(1/3)いい子だったのに
フープはとてもいい子でした。
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フープの国では赤ん坊は星とともに産み落とされます。
星は最初薄いピンク色をしているのですが、日がたつにつれて徐々に輝きを増してゆきます。白く強い光をピカピカと放つようになれば『大人になってよい』という合図でした。
満月の良い晩を選んで子供たちは星を飲みほします。やがて眠りにつくと、星から放たれる糸がまゆとなって柔らかなベットのように子供たちをおおいます。目を覚ました彼らは大人の姿でまゆを破ってでてくるのでした。
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フープは母子家庭でした。お父さんが5歳の時に死んじゃったんです。お母さんが花蜜集めでフープを養ってくれました。
花蜜集めは重労働の割には賃金が安く、朝から夕方まで働きづめでした。フープは朝起きると水くみをしました。鶏やヤギにエサをやり、お皿を洗って、家の前を掃除してから学校に行きました。
学校でも優等生。うちに帰ると他の子のように遊ぶことなく再び家畜の世話。家庭菜園の手入れ。卵をお得意先に売り帰ると家を掃き清めました。
お母さんのラムリが帰ってきてスープとパンの簡単な夕飯を作ってくれます。フープも手伝います。夕飯が終われば編み物をするお母さんの横で宿題をします。
そして2人別々に眠りにつくのでした。
小学校を卒業すると、学校には行かずに1日中働きました。
15歳になって。いよいよ大人になることが決まりました。お母さんもしばらく仕事を休んでくれるんです。
なぜならまゆに入った子供たちは全てを忘れてしまうから。『忘却の子供たち』って言われているんです。まゆの中で体が全て溶けて、脳だって溶けてしまうんです。だいたいの子は『何か』は覚えているけれどそれが『何か』は選べませんでした。
まゆになる前の子供たちは不安定になります。それはそうでしょう。今までの楽しかったことや嬉しかったこと。お母さんのことやお父さんのこと。大事な友達のこと。みんな忘れてしまうんですから。
でもフープはそうなりませんでした。
星を飲む朝までいつもどおり水をくみ、家畜の世話をし、お皿も洗い、家の掃き掃除までしました。仕事はさすがに休みだったのであとは満月が出るまで静かに本を読んでいました。
そしてみんなの前で笑顔で星を飲みほしました。星は甘く輝く液体になってフープの体に入っていきました。フープはそのまま崩れるように倒れると眠り、やがて銀糸のまゆを作りました。
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2週間後。
まゆを破る音がしました。
フープは男の子なので、親戚のおじさんが駆け寄って服を着せようとしました。
甘い笑顔。
「フープ! よくやったな!! おじさんだよ!!」
ところが。
フープは他の子たちと様子が違いました。
おじさんに向かって「うううーーーっっっ」とうなったんです。
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「え……」て思う間もなく『バリバリバリッッッ』とまゆの膜を破る音が聞こえ、裸の子が獣みたいに飛び出してきました。
真っ赤な髪がふわりと浮き上がり、まるで逆さに刺さったホウキのようでした。
「「「キャアアーーーッッ」」」
遠巻きに見ていた女たちが叫びました。裸の子は真っ赤な髪をして薄茶の瞳をしていました。あ! 瞳の色!! フープの子供のときの色だ!!!
そのまま四つん這いで部屋を疾走すると、テーブルに『ドシンッ』とぶつかりました。
ガチャンッ バラバラッ チャリーン!!
