暖色系の栄光とそれに縋る寒色系の僕
頑張って描きました!
1.火葬
目の前で黒煙が上がっている。
裏庭にある錆びて老朽化したドラム缶。
それはもう赤茶けていて、胴体が真っ二つに折れていた。
僕はそこに過去の栄光を投げ入れた。
臙脂色の火炎は、天まで焼き尽くすかのように燃え上がった。
綺麗だった。そこに飛び込みたいとさえ思った。
近付くとすさまじい熱気を感じる。肌に焼けるような痛みが走る。
僕はただ見ていることしか出来なかった。
黒煙が網膜を乱暴になでて、鼻孔にも侵入してくる。
涙が出た。
それは感情の奔流のせい?
それとも単純に目が痛いから?
わからない。
わからないけど、涙が出た。鼻水も出た。
汚いなって思いながらも、僕は思い出を火葬した。
遺灰になるまで、僕はそれを最後まで見届けた。
2.模写
「なんで模写しか描かなくなったんだ?」
美術室の隅っこで箱椅子に尻を乗せていると、坂口が背中に軽く触れてきた。
僕はなにも答えない。答えたくない。
ただなんとなく頬杖を突いて、空っぽな世界を、虚ろな目で眺めていた。
きっとあの頃から、僕の世界から色が消えたのだと思う。
金賞なんて、とらなければ良かったのに。
そうすればきっと、自分の才能の限界に気付くこともなかったはずだ。
「もしかしてあれが原因か?」
坂口はこちらの心情にもお構いなしで続ける。
蛍光灯の白い棒が机に反射して見えた。
「中学生の全国絵画コンクールで金賞を取ったときのこと」
「うるさいな。邪魔しないでくれよ。勉強中なんだから」
本当は何もしていない。
そんなことは机の上を見れば明らかだ。
画集も資料集もない。『空っぽ』なんだから。
「おいおい、そんなに釣れないことを言うなよ。俺様を差し置いてコンクールで優勝したくせに、その態度はないぜ」
坂口は僕の隣に箱椅子を置いた。
足を組んでから面白そうに言う。
あれ、お前のときだけ辛口評価だったよな、なんて。
「モネと言えば『水』の描写。フェルメールと言えば『光』の描写。ゴッホと言えば『黄色』の描写。それぞれの画家はテーマを決めて、そして人生を懸けて絵画に取り組んできた。君の絵も確かに上手ではある。しかしそれがこの先、模倣の範疇を超えることはないだろう。君が本当に表現したい絵はなんだ? 君はどういう人物で、どんな人生を歩み、どんな思想や哲学を持った人物なのか、それがこの絵からは全く伝わってこない。もっと自分をさらけ出せ。裸を見せろ。それが芸術家という仕事だ」
「うるさいな。自分の絵に集中しろよ。来週までに風景画を描くのが課題だろ」
僕はそうやって話題を逸らすことでしか自我を保てる自信がなかった。
まさか審査員がそこまで僕の本質を見抜いてくるとは思わなかった。
金賞を受賞した僕に言い放たれた言葉。
「君が本当に表現したい絵はなんだ?」
ぶっちゃけバレたと思ったし、そんなまさかとも思った。
自分という個性がないことを隠すために、他人の色を真似て、重ねて塗って、自分の色として取り繕って、中身が空っぽだってバレないように、他人の意見を自分のことのように発表して、他人の衣装を着飾ってきた。僕が『山口つばさ』として振る舞ったことは一度もなくて、常に他人を演じ続けてきた。そんな僕に表現できることなんて本当はなにもないんじゃないかって思ってしまう。それでも小手先の器用さと、無駄に培った知識と経験と技術で、ないものをあるかのように見せかけることによって、周りから見た自分を、等身大の自分よりも大きく見せることによって、絵画のコンクールでは好成績を収めてきたつもりだった。
だけどそれも中学生までが限界だった。
自我が芽生え、表現するすべを身に付けた者たち。
高校の美術は、中学生の頃とはレベルが違った。
僕はもう『絵』を描くのが苦痛になっていた。
中身がないことがみんなにバレてしまうのが怖かった。
