プロローグ
楯役を早々に失っては狙撃手だけで支えられるものではない。十文字清志郎は即座に籠城を諦めた。既に結界は消滅している。術者の身に何かが起こったのだ。
「亜里、姐さんを連れて逃げろ!」
清志郎は右手のライフルを捨てて懐から拳銃を引き抜くとぶっぱなしながら護衛役の亜里に指示を出した。
「逃げろったってどこへ……」
「どこでもいい。姐さんと坊を頼む……」
それがどれほど困難なことかは清志郎にもわかっている。だが、今はそれしか言えないのだ。道は切り開く。例え命に代えても。
「わかった。任せて!」
亜里にも清志郎の覚悟が伝わったのだろう。決して安請け合いではない言葉を返してきた。バリケードを避けて玄関に向かう。赤ん坊を抱いた女を連れての脱出行は苦しいものになるだろう。だが、亜里は凄腕の拳闘士だ。血路を開く接近戦ではこれ以上頼りになる奴はいない。その彼女がベアナックルを打ちつけて気合を見せた。
「さあ、俺たちで時間を稼ぐぞ!」
左手のショットガンで迫りくる餓鬼どもを2匹まとめて吹っ飛ばす。振り向いて拳銃を構えたところで目前の餓鬼の首が飛んだ。
「はいな。任せろって」
隠行モードを解いた鉄也が応えてくる。鉄也は斥候だ。隠密行を得意としている。接近戦において隠行モードに入った鉄也は恐怖の暗殺者だ。
目が合った。どちらからともなくにやりと笑う。命を捨てたもの同士、自然に漏れた笑みだった。
「それにしても数多いなぁ……兄貴の言う通り鍛錬さぼるんじゃなかったわ」
ぼやきながらも鉄也が餓鬼の首をはねる。
「鉄也、たかが餓鬼ども相手に音を上げるのか?」
清志郎が鉄也の背後に忍び寄る餓鬼を撃ち抜く。
「冗談きついわ。いくら怠けてても生まれ持った才能が許さへん……ぐふっ」
一斉掃射の銃声がして鉄也が崩れ落ちた。清志郎も腹に焼け付く痛みを感じた。なにが起こったのかはすぐにわかった。前線の敵が鉄也と共に倒れ伏している。
味方ごと撃ったのか……
「あかん、油断し…た……きよしろ……あと…頼むわ……」
確かに鉄也を仕留めるにはそれしかないだろう。畜生にも劣る連中だとは思っていたが、そこまでするのか。……いや、そこまでしなければならないのだ。それだけ敵も本気なのだ。勇者の一党を討ち取るということは敵にもそれだけの価値があるのだ。
『かぞくをたのむ』
主からのメールを受けたのはつい1時間前のことだった。変換さえされていない一文からは主の焦りが伝わってくる。それだけのことが起ったのだ。主のことが気に掛かる。だが、今は主の依頼を果たすべきだ。清志郎は仲間を招集した。状況は想像以上だった。緊張感なく主の家の前に勢揃いしたところを襲われた。清志郎たちは陣形をとるはおろか武装もしていなかった。先の戦では人類最後の砦と呼ばれた彼らにその面影はなかった。
人類最後の砦。だが、清志郎にはそんなことはどうでもよかった。主の忘れ形見、あの子だけは守らねば。歯止めになるのはもう自分しかいない。後は己の意地で亜里が脱出する時間を稼ぐのだ。とうに命は捨てている。それでも清志郎の見立ては甘かった。
どっかーん!
「きゃあっ……」
突然の後ろからの爆風に清志郎はたまらず倒れ込む。すぐ側に玄関に向かったはずの亜里が吹き飛ばされてきた。直撃を受けたのだろう。血にまみれた亜里は横たわったままピクリとも動かない。
振り返ると玄関がバリケードごと吹き飛んでいた。
爆裂魔法!
そんなものを使える高位の術者が敵にいたのか!?
