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9.降臨

 一見、平和そうに見える日常に潜む影。それは生きとし生けるものが逃れ得ない生と死にまつわる有象無象にまつわる物語。

 黄泉坂結弦は父親にあこがれていた。居酒屋の店主なのだけれど部下に仕事を任せて昼間から飲んだくれている父親に。だけど、親父の周りにはいつも人がいた。彼らの相談を見事に解決してしまう親父は結弦のヒーローだった。親父のようになりたい。それが結弦の夢だった。

 だけど、自分は親父に似ていない。少年の悩みは尽きない。

 ひかりは()ってしまった。

 葬儀場で荼毘(だび)に付すまでの間、オレはまともにひかりの遺体を見られなかった。遺体は修復され死に化粧を(ほどこ)され、一見死んでいるとはわからないくらいであった。だが、それはひかりの遺体であってひかりではない。もう二度と笑うことも話しかけてくることもないのだ。


 考えていた。千衣先生に自分の思いを聞いてもらい少しは気が晴れた。だが、それとこれとは別だ。一番聞いてもらいたい相手がもう(かたわ)らにいないのだ。自分に何が足りなかったのか。あのとき何ができたのか。どうすればひかりを死なせずに済んだのか。そんなことばかり考えていた。

 源治さんと満代さんは出かけることが増えた。店の仕事ではない。ひかりの物を持ち出すこともあった。遺品整理なのかもしれない。亡くした娘の物を身近に置いておくと思い出して(つら)いのかもしれない。そう思っていた。だがそれは間違いであった。


 葬儀からひと月ほどたったある日、明兄(あきらにい)が声を掛けてきた。

「王子、ひかりに会いたいですか?」

 親父に一族の話を聞かされてから明兄はオレのことを王子と呼ぶようになった。言葉遣いも変わった。鬼の一族は一人前と認められると一族の秘密を教えられる。オレも()()()から魔王の息子に変わったのだ。守りたいものも守れなかったというのに。皮肉なものだ。

 それでもこれは明兄からの変わらぬ優しさだったのだろう。


 明兄はああ言ったが死者に会えるわけがない。墓参りに誘われたのだと思った。そういえば荼毘の後、すぐに納骨された黒鉄家の墓をオレは知らなかった。

「うん。会いに行ってみようかな」

 なんとなくそう答えた。それほど墓参りに関心があったわけではない。だが、ひかりには墓前できちんと気持ちを伝えようと思った。

「魔王様には内密(ないみつ)ですよ。では、行きましょう」

 明兄が親父に隠し事をするのを見るのは初めてだ。今日は源治さんも満代さんも出かけている。ひかりの墓参りよりそっちの方が気になった。

 明兄の運転するミニバンで墓地に向かう。10分ほどで目的地に着いた。そこは地石寺(じしゃくじ)という寺でそこの墓地にひかりは埋葬(まいそう)されているらしい。小高い丘の上にある本堂に向かい長い石段を登る。右手に尾根があり、そこから左手に向かってなだらかな斜面が続いている。日当たりの良い斜面に墓地が広がっている。なんとなくひかりを(ほうむ)るのには似合っているように思えた。陽だまりでまどろむひかりが目に浮かぶ。言葉にはしなかった。


 石段の参道の中ほどで明兄の大きな背中が右に動いた。墓地とは逆の方角に小径(こみち)があった。

「明兄ちゃん、墓地はあっちじゃないの?」

「ええ、ですが今日は墓参りに来たのではありませんから」

 明兄が何を言っているのかわからない。

 明兄はそれ以上の説明をせず、先に進んだ。正面に凝灰岩(ぎょうかいがん)(がけ)があり、そこに人が入れそうな割れ目があった。(みち)は奥に続いている。

 洞窟(どうくつ)に入るとき、明兄は何やら印を結び真言(しんごん)(とな)えた。

「さあ、参りましょう」

 そして暗闇へ(いざな)う。


 日の光はすぐに届かなくなり辺りは真っ暗になった。だが、不思議と周囲の様子がわかる。天井は高く、階段はどこまで続くかわからないほど深かった。

 明兄について石段を下る。とうに地面を越えて地下に(もぐ)っているはずだ。ここがどこだか聞きたかったが、知りたくない気持ちもあった。なんとなく知っている場所のような気もする。