だから演じなきゃいけないのに、素の自分でいると、『山口つばさ』のままでいると、否定されたときにこっちに戻って来られなくなってしまう気がするから。それなのに自分をさらけ出さなければならない美術は本当に嫌いだ。
期待に応えたい自分と、期待に応えられないと諦めてしまう自分。
その2人の自分がせめぎ合ったり、葛藤したりして、自分が自分じゃないみたいだ。
なんでこんなに苦しまなければいけないのだろう。
僕は、他人なのだ。
だからこんな苦しみ、味わう必要なんてないはずなのに。
「山口。お前は何色が好きなんだ?」
そう坂口はスケッチブックに鉛筆を走らせる。
「好きな色? 性格診断的なやつか?」
自然体を装いつつ、めんどくさいなと溜め息をこぼす。
無色透明な僕に、好きな色なんてないから困る。
それに気付いたのか、それとも偶然か、
「俺様は黒だ。圧倒的に黒!」
坂口はスケッチブックのラフ画をこちらに向けてきた。
「何色にも染まらない圧倒的な自信を表現する黒。全ての色を俺色に染めてしまう黒。だけど胸の内には小さなわだかまりや劣等感も潜んでいたりしてそれを表現するための黒。それに黒って、なんだか暗いイメージがあって、静かで落ち着いてて、のんびりできるけど、底知れない恐怖も持ち合わせてて。そんな多面性を表現するのに『黒』がしっくりくるんだよな」
3.期待
弾力のない椅子のクッションに腰を下ろす。
食欲なんかない。食べたくなんかない。
だけどご飯を食べないと死んでしまうこの身体は不便だ。
どうせ中身なんかない、空っぽの身体なのに。
味なんてない。色なんてない。何も感じない。
めんどくさいなぁ、と思いながら箸を動かす。
テレビがついている。夕方のニュース番組だ。
地元の市立美術館で岡本太郎展が開催されるらしい。
僕もあんなふうに、自由に創作できたら、きっと楽しいんだろうな。
模写だけじゃなくて、他人の絵だけじゃなくて、自分だけの絵を描けたら。
「君が本当に表現したい絵はなんだ?」
その答えが見付からない。
いつまでも見付からない。
なあ、どうしたら見付かるんだろう。
みんなはすごいなと思う。
自分で進路を決めて、自分で画風を固めて。
きっと僕は何者でもないから、なにも残せないだろう。
ずっと宙ぶらりんのままだ。暗中模索している。
いつになったら暗闇から出られるのだろう。
その答えをずっと探している。この先も、きっと、ずっと。
「お兄ちゃん、絵を教えてよ。最近ぼくも描き始めたんだ」
弟のカケルが保育園で描いた絵を見せてくる。
そこには、ゴボウみたいな細面に、円形にぐりぐりとほじくったような黒目、鋭角に生えたツノみたいな髪型、口元は半開きになっておりそこから八重歯がのぞいていて、そして顔面が緑色をしている。そんな雑な造形で描かれたキャラクターが存在していた。誰をモデルにした似顔絵かはわからないが、ちょっとだけくすぐったいような気持ちになった。
「そうか。よく頑張ったな」
適当にあしらって、テレビ画面に向き直る。
そこには小選挙区に出馬する議員の顔があった。
みんな押しなべて同じ意見ばかりを口にしている。
「君が本当に実現したい政策はなんだ?」なんて思ってしまう。
自分にしか見せない顔と、他人にしか見せない顔。
人間にはいろんな顔があって、そこにはいろんな色があって、いろんな表情があって、いろんな性格があって、いろんな感情があって、いろんな思惑があって、いろんな人生があって……。そのいろんな色が混ざり合ってできているのが人間で、人間は一色じゃ表現しきれない、ような気がする。知らないけど。
「他にも描いたのよね。見せてあげなさい」
母親が嬉しそうに、食器棚の近くに立てかけてあった額縁に手を伸ばす。
きっとカケルも幻想を押し付けられることになるんだろうな。
期待されて、期待されて、期待される。
でもそれに応えられなかったときの周囲の反応は怖い。慰めた方がいいのか、一緒に悲しんだ方がいいのか、励ました方がいいのか、そんないろんな感情がごちゃ混ぜになったような、雑多すぎる心の色彩に白いキャンバスが汚されてしまうイメージだ。