こんなとき兄貴がいたら……
清志郎たちはその男を兄貴分として慕っていた。兄貴は絶大なる法力とたぐいまれなる魅力で彼らを引っ張ってくれた。そして天命を受け彼らの主となり、勝利へと導いてくれた。だがその兄貴はもういない。姐さんも坊も助けられなかった。
腹に力が入らぬ中、ライフルを杖になんとか清志郎は立ち上がる。両手に銃器を構え迫りくる敵の第二波に向かって残弾のありったけを叩き込む。だが、孤立無援の狙撃手にどれだけのことができるだろうか。撃ち漏らした餓鬼が目の前に迫り錆だらけの剣を振り上げる。
がつんっ
額を割られて清志郎は倒れ込んだ。
……すまねぇ、兄貴。
あと少しで何もかも終わる。
ゴオォォォォォォーーーーーッ!
一陣の突風が餓鬼どもを蹴散らした。敵陣から派手な爆発音がひとたび響くと静寂が訪れた。人払いの魔術が掛けられているのだろう。やがて二人の男が現れた。
清志郎はかすむ視界の端にその男の顔を捉えた。
こいつだったのか……
その男の顔を清志郎は忘れたことがなかった。兄貴は買っていたようだが、清志郎にはただの憎い敵にしか思えなかった男だ。男たちは清志郎には目もくれず屋内に向かって行った。
ちくしょう……絶対許さねぇ
目がかすむ……暗くなり、やがてなにも見えなくなった。
*
「遅かったか……」
爆発に巻き込まれたのだろう。破片と血にまみれた女を床に寝かせ男は唇をかみしめた。
悔し気に噛み締めた歯が男の下唇を食い破り血が垂れた。鉄の味を舌に感じたとき、男は違和感を覚えた。圧倒的な戦力差に追い詰められながら女は最後まで逃げようとはしなかった。つまり何かを守っていた。それは……
「子供がいたはずだ。探せ!」
部下らしい男が部屋の中を探し始めた。男はふと気になりカーテンを捲り上げた。泣き声一つ上げずに目を見開いた赤ん坊がいた。
「母親の言いつけを守り泣き声をこらえていたか……気の強そうな顔をしてやがる。間違いなくやつの子だな」
「利発そうなお子でありますな」
「そこはやつには似てねえよ」
「子供だけでも助けられました。良しとしましょう」
部下の言葉も男の救いにはならなかった。
「あいつと約束したのだ。妻子は守ると……」
どこにでもいそうな中年の男であった。背は高くはないものの肩幅はがっしりしており若い頃はそれなりに鍛えていたのだろう。しかし、黒のジャージに包まれた腹は弛んでおり日頃の不摂生をうかがわせる。ただ、エラの張ったがっしりとした顎と燃えるような黒い瞳に確固たる意志を示していた。中年の男から怒りの黒い炎が立ち上がる。それは物理にも及ぶ力を持っていた。
炎がカーテンに燃え移った。
「大王様……」
「よい。このまま燃やしてしまう。痕跡は少ない方がいい」
「その子は……」
「この子だけは守ってやらなければ。手伝ってくれるか?」
「御意!」
部下の男が赤ん坊を抱き上げる。男の子のようだ。母親との別れを嫌がるかのように激しく泣きだした。
男が赤ん坊の頭を撫でてやる。
「おお、おお、元気な子だ。お前の母親には気の毒なことをした。母の分も強く生きろよ」
男が手を放すと赤ん坊はスイッチが切れたかのようにぐったりし静かになった。
「それにしてもあいつになんと説明したものか。気が重いことよ……」
「天国でのうのうと暮らすより地獄を這いずり回って生きていきたい。」をご覧頂きありがとうございます。
本作は、現実世界を舞台としたファンタジー作品です。戦いに身を投じる男たち、正体不明の残虐な敵。プロローグに続く本編ではまだ明らかになっていない主人公たちの日常に潜む影が見え隠れしてきます。
投稿は毎週金曜日に行う予定です。今後もお付き合い頂けたら幸いです。