 ずきん……

 胸の辺りに鈍痛(どんつう)を感じた。気のせいかと思ったが痛みは引くことなく、むしろ、進むにつれて激しくなってきた。熱が上がってくる。その痛みに耐えきれず明兄に声を掛けようとしたときそれは現われた。

「お待ちしておりました。大王様」


 以前、店に来ていた吽形(うんぎょう)羅刹(らせつ)だった。

「ご帰還果たされたこと誠に喜ばしく思います。我ら地獄の鬼卒(きそつ)を代表してお迎えに上がりました」

 陰気な坊主と怖い顔をした大男がオレの足元にひれ伏す。

「吽形と羅刹だよね。今日は親父は来てないよ」

「いいえ、閻蔵さまは(さき)(あるじ)。次の大王様が着任されるまで代わりを務められていらっしゃいますが、既に大王の座から退かれておられます」

「閻蔵さまが退位されてより我らは貴方様(あなたさま)立位(りつい)を心より待ち望み、主不在の地獄を守って参りました。今日この(とき)、新たなる閻魔大王様の着任(ちゃくにん)を心よりお(よろこ)び申し上げます」

 吽形に続いて大男の羅刹が祝辞(しゅくじ)を述べた。

「何を言っておる。この方は将来、大王位を継ぐ方ではあるが、まだ、そのようなお立場ではあられない」

 明兄が二人の男を(ただ)そうとする。だが、男たちは(かたく)なだった。

阿形(あぎょう)よ。これは()なことを」

 阿形と呼ばれた途端、明兄の身体はその姿を大きく変えた。ますます身体が大きくなり、筋肉の(よろい)をまとったみたいだ。顔つきも恐ろしく、大きく口を開け、吽形を(にら)む。

 吽形もその姿を変えた。明兄とそっくりの力溢(ちからあふ)れんばかりの姿だ。吽形は口を真一文字に閉じて、明兄を睨み返す。


「うおおおーっ!」

「むん!」

 睨み合う二人を見てようやくわかった。

「吽形と明兄って仁王(におう)なの?」

「仰せの通りにございます。本来なら二体一対の我らでありますが、阿形は20数年前身罷(みまか)りまして、こうして地上に転生しております。大王様ご生誕の後は地上での護衛に任じられております」

 吽形はへの字に結んだ口を器用に動かし、オレに答えた。

 明兄はまだ納得していないようで吽形に食って掛かる。

「吽形! まだそんなたわけたことを言うか!」

 掴みかかる明兄を(おさ)えながら吽形は平然と答えた。

「まこと、その御体(おからだ)宿(やど)される閻魔紋章が何よりの証拠。紋章の持ち主が地獄に降臨(こうりん)されたとなれば、それすなわち大王位の承継となりますでしょう」

 明兄が慌てて振り向いた。そしてオレのシャツを(まく)り胸に浮かび上がった紋章を確認した。地獄の法気に当てられ隠していた(しゅ)霧散(むさん)する。あとには紋章が燦然(さんぜん)と輝いていた。

