第27話 兄さん、逃げて!!
リョウマの声が聞こえたと同時に、亜獣の腹を覆っている、針の経帷子が一斉に起ちあがっていた。人間なら一瞬にして鳥肌がたった、と表現すべきなのか。
アスカは瞬時に理解した。
「兄さん、逃げて!!」
アッという間に亜獣の腹から、おびただしい数の針の矢が放たれていた。百や千という数ではない、文字通り針の雨が上空を覆い尽くす。その先には兄が、リョウマがいる。しかも射撃準備にはいっている態勢。逃げ遅れるのは必至だ。あの気絶するような痛み。それが一瞬の力のゆるみになったのかもしれない。アスカは手元の槍が浮きあがるのを感じてハッとした。
亜獣が起ち上がっていた。
自分と同じように虚をつかれたレイの機体、サターンは勢いにあおられて、すでに後方のビルに尻餅をついていた。ナギナタの刃はまだ亜獣の首に突き刺さっていたが、亜獣がぶるんと首をふると、ぽろりと抜け、道路にガシャーンと音をたてて落ちた。
どうやって?。
放たれた針の矢の一部が、亜獣の一番近くにあるビルの壁に突き刺さっていて、そこからクモの糸のような細い筋がつながっていた。
『あの矢はおとり!』
この亜獣は大量の針の矢でこちらの注意をひいて、別の針を壁に打ち込みアンカーにして、自分の体勢を立て直したのだ。
裏返ってしまったら自力で起きあがれないという致命的欠点をもつ生物が、助かる術を持っていない、と考えていたこと自体がまちがいだった。
人間のおごりだ。
その時、銃弾が亜獣の何本かある脚の一本を吹き飛ばした。先ほどまでの組み敷かれた状態なら、まちがいなく亜獣の頭蓋を吹き飛ばしていたであろう位置だ。兄の一撃はまったくの狂いもなく狙ったところに着弾していた。
だが、ほんのコンマ一秒ほどの時間差で雌雄は決した。
亜獣がアスカのほうへ体当たりしてきた。亜獣に刺さっている槍を両手でつかんだまま、セラ・ヴィーナスは軽々とうしろへ飛ばされた。10メートルほど後方の低層ビルを数棟なぎ倒し、そのなかの一棟にしたたか身体を打ちつけた。
また0・25秒の洗礼がアスカの背中に走ったが、今度は歯を食いしばり、声を押し殺した。アスカはすぐにからだを起こして、次の攻撃にそなえた。
亜獣は目の前から消えていた。
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トリガーに指をかけたとき、にわかに空が暗くなったことはわかっていたが、構わず銃を撃った。しかし、その正体が針の雨だとわかった時にはすでに遅かった。無防備状態の背中を無数の矢に突き刺され、リョウマは背骨が折れそうになるほど、弓なりにそっくり返った。軽量をはかるためこの機体には背面のプロテクトは最小限に留められていただけに、その激痛は想像以上のものだった。
すぐに痛みがひいても吹き出した汗と痛みによるショックで目がかすんだ。
『当たったのか』
リョウマは最後の攻撃をうけたとはいえ、まちがいなく弾丸は亜獣の頭を粉砕したはずだと確信していた。
「レイ、アスカ、どうなってる?」
視界がひらけたリョウマの目に、真正面にいる亜獣の姿が映っていた。
ことばが出なかった。
亜獣は羽をひろげて飛んでいた。
虫型なのだから飛ぶのは当たり前だ、ということを考えてはいた。だが、実際に羽ばたいているのを目の当たりにすると、驚きよりも、恐怖が先にたつ。
「うわぁぁぁぁ」
おもわずあとずさりし、うしろのビルに尻餅をついた。駐車場になっていた一階部分が潰れて、その上の階はセラ・プルートの尻の大きさ分が崩れ落ちた。
レイとアスカによる執拗な攻撃で、まるで安物映画のモンスターのようにぐちゃぐちゃになった顔をこちらにむける。おそらくどれかまだ機能している目で、こちらを睨みつけているのだろうが、損傷がひどすぎて、リョウマにはそれがどれかがわからない。それがさらに恐怖をかきたてた。
しかし、亜獣との至近距離でのにらみ合いは、ほんの一瞬で終わった。みるみるうちに亜獣のからだが透明になりはじめたのだ。
リョウマは正面頭上にあるカウンターを見た。
残り3秒。『移行領域』のむこうに戻るまでわずかの時間しかなかった。
セラ・プルートが、亜獣を逃がすまいと、あわてて手を伸ばす。
あちらに帰してたまるか…。
が、カウンターの数字が『0』になり、セラ・プルートの手が空を切った。
その瞬間だった。
リョウマはボワーンという奇妙な音とともに空気を震わせる衝撃を感じた。それはまちがいなくコックピット内にも届く不思議な振動だった。
「くそう!!」
思わず、操縦桿を拳でたたいた。
「リョウマ、大丈夫か?」
ブライトの顔が目の前もメインモニタに投影された。
心配そうな顔をしている。
だが、この顔は今回の失態を咎め立てしたいのを押し殺している表情にちがいない。
リョウマはそう感じた。
「初陣にしてはみんなよくやった」
アルが横からわってはいってきた。
『みんな?』
そう、レイやアスカはよくやった。上出来だ。だがボクはどうだ。『みんな』の中にボクは含まれていない。父さんはいつもそういう物言いをしていた。言外に皮肉がこめられているねぎらいという形の責め苦だ。
「リョウマ君、セラ・プルートの被害状況はどうなってるかわかる?」
春日リンが事務的な口調で様子を訊いてきた。リョウマはそこに、感情を押し殺している心根を感じとった。本当は『あなたはどうなっても構わないけど、デミリアンを破損したら承知しない』、そういう意味合いがこめられている口調だ。
リョウマには、彼らの底意地が手に取るようにわかる。父さんはいつもそういう含みをもったしゃべり方をしていた。その意味をしっかりと読み取らないと、今度はそんなことも理解できていないのかという目をむけられた。
「まぁ、なによりみんな無事でよかった」
ブライトが三人の健闘を総括するようにしてねぎらった。
いや、違う、そういう意味じゃない。君には失望したよ、無事だったことが評価できるだけだよ。リョウマにはそう聞こえた
リョウマは口惜しさに思わず歯がみした。また父さんと同じように周りの人々を落胆させてしまった。ぼくはどうすればいい。
ふと、モニタ画面をみると、避難していた人々がビルのなかから、ばらばらと外へと出てくるのが見えた。
リョウマはハッとした。そこに父さんがいた。
落胆を隠せない表情でこちらを見ていた。