テーブルが揺れてお茶やクッキーがこぼれ落ちる。ティースプーンも落ちる。
一瞬で体をクルッと回転させ廊下向こうの部屋まで走りドアを開けた人に体当たりしました。
『ドシーンッ』と音がして体当たりされた人が後ろ向きに転ぶ。お尻をしたたかに打ちつけ派手に両足が宙を舞いました。
「いてててて……」と言う頃にはフープは消えていた。
捕まえようとする人たちはことごとくと腕を空振りさせました。速いんです。人間とは思えない速さ。
窓の存在に気づくとガッと窓枠を掴み、体を飛び出させて外に落ち、地面に落ちるやいなや手のひらをバネのように跳ねさせて一瞬で起き上がって四つん這いのまま疾走しました。川を目指しているようです。
大人たちがドアから一斉に羽を羽ばたかせて飛びフープを追いかけました。
バシャバシャバジャーーッッと川に突っ込んだところを四方八方から全員で取り押さえる。
側からみたら無数の蝶が蜜を目掛けて飛び込んできたかのように見えました。
引きずり上げると手をやたら振り回してフープは大人たちをビチャビチャと叩きます。
赤い髪がブンブンと右往左往しまるで忙しないはたきがけでした。
全員がびしょ濡れ。
「ううーーっっ」大人たちを首を回して睨みつけた。「うううーーーっっ」とうなります。
村人の1人が茫然とつぶやきました。
「ありゃあ………人間の言葉すら忘れているぞ…………」
そう。フープは獣になってしまったんです。
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フープのお母さんラムリは椅子に座って泣き続けました。フープは胴を紐で縛られて家の柱にくくりつけられています。なんとか服は着せられましたが、暴れるうちに肩や太ももがあらわになり今にも脱げてしまいそうでした。
例によって。長老と。神官と。戸籍係が呼ばれました。
「たまにいます。予後は大変悪いです……」これは戸籍係。
「まず言葉を覚えようという気がないですし。生活習慣を教えるのも一苦労。何年も獣みたいに皿に顔を突っ込んで食事する子もいます」
「神よ! なぜこのような試練をフープに与えたもうたか!」これは神官。
「正気に戻るよう祈祷しようぞ!!」と言いながら両手を広げて天を仰ぎました。
とにかくなんの解決方法も見つからなかったんです。
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それで。
とりあえずフープは母親のラムリに任されました。その日からラムリのあまりに大変な日々が始まりました。
朝目が覚めるとすでにフープが家中を引っ掻き回した後でした。椅子という椅子は倒れ、台所に置いてあった調味料の瓶は全て横向き、ザーッと音を立てて塩が床にこぼれていました。
赤いものが点々と床に張り付いてたので匂いを嗅ぐとケチャップでした。この間手作りしたばかりのものです。
悪い予感がする。
その赤いシミが壁にも点々とついていました。ラムリがシミを追って視線を動かすと天井にまで達している。見上げてみつけました。天井一面のベタベタとした赤い手形。
「ひっ!!」
飛べるとはなんと始末のおえないことか!!
ガチャンッガチャンッガチャンッと音がしてそちらへ向かうとフープがいました。
部屋中に散らばる羽毛。高い掛け布団が台無しになったのを知りました。フープは「うーっ」とうなりながら枕の端を噛んでいます。
ああ、お前。ケチャップのついた手のまま枕をつかんだね!?