自分の色が、なくなってしまう。
「これ、運動会の絵」
弟は得意げな表情で額縁を渡してくる。
僕はケースの中の絵をのぞき込んだ。
「えっと。お前はどこにいるんだ?」
それは玉入れ競技のシーンを切り抜いた絵だった。
世界の国旗がひもで釣るされていて、赤玉と白玉が飛び交っている。かごに向かって投げ入れている人物は2人。肥満体系で低身長の人物と、長身痩躯の人物。弟はそのどちらの体系にも合致していない気がした。
「ぼくはこれだよ」
カケルが指を向けた場所には、顔の輪郭が縁どられただけの曲線があった。
「こっちの大きい方が、ヨウヘイくんで、こっちの背が高いのが、マサノリくん」
僕には理解ができなかった。なぜ自分を描かないのか。
「おいおい、自分を描く時間がなかったのか?」
「ううん。ぼくのことは描いても描かなくても、どっちでもいいかなって思った。だって運動会をテーマに描いてるんだから、必ずしもぼくを描く必要はないでしょ?」
それは鑑賞している者の立場からでは通らない理屈だ。
自分の役割、位置づけを理解してないのかって思ってしまう。
それとも本当はそんなこともないのか。僕の学が浅いだけ?
「君が本当に表現したい絵はなんだ?」
弟には、技術も知識も経験もない。
だけど、カケルは審査員の質問に対する答えを持っていた。
そうだ。
もっと自由でいいのかもしれない。
もっとぐちゃぐちゃでいいのかもしれない。
そうだ。
技術や知識や経験が、視野を狭めることだってあるんだ。
「カケル。絵を描くのは楽しいか?」
「うん、楽しい。だからもっと教えて」
4.怠慢
「山口くん、放課後あいてる?」
そうクラスメイトに話しかけられたときに、心臓がどくんと跳ね上がるのを感じた。
美術部でコンクールに出す作品のモチーフがまだできあがっていなかったからだ。
教室の中では"部活動に在籍していたという実績がほしいから"美術部に所属したと言っている。なんとなく美術をやる人って、根暗だったりオタクだったり気難しかったり、そんな世間のイメージがあるから保険をかけるつもりでそう公言したのだ。それも人付き合いをやっていく上では大切なことだと思う。もしも僕の中身が空っぽだってことが露呈してしまったら、後は適当な処世術を身に付けて世間と折り合いをつけていくしかなくなってくる。そうなったときの予行練習として、クラスメイトとは適度な距離関係で仲良くしていた。
「う、うん。あいてるよ」
僕は愛想笑いを浮かべながら答える。
「よっさ。ラッキー」
岡本は大袈裟にガッツポーズを作って見せた。
「やっぱ美術部って、サボろうと思えばいつでもサボれる感じ?」
「ま、まあね。部室にいなくても絵は描けるし」
どこでも絵は描ける。
だけどあの空気感や、いつでも先生に質問できる気楽さはない。
家にいると、ひとりで作品と向き合うことになる。
そいつは放っておくと肥大化して、手の付けられない怪物になる。
ひとりで描きたいけど、ひとりぼっちは怖い。
だから、本当は、美術室で描きたい。だけど……。
「だったらさこの後、みんなでカラオケに行くんだけど、山口くんもどう?」
「うん、わかった。準備してから行くよ」
誘いを断る勇気がどうしてもなかった。
本当は市内で開催される岡本太郎展に行きたかった。
絵と向き合っているときだけは、本当の自分でいられるのに。
――――――――――
窓を開けたらセミの鳴き声が入ってきた。
トタン屋根にぶつかる水滴の音が小さくなっている。
どうやらもうほとんど雨は止んだらしい。
僕は、怠惰な人間だ。
二週間後には美術のコンクールがある。
それなのにモチーフすら決まっていないのだ。
焦る気持ちはある。早く描かなきゃって。
だけど焦れば焦る程、疲れて、描けなくなる。
描いても、こんな絵で大丈夫かなって、思い詰めてしまう。
