第1話 ミリオンマーダラー(100万人殺し)って、まだ95万人なんだけどね
『日本人はみずからが産みだした文化と文明によって去勢された』
ヤマトタケルは車窓から、シブヤのスクランブル交差点を見下ろしながらそう思った。
街には高層ビル群が屹立し、その壁面を覆うように、さまざまなヴァーチャルキャラクターの大型3Dホログラフィ映像看板が、あふれんばかりに動き回り、さんざめいていた。
『日本人は男も女も二次元のキャラクターに恋して、本物の恋愛から逃避した……』
『クソの極みだ』
ヤマトは車窓にうっすらと映りこんだ自分の顔を見つめた。
本物の日本人っぽくない。
生まれてきた時から、あらゆる人にそう言われつづけてきた。吊り目でも、団子鼻でもなく、比較的整った顔立ちなのが気に入らないのだろう。うしろに髪の毛をひっつめてポニーテールにしているのも、嫌悪の対象になっている。
侍をきどるな、ということらしい。
下を覗き込むと、交差点を渡ろうとしている人々を、数十人もの警察官が制止するのに手間取っている様子がみてとれた。
「草薙大佐……。ずいぶん手こずっているようだけど……」
ヤマトは隣の席でスクランブル交差点を厳しい目つきをむけている女性、草薙素子大佐に声をかけた。
彼女はうんざりとした目をヤマトにむけた。
「タケル君。キミがスクランブル交差点を渡りたいなんて、無茶を言うからでしょ」
兵士であることをあからさまに強調している軍人然とした出立ち。ハーフを思わせる整った顔立ちに、凛とした決意を感じさせるまなじり。おそらく老若男女を問わず誰もが美人だ、という印象をもつだろう。が、それと同時に、仲良くはなれそうもない、と落胆させられるほど隙が無い。だが、それは軍人である彼女にとってはむしろ誇りかもしれない。
ヤマトは無言のまま、自分の耳元から伸びているインカムマイクのような端末の前で二本の指を振ってみせた。すると眼前に見えていた交差点の様子が一変した。交差点で足止めされていた歩行者たちの一部が、異質なものに変身する。
ひしめいている人間の中に、等身大の白いデッサン人形のような物体と、上空に浮いているドローンから投影された3D映像による人物の姿が入り交じっていた。
「リアル5、素体3、ゴーストが2ってとこかな。さすが世界遺産のシブヤだね、まだ半数は本物の人間が実際にここまで自分の足を運んでいる。素体使ったり、ゴースト使ったりすれば、自分の部屋で居ながらにして遊びに来れるっていうのに……」
「カバードよ、タケル君」
草薙がヤマトのことばを正した。
「素体っていう言い方は差別用語」
「だってあれ、遠隔で人格を憑依できる、ただのアンドロイドじゃない。ものに差別もなにも……」
「そう国際会議で決まったの」
ヤマトは肩をすくめた。するとヤマトを草薙と挟むように座っていた、黒人系の顔立ちをしている兵士が声をかけてきた。
「今どき、インフォ・グラシズとは珍しいね」
「骨董品だよ、これ」
何かに気づいたように兵士がハッとした。
「あ、そうか。いや、済まない」
「気にしないでいいよ。ボクは、生体チップも、網膜インターフェイスも、ニューロンストリーマも体内に埋め込んじゃあいけないことになっている」
「生れたまんまのレトロな身体なんだ」
地上で交通整理にあたっていた警察官たちが、手にしたソフトボール大の丸い機器を、自分の胸の位置あたりに浮かせだしたのが見えた。
『立ち入り禁止』の規制のための封鎖ボール。
ボールの横から両方向へ封鎖線を思わせる黄色い帯状のビームが放たれ、5メートル間隔の隣のボールと連携するようにしてつながり、あたりを囲みはじめる。
草薙大佐が運転席に座る屈強な体つきをした兵士のほうに向かって声をかけた。
「バトー、降りるわよ。準備して」
バトーと呼ばれた兵士は無言のまま、車の前方のパネルに手をのばした。本当はバットーという名前なのだが、草薙大佐はまともに呼んだためしがない。
車が下降しはじめる。
ヤマトは心のなかで嘆息した。
やっと地に足をつけられる。
その青年は、シブヤのスクランブル交差点が警察に封鎖されていることに驚いていた。数年前に世界遺産に認定されたこの場所と、このおびただしい数の警察官は、どうみても似つかわしくない組み合わせだ。
シブヤは二回の関東大震災と先の戦争で、一時期ひとの流れが途絶えていたが、交差点が世界遺産になってから人気が再燃した。今では、形や色、質感を自在に変えられる『ヴァーサタイルガラス』で全面覆われた高層ビルや、空中に浮かぶ『フライスルー・ショップ』、念じるだけで自動で目的地まで人々を運ぶ『コンベア・ロード』など最先端の街にすっかり生れ変わっていた。空飛ぶ車、スカイモービルのための、空の道路『流動電磁パルス・レーン』も、上空に縦横無尽に通じているのが見える。
彼はふと、自分に黒い影が落ちていることに気づいて、上をみあげた。
上空からゆっくりと車が降りてきている。
え?、この場所は、スカイモービル進入禁止地域のはずなのに?。
そんな疑問が一瞬、頭に浮かんだが、ナンバープレートをみてすぐに合点した。多国間で取り決められた『スカイモービル・テロリズム防止条約』があるのだ。禁止空域を飛んでいいのは、公用車か軍関係の車、と相場が決まっているではないか。
