。ワダツミに敗れた河内がなぜ繁栄できたのかを考えることはありませんでした。鉄の武具がいかなる力を持つのか理解しておりませんでした。その結果、ただ数を頼りに無理押しをし、一族を滅ぼしました。

 私も知りませんでした。戦がどういうものか。負ければどうなるかを。だからこうして虜囚(りょしゅう)となってここにいます」

 サオネツヒコは勇気だけでなく未熟ながらも考えることができる若者であった。


「ヒルコノミコト殿、あなたは強い。剣の腕だけでなく(いくさ)がどういうものか理解していました。味方である河内だけでなく敵である我らをも理解し、自分たちがどのように戦えば最大限の成果を上げられるか、被害を最小限に抑えられるかを理解して戦に向き合っておられました。それが彼我(ひが)の差となっております。

 私は知らなければなりません。数多(あまた)の命を散らし、一族を奴婢(ぬひ)の身に落した当主の息子としてこのままではおられません。物事を知りヒルコ殿のお役に立ち、いつか明石(あかし)の再興を許して頂きたく存じます」


 当時、戦に負けた族は滅ぼされ、生き残った者たちは奴婢となるのが常識であった。当主を始め主力の兵を失った明石族は滅ぼされ、若君であったサオネツヒコも奴婢に落されると考えるのは当然であった。

 だが、海神と明石の人口には10倍の差があった。それは戦力の差といってもいい。

 戦なら10倍の戦力差を覆し、勝利することはままあろう。しかし統治となると話は違う。いつ裏切るかわからない10倍の民を支配し続けるのは難しい。その上、戦力の大半を威圧に使わなければならないのだ。

 それでは海神はこれ以上大きくなれない。


 若大将ヒルコはそこまでも完璧に理解していた。

 ひゅん

 布都御魂剣(ふつみたまのつるぎ)を振るう。

 はらり

 ヒルコはサオネツヒコの身を傷つけることなく縄を切りほどいた。


「サオネツヒコよ。此度(こたび)の罪を許そう。一族の者を引き連れて帰るがよい。父君を始め、亡くなった一族の者を丁重(ていちょう)(とむら)うがよい」

 呆然とするサオネツヒコにカミムスビがホクラヒコの首を納めた(はこ)を手渡した。


 生き残った300人の兵たちも解放された。皆、傷を負っていたが、大半は自力で歩ける者たちだ。元気な者は傷ついた者に肩を貸し、あるいは亡くなった者の遺体を担いだ。その中には首を失ったホクラヒコの遺体もあった。


 戦場に(しかばね)を放置しておくとその身は腐り瘴気を放つ。体の良い死体処理であるのだが、明石の民はそう受け取らなかった。

 昨日まで共に戦い、普段は一緒に野良仕事に(いそ)しんだ仲間であった。それを弔う機会を与えてくれた。その感動は旧主ホクラヒコへの忠誠を覆すには十分であった。


「ヒルコノミコト様!」

 申し開きにおいては対等を気取り“殿”と呼んでいたが、ここに至ってサオネツヒコは完全に下った。

「我が明石一族、ヒルコノミコト様の傘下に加えて頂きとうございます」


 ヒルコの答えを(さえぎ)るようにユヅルが剣を抜き、サオネツヒコに突きつける。

 続いてスクナビコナが主を庇い前に出る。同時にカミムスビが叱責(しっせき)した。

「無礼であろう。海神(わだつみ)の当主はイザナギノミコト様である。(あるじ)下知(げち)を待たずして願い事などで過ぎた真似であるぞ」

 今後、ヒルコは大八島の攻略先陣を切ることになろう。播磨の明石族がヒルコの下につけられる可能性は高い。

 だが、これは危険な行為であった。今のヒルコは当主の嫡子(ちゃくし)にすぎない。当主を差し置いて力を持ちすぎるのはあらぬ誤解を生むことになる。それは何としても避けなければならない。ヒルコの将としての資質と魅力は危険との裏表(うらおもて)であるとカミムスビは改めて認識した。

