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53

 わなわなと身体を戦慄かせるのに合わせて、柔らかな頬がぷるぷると震える。

 相変わらず美味しそうだなぁ、なんてルーヴァベルトの心の内など露知らず、ジュジュが机を殴打した。



「殿下を呼びなさい!」



 壁際に控えたミモザを睨めつけ、怒鳴る。常におっとりとした彼女の突然の怒声に、ルーヴァベルトはひゅっと身を竦ませた。

 モブキャップから緩く零れたブリュネットの髪を揺らし、メイドが抑揚無く告げる。



「旦那様は外出中でございます」


「なら、戻られるまで待たせて頂くわ」



 語気を荒く吐き捨てた彼女に、ルーヴァベルトは困り顔で眉尻を下げた。

 僅かに首を傾げ、控えめに問いかける。



「えーと…あの人に、何か御用が…」


「何か、ですって?」



 今度はルーヴァベルトを睨みつけ、頬肉に圧され気味の双眸を見開いた。「何か、ですって!」



 露骨な苛立ちに、気圧される。怖い、と口を噤んだ。


 ルーヴァベルト自身は気づいていなかったが、女性が怒っている顔が苦手なのだ。自分に非が無くとも、悪いことをした気になってしまう。心細くなって、身体が萎んでゆく気がした。

 これが男相手だと全く起らないので不思議である。彼女にとって怒る男というのは、公娼街で酔って暴れる輩が主だったためかもしれない。


 ともあれ、身を縮ませた少女に、ジュジュは気まずげに顔を顰めた。眉間に寄せた皺を指先で解しつつ、ため息をつく。



「貴女に怒っているわけではありませんの、ルーヴァベルト様」



 はぁ、と上目使いに様子を伺う猫目は、怯えの色が浮かんでいた。揺れる赤茶の瞳に、胸が痛む。

 そっと彼女の手を取ると、甲を撫ぜた。真新しい傷跡が、茶に似た赤の瘡蓋になっていた。



「怒っておりますのは、殿下に対してですわ。ルーヴァベルト様に、このような傷を…」



 そう言うと、痛ましげな視線を相手を向けた。

 目の前に座る少女の顔は、暴漢による殴打の跡が生々しく残っている。赤味と腫れは引いているものの、青黒い痣となり、肌を汚していた。


 恐らく傷跡が残るものではないだろう。


 が、だからといって、許される話ではない。


 ぐっと握る手に力を込め、唇を噛んだ。



「できれば、今すぐにでも、ルーヴァベルト様に手をあげた愚か者を、この手で罰しに参りたい気持ちですのよ…」


「ジュジュ様では、彼らに対した打撃は与えられないと思いますが」



 きょとんとした表情で答えた彼女に、「まぁ」と眉を顰める。



「侮って頂いては困りますわ。莫迦に制裁位は加えられましてよ」



 そう言うと、拳を作って宙で振り回す真似をした。肉付きの良い丸い拳が、ふるふると空を切る。

 全く脅威を感じないそれに、至極真面目な顔で、ルーヴァベルトが首を横に振った。



「止めた方がいいです」


「まぁ、そんな…」


「だって」



 反論しようと口を開いたジュジュの言葉を遮り、もう一度首を振る。



「こんなに綺麗な手なのに、汚れてしまってはいけないですから」



 自分の手を取るふくよかな手に視線を落とし、遠慮がちに、軽く握った。「ジュジュ様の手は、誰かを殴ったりする手じゃない」

 柔らかくて、白くて、沁み一つない白魚の手。

 節の硬くなった、ルーヴァベルトの手とは、違う。

 睫毛を伏せた少女に、僅かに眼を見開いたジュジュは、痛むように顔を歪めた。何か言おうと口を開く、その時。



「ルーヴァベルト様もですわ」



 不意に、脇から声が上がった。

 凛と響く声。驚いて、二人が一緒にそちらを見やる。

 壁際に控えたメイドが、背筋をぴんと伸ばし、そこに立っていた。常に無表情な彼女にしては珍しく、柳眉を顰め、仕える相手へ厳しい眼差しを向けていた。



「ルーヴァベルト様の手も、汚れてよい手ではございません」



 はっきりとした強い口調で、ミモザが言い切った。

 手を握る少女の身が緊張するのが、ジュジュにはわかった。驚いた顔で、けれど困ったように眉尻を下げて、メイドを見やる。まるで迷子のような顔に、少しだけ気持ちが凪いだ。



(珍しいこと…)



 視線をミモザへ向け、すうと双眸を細めた。

 長く屋敷に務めるメイドとは、それなりに長い付き合いである。常に控えめ、我を殺し、出しゃばることのない使用人らしい使用人。

 表情を消して務める彼女が、是以外の言葉を発することは珍しく、更に感情を表に出すところなど初めて見た。

 美しい顔の中に静かな怒りを湛え、尚もミモザは真っ直ぐにルーヴァベルトへ続ける。



「ましてや、誰かに傷つけられてよいはずもございません」



 投げられる言葉に打たれ、しおしおと萎れてゆく少女の姿に、思わず微笑んでしまった。先程まで腹の底で煮えたぎっていたどす黒い怒りが消えたわけではなかったが、他人が怒る姿を見ると、不思議と頭が冷えて視界が広くなるものである。

 困り果てた様子の横顔に手を伸ばすと、そっと頤を引いて自分の方を向かせた。ぱちくりとさせた赤茶の猫目に、出来る限り柔く、微笑んだ。



「皆、心配なのですわ」



 甘く、深く、穿つように囁いた。「ルーヴァベルト様の事が」



 彼女は眼をぱちくりと、それから言葉を探し瞳を揺らす。思案気な様子に、黙ったまま、ルーヴァベルトの言葉を待った。

 やがて、ゆっくりと口を開いた。



「ジュジュ様、今回の事で、私はわかったことがあるんです」



 視線を斜め下の床に向け、まるで独りごちるように呟いた。



「何で私が、あの人…王弟殿下の婚約者として、あの人自身に選ばれたのか、わかったんです」



 ゆっくりと、言葉を探しながら続ける。「きっと、こういう時の為、です」



 男たちの目的は、多分自分だったのだろう、とルーヴァベルト自身察していた。


 ルーヴァベルトが…「王弟殿下の婚約者」を邪魔に思う者。


 邪魔だから、「殺そう」と考え、それが許されると信じている輩。



「私は簡単に殺されない」



 ついと上げた視線を、ジュジュのそれと重ねた。

 真っ直ぐに、迷いのない双眸。ジュジュは驚いて口を開こうとしたが、それを許さぬように彼女は言った。



「私はきっと、そういう意味で、あの人にとって都合のいい存在なんです。死に辛く、権力に興味がなく、あの人自身の邪魔にならない…使い勝手のいい『婚約者』」


「そんな…」


「ジュジュ様、私、今とてもすっきりした気分なんです」



 ふわり、彼女が笑んだ。

 少し照れたように。

 はにかむ様に。

 それでいて、すっきりと、口角を持ち上げ、柔く微笑む。



「別に、あの人の思惑とかそういうのには興味は無かったのですが、こういう形でわかって腑に落ちれば、清々しい気分になれました。宙ぶらりんになっていた部分の方向性がわかって、本当に良かったです」


「ルーヴァ…」


「だから、大丈夫です」



 首を捻り、ミモザを見やる。同じく驚きに眉を顰めている美人のメイドにも、清々しい笑みを贈った。

 大丈夫、と。



「私は死にません。これからも怪我はするでしょうが、気にしないでください。だってこれが、私の仕事なのですから」

  


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