車が青年の10メートルほどむこうに音もなく『着車』する。その近くで警備している警察官たちの動きがあわただしくなってきたのが、素人目にもわかった。
ドアが一斉に開くと兵士がたち銃を構えながら降りてきた。頭からバイザーと同化したヘルメットを被り、完全武装で一部の隙もないものものしい装備。もちろん手に持ったライフルのような銃は、高性能かつ強力な殺傷能力をもつとすぐに想像できた。いつでも撃てるように安全装置ははずされているに違いない。
青年はどんな人物がこれだけの警護に値する人物なのかという興味に、すでに心奪われていた。
下車してきたヤマトタケルを取り囲むようにして、すぐに兵士たちは陣形を組んだ。ヤマトの正面に位置取りしている草薙大佐がこめかみに指を押し当てて、体内に埋め込まれた『テレパス・ライン』と呼ばれる通信装置に話しかける。
「あたりは全部封鎖した?」
ヤマトが草薙の肩越しに交差点のほうを見ると、黄色い規制線のビームは百メートル以上先、かつてセンター街と呼ばれていた場所まで伸びていて、その近くには数十人もの警察官、警察ロボットたちが配置されていた。
責任者とおぼしき警察官が近寄ってきた。
「こちらの準備は整いました」
草薙がヘルメットを被ったまま首肯した。
その警察官は敬礼をすると、去り際に軍人たちの中心にいるヤマトに目をむけた。その視線は怒気を含んでいて、睨みつけているようにしか見えない。その警察官はヤマトと目があうと、あからさまな嫌悪感を隠そうともせず、「チッ」と小さく舌打ちをした。
ヤマトはその警察官のうしろ姿をぼんやりとした視線で追った。すると警備をしている警察官全員がこちらを見ていた。さきほどの警察官同様、警護対象者の自分に対して敵意むきだしの視線が向けられていた。
「彼らの視線が気になる?」
草薙素子がヤマトに声をかけた。
「まさか」
草薙大佐が手を大きく振って、どこかへむかって合図した。
「じゃあ、いくわよ」
歩きはじめたヤマトタケルの周りを武装兵たちが取り囲んでいた。どこから狙われても対処できるように四人が四方向に銃をむけて、ヤマトにからだをくっつけたままゆっくりと、スクランブル交差点へ歩をすすめていく。
『自分の時間が欲しいから、お金がかかるから……。そんなご立派な理由で、親になれたのに、なろうとしなかったヤツラ。そして……出産や子育てを支援する政策をなおざりにして、人口減少になんの手も打たなかった政治家や官僚ども……』
『そう。すべて、西暦2000年頃……、今から450年前の日本人全員の責任……』
『2470年、ボクは地球上で最後の日本人になった……』
兵士に守られながらスカイモービルからでてきた少年を見て、規制ビームのむこうに追いやられたやじ馬たちが、なにごとかとざわめきはじめていた。警官たちの隙間から顔を覗かせていた黒人系の青年二人組の一人がヤマトにいち早く気づいた。
彼らの網膜には自動照合されたヤマトのデータがうつしだされていた。
「おい、あいつ、ヤマトタケルだ」
「まさか。日本人のDNAを99・9%保持しているっていう最後の純血の日本人か……」
「あぁ、スリーナインだ」
「あいつが……」
彼が息を飲むと同時に、うしろのほうの群衆の一人から叫び声があがった。
「オレの母親は、あいつに殺された……」
イタリア系の中年男性だった。その隣にいたヒスパニック系の中年女性が声を荒げる。
「わたしは娘を殺され、家を潰されたわ」
「オレは会社を壊滅させられて、破産した……」
次第にそれらの声が大きく広がりはじめる。ある者は口角から唾を飛ばして、ある者は怒りの拳を突きあげながら、ある者は目を充血させ涙あふれさせるままに……。人々は手にしたボトルや缶をヤマトたちのほうへ投げつける。警察官が張った規制ビームの壁に跳ね返されて届かない、と知っていても、その行動を止めることはできなかった。
一瞬にしてシブヤのスクランブル交差点は、悲鳴にも似た怒号、怨嗟に満ちた叫びに埋めつくされていた。
草薙がこめかみを押さえながら、体内通信装置に声を張りあげた。
「音声ジャミングの出力弱いぞ、どうなってる?。まわりの音声がこっちに届いている」
「いいよ、草薙大佐……」
「慣れっこだ」
ヤマトは自分に罵詈雑言を浴びせている群衆のほうに目をむけた。彼らの発している声がわずかにしか届かないためなのか、彼らの動きはどこかスローモーションみたいに見え、なにかのパフォーマンスのように感じられる。
ヤマトは群衆の数が急速な勢いで増えていることに気づいて思わず鼻をならした。おおかた、リアルタイムで情報共有した人々が、現場見たさに『リアル・ヴァーチャリティ』装置でログインして『ゴースト』を飛ばしているのだろう。すでに回線が混みあってきたのか、前のほうに並んでいる人間の一部は半分消えかかっている。
その時、ヤマトの耳にひときわ大きな怒号が聞こえた。
「ミリオン・マーダラー(100万人殺し)!!」
ヤマトは声の聞こえたほうに笑顔を向けると大げさに手を振った。
『まったく……』
『まだ95万人……なんだけどね』
「おもしろかった」
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「このあとの展開はどうなるの?」
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