(2/3)私たちってなんだっけ?
1ヶ月ほどするとフープは四つん這いをやめました。フラフラと立ちました。最初は何度も転んでおぼつかない様子でしたが2、3日もするとしっかり歩くようになりました。
食事もとってくれるようになった。
最初は本当に大変だったんです。一口食べさせると吐いてしまったり。ずっと走ってるからあとを追いかけるだけでクタクタになって。
『どうしよう。このままだとこの子死んじゃう』って思って。
最近はスプーンで周り中にこぼしながら食べてくれるようになりました。ただ、少し目を離すと『ビッチャビッチャ』と皿を叩いてしまうのでせっかくのお粥がテーブルに飛び散る。
『やり直しだわ。服も洗って顔も拭いて』と思うとむなしくなった。
食べ終わるとおでこからあごまで一面お粥がこびりついた顔で『パァッ』と笑いました。
疲れきった脳に可愛さがしみました。
床を拭いた段階で外に飛び出てしまうから走って後を追いかけて。
ご近所のマーサの子供も羽化後は大変だったらしいです。外に飛び出て夕方まで帰ってこない。
しかしあちらは曲がりなりにも『5歳程度』の知能があるがフープにはない。1歳ぐらいしかない。それも怪しい。
放っておくと川で溺れて死ぬから後を追いかけるしかない。
ラムリの頭はひっつめ髪。そこからバラバラとおくれ毛がはみ出るのでボサボサでした。
服は『着てるだけ』のどうでもいいものでフープの顔は拭けても自分は洗顔すらできませんでした。
1週間に1度は入れていたお風呂も入れませんでした。薪をくべられないからです。川に服のまま突っ込みはしゃぎまくるフープの隣で、冷たい川に髪を浸しそのまま洗いました。
こたえました。惨めだった。冷たい髪。したたる無情の水滴。
洗濯に来た女たちが遠巻きに自分を見ている。
かつては「こんないい子で羨ましいわ」とか「どうしたらあんな子に育つの?」とか「うちの子なんて何にも手伝ってくれないのよ」とか話してくれた口が今やラムリの苦境を笑っている気がしました。
ラムリはツンと顔を背けました。
『同情は結構よ』
川の中でコケで泣くフープのためザブザブと歩いて川の真ん中まで行き、胴体を抱えるようにして引き上げました。
赤い髪からポタポタと水滴がこぼれて地面に染みをつくる。まだ泣いてる。
濡れたネズミみたいな無残な親子。
『いっそこのまま死んでくれたらよかったのに』と一瞬でも思った自分が心底恐ろしかった。
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夜になると。
ハンモックで2人抱き合いながら寝ました。本当はハンモックというのは1人用なんですよ。
ほとんどの子が羽化後でも1人で眠るんです。
でもフープはダメでした。お母さんが離れると何時間でも泣き続ける。
「あんたが甘やかすからよ」という親戚が許せなかった。「親が育てたように子は育つのよ」知らないよ。
ラムリはギュウギュウになったハンモックでフープの左腕を優しくトントンしながら子守唄を歌いました。
坊や良い子だ ねんねしな
東と西の花畑
花蜜とるから ねんねしな
小さなお口に黄金の
甘い花蜜入れるから
坊や良い子だ ねんねしな
フープは親指を口にねじ込んで『チュパチュパ』吸ってました。昔もそうでした。でもそれは1歳のころで。今見かけは12歳。本当は15歳です。
奇妙。ヘンテコ。おかしい。
だいたい15歳にもなって母親がいないと寝れないのもおかしい。
泣き笑いを浮かべるしかありませんでした。
近所の人や親戚も助けてはくれました。
しかしフープの警戒心が強くて、暴れたり噛み付いたりするから誰にも預けられません。
このまま仕事に復帰できなかったらどうしよう。そんなに蓄えもないんです。今は飼っている鶏の世話をしてくれる人もいますが、早くフープにやらせたい。
それなのにフープはウロウロ歩くだけの幼児でした。
フープがずっとこのままならラムリはどうすればいいのですか?
どうしたって自分が先に死ぬのです。その後誰が面倒見てくれるのですか?
もういっそ2人で崖から飛び下りようかと思いましたがそんな考えにラムリは笑ってしまいました。
『だめだわ。羽があるもの』
フープの赤い髪を撫でる。
『飛べてしまうわ』
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翌日。玄関先までスープを持ってきてくれたご近所のマーサの前で泣いてしまいました。
もういい大人なのに泣くしかなかったんです。
マーサが驚いて自分の家まで連れて行ってくれました。
温かいスープが体にしみました。
もう4ヶ月もまともに食べてないんです。来る日も来る日もパンと(本当は売り物の)卵と水。しかも全て冷たくなったもの。
マーサの家で子供のティムとカイトがフープのお守りをしてくれました。
3人で庭をキャッキャと駆け回る。
『あんなに警戒心強いのに……』と驚きましたが、子供には子供の(いや本当は3人とも大人なんですけど)世界があるのでしょう。
「ダーッ。ダーッ」と言いながら2人の後を追いかけます。
「ラムリさぁ」マーサに言われました「あんたちょっと寝なさいよ」
夕方まで1人でハンモックに寝かせてもらえたんです。
こんなありがたいことなかった。
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ラムリはだんだん全てがわからなくなりました。
毎日フープが散らかす家の片付け。1日何回かわからない食事の世話。自分のことは後回し。勝手に外に出るフープの後を追って森や川でのお守り。
飛べてしまうから始末に追えず街に降り立って茫然としたこともありました。
着飾った男女の行き交う石畳の街。煉瓦造りの高い塔。走り回るフープに「ごめんなさい」「ごめんなさい」と言いながら紐を引っ張る惨めさ(どうしようもないので腰紐をつけさせられている)自分のみすぼらしいツギの当たったワンピースに化粧してない顔。
こんな都会で。
道ゆく人は全て紅をつけているというのに。
夜になるとまたベッタリくっつくフープに子守唄です。
モウロウとした頭で歌いました。
坊や良い子だ ねんねしな
東と西の花畑
花蜜とるから ねんねしな
小さなお口に黄金の
甘い花蜜入れるから
坊や良い子だ ねんねしな
もう自分すらなんだかわからなくなった。むき身の魂みたいになってフープのあるかなきかもわからない心を抱いた。
私たち、何だっけ? どんな関係なんだっけ?
もう何もわからない。
親子だっけ? 夫婦だっけ? 恋人だっけ?
友達だっけ? 赤の他人だっけ?
頭がモウロウとして。何も考えることが出来なくて。ただ温かい肌を抱いて2人きり。
私たちをへだてるものってこの皮膚1枚なんだっけ?
2人の足元から青い炎が出現し。冷たく足首のあたりで燃えさかった。
フープとラムリはヒッシと抱き合ったまま眠りの国へ真っ逆さまに。真っ逆さまに落ちていく。
青い炎の先が奈落に落ちる2人の足元で天へ向かって細く。
伸びて。
【次回 最終回】『(3/3)瞳だけは変わらない』です。