「やめてよっっっ」
叫んでフープを引きはがす。
「お母さん寝ることすらできないのっっ!!」
フープが朝から晩までこの調子だから。ラムリは夜気絶するように意識を失うんです。それで気がついたら朝で。気がついたらこの惨劇。
そのまま暴れるフープの足をつかむと「うんしょっうんしょっ」と言いながらお尻を上にしてズルズル引っ張りました(羽が傷つくので背中を下にできない)重い。あまりに重い。さらに「うーーーっっ」て言いながら柱にしがみつこうとする。引きはがしてからまた引っ張る。
なんとか玄関まで連れて行くと、玄関に置いておいたずた袋をひっつかんでフープを持ち上げました。
重い〜〜〜っっ。
ラムリだって子育てしたことはある。歩いたばかりの子供の大変さも知ってる。しかし体格が違いました。9キロの子供が暴れるのと、40キロの子供が暴れるのでは全く威力が違うんです。
まゆの中で大量のエネルギーを使うらしく、羽化した子供たちは元の体格より小さくなってでてきます。フープもそうでした。フープは特に縮んで12歳くらいにしか見えません。
しかし、その、12歳が本気で暴れたらどうなるか。
ラムリはフープの腰をバシバシ叩きました。
「はーねーをーうーごーかーせーっっ」
勢いにつられて羽を彼が動かした途端、ラムリは自分の羽を素早く動かしフープより上空に飛び上がりました。玄関のドアをフープを捉えたまま右手で開けました。
2人で飛んだまま玄関を出ると『ガンッ』とドアを左足で蹴って閉めました。
あとは船を牽引する要領でフープを引っ張り森へ連れていきました。
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森で喜んで(四つん這いで)駆け回るフープを前にラムリは顔を覆いました。
昨日も1日中片付けに追われ、今日も1日中片付けに追われる。ほんの30分目を離しただけでこれ。
そんなこともあろうかと用意したずた袋の中のパンと水を口にして泣きました。
どうして。フープ。あんなにいい子だったのに。
毎日帰ってくるときれいに片付いた部屋がそこにはあったのに。
獣みたいになっちゃってどうして。
淋しかったのだと。
本当はこの子は淋しかったのだと思いました。
ラムリは1年中働きづめでした。これといった財産もないまま夫に死なれて朝から晩まで花畑で蜜の採取です。蜜は高いが、集めてる人間の賃金は安い。
母の苦難をフープはよく知っているはずでした。
だからあの子は何も言わず笑顔で家のことをやって。ラムリが帰ってきたら1日で起こった楽しいできごとを話してくれました。
お金のないうちだと学校には6年間しかいけません。まあまああると9年。ほとんどの子はこれで家業を手伝うことになります。それで15歳で大人になります。
街の大金持ちは羽化してからも学校にいけて、通算15年行ける子もいましたが、例外の例外の例外でした。
フープは当然6年であとはずっと働いていました。たくさん鶏を飼って卵を売りにいってました。
ほとんどの子がいける1年に1度のお祭りだって行けなかった。お金もないし暇もなかった。
ラムリには忘れられない光景があります。
お祭りの日。いつもより人の少ない花畑で蜜を集め疲れて飛んでいるとフープの姿を見かけました。
カイコ(子供のこと)のときのフープの髪は薄茶でした。目立たない子だった。母親のラムリしか気づきませんでした。
うねうねとした白い道の両側にポツポツと歩く人影が見えました。夕陽に照らされて影が長く見えます。道の横に小さなゴザが置いてあり丸いフープの頭頂部が見えました。
他の人影は動くのに彼だけじっとしてました。
彼はただ、道端に座っていた。
品物を並べてお祭り帰りの人に売ってたんですね。夕飯に食べられるチーズやパンや簡単な惣菜が喜ばれました。
木の影に隠れて見るとフープが誰かを見つめてました。
『フェルマとイアンの姉弟だわ……』
おじさんに連れられて名物の『糖蜜りんご』を食べながら歩いています。楽しそう。
商売に身が入らない様子でフープがそれを見つめていました。
フープの真横にそっと飛び降りて「フープ」と呼びました。
母親に気づくとパッと笑顔になりました。
「お母さん! お帰りなさい!!」
それから両手で小銭をつかんで言いました。
「今日は大もうけだよ!!」
お祭りで。気の大きくなった大人たちが買ってくれるチーズやパン。
「ありがとう。でも来年は……お祭りいこうか」と言いました「ほら。来年はお前も大人になるでしょう?その前に」
フープが笑顔のまま首を振る。
「うううん。僕人混みが苦手なの! お祭りとか大嫌い」
それで。
ラムリは思わず謝ってしまった。
「ごめんね。お母さんが忙しくてお金がないから連れてってやれなくて。許してね」と。
フープが笑顔を重ねました。
「そんなことないよ! いつも働いてくれてありがとう!」
あの時あの子がどんなに自分の淋しい心を殺したのか。ラムリ。お前にわかるのか。
その結果がこれか。
【次回】『(2/3)私たちって何だっけ?』