 いつの間にか痛みは消えていた。地獄の紋章であることは疑いようもなかった。

「なんてことをしてしまったのだ、俺は……」

 青い顔をして明兄が(つぶや)く。明兄も知らなかったことらしい。だが、一番驚いているのはオレ自身だった。


     *


「それで千衣ちゃんは閻魔に(とら)われているんやな」

 清志郎の長い話を聞くと鉄也は確認するように聞いた。

「結界が強くてな。千衣の姿は確認できなかった。だが、客の会話からも明らかだ。行方不明の千衣を隠すのならそこしかない」

「悪魔の情報というのが気に入らんけどな」

 それは清志郎も同じ気持ちだった。


「妹さんをこの世にいられなくなるよう(おとしい)れたのも閻魔なのね?」

 高校時代からの付き合いである鉄也と違い亜里は千衣と面識がない。

「初めに千衣にクレームを付けた女を閻魔が黙らせた。閻魔の手引きで間違いないだろう」

「清志郎はどうしたいの? 妹さんを助けたいの? それとも閻魔を殺したいの?」

「どっちもはダメやで。優先順位はつけんとな」

 清志郎は自分の甘さを(さと)った。二人は現役で自分はすっかり(なま)った老兵なのだと。


 二人の言うことが正しい。だが、あえて清志郎は自分の気持ちを口にした。

「千衣は助けたい。兄貴の敵も討ちたい。だが、ただ殺すだけでは気が済まない。奴の大事な者を奪ってやる。そうでもしないと兄貴だけでなく、姐さんや坊まで奪った仕返しにはならないような気がする」

「欲張りね。殺せるときに殺しておくべきだと思うけど」

 これも亜里が正しい。閻魔は老いたとはいえ自分たちとは比べ物にならないほどの強敵だ。勇者であった兄貴と互角に戦った相手なのだ。

「まあ、それも清志郎らしいってな」

 鉄也の考えは亜里とは違っていたようだ。

「まず千衣ちゃんを救い出す。邪魔するやつは殺す。どうせ俺らでは閻魔は殺せないだろうからな。

 最初に俺が潜入して結界を破る。そしたら亜里は突入して手あたり次第殺せ。その隙に俺が千衣ちゃんを救い出す。お前は亜里の援護とチャンスがあれば閻魔の息子とやらを撃て」

「それしかなさそうね。清志郎は危なくて突入させられない」

 その通りだ。今の清志郎では二人の足手まといにしかならない。

「よし、方針は決まったな。あとはいつ決行するかだが……」


     *


「ゆーくん、久しぶり」

 羅刹に案内された部屋で背もたれ椅子にだらしなく座り足を机に乗せてくつろいでいたのはひかりだった。白装束というのだろうか。純白の単衣(ひとえ)を着ている。明兄は行儀が悪いだの荷物を持ってきただの言うだけで平然としていた。あまりにも平然としている二人にオレも普通に返事をしてしまった。感動も何もあったものじゃない。


「久しぶりじゃねえよ」

「あれっ……もしかしたら私が死んで泣いてくれた?」

 ひかりの言葉にオレは現実を思い出す。やはりひかりは死んだのだ。だが、ここにいるひかりは何者なのだ? 答えがわからないままひかりに見える少女に応えた。

「ば……泣かねえし。びっくりしたし、わけわかんなくなったけど……そりゃ、ちょっとは悲しかったけど」

「うふふ……ありがと。でもあれは不可抗力。私のせいじゃないから。でも、さすがはゆーくん。ちゃんと立ち直ってくれたね。お姉さんは嬉しいよ」

「お姉さんじゃないだろう。で、お前は何やってんだよ」

「うん、私、死んだじゃない。だから、裁判受けて魔王様に生まれ変わり先を決めてもらわなければいけないんだけど……今、魔王様地獄にいないから……」

 親父は勇者に地獄を追われ地上にいる。地獄は統括者不在なのだ。

「それって大変なことなんじゃないか? 人が死んでも裁けないんじゃ、輪廻転生(りんねてんしょう)もできないじゃないか……」

「まあ、マニュアルはあるし、今はAIがあるからあんまり困んないんだけど……」

 ……地獄もハイテク化の波が押し寄せているようだ。

「何せ国家予算が付いているからね。でも、AIでは代行できないことがあってね。それが私たち地獄の一族と勇者の一族よ。私たちは世襲(せしゅう)獄卒(ごくそつ)だから魔王様が直々に配置を……生まれ変わりを決められるの。私は魔王様がいらっしゃらないから、それまで生まれ変わりは保留。それまではここで地獄の管理をしてろって。14歳にして未成年労働者だよ。児童福祉法違反だよ。私の青春を返せー!」


