第52話 あなた、わたしのこと罵るときに、『レイ』なんて呼ばなかったわ
『もし追撃してきたときは、迷わずぼくを殺せ』
ヤマトの攻撃をかわした瞬間、レイは一瞬、昨夜ヤマトから告げられたことばが頭をよぎった。だから横っ飛びから体勢を整えるなり、薙刀をマンゲツのほうへ向けた。
もう一撃来たらそれは幻影に取り憑かれた証拠……。
その時は迷わず、タケルを殺す!。
だが、マンゲツは刀をふりおろしたままの体勢で、その場からぴくりとも動こうとはしない。
茶番はお終いだ。
「タケル、操られたふりはもういい」
モニタのむこうでヤマトが肩をすくめてみせた。
「あれ、計画だともうすこし長引かせるはずだったけど?」
「ごめん。こっちも立て込んでる」
「んじゃあ、そっちも片づけろ」
レイはタケルのことばを聞くなり、踵をかえして亜獣のほうへむかおうとした。
「レイ、いかせないよ」
足元のアクセルを踏ませない、とでもするようにレイの母親が、レイの両足首に手を延ばしていた。だが、まったく接触されている感覚はない。
掴んでいるつもり……なの。
レイはかまわず、アクセルを踏み込んだ。セラ・サターンが前に飛び出すと同時に、母親のからだが飛ばされて、目の前のハッチに音もなくぶつかった。
「レイ、おまえはなんて親不孝なの……」
「あなたは母じゃない」
「なにを言うの。いい母親じゃなかったのは認めるけど……」
「いいとか、悪いとかじゃない」
レイはそれが本物の母の霊魂であったとしても、いっさいの抗弁を認めるつもりはなかった。ましてや偽物では、聞く耳をもつ必要すらない。
レイの母親が血まみれの顔をさらに異形にゆがめて、怒りの表情をあらわにした。
「レイ、なんて子だ。母親になんて口を……」
「ねぇ、母さん、気づいている?」
「あなた、わたしのこと罵るときに、『レイ』なんて呼ばなかったわ」
母親の顔の怒りの色があきらかに狼狽するものに変わったのがわかった。
「わたしは、嘘の記憶でずっとあなたを欺いてきたの」
「嘘つき。な、なんて呼んでいたのさ」
母親がかっと目を見開き、すごんでみせた。口からは血がしたたり落ち、目からも血が涙のようにつたい落ちた。
レイは目を閉じてその日のことを思いだした。
その日のレイの母親は、酒かドラッグのせいなのか、目の焦点はうつろで、顔は赤らみ、すこし興奮しているようだった。いつもとちがう様子に、幼き日のレイは脅えていた。母親は時々、こういう姿をみせることがあったが、その日は特に様子がおかしかった。母は片手にペーパー端末をぴらぴらとさせながら、レイの目の前につきつけてきた。
「これ見なさいよ。これはおまえの出生届……」
その文書データに記載された文字は漢字だらけで、レイにはまったくわからなかった。それよりも、なにかわからないものを突きつけて、一方的にまくしたてる母の態度が怖くて、なにも言えなかった。
「あんたがこの国の国民で、ここで生きているってことを、認めてくれる証明書よ」
母は悲しそうな顔をして、レイの目の前に書類の一部を指さした。
「ほら、ここ見て……。あなたの名前んとこ……」
指し示した欄をおそるおそるレイはのぞき込んだ。
なにも書いてなかった。
名前・性別、父親の欄、どれも空欄だった。
「ごめん、おまえには名前をつけなかったの」
母はそう言うと笑いをかみ殺した。
今でも、その時の笑いがどんな感情からきているものなのか、レイにはわからなかった。
母は、嘲っていたのか、喜んでいたのか、苦しんでいたのか……。
その時のレイは訳がわからず、ただちいさなからだを縮こまらせただけだった。
うろたえた表情を隠しきれずにこちらを注視している母にレイが言った
「その時、あなたはわたしを見て言ったの……『ななし』って……」
さらにことさら憐れみのこもった視線を母親に投げつけた。
「あなた、本物の母親なら……、なぜ、レイではなく、わたしを『ななし』って罵らないの?」