みんなはどんどんうまくなっているのに、自分だけ前に進めていないような感覚。このまま一生懸命に頑張っても誰にも評価されなくて、「これだけやったのに結果が出せなかった」って、そんな自分をみじめに感じてしまうんだ。そう思ってしまう。妄想に近い強迫観念。
努力をしたら、結果を求めてしまう。
そして結果を出したら、また辛くなるんだ。
期待に応えないとダメだって。
僕には絵を描くくらいしかできないのだから。
付き合いで参加したカラオケはつまらなかった。
そんなことよりも絵が描きたくて仕方がなかった。
スマートフォンの通知音が鳴る。
坂口から製作途中の絵画が送られてきた。
賛辞の言葉しか出てこない。綺麗な絵だった。
泣きそうになる。
本当にもう僕は何をやっているんだろうって思った。
人数合わせでカラオケに誘われたことは知っている。
でも、嬉しかった気持ちも、嘘じゃないんだ。
みっともない話だけど、それが本当の僕なんだ。
もう迷っている暇なんてない。
僕が表現したいテーマは決まった。
コンクールのお題は『明暗』だ。
鉛筆を水平に立てて、片目をつむる。
常に着飾っている僕でも、絵画の中でなら裸になれる。
5.講評
イーゼルに立て掛けられた絵画を眺める。
コンクールのお題は『明暗』だ。
だからなのか薄暗い展示会場では"夜空にまたたく星々"だったりとか、"夜の海に浮かぶ月"だったりとか、自然物を使った"明"と"暗"の対比が目立っていた。他にも"小宇宙に浮かぶ天体(日と水金地火木土天海)"というテーマで小宇宙を"暗"と見立てて、太陽に近い天体をより強調した"明"として考えた作品も並んでいた。
だが僕がどうしても注目してしまう作品は、坂口の"晴天の霹靂"だった。
彼の表現する『絵画』の世界では、停電が起きている真夜中の住宅街が描写されていた。
そこに、一筋の稲光が突き刺さっているだけのワンシーン。
圧倒的な迫力。演出力。表現力だと思った。
その絵からは"音"が伝わってきたのだ。
あり得ない。音声ガイダンスが流れているわけではないのに。
しかし目の前で落雷があったような気になってしまう。
耳を塞ぎたくなる程の破壊音が、そこでは表現されていたのだ。
ほんのりと漂う焦げくさい匂い。
大気の震えまでもが手に届くようだった。
題名の上には"銀賞"と"花冠"が躍っている。
悔しいはずなのに、なぜか口角が上がってしまう。
心のどこかで"嬉しい"って思っている自分がいたことに驚いてしまう。
「本当にみんなすごいな……」
僕は自分の絵画が展示されているイーゼルの前に立つ。
その世界では、赤茶けて、胴体が真っ二つに折れたドラム缶から火炎が立ち昇っていた。その光景を見つめるひとりの人物。火炎は色とりどりの暖色を用いて表現されているが、人物には濃い影が差しており表情は窺えない。光が当たらない部分は、黒色と寒色と無色で描かれている。
暖色系の火炎と単一的な色彩でいろどられた風景。
そして、どこか寒々とした印象を与える人物の描写。
過去に金賞をとった絵は僕にとっての暖色系か?
現在の空っぽで虚ろな絵は僕にとっての寒色系か?
違う。どちらも僕の絵だし、そこに甲乙なんてつけられない。
僕はようやく色付き始めたのだ。
“暖色系の栄光とそれに縋る寒色系の僕”
(作品:山口つばさ)
【講評:審査員特別賞】
・中学生の頃に金賞を与えたことはあるが、私は彼の絵が嫌いだった。理由としては、彼自身の個性が見られなかったからである。私はもっとのびのびとした若人らしい作品を期待していた。
しかし彼の絵は老成しすぎていて、良くも悪くも無難な絵に仕上がっていた。経験、知識、技術にとらわれた結果であろう。
そして久しぶりに彼の絵画を鑑賞することとなった。驚いた。過去の栄光から、脱却している。視点も構図も切り口も、斬新な手法が取り入れられている。今回の選考には私情があるかもしれない。それでも私はこの作品を強く推したい。
小説書くのって難しい。
改めてそう思いました。