 自分より早く動いたユヅルをカミムスビは見直した。息子は反応できたが、呆然と見ているしかできなかった一族の若者たちのなんと頼りないことよ。

 これが次代の側近たちかと思えば恐ろしくすらある。


「失礼致しました。我が明石一族、ワダツミの傘下に加えて頂きとうございます」

 明石の兵たちも一斉に跪く。それは一族の総意であった。

 目を向けたヒルコに副将のカミムスビが頷く。


「サオネツヒコよ。ならば帰郷し一族をまとめよ。その後に帰順を願いに来い」

「ははっ、必ずや」

 サオネツヒコは平伏して誓った。


  今のサオネツヒコは死んだ当主の嫡男であるが、当主から後継ぎと認められていた。そこがヒルコとは違っている。しかも、数を減らしたとはいえ主力の兵が賛同しているのだ。

 サオネツヒコには勇気だけでなく知力も備えている。きっと一族をまとめてくるだろう。

 ヒルコはただ帰すだけでなく帰りの糧食も分けてやった。

 サオネツヒコたちの忠誠は疑いようもなかった。


 去って行く明石の民たちを見送りながらカミムスビが呟く。

「これで木炭調達の当てができましたな」

 海神の大八島(おおやしま)侵攻は鉄を作るための木炭を手に入れることが目的であった。その目途が立ったのだ。

「それに播磨は但馬(たじま)に近うございます」

 ユヅルが言葉を継いだ。

「ん? 但馬に何があるのだ?」

 但馬は播磨より北方の山間の未開の土地である。もちろんこの時代には何もない。だが、将来的に有用な鉱産資源が眠っているのだ。

「今後の備えにございます」

 ユヅルは言葉を濁し、答えなかった。


     *


「アハシマ様、体が冷えます。お部屋に戻りましょう」

 侍女のヒカリの申し出にもアハシマは(うなず)かなかった。


 春とはいえ1月の風はまだ冷たい。

 ましてや一日中海風に体を(さら)していたのだ。アハシマの唇は紫色をしていた。

 それでもアハシマは戻ろうとは言わなかった。


「お兄様はこんな寒さの中で戦っていらっしゃるのですもの。私だけが暖かい部屋の中でぬくぬくと過ごしてはいられないわ」

 アハシマも戦っているのだ。

 ヒルコが出陣した3日前からアハシマは大八島を望む海岸に居続け、必死に兄の無事を祈っていたのだ。


 幼き日に兄と交わした約束をアハシマは片時も忘れることがなかった。むしろその約束がアハシマの生き甲斐となっていた。

 兄と自分の二人で海神の一族を大きくする。もう二度と理不尽な暴力に屈しないほど大きく、強く。


「ならせめて(あつもの)(スープ)をお飲みください」

「でも……」

「腹が減っては戦はできぬ、ですよ。姫様」

 ヒカリの言葉に不承不承羹が入った椀を受け取る。


「暖かい……」

 羹を一口飲むとアハシマはほうっと息をついた。

 改めて体が冷え切っていたことが感じられた。


 日はとうに傾いていた。

 西日を受けた海にきらりと光るものが見えた。

「あっ……」

 アハシマは椀を放り出して海岸に向かって走り出す。


 (かす)かだった影は次第に大きくなり既に舳先(へさき)に立つ兄の姿が見えていた。

「お兄様―っ!」

 アハシマは波打ち際でかじかんだ手を大きく振って兄を出迎える。

「天国でのうのうと暮らすより地獄を這いずり回って生きていきたい。」外伝「太陽の子」をお読みくださりありがとうございました。

 ヒルコの初陣は大勝利でした。ヒルコは戦後の処理も見事に成し遂げました。河内に続いて大族である播磨を下したことで海神の勢力は大きくなりました。いよいよヒルコの快進撃の始まりです。

 投稿は毎週金曜日に行う予定です。今後もお付き合い頂けたら幸いです。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