 元気に(さわ)ぐひかりにオレは気になっていたことを(たず)ねた。

「ところで、ここはどこなんだ?」

「ここは地獄の中心、黄泉(よみ)の国の都にして大王様の居城たる冥府城(めいふじょう)だよ」

「なんで追い出されたはずのオレたち地獄の一族が冥府城にいるんだよ」

「うん。そうなんだよね。地獄から落ちるとき、当時、閻魔大王様だった魔王様が冥府城を最低限のシステムを残して封印したからだよ。一族の者は抜け道を通って来ることはできるけど、それだけ。敵に見つからないよう魔王様だってここには来ない。ここを除いて黄泉の国は全て十字教軍に落とされた。もう極楽教の支配する地獄は冥府城(ここ)しかない。ここでできるのは死者の魂を浄化して新しい命へと機械的に送り出すことだけだよ。今の地獄はもうじり貧。いつ十字教軍に落とされてもおかしくないの」

「なんで十字教の連中はここを残してるんだ。黄泉の国だっけ、全部を支配できるくらいなら本気になれば攻め落とせたんじゃないか? 10年もあったんだし」

 率直な疑問だった。

「人の生と死は一体なの。人は死ぬために生きているって言ってもいい。人は死ぬから精一杯生きようとするし、精一杯生きたから死を受け入れられる。それはどんな宗教でも同じ。だから十字教もこのシステムを壊せない。もし壊しちゃったら一から新しいシステムを(つく)らなくちゃならなくなる」

「なんでそうしないんだ? それくらいできるだろう」


 ひかりは呆れたような顔をした。

「あのね、ゆーくん。今生きてる人に今までの死はこうでした。これからは違う死になりますって言って誰が信じるの? 地獄も極楽もその力の根源は人の信仰よ。信じられていないシステムなんて動くわけないじゃない。そうなったら大変よ。人は死んでも死にきれず、転生しないから子供も生まれず、地上は老人と亡者だらけになっちゃうよ。それがわかっているから十字教も無理押しできない」

 信仰、人の信じる力。仏の圧倒的な威光も信仰がなければ輝かない。それって……

 何かが掴めそうだ。だが、まとまらない。それより今は話を先に進めないと。

冥府城(ここ)を落とすためには信仰を奪わなければならないわけか」

「地獄が完全に落ちれば極楽教は滅びるわ。罰のない教えなんて誰も(おそ)れないでしょ。それどころじゃない。十字教の新しい死のシステムが信仰されなければ人の世が滅びるわ」

 それまで明るく話していた少女の声が沈む。話しているうちに今置かれている状況を思い出したのか。いや、全ては虚勢(きょせい)だったのだろう。新米閻魔である自分にプレッシャーをかけないために。それも限界だった。

「ゆーくんが来てくれてよかった。魔王様の封印の力が弱くなってるの。あいつらが何かしたんだと思うけど。お城は今日落ちてもおかしくない状況よ。そうなったらもう、わたしたちのような一族の者を転生させることはできないの。このまま落城したらわたしたち消滅してしまうところだった。ゆーくんが間に合ってよかった。もう会えないかと思った」

 少女がしがみついてきた。結弦はその震える肩を優しく抱きしめる。

「お前、やっぱりひかりなんだな。」

「……うん」


 ようやく納得できた。自分は何よりも大切な存在を再び失うところだった。でも、今度は間に合った。

「明兄、ありがとう。やっぱりオレは今日ここに来れてよかった」

「大王様がそうおっしゃられるのでしたら……」

 明兄はまだ今回の顛末(てんまつ)に責任を感じているようだった。

「やっちゃったことはしょうがないよ、お兄ちゃん」

 ()やむ様子の明兄をひかりが(なぐさ)めた。


「天国でのうのうと暮らすより地獄を這いずり回って生きていきたい。」をお読みくださりありがとうございました。


 地獄に誘われる結弦。そこで結弦は死んだはずのひかりと再会します。なんと結弦は本当に王子であり、地獄の盟主閻魔大王になったのでした。いったいどのような絡繰りがあったのでしょうか。


投稿は毎週金曜日に行う予定です。今後もお付き合い頂けたら幸いです。

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